Ria and Yuzuha's story:Interlude 1 【氷晶光】 前編
半覚醒という状態がある。
眠っているのに起きている、というやつだ。それとはまた別に、夢を見ていて「ああこれは夢だ」と自覚しているのも、これにあたるのかもしれない。
外気の冷たさや肌に触れるシーツの感触を感じるのは、覚醒が近いという証だ。
浮上するような感覚がある。眠りを淵に例えた昔の人は的を射ている。ゆるやかに目覚める感覚は、仄暗い水底から浮上していく様に、それほど似ているのだろう。
しかしそれを自覚しつつ、なおもいぎたなく眠り続けようとする者たちがいるのもまた事実。ことによっては半寝がいちばん気持ちいいと、二度寝をする者もいる。
―――彼女は、睡眠に対して執着の強いほうだった。
硬質な明るさだけで熱をともなわない陽の光が窓の鎧戸の隙間から、薄暗い部屋のなかにきらめくように射しこんでいる。
その光に誘われたのか、ベッドに眠っていた人物が小さく身じろぎをした。
「ん………」
無意識に毛布を引っ張って自身を暖かく包みなおすと、その人物はまた眠りに落ちようとする。
そこに、もぞりもぞりと同じベッドに寝ていた別の何かが移動してきて、ぴたりとその隣りにひっついた。
沈黙。
しばらくして再びベッドの主が『何か』から離れるように寝返りをうった。
後を追うように『何か』も移動して、その人物に張りつく。
毛布の奥で、寝ぼけながらも忌々しそうに唸る声がした。
これすべて毛布のなかでの出来事である。
そうしてしばらく、離れる、引っつく、離れる、引っつく、をくり返したあと、とうとう、その人物はがばりと跳ね起きた。
「いいかげんにしてユズハッ !! 」
毛布の間からミノムシのように目元だけを覗かせた物体に対して、リアはさらに叫んだ。
「冬場のあんたは寒いのよ――――ッ !! 」
隣りの部屋から聞こえてきた毎度毎度の絶叫に、ゼフィアは髪をまとめていた手を止めると、半分呆れて嘆息した。
雪が降り積もって明けた静かな冬の一日の始まりだった。
ユズハをきっかけとし、さらにあいだに人ひとりをはさんで知り合ったゼフィアという青年をライゼールまで護衛する依頼をこなしている間に、季節は冬へと突入していた。
ゼフィアのいた街から、ライゼールまでは遠かった。
リアとユズハだけの徒歩の旅なら、主街道を無視して裏街道に入ることで距離を短縮することもできるが、護衛するべき依頼人がいる状況で盗賊たちが出没する危険な間道を通るほどリアも馬鹿ではない。
そもそも、この旅の移動手段は徒歩ですらなかった。
ゼフィアは目が見えない。
以前から患っていたという眼病が再発し、視力が極端に悪化している。何も見えないほどではないが、これ以上の悪化を防ぐために彼は自ら目を布で覆い、光を遮っていた。
目を不自由としている者に徒歩はきつい。勝手知ったる自分の家の中を歩くのとはわけが違う。
依頼を受けたリアが相談のすえ選択した移動手段は乗合馬車だった。乗合馬車が運行していない町々の間ではやむをえず歩くこともあったが、基本的には馬車を使った。
乗合馬車は大きな街道でしか運行していないから、必然的に大きな街道ばかりを通って遠回りをすることになるが、急ぐ旅でもないので支障はない。
しかし、道がそこにあってこその乗合馬車である。
積雪に道が埋もれて跡形もないとなると、また話は別だった。
「だからね! 冬場は別のベッドで寝てちょうだいって言ってるでしょ !? なんのためにわざわざ二人部屋をとってると思ってるの」
ぶつくさ文句を言いながらリアはベッドから降りかけ、床の冷たさにいったん降ろした素足を再びベッドの上に撤退させた。
そのベッドの上では、淡い金色の頭髪にオレンジレッドの瞳をした五歳ほどの幼女が毛布とからまって芋団子のようになりながら、とても寝起きとは思えないぱっちりした表情でリアを見あげていた。
