祭了――十二国記――
年に四度、蓬山の麓には人が溢れ、潮が引くように去っていく。規則正しく、狂い無く。安闔日を半月も過ぎる頃には人が現れ、それはやがて小さな町ほどにも膨れあがる。そして中日を過ぎるとぽろぽろと欠けていき、ある時を境に一気にいなくなるのだ。次の安闔日までには門に辿り着いていなければならず、無事に下山するには数を頼んでまとまって黄海を渡るほうがいい。
もちろん四門のうちのどれが開くかで人の増減はあったが、一年をかけて四度、寄せては返す波のようにその訪れは途切れがない。
結果、蓬山に人の気配が絶えるのは安闔日を挟んだひと月前後という計算になる。
年に四度、決まった時機に人が訪れ、間に閑日を挟み、そしてまた訪れる。
すでにそれが二十年。ひとつひとつを数え上げれば、五十はとうに越してしまう。
さすがに祭りもこれだけ長いと女仙も飽いた様子を見せた。定期的な訪れが最早当然のこととなってしまい、新鮮な面白みなどなくなってしまう。
普白十一年、先王崩御。それを受けて蓬山に供果が実った。大過なく翌年に麒麟は孵り、数年後、各祠に麒麟旗が揚がり恭国麒麟は王の選定に入る。
普白三十八年。麒麟は、まだ王を選べずにいる―――。
―――来る。
それは予感にも似ていた。
春分に開くのは令乾門。恭に最も近い門であり、そのため昇山する者の数も最も多い。―――尤も、年を追うごとに昇山する者の数は減り、以前とは比べるべくもないが、それでも四門の中では最も多くの者達がここ蓬山を目指してやって来る。
令乾門から昇山してくる者を迎えるのも、すでに二十回を超える。いまが初めてというわけではない。
しかし気がつくと、ふと視線が北西を向いている。
これは今までにはないことだった。
北西にあるのは令乾門。その方角から何かが、こちらにやって来る。もちろん来るのは自らを恃んで王と為らんとする一行だろう。そのなかにおそらく「それ」が混じっているのだ。
漠然としたもので、言葉に表せるようなものではない。
だが、わかる。
日を追うごとにそれは強くなっていく。
使令の背に跨って黄海を貫く道を見下ろしながら、供麒は知らず笑みを浮かべていた。
王がいる。
今回の昇山の者達のなかに、王がいる。
「―――供麒」
隠伏した使令が不意に囁いた。
「玄君がいらしているご様子。供麒に御用がおありのようです」
「わかった」
供麒は短く答え、意を受けた使令が降下を始めた。
捨身木にほど近い奇岩の上に降りたつと、すでにそこには玄君―――天仙玉女碧霞玄君、玉葉の姿があった。蓬廬宮に住まう女仙たちの長たる女神。
使令を隠伏して下がらせ、供麒は玉葉に会釈する。その目線は玉葉よりも高い。
己の背よりも丈高く育ってしまった麒麟を見あげ、玉葉は唇に笑みを浮かべた。
「ほんに。女仙の言った通りよの」
何のことかわからず供麒が首を傾げると、玉葉は笑う。
「今回の春分に限って供麒にいつもの落ち着きがおありでないと。まるで麒麟旗が揚がって最初の安闔日の時のようじゃと笑っておった」
「いや、それは………」
二十年も前のまだ成獣さえなっていなかった頃のことを持ち出され、供麒が赤面していると、玉葉は笑い、それから顔だけを背けて彼方に目をやった。―――北西。さきほどまで供麒が見つめていた方角だ。
惹かれるように供麒もそちらを眺め、そして視線を固定させたまま呟いた。
「何かがやって来る。そんな感じがするのです。日を追うごとにそれは強くなっている」
玉葉はとくに何も言わなかった。
「これが王気なのでしょうか」
