Ria and Yuzuha's story:Second pray【楽園】 〔2〕
笑顔で押し切られて、軽食も出す行きつけの食堂に案内したのはいいが、そこでミレイはまたもや内心絶叫するはめになった。
(なんなのこの夕食五人分のような軽食の量は!)
しかもその三分の二を、さっきのクリームブロンドの少女―――どうやらこっちがユズハらしい―――がぱくついているのである。
これにはアーウィスと名乗った剣士も目を丸くしてたが、ゼフィアを含めた残りの三人は至って平然としていた。
(ということは、これが常ってことよね………。ああ、せっかく目の保養だったのにぃ)
しかも今頃気がついたのだが、このユズハ、妙に無表情で子どもらしい愛らしさがない。笑えばきっとどんな強面の大男も和むに違いないのにもったいない。
「まさかこんなところでリアちゃんにお会いできるなんて思いませんでしたわ」
「シルフィールさん。そろそろあたし『ちゃん』って歳でもなくなってきてるんですけど………」
「そうですね。リアちゃんがこんなに美人になるなんて。わたくしも歳をとりました」
ころころとシルフィールが笑って、リアと名乗った美少女が困ったように視線をあちこちにやった(どうやらクーンのほうは愛称らしかった)。
「お前、まさかまたここに戻ってくるとはなぁ。予想外だ」
「アーウィスのほうこそ、護衛なんて一番退屈な仕事だから好かん、なんて言っていませんでしたか」
「まあ、なんだ。価値観は変わるのよ」
こっちはこっちでアーウィスとゼフィアが歓談している。
なんだか身の置き所がない。
(えええと、こういう場合ってあたしどうすればいいのかしら。神殿に先に戻ってますとか。―――違う違う。あたしはシルフィール様たちを迎えにきたんだから。じゃあゼフィア様を置いていくのかしら。でもどうせゼフィア様も神殿にいらっしゃるだろうし、またお目を悪くされているみたいだし、かといってこのままここに座っているというのも!)
「みれい、みれい」
つんつく袖を引っ張られて、ミレイは我に返った。
「あああ、はいなんでしょう」
「あれ、とっテ」
ちょうどユズハからは反対側にあるお皿を指さされて、慌ててミレイはそれを手渡した。
「ありがとウ」
にこりともせずにそう言うと、再び黙々と食べ始める。
(やっぱり変な子かも………)
「ええと、それでだ」
アーウィスが困ったようにテーブルを指で叩いて、皆の注意を惹いた。
「そっちのリアちゃんとユズハちゃんってのがシルフィールの知り合いで、ミレイさんがゼフィの昔の同僚なわけだな?」
「それで、アーウィスさん自体はゼフィアの友人なのね? ところで、リアでもクーンでもどっちでもいいですから、ちゃん付けはやめてください」
「ちゃん、て、ナニ。ゆずは」
「おうよ」
威勢よく返事をした後で、アーウィスはそれとはうってかわった慎重な手つきで、繊細に飾られたタルトを食べ始めた。
それを見たリアが必死に笑いをこらえている。
(やっぱり綺麗だわ………)
どちらかというと切れ長の双眸に、まつげが淡い影を落としている。
「ところで、リアちゃんはどうしてここに?」
どうやらシルフィールは、『ちゃん』付けを変更する気はないらしい。
「ゼフィの護衛よ」
(依頼されただけにしてはゼフィア様のことをゼフィだなんて。親しげだわ気になるわ)
「シルフィールさんのほうは?」
「こちらの神殿にいただき物を受け取りに来たんです」
つい先日ご好意でいただくことになって、とシルフィールは付け足した。
「あのごうつくばりの神殿長さまが?」
思わず呟いた後で、ミレイは慌てて自分の口を押さえて周囲をうかがった。
しっかり全員に聞かれてしまったらしい。シルフィールとリアはきょとんとしているし、アーウィスはやっぱりと言いたげな顔をしている。ゼフィアは表情が読めない。
「ほらな。びた一文自分の懐からは出さねぇって顔してるって俺はいっただろう」
