Ria and Yuzuha's story:Interlude 1 【氷晶光】 後編
この道中、リアはほとんど助手として彼の施療につきあわされていた。
目が目なので、顔色やら失血やらの視覚情報を全部リアに補わせるのである。最初は戸惑って辞退したが、再三依頼され、結局律儀につきあっている。リアは治癒も復活も麗和浄も使うことができるので、助手としてはかなり優秀な部類に入るだろう。便利に使われている気がしないでもない。
結局今回も、外傷部分をゼフィアの指示通りにリアが治療し、呪文を唱えて骨をくっつけたあと、痛みどめやら炎症どめやらの薬を彼が調合した。
旅に出る際に薬のほとんどを処分したので彼の手持ちは少ないが、それでも痛みどめなどの基本的な効能持つものは携帯している。
彼は匂いや触った感じなどで目的の薬かどうか判断したあとで、必ずリアに名札を確認させた。最初からリアに捜させたほうが早いのはわかりきっているのだが、決してそうしようとしない。薬師としてのきっちりとしたその職業意識はリアにとって好ましいものだった。
出逢った町から旅立つ際にも、彼は面倒を見ていた患者の事後の始末ををきちんとつけていたし、行く先々でも治療の依頼に断ることなく応じていたから、するべきことをしている人なのだなと思った。自分の生業に、誇りがあるのだろうと。
だから、理由を訊いて後悔した。
この旅は彼にとっては終わりの旅。おそらく彼の人生においての大きな節目。薬師を辞め、以前施療を学んだ神殿に戻り、世話になると言っていた。
そこまでの護衛を請けおったのがリアだ。
ライゼール帝国領内の目的の街まで彼を無事につれて行けば、仕事はそこで終わる。依頼は完了し、リアとゼフィアはそこで別れる。
彼の生業に、引導を渡すのはリアだ。
自らの目を治す方法を見つけられず、薬師を続けることもできず―――。
旅のはじまりからわかっていた事実に今更気がつき、リアは身をふるわせる。どうして自分はこの依頼を受けたのだろう。なぜ彼の節目に立ち会っているのだろう。―――なぜ、そのことが、こうも自分を苛立たせるのだろう。
彼はいつも、ひどく穏やかに言葉を紡ぐ。
理不尽に腹が立った。諦念に付き合わされて旅をするなど冗談ではない。
知らず親指の爪を噛んでいた。
宿の女将から借りた暇つぶしのための本は、膝の上で開かれたまま一頁も進んでいない。
「くーんー」
かたわらの寝台から、抑揚に乏しい声がした。可愛らしくはあるのだが、淡々とした平べったい感じの声だ。歌を唄わせると、これまたえらく調子っぱずれで、逆に新鮮かもしれない思えるほどの音痴ぶりを披露することをリアは知っている。
この声は、リアの名前をいつも淡々と口にする。彼は、いつも静かにリアの名前を呼ぶ。どちらもリアに与えられたもうひとつの呼び名で、クーンと。彼のなめらかで、やわらかな声。それが諦念なのか生来のものなのかわからない穏やかさをまとって。
―――ああ、また怒りが。
「くーんくーんくーんー」
リアは女将から借りた本を音をたてて閉じた。
「語尾をのばすな連呼するなあたしは犬かッ!」
「聞こえてルなら、返事すル」
「聞こえているわよ、何なのよ」
リアは溜息混じりにユズハに返事をした。
発酵するような怒りは、どこか手の届かないところへ行ってしまった。
「何よ、ユズハ」
なるべく穏やかにリアは聞き返す。
耳の奥で、自身の声は低く、少しかすれたような響きを帯びている。どちらかと言えば、リアの声は低めだ。母親より低いのは間違いない。妹分のユレイアからは姉上の声は美声ですと評されたが、よくわからない。
「んとね、くーん」
ユズハが毛布にごろごろとくるまりながら話しかけてくる。まったく何をやっているのだか。
ベッドに寝そべり、顎を毛布に埋めたユズハは一言のたまった。