「この玉葉は麒麟ではないゆえ、王気が如何なるものかはわかりかねるが、供麒がそうお感じになられるのならば、おそらくそうなのであろう」
「はい」
素直に供麒は頷いた。
「きっと、王がおられるのだと思います」
そう言い切った傍らの麒麟を無言で玉葉は見あげた。
王を得られぬ麒麟の寿命は約三十年。供麒は今年で二十六となる。
昇山する者の中に一向に現れぬ王に業を煮やして恭国まで赴いたこともあったが、結局王を見いだせず供麒は蓬山へと帰ってきた。
王を探しに蓬山を出て行く麒麟もいるが、大多数の王は昇山してくる者のなかから見出される。しかしその昇山も繰り返されること二十年。王を得ることなく蓬山で寿命の尽きた数少ない麒麟となってはあまりにも不憫と女仙たちが気を揉んでいたのだが、どうやらその心配もないようだ。
「春分よりすでに日は経っておるゆえ、すぐにでも甫渡宮に昇山の者は現れよう。供麒、少しは落ち着かれませ」
ころころと笑われ、供麒は罰が悪そうに頷いた。
供麒が今回の昇山を待ちこがれていることはすぐに女仙たちにもわかった。だからこそまるで初めて迎えた安闔日の様と囃したてもするし、笑いもする。離宮に下りる際の衣の手入れにも身が入る。
しかし春分を半月過ぎても甫渡宮に昇山してきた者たちの姿はなかった。
通常、安闔日から半月もすれば昇山の一行は辿り着く。門が開くのが一日だけなので、ほぼ同時に黄海に足を踏み入れる昇山者一行は、よほどのことがない限り徒党を組んで蓬山を目指す。ばらばらに到着するということはあまりない。
「今回はどうしたこと」
甫渡宮に至る道を見下ろせる四阿で、女仙の一人がそう洩らした。
王がいる場合、通常よりも短い期間で一行は蓬山に辿り着く。黄海を渡る剛氏はこれを鵬翼に乗ると称する。最初の昇山者から出た王を飄風の王と呼ぶ。疾風のように登極した王という意だが、それはただ一度きりの昇山の旅ですら短いもので終わるからかも知れない。それほどに王を交えての旅は苦難が軽減されるのだ。
「供麒の様子から察するに、今回の昇山に王が交じっているのは間違いないはず。それなのにこれほどに遅いとは………」
近く王になる人物が何らかの原因で天意を失い、無惨な有様の一行が到着したことがないでもないが、それならば供麒が気づくはず。
すでに供麒は待ちかねて、本来ならば到着した一行が天幕を張り、落ち着いたところを見計らって離宮に渡らねばならないところを、今にも下りていきかねない有様だ。
無理もない、と女仙は思う。
二十年間、恭国の誰よりも王を欲していたのは当の供麒かもしれないのだ。
一緒に詰めていた女仙がふと声を洩らした。
慌てて見やれば彼方に微かな砂塵。
「来やった」
二人の女仙は目を見交わして頷き、知らせるために四阿から立ち去った。
「―――乾よりの昇山の一行、まもなく蓬山に着きましてございます」
その報を聞いて、供麒は女仙の予想とは違って不安そうな表情を見せた。
「供麒、いかがなされました?」
「王気はまだ遠くにあります」
「まあ。では今回の昇山は複数に分かれてのものだったのでしょうか」
それにしても辿り着くのの遅いことと女仙一同首を傾げたが、答えの出ようはずがない。
「禎衛。甫渡宮に下りてもよろしいですか?」
蓬山の女仙のなかでも古参の禎衛は、問われて苦笑混じりに頷いた。
「これ以上供麒をお待たせすると、麒麟の首が長うなってしまうやもしれません。ただしきちんとお召し替えなさってくださいませ。知らせではまだ遠くに砂塵の見えるばかりとか。供麒が衣をあらためる時間は充分にございますよ」
沐浴し、衣をあらためた供麒と女仙の一行が甫渡宮まで下りても、まだ一行は到着していなかった。
