薔薇の姫君 (ローズ・エボリューション)
「まったくもって無意味です」
不機嫌きわまりない顔でアメリアは言い放った。
目の前には鏡に映った自分の顔がある。
アメリアはその顔を見ながら細く溜め息をついた。
いまのこの状況では多少やつあたりがしたくなる。
「りあ」
ちょこちょこ駆け寄ってきたユズハが、アメリアの横手に回りこんで見上げて、一生懸命眉根をうーんと寄せてみせた。
「へん、かも」
「かもじゃないです、思いっきりです!」
『ぜる』にはっきりきっぱり言うときとは違い、「かも」がついているのはユズハなりの遠慮というものなのだろうが、ここははっきり変と言ってくれたほうがアメリアの気が休まる。
特に髪をのばそうとは思わなかったので、わざわざ付け足されて結い上げられた髪。アメリア様は絶対青です!と根拠なく強固に主張する女官の元、淡いブルーがのっているまぶたに珊瑚の唇。
見る者が見れば、文句なしに完璧な美女だろう。が、
「二十五までには売りましょうって、わたしはどこかのイベントケーキですかっ !?」
ユズハしかいないのをいいことに、拳を握りしめて力一杯アメリアは叫んだ。
ユズハと共に王宮に戻ってきてから、四年の月日が過ぎていた。
もう数える気も失せた縁談だった。
ほんの序盤は難癖つけて見合い自体を断っていたのだが、さすがにこれはそう何回もできる方法ではない。それでも十人以上をこれで断って、それからは見合いの席での各個撃破へと移った。
最初の見合い相手はどこかの国の王子で、これは楽だった。ヒロイックサーガの話をこれでもかと持ち出したらあっさり引き下がった。二人目は体術の稽古の相手をさせたら逃げ出した。三人目は先の二つの合わせ技で勝った。四人目は、ユズハと王墓に肝試しに行かせ、ユズハに火の玉を出させてパニックに陥らせて追い返した。
とまあ、こんな調子でいままで全勝無敗を誇っている。負けたらもはや見合いなどしなくていいのだから、当たり前と言えば当たり前ではあるが。
「わたしとお見合いする人って、もういないと思ってたんですけどね」
数々の見合いを、周囲の思惑などあっさり無視して自力で―――どうしてもダメならユズハの力も借りて破談させまくったせいで、近頃は家臣が泣いて頼みこんでも息子をセイルーン王家の第二王女と見合わせる家などないと聞いていたのだが。
露出している耳から、女官がつけてくれた耳飾りをむしり取って、アメリアは片方の耳だけに銀と瑠璃の耳飾りをつける。花びらと風を表す曲線を描いた針金のカゴの中に、小さな瑠璃の珠が入っている。
もう片方はここには無い。
彼が持っててくれているから。
「―――どうせどこかの貴族が泣き落としにひっかかったんでしょうね」
呟いて、耳飾りをつけ終わったアメリアは、鏡の中の自分を見返した。
凛とした風情の大人の女性がそこにはいる。
結い上げられた黒い髪の下、片方の耳にだけ揺れる丸い飾り。
これがあるから、だいじょうぶ。
ひとつうなずいて、勢い良く立ち上がるとアメリアはきびすを返して扉へと向かった。
化粧と同じ淡い水色のドレスが颯爽とひるがえる。
扉を開ける直前、部屋にいるユズハと硝子瓶のなかのアミュレットをふり返って、アメリアは言った。
「じゃ、戦ってきます」
「ン、いってらっしゃイ」
ユズハがぱたぱた手をふり返す。
これから見合いに赴く者セリフでは、断じてなかった。
見合いの相手を見た瞬間、アメリアは思わず眩暈を覚えた。
知っている相手だった。
そういえば、いままで見合いの相手のなかにいなかったこと自体がおかしいぐらいに。
「リーデ………」
アメリアの声に困ったような表情をしたのは、セイルーンが抱える属国マラードの公子リーデットだった。
どういう関係なのか端的に言ってしまえば、このリーデットの六つ年上の姉姫アセルスがアメリアの体術の師匠なのである。正確には姉弟子だったのだが、本来の師匠が高齢で実技指導を途中で引退してしまったため、アセルスがアメリアの相手をしてくれていたのだ。
そのためよくマラードには行っていたし、リーデットとも遊んだ記憶がある。
ただ、もっぱらアセルスの方と一緒にいたので、リーデットとの思い出はあまりない。
