そのの色 (フォスフォフィライト)

 夏のある日、リナから小さな荷物がとどいた。
 もちろん、アメリアが王家の人間である以上、事前に開封されて中味を確認されてしまうのであるが、それは仕方がない。
 内容を知られたくない手紙などは、城下にいるシルフィールを介してやり取りをしている。ゼルガディスからの手紙もシルフィールの手を介してとどいていた。
 もっとも、彼の手紙など数えるほどしか来たことがないのだが。
 おまけに、たいてい「無事」だの「何とかなっている」だの一言だけ記されているか、よほど書く事に困ったらしいときは白紙のまんま、代わりに今いるところの綺麗に乾燥した花だの落ち葉だのが入っていたりするだけで、一体何をどう過ごしているのかさっぱりわからなかったりする。まあ、くれないよりは何倍もマシだろう。便箋を前に苦悶している姿が容易に想像できて、何だか笑える。
 閑話休題。
 今回のリナの荷物は、きちんと王宮にアメリアあてに出されたものだった。
 荷はほどかれて、箱とカードが自室のテーブルの上に置かれている。
 夜、執務を終えて戻ってきたアメリアが目にした光景は、テーブルのそれに、二年ほど前から手元に置いている火の精霊と邪妖精の合成精神体―――ユズハが一生懸命に手を伸ばしているところだった。
「………ユズハ。何をしているんです」
 思わず軽い眩暈をこらえながら、アメリアは幼い少女の姿をとっているユズハの元へと歩み寄る。
 ゼルガディスと二人で旅をしていたときに立ち寄った街で、人やエルフの精神を人形に封じて操っていた邪教集団から逃げてきたユズハを拾った。
 拾った当初は人形だったのだが色々あるなかで人形は壊れてしまい、中味の精神体が具現化したのがいまのユズハである。
 火の精霊であるユズハを邪妖精と合成し、そのうえで人形に封じこめて操っていた邪教集団は、ゼルガディスとアメリアの手によってあっさり潰されたのだが、かなり特異な存在であるユズハを路頭に放り出すわけにもいかずないので旅に同行させ、アメリアがセイルーンに戻る際にそのまま一緒に連れてきた。
 本来の精霊に戻るのなら、ゼルガディスと一緒に行ったほうがよかったのだが、邪妖精と合成されたことで初めて肉体と感情を手にしたユズハは、元に戻ることを拒んだ。
 現在は、邪妖精との合成のせいで、具現化したユズハの耳が尖っているのをいいことに、捨てられたハーフエルフの子供だとか何とか、かなりいいかげんな嘘をついて、アメリアと共に王宮で暮らしている。
 そのユズハは丈の高いテーブルの上へ手を伸ばして、箱を取ろうと必死である。魔族のように重力を無視することもできるのだが、アメリアがさんざん浮くなと言っているので、最近は無難に重力と格闘している。
「………ユズハ」
「取ろうとしてるノ」
 うんうん唸りながら、ユズハがアメリアにそう答える。
 溜め息をついて、アメリアは箱をテーブルから取り上げた。
「ダメです。これはわたしに来たものなんですから」
「知ってル。でも、中見たいの」
 ユズハがそのクリームブロンドを揺らして、アメリアのドレスの裾にまとわりつく。
 見上げてくるその瞳は、人間なら珍しい朱橙色。
 精神体だからと言って、魔族のように自由に外観が変えられるのかというと、そうでもない。
 本職(?)とは違って、かなり具現化がヘタなようで、自分の本質である炎とこの幼女の姿の二種類にしかなれないようだった。おまけに馴れていないぶん、一度精神界に引っこむと二度と出て来れなくなる恐れがあるので、空間を渡ったりもしない。ここ二年はアメリアのお達しもあって、炎に変じたことはなかった。
 ドレスの裾を引っ張っりながら、ユズハが床にべてっと寝っ転がる。
「見・るううぅぅぅ」
 二年経っても好奇心の強さは治っていない。
 ドレスを引っ張り返しながら、アメリアは声をはりあげた。
「見せます。見せますから、裾引っ張らないでくださいユズハ!」
 ユズハからドレスの裾を取り戻すと、アメリアはベッドに腰掛けた。
 箱は膝の上に置いて、まずはカードを開く。

『アメリアへ
 あんた誕生日いつだったっけ? まあいいや。これ送るから適当に飾っといて。そのうちまた遊びにくるから、それまで元気でいなさいよ。
 ――――――――――――――――――――――リナより
 
 追伸
 これかなり壊れやすいから、絶対落としたりすんじゃないわよ』

「………なんとなく贈りたかったから贈っておこうってヤツですね」
 逆にリナらしい。
 苦笑して、アメリアは箱を開いた。
 中には細く裂かれた紙が詰まっている。
 それを取り除いていくうちに、アメリアの手が止まった。
 かたわらのユズハがアメリアの手元を覗きこんで、ぽつんと言った。
「キレイな、石」
 紙のなかから現れたのは、青緑色の半透明の石だった。
 拳大の結晶が台座の岩にくっついていて、置物として置けるようになっている。
 その台座の石に小さく文字が彫られてあった。

【Phosphophyllite】

「フォスフォフィライト………?」
 彫られた文字をそっとなぞって、アメリアは呟いた。



【フォスフォフィライト】

稀少鉱物のひとつで、収集家垂涎の的。
結晶は柱状から厚みのある卓状で、色は無色から深みのある帯青緑色を示す。結晶のうちはわずかに霞がかっているが、カットすると透明度を増し、最高品質のものは非常にデリケートな淡青緑色を呈するものとされている。
しかし、脆く欠けやすいため稀にしかカットされず、大きなものは高価すぎて迂闊に割るわけにもいかない。
唯一の産地である竜の峰の山麓では、その危険性もあいまって、すでに絶産となっており、市場では非常に高値がついている。
別名、燐葉石。
 