供麒が進香を済ませ、一段高く設けられた専用の座所に入ってもまだ着かず、ようやく女仙たちが進香を終える頃に到着する。
甫渡宮の中にすでに女仙がいることに驚いた様子の一行を御簾越しに眺め、供麒は首を横に振った。
「やはり、おられません」
供麒の言葉に、禎衛はしばらく思案した後、こう言った。
「ならば、昇山の者はこれで全部か聞いてまいりましょう。途中で別れてこちらを目指す者たちがいるのやも知れません」
選定のあいだは供麒も甫渡宮を出て昇山してきた者たちと言葉を交わすが、それはやって来た者たちが進香を終えてからの話だ。到着してまだ荷もほどいていないところに麒麟が現れればとんだ騒ぎになるだろう。
御簾を上げて出ていく禎衛を見送りながら、供麒は隠伏した使令に命じた。
「禎衛について、外へ。話を聞いてきてほしい」
「―――御意」
床に落ちた供麒の影の中から、するりと音もなく気配がひとつ離れていった。
やがてまだ話は途中と思しき頃に、陰形したまま使令は戻ってくる。
「一度二手に分かれ、再び合流しての到着だそうです。一行より後に門を潜った者はおそらくいないだろうと」
一日で稼げる距離はたかがしれている。開門に間に合わずに遅刻して門を通ったとしても、先を行く者たちに追いつくことができるのが普通だった。
「では、これで全部と?」
「あと三人、来るはずだと」
「三人」
供麒は軽く目を見開いた。
妖魔の跋扈する黄海を渡るのに、それはあまりにも人数が少ない。
「正確には妖魔の爪に掛けられ行方の知れぬ者が一人と、それを探しに行った者が二人とのことです」
「わざわざ探しに」
「その者こそが王だと主張する者が何人かおります―――また一人、新たに到着したようです。お待ちを」
言って、使令は遁甲して再び宮の外へと出て行った。
昇山の一行はこれで全部。残りは後から来るという三人―――いや、たったいま戻ってきた者を引いて二人のみ。そしていま甫渡宮の前にいる者たちの中に王はいない。
単純な引き算だ。
その者こそが王―――。
昇山の者たちにそう言わしめるだけの人物。
閃くような、鋭く闊達とした王気を感じる。
かつて蓬山を後にし、王を求めて恭国各地を探し歩いたが、王気を感じとることはできなかった。
落胆し、悄然として帰山した供麒に玉葉は言った。
(もしや、王となる人物にまだ天意がないのやもしれませぬ)
(まだ―――?)
(王となるべく天が定める者は皆ひとしく名君となりうる資質を持つ者。しかし、かといって分別もつかぬうちに王となっては名君になりようがありませぬ。赤子に政はできぬゆえ。頑是無い幼子と契約を交わし神籍に入れてしまっては、幼子は幼子のまま。つまりは名君たりえる資質なき者であり、そこに王たる天命が下ることはありえませぬ)
たしかに国中を巡っても王を見出せないのだとしたら、考えられる理由は胎果で流されてしまっているか、あるいはまだ生まれていないかのどちらかぐらいだろう。あるいは他国で暮らしているか。しかし、蓬莱に流されていようと他国で暮らしていようと、そこに王気を感じとれないはずはないのだ。
(ご案じめされるな。王は必ずおりますゆえ。もしかして、供麒が足を運ばれた土地にすでに王たる者はいたのやもしれませぬ。また時間をおいて恭国を訪ねてみてはいかがか)
そう慰められた当時、すでに残された時間があまりないことがわかっていた。
王を見出せぬ麒麟の寿命はわずか三十年ほど。
「―――供麒、どちらへ」
静かに立ちあがった供麒に控えていた女仙たちが慌てて尋ねた。
「外へ」