奔放で男勝りな気性のアセルスとは違って、リーデットはどちらかというと目立った印象はなく、影の薄い跡継ぎだった。
こめかみを押さえながら、アメリアは椅子を引いて腰掛けた。
「おひさしぶり。何年ぶりでしたっけ?」
「もう十二年ぶりだよ。君が最後にうちに来たのは僕たちが十二のときだから」
そう、アメリアとリーデットは同い年なのである。
同い年、顔見知り、属国の公子―――ここまで条件が揃っているのに、真っ先に見合いの相手に選ばれなかったこと自体が奇跡に近い。公国の跡継ぎだからだろうか。
「アセルス姉さんは元気ですか?」
「ああ、元気だった」
「だった?」
アメリアは眉をひそめた。
「僕も先週、五年ぶりに会ったばっかりだから」
「は?」
「聞いていない? 姉さん、父さんに結婚反対されてあっさり駆け落ちしたんだけど」
「駆け落ちっ !?」
アメリアとリーデットの会話に、双方の付き添いが顔を引きつらせた。もっともセイルーンまで出向いてきたリーデットの付き添いは一人だけで、表情を引きつらせた大半はアメリア側の女官やら宮廷大臣だった。
王族の見合いで駆け落ちの話など普通は出てこない。いや一般庶民の見合いでも駆け落ちの話は出てこないだろう。見合いと対極にあるのが駆け落ちなのだから。
これまでの見合いではろくに会話もしないまま破局を迎えていたので、今回は先行きがいいと喜んでいた矢先にこれである。
悪い見本の話などしないでくれ、という双方の付き添いの思惑をあっさり無視して、アメリアはその話に飛びついた。
「もっと聞かせてください、そのお話。アセルス姉さんにはもうだいぶ会ってないから、詳しく聞きたいです」
「僕はかまわないけど………」
付き添い人である家臣たちが何か言い出す前に、アメリアは素早くリーデットの腕をつかんだ。
「それじゃ、庭でも散歩でもしながら話しませんか? あ、ちょっとリーデット殿下とお散歩に行ってきますね」
そのままリーデットを引きずるようにして、アメリアは見合いの部屋を出た。
後には引きつった表情の家臣たちが取り残される。
顔合わせの次は二人で散歩。
見合いの進展の形として、これ以上の条件を満たすものはない。何も知らないものが状況だけ見たら、見合いは大成功だと思うだろう。
だ、が。
「今回もダメか………」
滂沱の涙と共に宮廷大臣が呟いた。
たった一人、実の父親であるフィリオネル王子だけが『言わんこっちゃない』と言う表情で軽く肩をすくめた。
中庭の一画にある薔薇園まで来て、アメリアはガッツポーズを取った。
「よしっ、破談成功っ!」
「ホントにそんなことしてたんだね、アメリア………」
頬の一筋の汗を浮かべて、リーデットが呟いた。
「だって見合いなんか論外ですもん。駆け落ちの話が出てくるような見合いがまとまるなんて、大臣は思わないでしょうし」
うきうきした表情で、アメリアはリーデットをふり返った。
「それで、アセルス姉さんのことを聞かせてください」
あきらめたような表情でリーデットは溜め息をついた。
アセルスと同じ赤みがかった透き通るような茶色の髪に、これまた同色の琥珀色の瞳をしていて、姉とは六つ年上にもかかわらず、まるで双子のように容貌が似通っている。線も細く体格も華奢で、それをいいことによくアセルスに性別を無視して公式行事の替え玉にされていたことをアメリアは思い出した。
「アメリアが最後に姉さんと会ったのはいつ?」
「えっと………、確かわたしが十四になってすぐに会って………それから会ってないですね」
「そっか。駆け落ちしたのは五年前だから、僕たちが十九で姉さんが二十五のときだね。いまのアメリアみたいに父さんに結婚相手引き合わされて、好きな人いるからって蹴っ飛ばして、父さんが許さんって怒鳴った翌日にはもう出てった」
相変わらず怒濤のような人である。
「でも会ったんでしょう?」
「会ったよ」
リーデットはうなずいた。
「僕が君と見合いをするって決まった途端、すっ飛んで帰ってきて父さんを一発殴ってまたどっか行った。元気じゃなきゃ、そんなことできないよ」
「…………へ?」
「僕も釘をさされた」