その表情は当然といえば当然だった。彼女は睡眠を必要としない。実際に寝てはいないのだ。
「冬場のあんたは寒いのよ」
リアは相手から布団をひっぺがしながらそう言って、短く唸った。母親に似て彼女も寒がりだった。
炎の精霊と邪妖精の精神体との合成獣であるユズハは存在の仕方が魔族に近く、肉体を持たない。肉体をこちら側に具現させたとしてもその体に血が通い、体温を持つことはない。
つまり変温動物よろしく、周囲が暑ければ生ぬくく、寒ければ冷たいという、そばにいる者としては実に嬉しくない体温の持ち主ということになる。
そんなものと冬場のベッドのなかで始終一緒にいるなど冗談ではない。熱い風呂にでも漬けこんでおいて温石代わりにするという身も蓋もない方法があるにはあるが、ユズハは水が嫌いだった。風呂に入れても烏の行水なのだ。処置なしである。
寒がりのリアはひたすら一緒に寝るのを嫌がっているのだが、ユズハがしつこく毎度毎度へばりついてくるので、そのたびに今朝のような言い争いになった。半分は炎の精霊のくせに暖かくないなんて詐欺だと理不尽に思わないでもない。
思い起こせばセイルーンにいたときにも、双子とユズハは冬には共に眠ってはいなかったような気がする。おそらく、アメリア王女あたりが双子に風邪をひかせては大変とあらかじめ離しておいたに違いない。夏場は夏場で、暑くてむずがった双子たちが泣き出した―――。
リアたち家族がセイルーンに住みついたとき、すでにユズハはアメリア王女のもとにいた。双子にとっては生まれる前からいたことになる。
ユズハがどういった経緯でセイルーンの次期王位継承者であるアメリア王女のもとに引きとられることになったのか、リアは事情を知らない。
実は合成獣だというのも、何かの拍子に母親がさらっと言ったのを聞きとがめて追求し、初めて知ったのである。
親に限らず、年長者は年下の者に、自分のことや自分を取りまいているもののことを改まって語らない。たとえそれが親子であっても、自分の親がどういう人生を歩んできて自分を生んだかなど知る機会は少ない。
リアはわずかに顔をしかめた。
特に話さなくてもリアは聞きだそうと思ったりはしないが、せめてユズハに関することだけはきっちりと聞かせてくれても罰はあたらないのではないか。
おかげでときどき、間違いなくそこに存在するくせに他愛なく消えていきそうな存在の不確かさを感じてしまう。
寒いのをこらえて着替えをすませたリアに、ベッドから降りたユズハが扉の前で催促した。
「くーん。ゴハン。お腹すいタ」
「嘘ついてんじゃないわよ。あんたはすくも何もないでしょうが」
ユズハが無表情に頬をふくらませた。
「へル。補給は・大切」
外部から気を取りこむことで魔力を補っているユズハは、無邪気にお腹減ったとくり返す。
もつれやすい髪を適当に梳き終わったリアは、ため息混じりに窓の外に目をやった。雪は止んでいるがこの様子では今日もまた馬車が出ることはないだろう。
リアはユズハをともなって廊下に出ると、隣りの部屋の扉をノックした。
「おはよう、ゼフィ。食事にしない?」
しばらくしてから扉が開く。
流れるような銀髪がまず目について、次いで顔の半分を覆っている布に視線がいく。
リアの視線が移動するタイミングにあわせるかのように、ゼフィアが静かに微笑んだ。
「おはようございます、クーン」
隠されていることで逆に際だつ視線の存在に、まだリアは慣れていなかった。
「雪はやんだようですね」
パンをちぎりながらゼフィアがそう言った。
差し向かいの二人の間の席にはユズハが腰をおろし、まったく手を休めることなく黙々と食事をしている。テーブルの上にのった大量の皿の大部分はユズハによって空にされていた。