「お待ちを。すぐに禎衛も戻ってきますゆえ」
女仙たちが供麒を引き留めている間に、再び使令が戻ってきて報告する。
「迎えに行った者のうち、一人が戻ってきました。迎えのうちのもう片方が負傷し、妖魔が血の匂いを嗅ぎつけたそうです。手勢を連れて再び戻ると―――大騒ぎになっております。いま出て行かれるのは得策ではないかと」
「このなかに、王はおられません」
言って、供麒は御簾の外へと出た。女仙たちが慌てて後に続く。
宮の奥から姿を現した麒麟に外にいた昇山の者たちは凍りつき、慌ててその場に膝をついた。
禎衛が狼狽して姿を見せた供麒を見やる。
「公、なりませぬと―――」
しかし供麒は北西の方角を見あげたまま立ちつくしていた。
視界が開け、彼方を見通せるようになった途端、彼をふり向かせるような勢いで視野に飛びこんできたものがあった。
「王気が………」
ぽつりと呟かれた言葉に禎衛がハッとして供麒を見あげる。
静かな決意と共に供麒は一同を見回した。一同の後ろ、人に囲まれるようにして見事な騶虞と黒髪の青年がいた。供麒を見て、にこりと笑う。
思わず供麒も微笑み、それから一同に向けて言葉を発した。
「遠路はるばるお疲れ様でした。ですが、王はいまだお着きではありません」
皆一様に息を呑み、やがて吐息にも似た呟きがそこかしこで洩れた。馬鹿な、という声に劣らぬ勢いで、やはり、という声もまたあがる。
鹿蜀を連れた男が、先ほど供麒に笑いかけた黒髪の青年に向かって話かけた。
「やはり何があっても行ってやらなきゃならねぇ。まさかここまできてくたばりはしないだろうが、嬢ちゃんはともかく朱氏の旦那までは天意も庇っちゃくれんだろう」
「私が王とその方をお迎えにあがります」
己に話しかけられたと知って、鹿蜀の男はあわてふためいて口を噤んだ。変わって傍らの黒髪の青年が口を開く。
「お待ちを。蓬山公はおひとり、転変していかれるおつもりか」
「そのつもりですが。………何か?」
「一人は怪我を負っています。血の穢れに公があてられては、使令がおられても万が一ということがある」
「ならば、あなたたちと行きましょう」
当たり前のように言われた供麒の言葉に、青年はわずかに目を見張ったが、すぐにふわりと笑って頷いた。
不意にどこからともなく声があがった。
「―――王ならば、何もせずとも無事にここまで辿り着くはず」
誰が言ったかはわからない。しかし一瞬の沈黙の後、ざわりとどよめきが広がり、ぽつぽつと賛同するかのような声があがった。
女仙の何人かもそれに頷き、口々に供麒を思いとどまらせようとする。
首を横に振って、供麒はその方角を見つめた。
すでにもう、これほどはっきりとその存在を感じるというのに。
黙って一同を見守っていた騶虞の青年が静かに口を開いた。
「私たちが何もしなくても何とかなるんじゃない。王が何もしなくても、その周りが知らずのうちに王を助けるように動いてしまう。それが王の器量で天の配剤というものだ。現にこうして―――」
笑いながら青年は騶虞の首を叩く。
「私は怪我人と子どもを二人きりで置いてきてしまったわけだけど、先ほどの公のお言葉から察するに、まだ無事でいる」
「はい」
供麒は頷いた。
「王気はいまだ絶えてはおりません」
「無事であるような幸運が働いている、ということだ」
「ならばなおさら、その幸運でここまで辿り着くはずだろう!」
怒りで顔を赤くしているのはでっぷりと太った初老の男だった。
「だからそうじゃない」
落ち着いた様子で青年はその男を見返した。
