Ria and Yuzuha's story : First access 【眩暈】 〔1〕

「やだ、もう………」
 黄金色の小麦畑にはさまれた街道を歩きながら、彼女は周囲を見まわした。
 周囲の黄金色とは微妙に色調の違う金髪が風にまきあげられるのを手で押さえこみ、再び視線を巡らせる。
 髪を押さえている右手とは別に、左手はごく自然に腰の剣に添えられていた。旅を初めてから二年。すでに無意識の行為となってしまっている仕草だった。
「………ちょっと。何度目?」
 呟く彼女の眉間には盛大な縦皺が寄っていた。
 形の良い眉はひそめられ、端正な顔全体が苦々しげにしかめられている。
 いったいどうやったら一本道、しかも見晴らしもこのうえなく良いこの場所で、姿をくらますことができるのか。
 彼女が大きくため息をつく横で、大量のニンジンとタマネギをつんだ荷馬車がのどかに通り過ぎていった。
 御者台から呑気な声が降ってくる。
「いったいどうしたのかね?」
「………連れとはぐれたの。ここまで来る途中でね」
「そりゃあ難儀だ。だが、こんなところで探すよりも、とりあえず街まで行けば落ち合えるんじゃないのかね。なんなら乗せていってもいいぞ。ニンジンタマネギと一緒でよけりゃな」
「お野菜と仲良くするのは全然かまわないんだけれど………」
 言って、彼女は頭を抱えて小声で呟いた。
「行っても落ち合えるかが問題なのよね」
 ことに常識面においては、連れを信用しようとも思わない。
(まあいっか。おいてっちゃえ)
 彼女はあっさりあきらめることにした。どうせ合流の必要性を感じたら、向こうが勝手にこっちを見つけてくれるだろう。
 何度目かのため息をついてから、彼女は御者台を見上げてにっこり笑った。
「お言葉に甘えてのせてもらってもいい?」
「いいとも。ありゃ、あんた別嬪さんだねぇ」
「ありがとう。よく言われるの」
 さらりととんでもないことを言うと、彼女は手早く野菜のかごの間に空間を作って座りこんだ。
 ごとごとと荷馬車が動き出すと、青い空の下で、小麦の穂が風を受けて波を作りだしている光景が後ろに流れだす。
 こういう景色は悪くない。生きている感じがする。
「―――あんた名前は何て言うんだい」
「あ、ああ………あたし?」
 唐突に尋ねられ、タマネギの山の上に頬杖をついていた彼女は面食らったように問い返した。
 だが、次にふわりと笑う。
「あたしはリアよ。だけど親しい人はクーンって呼ぶわ」
 そして今度はため息をつく。
「―――そして、連れはユズハって言うのよ」

 それが、現在十数回目の迷子を決行中の、彼女の連れの名前だった。



 気が向いた方にふらふらと歩いていくのは、もはや癖とは呼べない癖だった。
 その際、連れの有無が問題にされたことはない。なぜなら癖の持ち主である当の本人が完璧にその事実を無視するからである。―――いまのところその被害にあっているのは、二年ほど前から一緒に旅をしている金髪赤眼の少女だけだったが。
 小麦畑の続く街道を抜けた先、街外れの雑木林とおぼしき場所で、ユズハは自分以外の人間の気配に首を傾げた。
 自我を持ってから短いとは言えない時間がすでに過ぎているだけに、物質界への具現化の融通や、魔力の使い方などの技術を獲得していたユズハだったが、唯一、表情筋を動かすことに関してはまったくの進歩がなかった。まあ、ようするに相変わらずの無表情なのだ。
 陽光に透ける葉の緑を見上げていたその視線が、木の陰に立つ少女に向けられる。
 さきほどからこの木立にある、唯一の人の気配だ。
 本来なら女性と呼んでもおかしくない年齢にも見えたが、ユズハにそのような判断はできない。
「―――呼んダ?」
 少女はユズハの問いに呼応するように軽く首を傾げた。純白の髪が動きにあわせて霧のように流れる。
 首を傾げたそのあと、少女はふわりと微笑んだ。
「 きれい 」
「キレイ?」
 ふわふわと笑ったまま、少女はユズハを見つめている。
 その細い指が、ユズハの頭上の緑を指さした。
「 ひかり 」
 空からこぼれ落つる、その欠片。
 ユズハはひとつまばたきをした。
 少女がもう一度、ひかり、とくり返して、それからまた言った。
「 きれい 」
「ン、そう。キレイ」
 ユズハが同意すると、嬉しそうに少女が笑って、すぐ目の前までやってくる。足下の小枝が踏まれて小さく乾いた音をたてた。
「 なまえ 」
「ゆずは」
 即答したユズハに、きょとんとした表情で少女が首を傾げる。
「 ユズ ハ ? 」
「ゆずは」
 律儀にユズハがくり返す。
 まじめな顔で少女がうなずいた。
「 フラウ 」
「じゃ、ふぅ」
 例によってユズハが勝手に名前を省略すると、何度かその省略形をくり返したあとで、フラウは納得したようにうなずいてユズハを林の奥の方へと引っ張った。
「 ユズハ こっち 」
「?」
 ユズハは黙って手を引かれるままについていく。
 リアが見ていたならば、間違いなく頭痛を覚える光景だった。