頼む料理の量に最初のうちは仰天していた女将も、雪に閉じこめられて宿泊が長引くに連れて慣れて、いまではユズハに対して焼き菓子などをサービスしてくれるようになっていた。逆に備蓄がだいじょうぶなのかリアのほうが不安になったのだが、女将は笑ってとりあわないので、だいじょうぶなのだろう、きっと。
豆と鳥肉の香草煮込みの皿を手元に引き寄せようとして、リアは思いとどまった。皿の配置は変えない方がいい。ゼフィアが困るだろう。
スプーンで自分の皿に煮込みを盛って、リアは座りなおした。
窓の外ではゼフィアの言ったとおり雪は止んで薄い陽の光が射しこんでいる。小さな覗きガラスをはめこんだ窓枠は真っ白で、外の雪の深さを知らせていた。
「また当てたわね。いつも思うんだけど、どうしてそうわかるの」
目が見えずとも、ゼフィアは天候や周囲の様子をピタリとあてる。彼の勘の良さは旅をするようになってから何度かお目にかかっているが、その度にリアは驚かされる。勘が良い人物は身の回りに二人ほどいるが、あれはもはや人外の域なので、こういう普通の勘の良さのほうが逆に不思議なのだ。
しかし訊けば、どれも勘などではなく経験則らしい。
今回もゼフィアは何でもないことのように答えた。
「降っているときより外の音が響いています」
なるほど、たしかに久しぶりの晴れ間に降ろせるだけの雪を降ろそうと、朝から村の男たちが動いている。雪を踏みしめる音と、雪を投げ降ろす音が扉越しにも聞きとれた。
「まあ種明かしですが、部屋にいたときに窓を開けてたしかめていました。それだけの話です。馬車は動きそうですか?」
「んー、どうかしら。雪かきも始めたばかりだから。村道と家の屋根のほうが先でしょ普通」
「なら、今日もまた暇ですね」
「あたしはね」
彼女がそういうと、ゼフィアはくすりと笑った。
会話のやりとりのなかで生まれた他愛ない笑い。
リアは微かに顔をしかめる。
ゼフィアとの会話は水のようにさらさらと流れて続く。こちらの表情も目線も読めないだろうに、彼は的確で無難にあたりさわりのない会話をすることに長けていた。そして逆にこちらには読みとらせない。患者から症状を聞きだし、病状を判断する職業柄かもしれないが、リアの周囲にはあまりいなかった手合いだ。
相対する距離感がつかめなくて、たまにいらだつ。
ともに旅をするようになってひと月が過ぎたが、リアは時折、もしかすると自分は彼のことが嫌いなのではないかと自問自答することがある。いまだに明確な答えは出てこないが、我慢できないこともないのでそれほど嫌ってはいないのだろう。と、そのたびごとに結論づけていた。
不意に外へと続く扉が開き、一気に寒気が吹きこんだ。
当然ながら、リアとゼフィアはそちらに顔を向けた。ユズハは我関せずと食べている。
どやどやと入ってきた村の男たちは、朝食をとっているリアたちの姿を見つけると大声をあげた。
「薬師の先生!」
「先生ちょっと診てください。ローディのやつ、屋根から滑って落ちやがった」
「あんだけ雪溶けかけてるから気をつけろっつったのに。足がひんまがってんですよ」
口々に言う男たちの後ろから、肩を支えられてやってくる若い男が姿を見せた。防寒用の分厚い毛織り地に包まれて判然としないが、たしかに微妙に曲がっている。
「どう見ても折れてるわね、あれ………」
「私は内服が専門で………。外傷もできないことはないですが、いまはごらんの通り、どうにも治療できないんですがね」
リアの呟きに、ゼフィアが困ったように答える。
彼の職業柄、どこに行っても滞在先で歓迎された。医者や治癒呪文の使い手となると大きな街にしかおらず、いまでも小さな町や村では薬草を使った治療が主となる。ゼフィアのような薬草を使う癒し手はとにかく重宝されるのだ。
