Ria and Yuzuha's story:Second pray【楽園】〔3〕
「神殿長。こちらについた早々にこんなことを申し上げるのも心苦しいのですが、神殿に戻る予定を変更することにいたしました」
ゼフィアが机の前でそう言うと、少々頭の禿げあがった中年の神殿長は椅子から飛び上がった。
「なんだと?」
「セイルーンに行くことにしましたので。私としても、神殿で役に立たないでいるよりもそうしたほうが、神殿長にもご迷惑がかからなくていいかと」
「それは困るッ」
「どうしてです?」
「いや。そのなんだ………私としても、君が戻ってくるのを楽しみに、だな……」
「神殿長が、それほど私のことを気にかけていたとは知りませんでした。どうもありがとうございます」
扉のところに控えていたリアは、内心笑いを噛み殺した。
ユズハはシルフィールに預かってもらっているので、いまこの神殿長の執務室にはこの部屋の持ち主とゼフィアとリアだけだ。
さっきまで神殿長がリアにも妙な視線を寄越してくるのには閉口していたが、ゼフィアが話を切り出した途端これである。
結局、シルフィールを迎えに来ていたミレイという巫女は、シルフィールの伝言を携えたうえで、リアとゼフィアだけを神殿に案内することになったのだった。
ミレイはリアと同い年くらいの少女だったが、どういうわけか人を凝視するくせがある。何度か妙にジッと見つめられてリアは困った。
充分人目をひく容貌をしている自覚はあるが、ああいう妙な視線を向けられたのは初めてだ。
(なんなんだろ、あの物言いたげな視線は)
リアが首を傾げている間に、机をはさんだ話合いは終わったらしく(一方的に終了したらしい)ゼフィアがこちらに向かってくるのを受けて、リアは扉を開けて彼を通すと自分も廊下に出た。
ミレイがそこで待っていた。
「あ、あのっ」
どうも、どもり癖があるらしい。
「あの、ですね。………結局、行かれるんですか?」
「ええ。そうします」
「そうですか………」
目に見えてミレイがしょぼんとしたのを見てリアはピンときたが、それとは別に相変わらず視線の謎は解決していない。
しょげていたミレイは何やら自己完結したらしく、今度はうってかわった様子で顔をあげた。
「お目が治ったら、またここにも顔を出してくださいね。あたし、お待ちしていますから。それで、今からサイラーグに立ち寄られるんですよね。じゃあ、アーウィスさんのところまで御案内します!」
リアは少しだけ笑みを浮かべた。シルフィールの名前をここで出さないだけの気の利かせかたが好ましかったのだ。
「クーン。行きましょう」
ゼフィアに呼ばれてリアは返事をしかけて、また物言いたげなミレイの視線にぶつかった。
リアと目が合うと、慌てて彼女はフイと視線を逸らす。
(だから、何だっていうのよ !?)
さっぱりわけがわからなかった。
乗合馬車の待合室でシルフィールはアーウィスに問いかけた。
「ゼフィアさんは、古いお友達なんですか?」
「そうだな。もう十年になるか。あれの目がまだ見えていた頃からのつきあいだからな」
窓の外を眺めていたアーウィスは、逆に問い返した。
「あの別嬪な嬢ちゃんと、この嬢ちゃんは姪御かなんかか?」
「のようなものです。血は繋がってませんけれど」
シルフィールがそう答えると、おとなしく彼女の膝の上に座っていたユズハがもがきながら床の上に滑り降りて、アーウィスに指を突きつけた。
「だから、ゆずは」
「おう。ユズハな」
「うむ。ヨシ」
「………ウィス、あなたは同レベルなんですの?」
アーウィスは聞いていない。
もちろんユズハも聞いていなかった。
「あ、来たな。おいシルフィール。面白いものが見られるぞ」
言われて、何事かと首を傾げながらシルフィールは窓際に並んだ。ユズハがアーウィスの足をよじ登ろうとするのを彼がひょいと抱え上げる。
最近、天気がよくて雪はほとんど溶けてしまっていたが、通りにはところどころにまだ白っぽいものが見える。
リアの姿はすぐに見つかった。なんと言っても彼女は目立つ。
もちろんリアだけではなく、ゼフィアも見送りらしいミレイも一緒にいるのだが、やはりリアだけが一人異彩を放っている。
(なんといいますか………)
物問いたげなミレイの視線と、それに気づかないふりをしているのか、本当に気づいていないのか、素知らぬ様子であちこちに視線をやっているリア。そして見えないのだから当たり前だが、我関せずのゼフィア。
シルフィールは思わず頬に両手をあてて、視線を彼方へとやった。
(なんだか、昔これと同じ光景を展開したことがあるような気が………)
「しる、どうしタ?」
「シルフィール?」
二人に呼ばれて、シルフィールは視線をそらせたまま呟いた。
「いえ、なんでも。ちょっと昔を思い出していただけです」
シルフィールが推薦状を渡すというので、リアたちはひとまずサイラーグへと移動することになっていた。
セイルーンからは遠ざかるが、ここまで離れるともはやたいして変わらない。
「リアちゃんはサイラーグはまだ来たことありませんでしたよね?」
「まだよ。母さんたちサイラーグっていうと未だに視線そらせるから」
「あはははは」
シルフィールが乾いた笑声をあげながら、やはり視線をそらせる。
馬車の振動に、座っていたユズハがだんだん下にずり落ちていくのを引っ張り上げながら、リアは話を続けた。
「母さんはともかくとしても、やっぱり遠いですし」
「セイルーンからは正反対ですものね」
二人の会話を聞いていたゼフィアが、そこで初めて口をはさんだ。