「どうして………?」
アセルスにはずっと会ってないから、旅のこともゼルガディスのことも見合いを断り続けていることも何も言っていない。
リーデットは小さく肩をすくめる。
「他に好きな人、いるんだろ? 姉さんが絶対そうだって言ってた」
「…………」
アメリアの顔が真っ赤になった。
不意にリーデットがアメリアの顔を指差す。正確には顔からわずかに横に逸れた箇所を。
「―――それ」
「?」
「その耳飾りと君、けっこう有名だよ? 対になってない耳飾りを公式な見合いの場につけてくる姫君なんていないもの。見合いを片っ端から断り続ける王族もいないし」
「悪かったですね。片っ端から断り続ける王族で」
少々ムッとして、アメリアは言い返した。
涼しい風が色とりどりの薔薇を揺らして吹き抜けていく。
「好きな人がいるのなら、どうして結婚なりうちの姉さんみたいに駆け落ちなりしないのさ?」
「………両方ともできるんならしてます。リーデこそどうして見合いなんかする気になったんです。あなた長男でしょう?」
アメリアと結婚などいうことをしてしまえば、公国はセイルーンに吸収されてしまう。普通、属国が主国の姫君などを降嫁してもらって繋がりを深めることはあるが、逆はやらない。
「泣き落とされたんだ。もし僕が君と結婚したらうちの国が泣いて喜ぶほどの好条件を出されてね」
「やっぱり………」
頭痛をこらえるような表情で、アメリアが言った。
ここ数年、あのデーモンの大量発生事件以来、セイルーンには何の大禍も起きていない。そのため、家臣は王家の血の存続―――すなわちアメリアの結婚のみに一所懸命になっている。
もともと王族の女性は、二十を越える前にはもう結婚をしているものなのだが、アメリアの場合は適齢期がデーモンの大量発生時期と重なって縁談どころではなく、それが終わったら終わったで、二十になる直前まで城を出て行方をくらましていた。
そのアメリアが婚姻に関してはこれまた徹底的に我を張るので、よけいに向こうも躍起になる。
途方もない悪循環だ。
あまりにもムキになっている重臣たちの視野の狭さに、最近は危惧を抱かざるをえない。
渋い顔をしているアメリアに、リーデットが何気なく続ける。
「ま、僕も君ならいいかと思ったし」
「…………はあ?」
アメリアは耳を疑った。
何かいま、ものすごいセリフをさらりと言わなかったか?
「どうせ結婚しなきゃいけないんなら、君とがいいし」
「そういう妥協はキライです」
表情を固くしてアメリアが言うと、リーデットは軽く肩をすくめた。
「だって姉さんは僕がいるのをいいことに駆け落ちしちゃったんだもの。僕まで駆け落ちするわけにはいかないよ。そんな相手もいまのところいないしね」
薄いオレンジ混じりの琥珀色の薔薇を一本手折って、リーデットはアメリアをふり返る。
「君も僕と同じで駆け落ちできないしね?」
痛いところをついてくる。
「駆け落ちをするには、国を愛しすぎているだろう? 君はそれを放り出してなんか行けない」
アメリアの眉がはねあがった。濃紺の瞳が怒りにきらめく。
「口説いてるんですか、リーデ?」
「いや別に。ただ、君と僕は立場的に似てるってだけだよ。上が責任を放棄したせいで、苦労をこうむってる」
たしかに、本来ならまわってくるはずのない玉座。
姉もいて、年上の従兄もいて、叔父も二人いたはずなのに。いつの間にか、こんなにも近くまで来ている。
「………だからといって恨み言を言う気はありません」
ざあっと風が薔薇を揺らした。
瑠璃の飾りが音を起てて揺れる。その音に、リーデットが目を細めてアメリアを見た。
アメリアの指が、そっと瑠璃の飾りをおさえる。
少しだけ泣きそうで、けれど迷いはない声。
「もしいつか、放り出す日が来たとしても、いまはまだその時じゃないですから。だからわたしはここで待ってる。その時がくるまでは、わたしはわたしの努めを果たすんです」
「………僕だって姉さんを恨んでるわけじゃないよ。公国を継ぐのに特に不満だってない。僕は公国を継いでも幸せになれるけど、姉さんは国を捨てて家を出なきゃ幸せになれなかった。ただそれだけの話。君はどうやら欲張りみたいだけど」