「ウィスみたいに人を疑ってばかりいるのも問題があります」
「あああああの、いまのはえっと、あのそのッ」
シルフィールが悪戯っぽく笑った。
「内緒にしておきますね」
「だいじょうぶですよ、ミレイ。私も前々からそう思っていますから」
ゼフィアが身も蓋もないフォローをくれる。リアが呆れたように彼を見て、それからシルフィールに向き直った。
「で、そのケチの神殿長さんから何をもらうことになっているんです?」
こちらも身も蓋もなかった。
「薬学書、なんですけど………困りましたね。素直にもらっていいんでしょうか。まあ、前々から色目使ってくる方ではあったんですけど………」
その言葉にリアが飲んでいた香茶を吹きだした。
「そういうのは普通、下心見え見えって言うんです!」
「でも………。そうですね。薬草の本は以前から欲しかったので、もらうだけもらって知らんぷりっていうのはどうでしょう?」
(楚々としているけど、実はこの人イイ性格なんじゃあ………)
リアもミレイと同じくそう思ったらしく、やっぱり母さんと知り合いなだけのことはあるわ、などとぶつぶつ呟いている。
それがいい、そうしろ、などと無責任なことを言っているのはアーウィスだ。
(ど、どうしよう。神殿に案内してもいいのかしら………)
ふとゼフィアがくつくつ笑い出して、皆の視線を集めた。
「なるほど。そういうことでしたか」
「ゼフィ?」
「あの神殿長が、たったあれだけの代価で私が帰ってくることに渋い顔をしないなんて、どうもおかしいと思っていたんです」
「あっ、そういうことなの?」
リアが急にすっとんきょうな声をあげた。
「シルフィールさん」
「はい」
ゼフィアに呼ばれて、シルフィールは居住まいを正した。彼にはどことなく、周囲にそうさせる静かな雰囲気がある。
「まさかここで神聖樹の聖女にお会いできるなんて、思ってもみませんでした」
シルフィールが顔を赤らめた。
「イヤです。その呼び名どこまで広がってるんです?」
「俺も広めている」
「ウィス!」
「それで、シルフィールさんが受け取られる予定の薬学書ですが、ここにありますのでどうぞお持ちください」
「―――え?」
シルフィールとアーウィスが一瞬呆気にとられた顔をした。
ゼフィアは荷物から革装丁の本と雑記帳を一冊ずつ取り出した。リアがテーブルの上の空いた皿を片づけて場所を作る。ミレイも慌てて手伝った。
「どういうことですか?」
「神殿長があなたに進呈する予定だった本は、私が彼に渡す予定の本だったということです。わざわざ神殿長を介して彼に色目を使われるよりは、こうしたほうがいいでしょう。よろしければ私がこれまで診た患者の症例と治療法を書いた雑記帳も差し上げます」
「待ってください」
不意にシルフィールがゼフィアのセリフをきっぱりと遮った。
「先程のお話を聞いていると、ゼフィアさんは神殿に帰ってきたのでしょう?」
「ええ。この目では薬師は廃業ですので」
「神殿に戻る代価がこの本、というような意味のことを今リアちゃんにおっしゃっていたのでは?」
「まあ、私としてもあの神殿長がにこやかに穀潰しを迎えてくれるとは思ってませんでしたから」
「そうすると、わたくしが今ここでこの本を受け取ってしまったら、ゼフィアさんが困るのでは?」
「道中、盗賊にでも襲われてなくしたとでも言っておきます」
「ちょっと。それじゃあたしの仕事の腕が悪いみたいじゃない」
リアが抗議の声をあげた。
しかしミレイの聞いている限りでは、問題はそこではない。
もしかするといま自分は、いてはいけない裏取引の談合に同席しているのではないだろうか。
ミレイの目の前で談合の行方は何やら迷走しかけている。シルフィールとゼフィアが互いに譲り合っているのが原因だろう。リアは黙っているし、アーウィスはシルフィールの味方をしているようだった。
そんななか、ユズハは黙々と食べていた。
ミレイがしばらくそれらのことを観察していると、不意にリアがぽんと手を打った。
