Ria and Yuzuha's story:Second pray【楽園】〔1〕
「エディラーグ、かあ」
がたごと揺れる乗合馬車の席上でリアはそう呟いた。
それを聞きつけて、膝上のユズハが可愛らしく首を傾げて一言。
「えび?」
「それは違う」
即座にリアの訂正が入る。隣りに座っているゼフィアだけでなく、乗り合わせた馬車の乗客の数人が笑いをこらえる表情を見せた。
「エディラーグがどうかしましたか?」
「んー、いやまさかこんなにサイラーグに近いなんて思わなかったから」
リアはひょいっと肩をすくめた。
だいぶ前からかかずらっているこの依頼は、いま隣りに座っているゼフィアを以前いた神殿のある町まで送り届けること。
そしてその神殿のある町がエディラーグ。この乗合馬車の目的地である。
このエディラーグから街道を北に数時間歩けばサイラーグで、まさに隣町の距離だった。
リアの言葉にゼフィアは、ああ、と頷いた。
「あそこも復興後の運営が軌道にのっているみたいですね。運河の美しい街だそうですよ」
何でも、もともと神聖樹フラグーンが生えていたところが湖になり、そこから縦横に水路をひいて、街中の交通手段としては小舟が活躍していると聞く。
「後で寄ってみようかな」
「どなたか知り合いでも?」
「母さんたちの知り合いの人がいるの」
「親が複数形なんですか?」
「………ビミョーなところ気にするわねゼフィも」
リアは呆れたが、いざ説明しようとすると適当な言葉が見つからない。
「ん〜、あたしには妹同然の双子がいるんだけどね、うちの両親とその双子の両親がお互い結婚する前からつきあいがあって、いまでも頻繁に行き来してるのよ。そんでもって、いまサイラーグにいる人は共通の知り合いなの。この説明でわかる?」
「わかりますよ」
「ちなみにユズハを最初に引き取ったのは向こうの人たちよ。こうしてあたしが預かっているとこ見れば、どれくらい仲いいかわかるでし―――ぶっ」
リアの語尾に奇妙な音が混じった。
膝上に座らせていたユズハが急に仰向いたせいで、その後頭部がリアの顎を思い切り打ったのである。
ガツンと景気のよい音がしたので、目が見えないゼフィアにも何が起きたのかおおよそわかった。
「ユズハ、あんたね………」
「違ウ」
無表情のままぶんむくれるという器用な真似をしながら、ユズハが上を見上げたまま訂正した。
「ゆずはが、ついてきタの。くーんは、預かっテ、ナイから」
「はいはいはい、そーね」
リアは顎をさすりつつ、半分閉めた幌の向こう側で流れてゆく風景に目をやった。
サイラーグ。話には良く聞く都市だが、噂以上のことは何も知らない。
百年以上も前と二十数年ほど前とで二度の街の壊滅があり、最後の壊滅から一年後には街のシンボルだったフラグーンも跡形も無くなって巨大な湖があるばかりだった―――といういわくつきの街である。
母親を含めた親四人の口がサイラーグに関しては異様に重いことから、何かそこであったんだなとは思うが、問いただしたことはない。
母親が湖が運河になっているという話を聞いて、あそこが湖、湖ねぇ、と頭が痛そうに唸っていたことぐらいしか、娘の記憶にはない。
いずれゆっくり聞けばいい。
そう。もっと自分が歳をとって、親と大人の話ができるようになってから。自分のことも話せるようになってから。
とりあえずこの仕事が終わったらサイラーグに寄ってみよう。
そう考えてリアは背中を馬車の振動に預けるとゆっくり目を閉じた。
まぶたの裏に闇が降りてくる。すぐに他の四感が鋭敏になるのがわかった。
背中から馬車の振動。幌の隙間から吹いてくるすきま風。乗客の息づかいと、馬車を牽く馬の微かな匂い。
隣りの彼は常にこの世界のなかに身を置いている。
(ゼフィさえ承諾してくれるなら、セイルーンに連れて行きたいな………)
たとえセイルーンでも目が治らなくても。
ユレイアの歌を、一度でいいから聴かせたかった。
Ria and Yuzuha's story:Second pray【楽園】
ミレイはいらいらしながら乗合馬車の降車場を眺めていた。
神殿長の言いつけで神殿の客を待っているのだが、いっこうに降りてこないのだ。
風が巫女服の裾をはためかせながら吹いていく。
(寒い寒いっ)
もうすぐ春だとはいえ、それは『もうすぐ』の話であって今現在は冬だ。こうして外に立ちっぱなしだと寒くて寒くて仕方がない。
すでに数回ほど降車を見送っているのだが、目当ての人物は見あたらない。
しかも運が悪いことに、来ないときは来ないくせに、来るときは二台一度にやってきて、どっと人が降りてきたりする。
おかげで、もしかしたら自分が見つけられなかっただけで、客はとっくに神殿へ勝手に向かってしまったのかもしれないなどと、悪い方向に想像が働いてしまう。
ミレイは巫女服を着けているので、到着した相手がそれをわからないはずはないのだが、そう考えてしまうぐらいには長く待っていた。
(そうしてまた一度に二台くるし)
ミレイは軽く舌打ちした。
幸い二台とも互いに正反対の方向からやってくるから、客を見失うおそれはない。
目当ての馬車ではないほうが先に到着し、乗客がわらわらと降りてくる。
「ンしょ」
妙に平坦な声がその馬車からして、ミレイは思わず目的の馬車から視線を外してそっちのほうを見た。
クリーム色のローブ姿に同色の帽子をかぶった五、六歳くらいの女の子が、妙なかけ声と共に馬車の踏み台から降りている。深くかぶった帽子から覗く髪も、服によく似た褪せた金色をしていた。
橙紅色の変わった色合いの瞳があたりを見まわして、ふっくらした唇が何事か呟く。
(やだ、お人形みたい)
思わぬ目の保養にうっとりと見惚れて、ミレイは慌てて首をふった。
気がそぞろなのが自分の悪い癖で、注意散漫だとしょっちゅう巫女頭から叱られている。
(ダメよ、お客様が降りてくるのはこの馬車からじゃないのよ)
目的の馬車の轍の音は、すぐそこまで近づいている。
そっちのほうに向き直ろうとして、ミレイは目の前の馬車に釘付けになってしまった。
女の子に続いて降りてきた人物が原因だった。
(なんなのーっ !?)