「ヒ・マー」
本の上にのせた手が衝動的に持ちあがりそうになり、借り物ということを思いだして、かろうじて踏みとどまる。なるべく穏やかにという忍耐は、どこかに飛んで消えていた。
「あたしだってヒマよッ!」
「外、行きタイ。雪、遊びタイ」
「自分が雪像になりたいんならどうぞ。掘りださないわよ。自力で帰ってらっしゃい。濡れても知らないから」
リアの言葉を聞いて顎をわずかに持ちあげたユズハは、最後の一言を聞いてむうっと頬をふくらませながら、再び毛布のなかに埋没した。
「濡れルの、キライ」
「ならここにいなさい」
「うー」
拗ねているユズハにリアは呆れた。
だいたい、本気でやろうと思ったら最後、この半精霊はこちらに何の相談もなしに実行に移すのだ。こちらに話しかけてくるうちは、そうすることでこちらにじゃれかかってきているのだと思っていい。
「だいたいね」
一呼吸おき、椅子の上で足を組み直してから問いかける。
「あんたに『暇』なんて感覚わかるの?」
「わかるもン」
真実は謎のままだ。
相変わらずの無表情だったが、髪の間から無造作に覗く尖った耳がけだるげにピクッと動く。
―――ィン!
不意に鼓膜を何かがかすめていった気がして、リアは顔をあげた。
ベッドの上のユズハに視線をやるが、ユズハは我関せずと言った様子で猫のように毛布に顔の下半分を埋めて半眼になっている。
ただし、耳だけがピクッと動いていた。
リアは今度は注意して耳を澄ませてみる。
―――ピィ………ン
切れる寸前まで張りつめた金属弦を爪弾いているような音だった。地下の鉱脈で水晶同士がこすれあって軋んだ音をたてるとしたら、こんな感じだろうか。
三度目にその音を聞いたとき、リアは椅子から立ちあがって窓に手をかけ、一気に押し開いた。
髪が流れ出ていく暖気に押されてかすか舞いあがる。入れ替わるように冷気が吸いこまれ、肌を刺した。
窓を開けると、音はよりはっきりと耳に届いた。
リアは出所を求めて視線をはしらせる。
数日降り続いていた雪は止み、空には太陽が顔を出しているが、寒気に負けて硬く光っているだけだった。積もった雪に反射する光が目に痛い。
馬車が通る道を造るのは一苦労だろう。数日前の降りはじめの雪は重みに潰されて固く凍ってしまっているだろうし、降ったばかりの真白な雪は柔らかくどこまでも沈みこむ。
この村を出ることができるのはいつ頃だろうか。
薄墨のレースを広げたような木立の影を眺めていると、隣りの窓が開く音がした。
「………ゼフィ?」
肩を滑り落ちて窓枠に触れそうな銀髪が、陽の光にきらめいている。硬質な輝きが、この景色を構成する一部のようだ。
リアに名を呼ばれて、彼の口元が笑みを作る。
「ああ、クーンにも聞こえていましたか。よかった。幻聴かと思うところでした」
「部屋に戻っていたの?」
「ええ。ついさっき―――」
また音がした。
ゼフィアは言葉を途切れさせ、リアも耳を澄ませる。
冷気で弦が幾つも弾け切れるように、今度は立て続けに音が鳴った。
吐く息が白く煙り、視界を流れていく。
「何が鳴っているかわかりますか?」
「ううん。何もそれらしいものはないわ。家鳴り、というわけでもないわよね」
寒さで建材がきしみ、音を立てることがあるという話を聞いたことがあるが、どうもそれとは違うようだった。
「晴れてはいますが、雪はまだ降りそうですね。空気が湿って重い」
ゼフィアが窓の外に手を差し、確かめるように呟いた。
「あんまりこうしてるとお互い風邪をひくわよ」
「風邪は寝ていれば治ります」
「うわ、それが薬師の言葉?」
窓越しに軽口を叩いているうちに、実際ざわざわと肌が粟立ってきた。
早く窓を閉めなければ部屋の暖気が全部逃げていってしまう。風はほとんどないが、冷気は身を切るようだ。