「私たちが行くまで珠晶は無事だ、ということだよ。血の匂いをさせた怪我人と子どもの二人、どう考えても無事にここまで辿り着くはずがない。運の良い偶然とは、起こりうる範囲内でしか起こらないものだからね。無理なことは普通に無理だ。しかし、そこを周囲を動かすことで可能にしてしまう」
「巡り合わせというやつだな。黄海では、それが全てだ」
鹿蜀の男の言葉に青年は笑って、うん、と頷いた。
「私に出逢い、頑丘を雇い、妖魔の爪に掛けられてもなお生きている。そしていま私が助けを求めに来た先で、すでに麒麟が王を待っている。これ以上のものはないだろう?」
「違いない」
男が笑い、つられて周囲の幾人かが笑うと、すぐさまそれは一同すべてへと広がった。
「だから王を助けに行くんじゃない。王を迎えに行くんだよ」
青年がそう言うのを聞きながら、供麒は女仙たちをふり返った。
「聞いた通り、私は王をお迎えに参ります」
麒麟自らが黄海に出向いて王を迎えるなど、いまだかつてあったためしがない。女仙たちが狼狽して否とも応とも言えずにいると、不意に宮の奥から笑みを含んだ声がした。
「行かせてさしあげるがよろしかろう」
見れば壇上の御簾がいつのまにか再び下ろされている。その向こう側にあるかなきかの気配がした。宮の外にいる者たちからは、ちょうど見えない位置だ。
女仙のひとりが叫びかけ、慌てて口を押さえた。
「昇山するということは、そうと決めた時点から、すでに天によって試されているも同じこと。仮に天意を受けた者であろうと昇山の途中で道に外れた振る舞いをすれば、即座に天意は去っていく。本来ならば無事に蓬山までたどり着けた者が天意ある者。しかしその者、すでにもう充分試されたと見ゆる。―――いかがか?」
そう尋ねられたのは供麒でも女仙たちでもなかった。
いつの間にか宮の入口まで来ていた青年が問いを受けて、苦笑混じりに頷いた。無礼を咎めようとした女仙は逆に御簾の内から止められる。
「よい。いまここで蓬山公以外の者に平伏したとあっては、他の者は何事かと思うであろう」
止めるその声のほうも苦笑混じりだった。
「天意はすでに定まり、それを受けて天命は下された。供麒があれほどはっきりと王気をお感じになるのもその証なれば、供麒自ら出向かれても些かの支障もあるまいて。王を得られず業を煮やした麒麟は蓬山を出て自ら王を求めるもの。―――さて、禎衛」
平伏しかけて先の言葉を思いだし、どうしてよいものかわからず、禎衛の姿勢が傾いだまま止まる。
今度ははっきりと笑い声をあげ、御簾越しに玉葉は言った。
「蓬山の女仙は、公お一人のみに王をお迎えさせるつもりかえ?」
禎衛を始めとした女仙たちが、ハッと顔をあげた。すぐに数人の女仙が騎獣を引きだすために宮の外へと飛び出していく。残りの女仙も三々五々に慌ただしく散っていった。
「早う騎獣をここに! 蓬山公にお付きして、供王をお迎えに参る!」
とんだことになったと肝を潰していた一行は、それでも騶虞の青年を中心として出向く者たちの人選にとりかかりはじめた。救出ではなく迎えに参ずるのだとようやく理解した者たちが、変わり身もすばやく我も我もと名乗り出て、話し合いを紛糾させているようだが、そこは何とかなるだろう。
王を迎えに―――。
二十七年の空位の後に、ようやく得られた王を迎えに―――。
多くの意思がひとつにまとまり、大きなうねりとなって波のように蓬山の麓に押し寄せ、広がる。
異例の事態に騒然としている甫渡宮を目を細めて見ていた供麒は、御簾越しに呼ばれてふり返った。
本来ならばこのような下界近くまで降りてくることなどない女仙の長は、外の喧噪を余所に、穏やかな口調で供麒を言祝いだ。