 食堂はある種、異様な空気が漂っていた。
 その異様な雰囲気の発信源のおおもとは―――奥のテーブルに座っているリアだ。
 それ以外にも、互いに声をかけるのを牽制しあっている食堂の男たちの視線が生み出す険悪な雰囲気もあるのだが、間接的に言えば、これも彼女が原因だろう。
 当の本人は、それらをキレイに無視した表情で、ひとり機嫌悪く食事をしていた。
 自分の父親譲りの顔立ちに男が騙されるのには、この二年でとっくに慣れてあしらいかたを覚えていたので、ああまたかと思っても、ここまで機嫌が悪くなる原因にはなりえない。
 機嫌が悪い原因はただひとつ。
 旅の被保護者が戻ってこないのである。いまだに。
 リアがユズハとセイルーンを旅立ってから、すでに二年の月日が流れていた。
 当初、彼女一人で旅立つ予定だったところにユズハが加わったのが、なんと出立当日。見送りに来てくれたアメリア王女の後ろから、クリーム色のローブ姿で現れて、行ク、と一言のたまってくれたのだ。
 アメリア王女もアメリア王女で、連れてってあげてください、と言うので、結局そのままなし崩しで一緒に旅をしている。
 旅立ってから初めて歩いた街道で、どうして自分についてくるのかとユズハに尋ねれば、