「つまり、いまここでゼフィが本をシルフィールさんに手渡すと、ゼフィは神殿に帰れなくなるのよね?」
「帰りづらくなるだけです。いくらあの神殿長でも盲人を追い出したりはしませんよ」
「どっちでも一緒よ」
そう言い切ったあとで、リアはしばらくためらっていたようだが、思い切ったように口を開いた。
「ねえ。ならいっそ、帰るのやめてセイルーンに行かない?」
「………は?」
ミレイを始めとした、ユズハ以外の全員がぽかんと口を開ける。
「………クーン。どこをどうしたらそういう理論展開になるんです?」
「セイルーンにはまだ行ってないんでしょう? あそこならゼフィの目がまた治るかもしれないじゃない」
間髪を入れずにアーウィスがたたみかけた。
「そりゃいい。そうしろ」
「あら。もうてっきりセイルーンには行ったのかと思っていました」
シルフィールもその提案がまんざらでもない様子でうなずく。
ミレイは話を右から左に流し聞きながら、心密かに焦っていた。
(この話の流れからすると、ゼフィア様は結局神殿には戻られないのかしら。せっかくまたご一緒できると思ったのに。でもでも、ゼフィア様のお目がまた見えるようになったほうがずっといいわけで………でもやっぱりご一緒したいし………)
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌ててゼフィアが反論する。
後ろめたさを感じつつも、ミレイは心の中でそれを応援した。
「もしセイルーンでも治らなかったらいったいどうするんです。そのときはもうここには戻って来れません。私を路頭に迷わせる気なんですか」
「そんなのそのときに考えろ」
「だからアーウィスは経済力が皆無なんです」
「だいじょうぶだ。最近、財布はこっち持ちだ」
「ウィス!」
「そういう問題ではないでしょう!」
端から聞いていると漫才にしか聞こえない。
顔を赤くしてアーウィスを叱りつけていたシルフィールが、気を取り直したようにゼフィアの方を向いた。
「それなら心配は要りません。目が悪くても薬師としての知識がなくなるわけでもありませんでしょう。私の叔父がセイルーンで魔法医をやっているんです。もう歳ですから引退しましたけれど、お弟子さんが後を継いだみたいですし、そちらのほうへの推薦状をわたくしに書かせてください。この本をいただくお礼と言うことでどうでしょう?」
それから一息ついて、にっこり笑った。
「なにもごうつくばりの神殿長さまに借りを作る必要はありませんでしょう?」
(怖い。この人怖いわ………)
ゼフィアはそれを聞いて沈黙してしまった。考え込んでいるのだろう。
隣りのリアがそれを見て、ひどく不安そうな顔をしているのがミレイの気に障った。
「おい、ゼフィ」
アーウィスが何気なく声をかけた。
「頼むからあきらめてくれるなよ」
少しだけ。
少しだけ、ゼフィアではなく隣りのリアの肩が揺れたような気がしたのは、ミレイの気のせいだろうか。
ゼフィアが目隠しの布に手を触れながら、大きく息を吐いた。
「………まったくもう、あなたという人は。昔から腹の立つことしか言わない人ですね」
「はン。たかだか二十四年生きただけで年寄り臭いやつに言われたかないな」
「三十四年生きて、妙に子どもっぽいというのもどうかと思うのですが」
言って、ゼフィアは観念したように再び嘆息した。
「わかりました。いいでしょう」
「行くだけ損はないと思うわ………それにしても」
どこか興味深そうにリアが、ゼフィアとアーウィスを交互に眺めた。
「ゼフィがこんなによく喋る人だとは思わなかった」
「はっはっは。酒が入るともっと性格悪くなるぞ」
「アーウィス。黙ってください」
そこまで聞いた後で、ミレイはようやく勇気を振り絞って口を開いた。
「あのう………」
どうしても言わなければならない。
自分にとって、とても大事なことだ。
「それで。結局あたしはいったいどうすればいいんでしょう?」