ぐるりとあたりを見まわすが、音の出所はやはり見つからない。音も止んだままだった。
あきらめて窓を閉めようとして、地上へ向けていた顔を正面へとあげたリアは、己が見たものに思わず息を呑んでいた。
熱を持たない薄紗のような陽光のなかを、微細な粒がきらきらと舞って五色に光る。光と粉雪を混ぜ合わせて少しずつ丁寧に、空気の上にのせたように。
中天にある太陽がまっすぐ射しこみ、氷の粒子にぶつかって乱れ散った。拡散したそれが白い影のように映り、それがさらに宙に座す人影のようにも見える。
雪の女王と、彼女を飾る氷晶光―――ダイヤモンドダスト。
リアはそっと息を吐きだした。そうしないと消えていってしまいそうだった。
「―――クーン?」
ゼフィアの怪訝そうな声に我に返る。
「あ………」
光の乱舞から視線を外して、隣りの窓を見た。
雪の照り返しを受けて艶やかに輝く銀色の髪。その髪を押さえる、光を遮る厚い布。このうえなく冬の白さに溶けこみたたずんでいるのに、本人は己を取りまく景色をまったく知らない。
いま、この瞬間。目の前で弾け散るような氷光の粒子が戯れているのに。
すぐ隣りの窓がひどく遠く思えた。
「………なんでもない」
「音、しなくなりましたね」
「そうね………」
音がしなくなった代わりに、目の前にきらめくものがある。
「寒いから、もう閉めるわね」
リアは氷晶光から目をそらし、窓を閉めた。閉める寸前の視界の端で、薄氷はなおもきらめいていた。
「ヘンなの」
ユズハが呟く。
「くーん、ヘン」
「…………うるさいわね」
睨んでおいてから、リアは小さく吐息をもらした。
自分でもわけがわからなかった。
夕食時に、昼間の音は「渡り音」というのだと宿屋の女将から教わった。この町の魔道士協会では音がする理由の解明もなされているらしいが、一般には幽霊が氷の上を歩く音だといわれているらしい。
そう珍しい現象ではなく、冷えこんだときによく聞こえる音なのだという。
結局、氷晶光の話が出ることもなく夕食は終わった。
リアは静かに窓を開けた。
満天に星が光っている。
冬の夜は音が遠くから聞こえる。近くの音はすべて雪に吸いとられるが、遠くの音は反対に硬くよく響く。
結局雪は夜まで降らず、今日で雪はあらかた除けられていた。ただ道や屋根を優先しておこなったので、宿の中庭は足跡ひとつない新雪のままだ。
「ユズハ」
「ナンぞよ」
首を傾げて近づいてきた旅の伴侶を抱きあげる。
「ほれ☆」
「ゆよ?」
意味不明の言語を最後にユズハの姿は窓の外に消える。―――端的に言うとリアがユズハを放りだしたのだが。
下の雪がみぎゅっと音を立てて、それでユズハが『着地』したのを確認すると、リアも窓枠から外に体を静かに滑り落とした。しっかり着込み、浮遊の呪文をかけている。
ふかふかの新雪に埋まったユズハの傍に降り立つと、リアはちょこんとしゃがみこむ。
「雪おもしろいでしょー?」
「…………」
なんのことはない。ユズハをダシにしてリアが外に出てみたかっただけである。
ようやくユズハが起きあがると、ふるふるっと頭をふった。粉のような新雪が白金色の髪から飛び散る。
「うむ、斬新」
「………普通はここで怒ってくれないとあたしとしても良心が痛むんだけど」
「くーん、くーん。だるま作ル」
「イヤよ。あんたどうせタックルして壊すんだもの」
「うむ」
「…………」
リアが沈黙していると、ユズハは自分で適当に雪山を作って一人遊びしはじめた。
こうしてそれを眺めていると、ただの幼子に見える。
「それでもやっぱり息が白くなったりはしないのよね………」
「ン」
無造作にユズハがうなずいた。真の意味で血の通うことのないモミジのような手が、小さく固めた雪をぺしぺしと叩く。
「ハッパ」
「は? 発破?」
「爆破しナイ。ミドリの」
「ってか、なんで発破ってわかったのよ」