「王は必ずおられると申し上げたは、この玉葉の嘘ではありませなんだ」
「はい」
「行って、お迎えもうしあげるがよろしかろう。―――供麒しかお選びできぬ、供麒だけの王じゃ」
恭国の麒麟ははっきりと破顔した。
「―――はい」
昇山の一行は誰が赴くかでいまだ揉めていた。
騶虞の青年は剛氏さえいればいいという風情だし、鹿蜀を連れた男も騎獣を持たない者など論外だと主張している。本来ならばそれですむところを話を混ぜ返しているのは、王と誼を通じておこうという腹づもりの他の昇山者たちだった。むしろ迅速に用意を整えた女仙たちの方が、焦れた様子で結論を待っている。
「話にならん。さっさと騎獣に乗っちまえ。蓬山の連中よりこっちがぐずぐずしていてどうする」
鹿蜀の男が吐き捨ててさっさと鞍に跨った。それに習って次々に剛氏が己の騎獣に騎乗する。
痩せた顔つきの男と太った初老の男が顔を赤くして抗議するなかを、一人の男が鹿蜀のもとに駆け寄った。
昇山を目的とした者ではない。随従と思しき貧しい身なりのその男は鹿蜀に騎乗した男に向かって、必死の形相で訴える。
「どうか私もお連れください。お願いします!」
「鉦担。貴様、控えよ―――!」
太った初老の男が声を荒げた。
鹿蜀の男は家生とその家公を見比べ、不意ににやりと笑うと一気に男を鹿蜀の背に引き上げた。
「来な。あんたにはあの嬢ちゃんが王になる時に居合わせる権利があるだろうよ」
首を軽く叩かれ、意を受けた鹿蜀が勢いよく走り出す。騶虞が軽やかにそれに続き、すぐに鹿蜀を追い越した。雪崩のように残りの騎獣が後に続く。抗議の声はその足音と舞う砂埃にいとも簡単にかき消された。
先頭を行く騶虞の横にすぐ並んだ供麒は、騶虞の上の青年が思わずといった様子で洩らした呟きを耳に拾っていた。
「やれやれ、こちらが思った以上にすさまじい運気だ」
並んで疾駆する使令の姿に気づき、青年はああ、と声を上げ、半身ほど騶虞を後退させた。
「これは失礼を。蓬山公、方角はこちらでよろしいか」
言われ、供麒は彼方を見通す。すでに日は高く昇り始めて辺りは明るいが、それ以上にこれから目指す方角の何と明るく感じられることだろう。
わずかな方角のズレを指し示すことで修正し、黄海に落ちる影を連れて三十騎ほどの騎獣は先を急ぐ。先頭を行くのは妖魔と騶虞。遅れて鹿蜀。
「ああ、そうだ」
不意に騶虞の青年が笑みを含んだ声をあげた。
「遁甲できる使令がおられるなら、蓬山の女仙たちに丹桂宮の襦裙の丈を直すように伝えておかれたほうがいい」
「は?」
丹桂宮は選定された新王が天勅を受けるまで滞在する離宮の名前だ。襦裙は女物の着物。丹桂宮の襦裙とはつまり新王―――女王が着る予定の着物だろう。それを直したほうがいいとは、いったいどういう意味なのか。
供麒が唖然としていると、青年はくつくつと笑いながら、騶虞の手綱をとった。
「先触れに行かせてもらいます。いきなりこれだけの手勢と公が来ては、向こうも驚いてしまう」
「はい。よろしくお願いします」
きまじめにそう言った供麒に破顔して、青年は己の騎獣を軽やかに飛翔させた。
「為人は保証する。あなたは良い王を得た。―――お慶び申しあげる、供台輔」
蒼天を鮮やかに銀と黒の騎獣が舞った。
その行方を目で追い、その先に閃くまぶしいような気配に供麒は知らず、微笑んだ。
民が待つこと二十七年。供麒自身においては二十年。
空白を埋めてなお溢れるほどの、この王気。
蓬山の長い祭りがようやく終わり、そしてまた別の祭りが恭国で始まる。
長い、長い祭りになるだろう―――。
普白三十八年、春。
供王、即位。