彼は人当たりもよいので、大きな街でも、宿に落ち着いて薬師だとわかった途端に居合わせた者たちから相談されていることも多い。
宿を食糧危機に陥らせているリアたちに対して女将が親切なのも、来た早々にゼフィアが彼女にあかぎれと神経痛によく利く薬を調合してあげたことによるのが大きいだろう。
「あんたたち!」
どしん、と奥の厨房から重量感のある音をたてて現れたその女将が、村の男たちを一喝する。
「うちのお客に朝飯もまともに食わせないつもりかい! 屋根からすっ転んで落ちるような間抜けなんざ、しばらくそこに転がしておきゃいいんだよ。―――嬢ちゃん二人と先生はあたしの食後のお茶をちゃーんと飲み終わってくれなくちゃいけませんよ」
女将の迫力に一同は何も言えない。ひとりローディとやらがうんうん唸っているだけである。ユズハは黙々と食べ続け、こっそりリアの皿にも手を伸ばして頭をはたかれた。
相談ののち、ローディと付き添いのひとりを残して男たちは雪下ろしに戻っていった。リアとゼフィアは女将の厚意が恐くて、そそくさと朝食をすませる。
「骨折って………たしか、治癒でも治るんじゃなかったっけ」
ようやくたどりついた食後の香茶を手にリアは首を傾げた。ゼフィアが驚いた顔になる。
「よく知ってますね。そんな知識、普通は知りませんよ」
「母さんから聞いたことあるだけ。んー、どうしよっか。あたしが治癒唱えようか?」
「単純骨折の場合はそれでもかまいませんが、外傷をともなった複雑骨折の場合、高い確率で炎症を起こして熱をだしますから、治癒だけでは不充分ですね。それに安易に治癒でくっつけると、強度に問題があります」
「強度?」
専門用語を交えて話され、リアは半分ぐらいしか理解できなかった。とりあえず単純に治癒だけではいけないらしい。
「よく、折れた箇所は以前より強くなるといいますでしょう? 治癒で治した場合、どうやらそれがないようなんです」
それは初耳だ。母親にも教えなければ。
「炎症がどうのってのは、ようするに風邪は治癒では治らないのと同じ理屈なの? 黴菌うんぬんっていう」
「よく知ってますねえ」
ゼフィアが感心してリアを見た。正確には彼女のほうに顔を向けただけなのだが、それでも視線を感じる。少しだけ胸がざわつく。
「あなたは剣が生業なのでしょう? 以前から思っていましたが、それにしては魔道の知識もかなり持っていますね」
「うん、母親が魔道士だから。あたしも一応、魔道士かな」
「魔道剣士というやつですか」
「どうかしら。敢えて名乗れと言われたらそうかもしれないけど」
こういったものに正式な呼び名などあってないようなものだ。リアは苦笑した。
「どうしてこちらのほうを選んだんです?」
何気ない問いに、一瞬カップを持つ手が止まった。それは彼には見えていない。
リアは穏やかに微笑する。それもまた彼には見えていない。
「こっちのほうが好きだったから」
それは一片の曇りもない真実だった。
ゼフィアは、そうですか、と特に気にしたようでもなく相づちを打つ。
「さて、お茶も飲み終わりましたし、そろそろ治療にかかりましょう。いつまでも唸らせておくのは気の毒ですからね。暖かくて血の巡りがよくなると傷というのは痛みます」
さらりとそう言って香茶のカップを卓に置き、席を立つ。特にどうということはない台詞なのだが、実は彼は相当に性格が悪いのではないかと思うのはこういうときだ。とりあえずリアも黙って席を立つ。
「ゼフィは、どうして薬師になろうと思ったの」
治療に必要な彼の荷物を取りに行きながら、ふとそう尋ねると、ゼフィアは少し驚いたような顔をして、それからやわらかに苦笑した。
「簡単です。この目を治したかった」
リアは言葉を返せず、小さく息を呑む。
思いつきで訊いたことを、後悔していた。