「いけませんか?」
「ううん。すごいと思うよ。ただ畏れ入るだけさ」
降参と言った表情で、リーデットは手の薔薇を軽く左右にふると、次いで悩み事を告白するような神妙な顔で、ぶつぶつと呟いた。
「姉さんといいアメリアといい、ほんと女の人って不可解だよ………。こうと決めたら、殊に恋愛に関しては、何が何でも妥協しないんだから………」
「妥協できるほうが不可解ですッ!」
「らしいね」
リーデットが何とも言えない表情で、アメリアに応えた。
「だからアメリアを困らせるんじゃない、と姉さんには言われた」
「え………っ?」
手折った薔薇をひょいと差し出されて、アメリアは思わず受け取った。
「見合いの数をこなすだけムダ。成就するか、もしくは粉微塵になるまでテコでも動かないから、ムダとわかっていることをしてアメリアを困らせるんじゃない。動くときが来たら勝手に動くから放っておけばいい。あの子は私と違って駆け落ちなんかしたりしないから余計にね―――だって」
「アセルス姉さんが?」
リーデットはうなずいた。
「まあ、僕自身は『どうせ結婚するんなら』ってレベルの話だし。君が僕で妥協するわけないだろうから、はなっから諦めていたけどね。僕で妥協していたら、僕たち姉さんにはっ倒されているだろうし。あと、姉さんからの伝言だよ」
琥珀の瞳が意地悪く笑った。
アセルスそっくりの容貌で、リーデットは彼女からの伝言を紡ぎ出す。
「『こんな派手なパフォーマンスをしているんだから勝算はあるんでしょう? プリンセス・アメリア?』だって」
その言葉に、アメリアも笑みを浮かべてみせる。
もはや、見合いを断り続けるセイルーンの王女の話は、城下どころか国中で有名な話だ。王族の定めに真っ向から逆らう愚かな王女が有名にならないわけがない。
自分の相手ぐらい、自分で選びたい―――
王族のだれもが一度ぐらいは思う願望で、大半の者があっさり諦めている命題。
当たり前だ。王族の婚姻は感情や個人の意志が及ぶ範囲から遠く隔たっているどころか、同列に並べることが愚かしいほどに世界が違う。―――通常ならば。
だけどこの常識を自分に納得させるには、周囲にあまりにも例外が多すぎる。だいたい母親が市井の人間である自分に、何をどう強制すれば王族の普通の結婚が可能だろう?
悪い見本なら実の両親。そして、ここにいる彼の姉姫も。
絶対に諦めたり、妥協したりなんかしない。
アメリアは、力強く言い切った。
「ええ、もちろん。何が何でも、わたしの言い分を通してみせます。わたしは、わたしの大好きな人を選ぶんです」
「すごい自信だね」
「わたしが継承権放棄する、子どもにも国は継がせないって言ったら、多分泣いて許してくれると思います」
「…………」
「まあ、これは最後の切り札ですけど。もちろん、姉さんが帰ってきてくれれば文句なしに万々歳ですし、とりあえずこの事に関してはストレス以外何も怖れるものなどありませんっ!」
「君と姉さんと、あのリナ=インバースだけは絶対に敵に回したくない、僕…………」
リーデットの溜め息混じりの呟きに、アメリアは笑いながら手にした薔薇でその頬を軽くはたいた。
「そうだ、今度アセルス姉さんとリナさん引き合わせましょう。きっと気が合いますよ」
「お願いだから、それだけはやめてくれる………?」
傍目から観察しただけなら、どう見ても見合いは成功していた。
会話の内容さえ、聞いていなければ。
「アメリア、君が待ってるその誰かの話をぜひ聞かせてほしいんだけど」
「え、えええっとお………、それはまた次の機会ということで………」
相手の恋人の話で盛り上がった見合いの男女は、世界広しといえど、おそらく彼らくらいのものだろう。
見合いが破談したその夜、付き添い人としてセイルーンまでついてきた侍従の小言から逃げ出したリーデットは、涼みに出てきた昼間の薔薇園で白ネコを連れた少女と行き会った。
話には聞いている。
「君がユズハかい?」
黙って少女がうなずく。その拍子に、クリームブロンドの頭髪の間からわずかに尖った耳が覗いた。
夜の薔薇は昼より香気が強く、風に吹かれて香りをまき散らす。
「ダレ? ゆずは知らない」