「すいません。話を聞いていると、クーンはセイルーン出身のように聞こえるんですが」
「あれ。あたし言ってなかったっけ」
「言ってません」
思い返せば言ってなかったような気もする。
「道理でやたらと気軽に誘うと思いました」
ゼフィアが嘆息したが、リアはそれを無視した。
「でも、生まれはゼフィーリアで、育ったのは一応エルメキアよ。小さい頃にセイルーンになしくずしに引っ越しただけで」
隣りに座っていたシルフィールが小さく吹きだした。
「そうでした。なしくずしでしたね」
「おいおい。俺たちにもわかるように話してくれよ」
「たいしたことじゃないです。母さんのお腹に弟がいるのが………ってユズハ! あんたわざと落ちてるでしょっ、ちゃんと座ってよ!」
「いや、わざと違ウ。落ちル」
石でもあったのか、ひときわ大きく馬車が揺れて、ユズハはガタンと飛びあがったあと再びずり落ちた。絶対に楽しんでいる。
アーウィスがユズハをひょいと膝上に抱え上げた。
「で、続きは?」
「あ、ええと………母さんのお腹に弟いるのがバレて、セイルーンに住んでた母さんの友だちの人たちに帰るのをとめられただけ。それで、そのまま居着いちゃったの」
なんでも母親はティルトがお腹にいるのを内緒にしたまま、今は人間のゼルガディスの体を元に戻すのを手伝ってあちこち飛び回っていたとかで、それを知った向こうの二人にこっぴどく怒られて、父親にバラされたくなければ生まれるまでここにいろと脅迫さたらしい。
「わたくしもここに来るのを少し先延ばししてしまいましたからね、あれには」
ひとしきり楽しそうに笑ったあとで、シルフィールは膝上の薬学書を抱え直した。
「ゼフィアさん。よろしければ少しの間、神殿に滞在してこの本のわからない箇所とかを教えていただけると嬉しいのですが」
「そりゃいい。しばらくいろ。ひさしぶりにお前と酒が飲みたい」
「それはかまいませんが、アーウィスの酒は遠慮します」
「ひでぇな」
アーウィスが情けない声をあげた。
陽も落ちる頃になって、傾いた夕日を浴びながら馬車はサイラーグの街中へと入っていった。
「うわぁ」
リアは思わず目をみはる。
運河の水面に夕日が反射して赤く煌めいている。運河に面した家々の壁には、どこか一ヶ所、必ずガラス窓か金属の飾りがかかっていて、それが反射した光をさらに散らしてキラキラと輝いていた。
夕日の鮮やかな光とは対照的に、街には緑と、それが作る濃い影も多い。
「馬車を降りた後で舟にも乗りますから」
シルフィールが笑いながらそう言った。
降車場で馬車を降りたリアは、少し離れた広場で何やら人が集まっているのを見つけた。
「何かしら、あれ」
「クーン?」
降り立ったゼフィアが怪訝な顔をする。
「いや。向こうで人が集まってるのよ。なんだろうと思って」
「リアちゃん?」
「シルフィールさん、あれはなんです?」
リアの指さす方向に顔を向けたシルフィールは、微かに眉をひそめた。アーウィスなど露骨に顔をしかめている。
「ありゃあ気にすんな。さっさと行くぞ」
「あれは新興宗教の集まりです」
先に立って歩きながら、シルフィールが小さな声でそう言った。
「新興宗教? スィーフィード信仰の異端派とかそういうの?」
「正確に言うなら、新興宗教というのも間違っているんですけれど、適当な呼び名がないので、わたくしたちはとりあえずそう呼んでいるんです」
運河の中に杭を打って水上に板を渡して作ってある船着き場から小舟に乗ると、シルフィールは再び話し出した。
舟の舳先では、運河の底をつく棒を船頭がのんびりと動かしている。
リアは身を乗り出しているユズハのローブの裾をとりあえずつかまえた。
「ご神体や祀っているものもないですので、教祖………というのも変ですけれど、中心になっている女の方が説いているのは心の在り方、です」
「は?」
リアは思わず間抜けな声をあげてしまったあとで、慎重にシルフィールに確認した。
「それはつまり、感謝の気持ちを忘れないようにしましょう、とか、他人には優しくしましょう、とか、知らない人にはついて行っちゃいけません、とか、そういうやつですか?」
「最後のは違うと思いますけど。まあ、おおむねそんな感じです」
たしかにそれは宗教ではない。
神様がそういうことを言っている、というのであればそれは宗教だが、そうしましょう、などと啓発的な物言いをしているだけなら、ただの迷惑な人物である。
「詳しくは何を説いてまわっているんです?」
「心を常に穏やかに、だと」
イヤそうな顔でアーウィスが答えた。シルフィールより、よほどくだんの新興宗教が嫌いらしい。
「何をされても、怒らず、恨まず、心を澄ませていれば、その人にとって全ての世界の在り様は楽園へと変化するんだそうだ」
「それはまた、なんというか………」
何とも言えず、リアは言葉を濁した。
「宗教ではありませんから、うちと対立するものではありませんし、言っていることも間違いではありません。神殿に参詣にくる皆さんの中で、話を聞きに行っている方たちにも、特に何か変わったことが起きているわけでもありませんし………」
そうは言いながらもシルフィールは憂い顔だ。
アーウィスが憮然とした表情で、口をはさんだ。
「あんなもん詭弁だ。怒ってこそ人間だぞ」
「根拠があるわけでもないので、ただの好き嫌いでどうこう言えませんけれど、なんかこう………あまり良い感じはしません」
シルフィールの口調は歯切れが悪い。
リアは小さく肩をすくめた。
「まあ。ここにいる間は近づかないようにするわ」
わざわざ面倒を引き起こす気は、なかった。