「くーん、だから」

 ―――全然、理由になっていない。
 だが、それは理由を持っていないということにはならない。―――ユズハに伝える気があってもなくても、相手に伝わらないだけで。
 少なくともその理由がわかるまでは、ユズハと一緒に旅をしようと思っている。
 ただ、ユズハはアメリア王女のものだと思っていたから、リアには意外だったのだ。  それは所有を意味するのではなく、ユズハを理解できるのはアメリア王女だけだと、六歳の頃から一緒に育ってきて―――厳密にはユズハは『育って』いないが――そう無条件に感じていたから、ユズハが旅についてくると言ったとき、首を傾げたのだ。
 十年近く一緒に育ってきていながら、これほど理解しづらい存在もいない。
 だから、旅していてわかるならいいか、などと簡単に思ったのだが。
 しかし。
「こーも頻繁に迷子になられたら、ついてきた意味を疑うわよ」
 冷肉サラダの真っ赤なトマトにぷつりとフォークを刺しながら、リアはぼそりと呟いた。
 なにせ、騒ぎを起こす名人である。
 尖った耳はハーフエルフと勘違いされて人さらいの標的にされるし、尖っていなくてもやたらめった可愛い顔をしているので誘拐されかける。とどめとばかりに本人は至って超然としていて騒ぎをひたすら大きくする。
 実年齢は十八歳で(そう思うたびに詐欺だとリアは思うのだが)、情緒面はともかく、年を得た分だけ能力の細やかさは身につけているのだから、ごく普通の少女に『化けさせる』という手もあるのだが、如何せん魔力の消耗が激しすぎて、常にそう装っていることができない。
 もともと存在自体が人為的なもので、自然界の理と反するところに在るものだから、存在維持の魔力を保つのに結構苦労しているようなのである。
 そのことを考えると、無理な注文はつけられない。
 だから、ハーフエルフの誤解や顔の可愛らしさで引き起こされる騒ぎぐらいは甘受しよう、とリアなりに思ったのだが。
 うろつかなければ引き起こされずにすむ騒ぎを、そう何度も起こされるとなると話は違ってくる。
「あのバカ精霊………」
 ほどよく焦げたチーズがふつふつ言っているグラタンをかきまわしそうになって、すんでの所でリアは自制した。―――焦げ目がホワイトソースにまみれてふやけてしまったグラタンは、彼女としてはかなり悲しいものがある。
 とりあえず、グラタンに罪はない。それどころか美味しかった。
 グラタンを片づけて冷肉サラダの残りをつまんでいたところで、リアは不意に横合いから声をかけられた。
「………あの、失礼ですが」
(………よく下心の牽制合戦をくぐり抜けてきたわね、この人)
 そう思いながら、ちらり、とリアが視線をやると、恐縮したようにその青年は会釈した。
 どうやらナンパではないらしい。
「あの、失礼ですが、魔法はお使いになれますでしょうか?」
「………………」
 しばらくのあいだ、黙ってリアは青年を観察していたが、やがて腰に()いた剣を指で示した。
「これ、見えてる?」
 リナ=インバースの娘ではあるが、リア自身は魔道を専門にはしていない。まあ、並みの魔道士より使えるという自覚はあるが。
 そのリアに尋ねられて、青年は生真面目にうなずいた。
「剣に見えます」
「そう、剣ね。わかってるなら、どうしてそんなこと聞くの? 魔道をかじった人間を捜すより、魔道士協会に行って本職に声をかければいいじゃない」
「この街の魔道士の方にはすべて断られました」
 そう言って、青年は目を伏せた。
 リアは食堂にいる地元の人間―――つまり店員と女将が青年を見ているのに気がついた。嫌悪と哀れみが混じった視線だった。
 どうやらこの青年、すでに何度か同じことをくり返しているらしい。
「………本職に断られるようなマズイ依頼を素人に頼もうっていうの? 感心できないわね」
「いえ。烈閃槍(エルメキア・ランス)さえ使えればいいんです」
 リアは軽く片眉をあげた。
 エルメキア・ランス―――精神世界面に働きかける精霊魔法で、相手の肉体に影響を及ぼすことなく、その精神のみにダメージを与えることができる。放たれた光の槍が人間にあたった場合は極度の神経衰弱を引き起こす。
 死にはしないという点で他の呪文に比べて平和的と言えないこともないが、それでも攻撃魔法であることに変わりはない。
 だが、それさえ使えればいいとは一体どういうことだろう。
「あなたは剣士のようですが、烈閃槍はお使いになれますか?」
「………………」
 もちろん使えるが、果たして使えると答えていいものかどうか、珍しくリアはためらった。
 結局―――。
「いいえ。あたしはこっちの比重が大きいのよ。そんな魔法は使えないわ」
 剣を示しながらリアがそう言うと、落胆した表情で青年はそうですかと呟いた。
「お騒がせしました」
「いえ」
「ところで、妹さんとかはおられますか?」
「………は?」
 依頼ができないと判断して、ナンパに切り換えたのであろうか。
 盛大に眉をひそめかけて―――リアはテーブルに突っ伏しそうになった。
「………ごめんなさい。いまあなた、あたしに『何が』いるって尋ねたの?」
「はあ、ですから、妹さんはおられますかと………」
「うあああああっ、嫌な予感ばりばり!」
 叫んで、リアは頭を抱えこんだ。
「ひとつ聞くわよ。あなた、今日、あたしより淡い色の髪に、焼けて真っ赤になった炭みたいな目の色しためちゃくちゃっ………可愛い女の子(に見える生き物)、見かけなかった?」
 リアの言葉に、青年は納得したように頷いた。
「ああ! やっぱり妹さんなんですね?」
「あーのーバカ娘ッ !!」
 金色の泡のような金髪を手でかきまわして、リアは勢いよく椅子から立ちあがった。
「すいません。それ、あたしの連れです。ご迷惑おかけしました。いまから引き取りますので………、………?」
 青年が驚いたような表情で自分を見ていることに気がついて、リアは首を傾げた。
「なにか?」
「あ、いえ。すいません」
 青年は額の汗をぬぐったあとで、謝罪した。
「娘さんでいらしたんですね! お若く見えたので勘違いをしました」
「違ううううううううううううううっっっ !! あたしは見た目通り十七よっっっ !!」
 リアは本心から絶叫した。
 そっちが引き取ってるほうが自分よりひとつ年上だとは、さすがに言えなかった。