 女官に持ってきてもらった博物誌にはそう書かれてあった。
 自分で書庫に向かえばよかったのだが、ユズハと箱を置いていくとイタズラされて割れるのは目に見えていたし、かといって持っていっても割れそうだった。
 ユズハを連れて書庫に―――というのも考えたのだが、箱を無造作に部屋に置いておくのも何となくイヤだった。
 ので、重くて迷惑なのを承知で、頭文字だと思われる該当の巻を部屋まで持ってきてもらったのだ。
 当のユズハは、中味を確認したので好奇心が満たされたらしく、アメリアのベッドのうえでクッションに顎をのせて眠そうにしている。
 アメリアは箱からそっとフォスフォフィライトを取り出して、テーブルの上へ置いた。
 何とも言えない色をしている。
 アクアマリンと、翡翠の中間色とでも言えばいいのだろうか。
 本にあったとおり、本当にデリケートな色だった。
 イルマード公国の白砂が透けて見えるような、温かく淡い海の色。
 もしくは、氷が氷に落とす緑の冬の影―――アイスグリーン。
「………よくわたしに贈る気になったもんですね」
 笑いながらアメリアはそう呟いた。
 本に書いてある通りに稀少鉱物で高価ならば、リナなら即刻売り飛ばしていそうなのだが。
 やはりリナもこの石を見て、アメリアと同じことを思って売らなかったのだろうか。
 リナとアメリアの共通の仲間の、その瞳の色を思い出して。
 だから売らずにアメリアに贈ってくれたのだろうか。
 これを贈ってくれたのも、カードに彼のことが何も書かれていないのも、全部リナなりの励ましと気遣いなのだろう。
 冷たい色のはずなのに、不思議とそんな印象も質感も受けない。
 淡い、淡いブルーグリーン。
 フォスフォフィライトの繊細な色彩を見つめているうちに、不意に視界がぼやけた。
「あ、あれ………?」
 ぱたり、とテーブルの上に雫が落ちる。
 慌てて手で拭った。
 だが、止まらない。
「りあ。泣いてるの?」
 いつの間にか、ユズハが隣りに来てアメリアを見上げていた。
「りあ、泣いてル」
 ユズハが首を傾げた。
 ぱたり、とテーブルの上にまた雫がこぼれる。
「りあ、哀しいの?」
 アメリアは首をふった。
「それじゃあ、痛いの?」
 ふたたび首をふる。
 それほど情緒が発達していないユズハには、アメリアの泣く理由がわからない。
「どうして、泣いてるの?」
「ちょっとだけ………」
 アメリアは涙を拭って笑った。
「ちょっとだけ、逢いたくなっただけです」
「逢いタイ?」
 吐息のようにアメリアは囁いた。
「ええ、逢いたいです」
 涙を拭うと、アメリアは椅子からずり落ちて、ユズハの目線に合わせて床の上に座りこんだ。ドレスが空気をはらんで、ふわりと丸く広がる。
「元気かなって、今頃なにしてるんだろうって、そう思ったら、ちょっと泣けてきただけです」
「りあ、りあ」
「ワガママ言っちゃダメですね。待ってるって約束したんですから」
 必ず帰ってくるって約束してくれたのだから。
 こんなふうに弱音を吐いてはいけない。
「リナさん………ちょっとこれはツライです………」
 送ってくれたことは嬉しかったが、ちょっとだけつらい。
 ユズハは律儀にアメリアの傍で、アメリアが泣くのにつきあっている。
 この精霊は、大事なことをちゃんとわかってくれている。
「いいコ、いいコ」
 小さなユズハの手のひらに、ぽんぽん頭を撫でられながら、アメリアは少しの間だけ、子どもみたいに泣いた。


 ……………………


「ねえ、ユズハ」
「ン、なに?」
 眠たそうに、ユズハがアメリアの声に答える。
 枕を抱えこみながら、まだちょっと赤い目でアメリアは笑った。
「わたし、ゼルガディスさんのこと大好きなんですよ」
「ン、知ってる」
 少しばかりぶーたれながら、ユズハがそう言った。
 アメリアはその白金の髪を指にからめた。クリーム色としか形容できない艶やかな髪は、癖もなく、するすると指からこぼれていく。
「ユズハはゼルガディスさんのこと好きですか?」
 珍しくユズハの返答が遅れた。
「………りあのほうが、スキ」
「好きなんですね?」
 さらに返答が遅れた。
「………………りあのほうが、イイ」
 クスクス笑って、アメリアはユズハを抱きしめた。
「一緒に待ちましょうね」
「ン、待つ」
 ソファの上のオルハが薄く目を開けて二人を見やると、また閉じて眠りに入った。


 それから一日遅れてリナからの手紙が、今度はは検閲されないシルフィール経由でアメリアのもとに届いた。
『泣きたいときはちゃんと泣くように』
「見透かされてますね………」
 自分のことはよくわからなくても、他人のことはよく見えるとは、いったい誰の言だったか。
 いまここで泣いておけば、もう二年は平気だろうか。
 泣けばその分だけ、がんばれる。
 嘆息混じりにその手紙を眺めるアメリアの視界の端に、テーブルの上の鉱石がちらりと映った。
 こちらから何の便りもできないことが、もどかしい。
 対の欠けた瑠璃と護符が自分たちを繋ぐものと信じて、祈りと願いを視線と共に空に投げる。
 伝えられない分だけ、伝えたいことは増えていく。


 待ってますから。
 ユズハと一緒に。
 あなたの目の色をした綺麗な宝石を見つめながら。
 待ってますから。


 だから、早く逢いに来てください。


 ゼルガディスさん――――