帽子と迷子 (ストレイ・ドール)
〈SIDE:ゼルガディス〉
静かな夕暮れだった。
細く開けた窓からはゆるやかに西日が射し込み、ゼルガディスの銀色の髪を朱金に染めている。
借りてきた魔道書や文献になかば埋もれながら、ゼルガディスは読書をしていた。
行儀の悪いことに、壁にくくり付けの机の上で塔のごとく積み上がっている書物の間に座りこみ、壁にもたれて本来そこに座るべき椅子の上に足を置いている。
珍しく静かな一日だった。
やたらうるさいユズハもアメリアと一緒に出かけていて今はいない。
ページをめくる静かな音が部屋に響いて、続いて遠くで足音がした。
どだだだだだだだがごんっ
「………コケたな」
聞こえてきたお終いの物音に軽い頭痛を覚えながら、ゼルガディスは本に栞(しおり)をはさんで閉じた。
机の上に座っているところを見られると、何かとうるさいので降りて椅子に腰掛ける。
階段を昇ってくる足音がした。
その足音が二階に来たと思う間もなく廊下を疾走する足音がして、ドアが音をたてて勢いよく開かれた。
「ゼルガディスさんっ !!」
「早かったな。何か買って――――」
「どうしましょうううううううっ!」
ゼルガディスの言葉をさえぎって、アメリアがゼルガディスに飛びかか―――否、飛びついた。
「ア、アメリア !?」
「どうしましょうっ。ねえ、どうすればいいと思います !?」
「何がだ? さっぱりわからんぞオイ!」
アメリアが蒼白な顔でゼルガディスを見上げた。
「ユズハいなくなっちゃいました」
「…………………」
思わず頭痛を覚えたゼルガディスの目の前で、アメリアは必死に力説している。
「どうしましょうっ。きっとやっぱりまたエルフか何かと勘違いされて悪人に捕まったに違いないです! ユズハ可愛いですしきっと高値で売れるとか思われてるんですっ。早く何とかしないと………!」
「おい、アメリア………」
「早く何とかしないと、向こうの悪人が勘違いに気づかなくて燃やされるだけじゃすまないと思うんですよっ。いくら悪人だとはいえ原因不明の人体発火現象で亡くなるのはちょっと可哀想だと思うんですっ」
「………何だか微妙に論点がズレてきたな」
「そういうわけで人体発火現象でユズハがエルフに売り飛ばされるのはとってもマズイと思うんですけど、どうしましょうっ !?」
「いいから落ち着け。もはや意味が通らん」
ぱぺん。
「痛いですぅ………」
涙目でアメリアがはたかれた額を押さえる。
「いいからもう少し落ち着け」
「はいぃ………」
「で、いつはぐれたんだ?」
「………それが、さっき通りの露店の前で気がついたらもう隣りにいなくて………」
「ま・た・か。あのくそガキは………!」
ゼルガディスの表情が引きつった。
だから買い物に連れて行くべきではないと思っているのだが、連れていかないならいかないで、ゼルガディスとユズハが二人きりで宿に取り残されることになるので、結局どちらにしても究極の選択に近い。すなわち迷子になるか、ケンカをするか。
ゼルガディスは窓まで寄っていって、外の通りを見下ろした。
夕暮れ時。夕飯前ということもあって、人通りが多い。おそらくアメリアも人混みにもたついているうちにユズハとはぐれてしまったのだろう。
「宿の場所は知ってるだろうから、どうせそのうち戻ってくる。いざとなったら火球に変じて飛んでくるだろう」
「それがマズイんじゃないですかっ。エルフでも何でもないとわかったら大騒ぎになります! 間違って手を出した悪人がケシズミで発見されるのは寝覚めが悪いですよ!」