内心汗をかきながらも、リアはユズハの意図するところを察して、苦労しながら塀沿いに植えてある椿のところへ行き、雪を払い落としてその葉を二枚つみとった。
「ほら」
「ありがたう」
ユズハはそれを手のひらサイズの雪山の上に、耳になるように挿した。
「あんたそれ好きよね」
「ン。うさぎうさぎ」
昔から雪遊びをすると、必ずユズハはこれを作る。
自分はリアたちが苦労して作った雪だるまにタックルして双子やティルトとケンカをするくせに(おかげでユズハと遊ぶときには誰も雪だるまを作らなくなった)、いつだったかティルトがうっかりユズハの作った雪うさぎを踏みつぶしてしまったときには、アメリア王女やゼルガディスが仲裁に出てくる騒ぎになった。
雪うさぎの周囲の新雪ごと手ですくい取ると、ユズハは空を見上げた。
リアもつられて空を見上げる。
信じられないくらいにカンと晴れた空だ。月の周りがぼんやりと青く染まっているのとは反対に夜空はどこまでも濃い色をして、あちこちで星が光っている。
「りあに、見せタの」
「え?」
リアは思わず聞き返したが、ユズハが『りあ』と呼ぶ場合、それはリアのことではなくアメリア王女のことだ。
ユズハは空から手元に視線を戻した。
「ぜると作っテ、りあに、見せタ。おもいで」
「…………」
ユズハと一緒に雪うさぎを作るゼルガディスというのが想像できず、リアは沈黙した。面倒見が悪いわけではないのだが、子どもの遊びに関しては、いつも逃げまわっていてつきあいの悪い保護者だった。
だがユズハは嘘を言わない。
この目の前の存在は、リアより年長で長命だ。共に過ごしてきて、リア自身が幼くて記憶にとどめていないようなことすら、すべて焼きつけるように憶えているはずだった。
「それ、いつのこと?」
しばらくユズハは首を傾げたあと、
「生まれテ、すぐ。んと、まだ、りあとぜるしか知らなかっタ」
それはかなり昔のことなのではないだろうか。
「普段はあんまり思い至らないけど、あんたあたしより年上なのよね」
雪うさぎを抱えたままのユズハを見下ろし、リアは溜息をついた。
二階の窓が開く音がして、リアとユズハは上を見あげた。
ふり仰いだその先で、銀の髪が月光を弾いた。本当によく光をとらえる髪だ。自らほの白く発光するようなリアの金髪とは違い、反射によってきららかに輝く。
「―――ゼフィ」
「声がすると思ったら………。何をしているんです?」
「雪遊びよ」
「こんな時間にですか」
呆れたようなその声がおかしくて、リアは少し笑った。
月の光で世界は蒼く、雪は光を吸いこんだように青ざめた白さで輝いている。
ふと思いついて、リアは静かに呪文を口ずさんだ。
隣りにいたユズハの視線が、リアを追って下から上へと移動する。
ゼフィアの窓のところまで行くと、聞こえてくる息づかいの近さに彼は驚いたようだった。
「来るなら来ると言ってください。びっくりします」
「ごめん。手、出して」
「は?」
「手」
言われるがままに差しだされた手のひらに、リアはすくいあげた新雪をのせた。
ゼフィアの指がたしかめるようにそれに触れる。触れた先から雪は解け、指と指の間から滴となってしたたり落ちる。
「冷たいです。というよりも、痛いですね」
「そりゃ雪だもの」
「風邪をひきますよ」
「寝てれば治るんでしょ?」
ゼフィアが呆れたように笑った。もう夜も遅い時刻だが、遮光布はまかれたままだった。
「夜だけど、とらないの?」
「ユズハ並みに言葉がブツ切れてきてますよ、クーン」
「…………だから、布」
憮然としたリアの口調に、ゼフィアが苦笑する。
「それぞれのときはともかく、月と雪の二つは明るすぎます。明るすぎると目が痛くて」
朝の会話を思いだした。そして、昼に見た儚い光の幻も。
治したかったと過去形で告げられた病―――。