絶叫だった。
(なんでこんなに綺麗なコがあたしと同じ空気を吸ってるのっっ)
本気でそう思った。
ゆるく波打つ髪は光の泡のような淡い金色で、双眸は鮮烈な真紅。さっき降りてきた女の子と似たような色の取り合わせに見えながらも、微妙に違う。
金褐色の長い睫毛、通った鼻梁、形の良い唇。
背丈も充分で、軽量鎧に長剣を佩いていて、その物腰には余分なものがいっさいない。
凛と鳴る鈴のような美少女だった。
(あああああ、眼福だけど、同じ女として自分がちょっと哀しくなるかも………)
ミレイが陶然と見つめているあいだに、美少女は降りてきた馬車のほうをふり返って、何やら右手を差し伸べている。左手はごく普通の革手袋だったが、右は指なしのものだ。
そんな細かいところにまで目が行くぐらい、ミレイは少女を眺め続けていた。
おかげで当初の目的はすっかり忘れていたので、背後から声をかけられて飛びあがるほど驚くはめになった。
「神殿の方ですか?」
「ああああ、はいっ、そうです!」
慌ててミレイは向き直る。
(あああ、こっちも美人だしぃ)
しっとりした落ち着きを感じさせる妙齢の女性神官と、護衛とおぼしき壮年の剣士がミレイの目の前に立っていた。
「お待ちしておりましたっ」
「わざわざ出迎えてくださってありがとうございます」
その神官がそう言って、丁寧に一礼したところまではよかった。
しかしその後、顔をあげようとしてミレイの肩越しに視線を据えたまま、神官の動きが固まる。
同じく、剣士の方も目を丸くして同じ方向を見ていた。
「まあ!」
「おおっ」
「え、ええっ !?」
何事だろう。何か自分の応対に不首尾でもあっただろうか。
わけのわからないミレイが棒立ちになっていると、彼女の前と後ろでそれぞれ声があがった。
「リアちゃん! ユズハちゃん!」
「しる!」
「シルフィールさん!?」
最初の声は目の前の女性神官で、残りの二つは背後からだった。
「ゼフィ!」
「アーウィス?」
(―――ゼフィですって !?)
今度は、剣士が呼んだ名前にミレイは仰天して後ろをふり向いた。
さっきまで眼福対象だった二人の少女と一緒に、旅装の青年が立っている。
髪は銀。そして顔は上半分が布に隠されていてよくわからない。が、間違いない。
「ゼフィア様!」
「その声はミレイですか?」
「そうです。ミレイです! おひさしぶりです!」
思わず背後の神殿の客二人を忘れて駆け寄りそうになったところで、年長のほうの美少女が少々呆気にとられたようにゼフィアを見上げるのを見て、ミレイは我に返った。
(そうよ。よく考えればこの綺麗なコとゼフィア様が一緒にいるってことは一緒に旅してきたってことで、もしかしなくてもさっきの手はゼフィア様に向けてだったんじゃあきゃーっ !?)
「………ゼフィ、知り合い?」
「クーンこそ、どなたか知り合いが?」
後ろは後ろで客人たちの声がする。
「シルフィール、向こうの二人は知り合いか?」
「ウィスこそ、向こうの方はご友人ですか?」
(何なの。いったい何が起きてるのッ !?)
ひたすらおろおろしているミレイを尻目に、彼女をはさんだ前後の人物は互いに次にとるべき行動を定めたらしかった。
クーンと呼ばれた少女が(リアにユズハにクーンと、明らかに人数より多く名前を呼ばれたのでどれが正しいのかはわからないが)困ったように頬をかいて言った。
「まあ、とりあえず」
「どこかでお茶でもしませんか」
シルフィールが、にっこりミレイに笑いかけた。