「お前の想像のほうが、よっぽど寝覚めが悪いぞ………」
うめきつつも、ゼルガディスは立てかけてあった剣と、椅子の背にかけてあったマントを手に取った。
「まったく、手間とらせやがって、あのバカ精霊………」
〈SIDE:ユズハ〉
その頃、ユズハは。
「可愛いお客さんだねぇ。何買ってくんだい?」
………雑貨屋にいた。
フードよりこっちのほうがいいからと、ついさっき『りあ』に買ってもらった耳の覆いがある帽子を、ぎゅっとユズハは引っ張った。クリーム色の生地に朱色の糸で刺繍がしてあって、耳の覆いの先には白地に青い線で紋様を描いた陶器の飾り玉がついている。その飾り玉の感触が、ユズハには面白くて、気持ちいい。
「うんと・ネ」
ユズハは一生懸命、記憶を探る。
確か『りあ』や『ぜる』以外の人間からモノをもらうには、お金という丸い金属が要るのだ。うん、確かそうだ。
「お金、ナイの」
目の前の雑貨屋のおばさんは、残念そうな顔をしてみせた。
「そうかい。そりゃ残念だね。お父さんやお母さんと一緒にまたおいで。今日はこれをあげるから」
そう言って、おばさんは売り物の棚からオレンジの皮の砂糖漬けをユズハに渡す。
ユズハの目がきらきら輝いた。
食べ物♪
またユズハは考えこんだ。
えっと、お金を使わずにモノをもらったら、何て言うように『りあ』に言われたんだっけ。
「え、と………ありがトウ」
「おや礼儀正しいコだね。どういたしまして。次はウチの人と来るんだよ」
ぺこっとお辞儀をして、ユズハは雑貨屋を後にした。
【ユズハはオレンジピールを手に入れた!】(それっぽい効果音)
〈SIDE:アメリア〉
宿から通りに出て、二人は二手に別れて探すことにした。
「俺は街外れのほうまで行ってくる。アメリアは宿の周辺と大通りの店を頼む」
「はい、わかりました」
「特に、食べ物を売っているところは絶っ対、チェックしろ」
「…………はい(汗)」
アメリアはとりあえず、今日行った店をもう一回まわってみることにした。
一軒目。アクセサリー屋。
「あの、すいません………」
「おや、また来たのかい?」
「ええ、ちょっと連れのコとはぐれちゃって………」
「ああ! あの可愛いコね」
「あれから来ませんでしたか?」
「いや、来てないねえ。それより嬢ちゃん、その耳の飾り見せてくんないかい?」
「お断りします。それじゃ」
二軒目。古着屋。
「あら? 今度はお揃いで服を買いに来てくれたの?」
「いえ、その………帽子を買ってあげたコとはぐれちゃって」
「あら大変。でもここには来てないわよ」
「そうですか………」
「見つかったらまた来て♪ さっきの帽子と揃いの上着、倉庫から見つけちゃったの。値段オマケしとくから♪」
「ど、どうも………」
三軒目。肉団子のスープの屋台―――結果ダメ
「もう一杯食べてくかい?」
「あのコを探してからにします」
四軒目。骨董屋―――これもバツ。
「どうだいこの動く孫の手。二百年前の香木製」
「けっこうです」
五軒目。タペストリー工房の売店―――さらにバツ。
「このゴブリンの図案けっこうイイ線いってると思わない?」
「織るのはやめといたほうがいいと思います」
最後六件目。ジュースを売っている露店―――やはりダメ。
「新作ためしていかないか? 薬草の汁にミルクをあわせてみたんだけど」
「あのコを見つけてきますから、そのときにお願いします。わたしはヤです」
「いないーっ」
はぐれたことに気がついた露店の前まで来て、アメリアは頭を抱えた。
「ああ………こうしている間にも人体発火現象とか起きてたらどうしましょう………」