目の病のことを聞いたときからずっと訊ねたかった言葉を、リアはひっそりと口に出してみる。
「もう、治らないの………?」
「そう言われています」
「誰に言われたの」
「そのときかかっていた医者に。再発したときが最後だと」
互いの息が白く煙った。
ユズハがゼフィアのいる窓の真下までやって来て、雪の地面を見下ろした。足元の雪が踏みつけられて音をたてる。ゼフィアの手からしたたり落ちた滴が、ぽつぽつと小さな穴を雪の上にあけていた。
「セイルーンは………?」
「行っていません」
「どうして。あそこなら治るかもしれないじゃない」
ゼフィアは答えず、ただ微笑した。
布と夜の闇に遮られて表情は読めない。それでも沈黙の意味を、リアは理解する。
「―――それは違ウ」
真下にいたユズハが小さくそう呟いた。
「実行するには色々と問題がありまして。もういいんです」
沈黙などなかったかのように、なめらかな声が答えを返した。諦念に裏打ちされた穏やかな口調。
染み入るような声が、逆にリアの怒りを撫であげた。
「ならどうして布をしているの。まだそう思ってないからでしょう」
少し、踏みこみすぎたと自分でも気づいていた。
ゼフィアが微かに笑う。
その微笑から滲む気配に、背筋がぞくりとした。だめだ、間違えた。
ほとんど溶けてしまった手のひらの雪をゼフィアが払い落とす。滴が散り、落下した。頬に飛んだ一滴が、ひどく冷たい。
「進んで痛い思いをする者は、どこにもいません」
「ゼフィ、あたしは………」
窓を閉めようとする彼の手にとっさに触れ、その濡れた冷たさに小さく息を呑む。同じように雪に触れていたはずなのに、はるかに凍るような指だった。
その手が、やんわりと彼女の手を押し返す。
口調は変わらず穏やかだった。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい………」
月で蒼く光る閉じられた窓に向かって、リアは小さく呟く。
―――ごめんなさい。あたしにだって、さっさと諦めたものはあるのに。
雪うさぎを、そっとユズハは雪の上に置いた。
「それは違ウ」
南天の実の紅い目。
頭上を仰ぎ、ユズハは呟く。
「くーん、それは違ウ」
「あんたみたいにはなれないわ。ユズハ」
後を追って宙に浮いてきたユズハを、リアは出てきた窓から室内に放りこんだ。
続いて部屋に入ると、リアはサイドテーブルに立てかけてあった剣を引き寄せて、その柄を強く握って目を閉じた。
「諦めたくないから、諦めないと辛いのよ」
それでも。
いつか一緒にあの光を見ることができたらいいと、思ってしまった。
(ごめんなさい。あたしにだって、さっさと諦めたものはあるのに)
窓越しの微かな言葉に、彼は物憂げに息を吐く。
あの声は少しいらだたしい。知らないあいだに領域を侵し、封じていたものを引きずりだしてくる。
微妙なかすれを帯びた、けむるような声。それでいて、やわらかでのびるような低音。
流れる言葉のやりとりの最中にも、時々流れそのものに戸惑うように一瞬黙る。少し危うげな不安定さを見せる意思は、それでもまっすぐにゼフィアに射しこむ。
出逢った街で傍観者として在るときはよかったが、正面切ってその意思の前に立つと、これほど落ち着かなくなるとは思わなかった。なりゆきで依頼をしなければよかったか。
目の奥が不意に痛み、ゼフィアは布越しに顔を押さえ、溜息をついた。
昼間、自分は何を見ることができなかったのだろう。微かに息を呑んだ気配に彼は気がつき、そして耳に残るその音をふり払えずにいる。
このままライゼールに入り旅を終えれば、あの声は聞こえなくなり、日々は穏やかに停滞する。
引きずりだされたものに気づかないふりをして、彼は何度かの溜息をつく。
いまさらもう、何も惜しくはないはずだった。