「僕はリーデット」
「りーで?」
首を傾げたその整った顔は、人形のように無表情だった。心底不思議そうな声音だけに、違和感が際立つ。
「りーでは、りあのお見合いのヒト?」
「そうだよ」
「じゃ、キライ」
あっさりとそう言ったユズハが嫌がる白ネコを抱きあげた。
「君の『りあ』には断られたけど、それでもキライかい?」
「………りあを、もう困らせナイ?」
尋ねるユズハの腕の中で、暴れるネコの目が朱橙に光る。
「困らせないよ」
「………じゃ、イイ」
リーデットは苦笑した。
「君が騎士みたいだね。彼が来るまで、君がアメリアを守るの?」
しゃがみこんで目線を合わせてきたリーデットに、内心ユズハは首を傾げる。いままでユズハの目線まで降りてきた人はあまりいない。どうやら悪い人ではないらしい。
「ナイト? 彼?」
「アメリアがずっと待ってる人だよ」
「ぜる?」
「ゼルって言うの? アメリア、どうしても名前教えてくれないんだけど」
「ン。そう」
リーデットは立ち上がって、風に揺れる薔薇を見回した。
「その背丈でちゃんと薔薇は見えてるかい?」
「見えル。浮けば」
「浮く? ああ、呪文だね」
今年最後の薔薇だろう。大輪の薔薇は自身の花びらが落とす影のせいで、黒い染みのようにわだかまっている。そこに降る月の光で、花びらのふちだけが鮮やかな昼間の色。
夏の名残の薔薇。
「君のアメリアは孤高の薔薇だね。王宮でたった独り咲いている」
「?」
「せめてうちの姉さんが傍にいることができたら、もう少し楽なんだろうけどね」
「?」
ユズハは再び首を傾げた。その隙に腕の中から逃げ出した白ネコが薔薇の中に造られた小路を駆け抜けていく。
「りあ、独りじゃない。ゆずは、いる」
「うん、そうだね」
リーデットは素直にうなずくと、ユズハを見て笑った。
「部屋に戻らなくていいの?」
「戻る」
「送ろうか?」
「イイ、平気」
そう言うと、ハーフエルフだという少女は暗い小道のなかを特にためらうようすも見せずに、さっさと走っていってしまった。
リーデットはわずかに苦笑して、首を傾げる。
「やれやれ、僕は誰と結婚するんだろうな」
帰ってきたユズハを、椅子に座ったアメリアが出迎えた。
その膝の上には、一足先に戻ってきたネコのオルハがうずくまっている。
「おかえりなさい。どこ行ってたんです?」
「バラのお庭」
テーブルの上、一輪挿しにもささずに放置されている琥珀の薔薇にちらりと視線をやって、アメリアは嘆息した。
「もうすぐ薔薇の季節も終わりですね」
季節は巡る。縁談を断り、破断させ奮闘した分だけ時間は流れ、花が溢れ緑が茂り、葉は地に落ちて雪が降る。
王宮に戻ってきて五回目の薔薇はもうすぐ花びらを落とす。
「ねえ、ユズハ」
「何、りあ」
ベッドの上にちょこんと腰掛けたユズハが、足をぷらぷらさせながら聞き返した。
この四年で、この精霊の少女は何を覚え、何を考えてきたのだろうか。
「まだ四年ですからね。これからもがんばりましょうね」
「ン、がんばる」
あれだけ探して見つからなかったものが、たった四年で見つかると考えるほどアメリアは呑気ではない。それだけの覚悟と共に、待つと決めたはずだった。
「ぜる、元気かナ?」
ユズハが問うた。揺らした足から部屋履きが脱げてアメリアの足元まで飛んでくる。
素早くオルハが膝の上から床に降り立つと、それをくわえて逃げ出した。
取り返すべく近づいてきたユズハの額を、アメリアがぺしとはたく。
「何言ってるんですか。元気に決まってます。当たり前です」
「ン。当たり前。スマンスマン」
「………父さんとか、じいの言葉遣いをマネしちゃダメです」
「じゃあネ、後ろに"にょ"ってつけるの」
「…………………どこからそんな知識をしいれてくるんです?」
「本とか、色々」
字が読めるようになったので当然の返答だと言えた。
アメリアは顔をしかめる。
「変な本を読んじゃダメですよ」
世界が広がるのは悪いことではない。が、妙ちきりんな言葉を覚えられては困る。
窓の外に、くわえた部屋履きごと逃げ出したオルハを見送って、ユズハがアメリアを見上げた。
「りあ、独りじゃないよね。ゆずは、いる」