どうやらそれしか思いつかないらしい。
「こうなれば全部のお店で聞いてみるしかありませんっ」
まず通りのちょっと先にある雑貨屋を訪ねてみることにした。
〈SIDE:ユズハ〉
その頃のユズハ。
「おや、さっきの。連れのお嬢ちゃんが探していたよ」
肉団子のスープの屋台にいた。
完璧にすれ違っている。
「りあ、が?」
「そうだよ。あんまり心配かけちゃダメじゃないか」
おばさんが豪快にかき回す大鍋から、ほかほかと湯気があがり、ぷーんと美味しそうな匂いが漂ってくる。
イイ匂い。
さっきもらったオレンジの皮の砂糖漬けは、もうとっくにお腹の中に消えている。
以前、『ぜる』が食べたモノがどこに行くのか非常に不思議がっていたが、そんなことはユズハだって知らない。ただ、食べて気を取りこんでいないと、ここにこうして存在しつづけていられないことは本能的に理解していため、とにかく何でも美味しく食べる。
こうしてるうちに再びお腹が空いてきた。
ジッと鍋をかき回す手を見つめているユズハに気づいて、おばさんは笑った。
「お腹空いたのかい? さっき嬢ちゃんと一緒に食べただろう?」
「ン、食べタ」
「まあ、育ち盛りだからねえ。おばさんにも同じくらいの子どもがいるんだよ。もう暗くなるし、良かったらここで食べながら待つかい? お代は後でお嬢ちゃんに出会ってからでいいから」
「ホント?」
ぱあああっとユズハの顔が輝いた。
食べ物、再び♪
しかもたくさん♪
しかし、『りあ』と『ぜる』のいないところで、やたらぱかぱか食べてはいけないと言われていたことを、うっかり、あいにくと、思い出してしまった。
「んとね、じゃ少しダケに・する」
「はいはい。いいコだね」
ほかほかと湯気を立てる肉団子入りのスープがユズハの目の前に差し出された。
【ユズハは肉団子のスープを食べた! HPとMPが回復………しないしない(笑)】
〈SIDE:アメリア〉
「ああ、そのコならさっきまでここにいたよ」
「 !! で、どっちの方に行きました !?」
「あ、ああ……多分あっちじゃないかねぇ」
「ありがとうございましたっ」
アメリアはダッシュで来た通りを駆け戻った。
陽はすっかり落ちて、通りにはちらちらと灯りがつき始めている。
〈SIDE:ユズハ last〉
ユズハが両手で器を抱えて、底の方のスープを飲んでいると、不意に目の前が暗くかげった。
『りあ』や『ぜる』でないことは気配でわかる。
「?」
疑問に思ったが、とりあえず飲むのはやめなかった。
「ここにいたのか。ずいぶん心配したんだぜ」
「ちょっと、このコが待っているのはお嬢ちゃんのはずだよ。デタラメはやめとくれ」
「あたりまえだろ。こいつは俺の妹と買い物に出かけたんだから。はぐれたって泣きつかれて、わざわざ探しにきたんだよ」
「そ、そうなのかい?」
ようやくスープを飲み干して口元を手でぬぐうと、ユズハは目の前の男を観察した。
ひょろっとしてる。目つき悪そう。変。
そう思っている間に、男は屋台のおばさんにスープの代金を払うと、ユズハの手を引っぱって歩き出す。
ふり返ると、おばさんは納得したのかバイバイと手をふっているので、ユズハも空いた手をふりかえした。
「おじさん、ダレ? 知らナイ人」
「いいから黙って歩きな」
「どして」
「お前に会いたいってヤツがいるんだよ」
「??」
連れてこられたのは、街外れの人気のない路地だった。
ユズハの周りをさっと数人の男が取り囲む。ユズハが首を傾げている間に、かぶっている帽子が取り払われた。
「! ボウシ!」
『りあ』が買ってくれたものなのに!
「おおっ、本当だ。耳尖ってやがる。本物のエルフのガキだ!」
「な? だからオレ言ったろ? 見間違いなんかじゃないって!」
「ボウシ、返しテ!」
ジャンプして取り返そうとするが、届かない。
「見た目もまずイケそうだぜ」
「ああ、さっそくどっかの金持ちに売っぱら―――」
「返しテ !!」
ジャンプしても埒があかなかったので、ユズハは宙に浮かんで男の手から帽子をひったくった。
男はどうやって帽子を取り返されたのかがわからず、呆然と手元を見つめる。
「このガキっ」
「ゆずはの、ボウシ・なの!」
男たちの間をたたっとすり抜けて、ユズハは帽子をかぶり直した。
怒りの形相で男たちがユズハに近づいてくる。
火球に変じようとして、ユズハはそうすると帽子が燃えてしまうことに気がついた。
元は火の精霊だったため、物の燃える燃えないを自由に制御できるユズハだったが、火球に変ずる瞬間、自分が身につけているものだけにはその制御ができない。
以前も数回、買ってもらったフードを灰すら残さずに消し去っている。
せっかく『りあ』がユズハのためにお金を使って、人からもらってくれたのに!
火球に変ずるのはやめて、ユズハは帽子をぎゅっと手で押さえた。
「ホノ―――」
相手の男に火をつけようとして、口を塞がれる。
「ちょこまか動きやがって、この―――!」
「氷の矢」
横合いから、呪文と共に氷の矢が飛んできた。
驚いた拍子に男の手がゆるむ。
ユズハは思いっきりその手に噛みついた。
「いだだだだっ」
帽子を押さえたまま、男の手からすり抜けると、ユズハは呪文を唱えた人物の方へと駆けていく。
「ぜる!」
「お・の・れ・は〜〜〜っ。騒動を引き起こすのもいい加減にしろっ。あんな奴ら、さっさと燃やすか火球になって帰ってこい!」
物騒なことを憤然と告げるゼルガディスに、ユズハも負けじと言い返す。
「だっテ、ボウシも、燃えるんだもン!」
「そんなの後からまた買ってもらえるだろう」
「ヤダ !! これ、がイイのっ」
「お前なぁ………」
「おい、テメェら………」
無視された形の誘拐犯の一人が、ドスの利いた声をあげる。
その誘拐犯をチラリといちべつして、ゼルガディスは少し離れたところに転がっている木箱を指差した。
つられて誘拐犯たちも、そっちを見る。
「ユズハ」
「ン」
「燃やせ」
「ホノオ・よ」
ユズハの声に応じて、ボッと炎が立ちのぼる。
次の瞬間には、石畳に黒い跡だけを残して木箱はあった場所から消え去っていた。
「で、何か用か?」
「いっいいいいいえええええ、なななななんでもないででですっ」
「そうか。ならさっさと消え失せた方が身のためだ。じきにもっとめんどくさいのが来るぞ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、路地の入り口にそのめんどくさい人影が立った。
「ユズハっ」
「りあっ」
「どこ行ってたんです! 心配したんですからね!」
「んとね。お菓子もらっテ、スープもらっテ、そしたらボウシとられそうになったの」
「………さっぱりわからん」
ゼルガディスが手で顔を押さえた。が、
「なんですってえええぇっ」
アメリアにはわかったようだった。
「誘拐だなんて言語道断ですっ。ましてこんな小さなコをどこかに売り飛ばそうだなんてっ」
ゼルガディスは深い溜め息と共にユズハに手招きをした。
とてとてっとユズハが近寄ってくる。
「預かっといてやる。お前も行ってこい。好きなだけ」
「ン。なくさ・ないで」
「わかってる」
路地の壁にもたれてゼルガディスは帽子を指にひっかけて、くるくると回した。
クリーム色の生地に、朱色の刺繍糸で千鳥がけの模様が裾にぐるっと入れてある。正面から見て右側のほうに、同じ糸で花の刺繍がしてあった。
耳の覆いにも小さく紋様の刺繍がしてあって、陶器の飾り玉には小さな朱色の房がついている。
この地方独特のものなのだろうか。あまり見かけないデザインと意匠だった。
確かにユズハによく似合うだろう。
ゼルガディスは小さく肩をすくめる。
「ま、死ぬことだけはないだろうよ」
背後では、誘拐犯たちが正義の鉄槌に悲鳴をあげていた。
END.