アメリアは軽く目をみはった。
「そうですけど。でもどうして今頃そんなことを?」
ユズハがいなければ、おそらく精神面のほうが先に降参していただろう。そのくらいのことは自分にもわかる。リナからの手紙と、それを届けにきてくれるシルフィールがお茶の相手をしながらアメリアの愚痴を聞いてくれることと、ユズハがそばにいてくれることが、いまの自分の意志と矜持を支えてくれている。
「何でもナイ」
ユズハはぷいとそっぽを向いた。
確かに、この自我を持った精霊もここ四年間で成長しているようだ。アメリアがユズハの思考の軌跡を読めなくなってきていることが、その証拠。
「ぜるも、独りじゃないと、イイね」
「…………えっと、それはうーん………そうですけど………うーん………」
唸るアメリアを、ユズハが不思議そうに見上げた。
「どしたの、りあ?」
「いや、何でもないです。うーん………それはそうなんですけど………えええっと」
テーブルの薔薇を睨みながら唸っているアメリアを見て、ユズハがひとりごちた。
「ゆずは、何か変なこと言っタ?」
自問自答ができるようになったあたり、確かに成長しているようだった。
その翌日、公国に帰るリーデットを見送るために出てきたアメリアはリーデットの言葉に驚いた。
「手伝おうか?」
「えっ?」
「苦労してるみたいだしね。君の待ち人が帰ってくるまで、王宮の改革を手伝おうか?」
姉さんの代わりに、とリーデットは続けた。
わずかに沈黙した後、アメリアは首を横にふった。
「いいです。変な噂をたてられたくありません」
「………ああ、なるほど。僕が女ならよかったね」
確かに、引き合わされた相手がそのまま王宮に留まれば何かと噂が立つだろう。下手をすると、わざと立てられる。
アメリアがすまなそうな表情をした。その耳で、瑠璃の飾りが揺れる。
「ごめんなさい。すっごく嬉しいんですけど、噂が耳に届いて変な誤解されたりしたらイヤですし」
「…………」
リーデットは軽い眩暈を覚えた。
「何かだかなあ、もう………君の恋愛はベタ惚れのレベルを遙かに上回っているよ。断言してもいいや………」
その呟きを無視して、アメリアはリーデットが抱えた腕いっぱいの薔薇に目を留めた。
「これは?」
「ああ、姉さんのお土産にしようと思って。魔法をかけてもらったから多少は日持ちすると思うし。ダメなら、しょうがないから途中で乾燥花にでもしてもらうよ」
昨日アメリアが手渡されたものと同じ、薄いオレンジ混じりの琥珀色の薔薇。
そう言えば、アセルスは薔薇が好きだった。姫将軍と称される自分には似合わない花だからこそ、好きなのだと言っていた。
そんなことはない似合う、と言った幼いアメリアにアセルスは笑って言った。
『ありがとう。でもどうせならうちの弟みたいな、なよなよした種類の薔薇や蕾じゃなくて、ひとつ咲いているだけで他を駆逐する派手な薔薇がいいな。
―――ねえ、アメリア。薔薇も人もどんどん進化して変わっていくんだよ。アメリアは将来どんな人になりたい?』
好きな人に好きでいてもらえるような人になりたい、と答えたら一体どんな顔をするだろう。
アセルスは、どんな人を好きになったのだろう。
「お土産なのはいいんですけど、リーデ、アセルス姉さんはまたどっか行ったって言ってませんでしたか?」
「結果を聞きにまた来るに決まってるよ」
涼しい顔でリーデットは断言した。
「さて、それじゃあ、アメリア」
「何ですか?」
首を傾げるアメリアに、馬車に乗りこみながらリーデットは笑った。
「婚礼には呼んでくれよ。君の待ち人をぜひ見たいからね。約束だ」
「リーデ !!」
「できれば、その彼に出会いがしらに、いきなり殴られることのないような紹介の仕方をしてくれると助かるな」
アメリアが何か答える前に、馬に鞭があてられ馬車は走りだしてしまう。
馬車の後ろ姿に向かって、アメリアは怒鳴った。
「昔みたいに女装させてアセルス姉さんの双子として紹介してあげますから、覚えてなさいッ !!」
傍らのユズハが呟いた。
「りーで、女のヒトだったの?」
アメリアのドレスを挟んで向こう側にいるオルハが眠たげに一声鳴いた。
END.
