Ria and Yuzuha's story : First access 【眩暈】 〔2〕
青年に案内されたのは町外れの小さな丘にあるこぢんまりとした家だった。
「あ、くーん」
その家のなか、火の入ってない暖炉の前に座っていたユズハが、リアを見あげて呑気に手をふってくる。
「アンタねえええええっ、『あ、くーん』じゃないわよッ。勝手にどこか行った挙げ句に他人様の家にやっかいになってる一言目がソレ !? 」
「くーん。怒らナイ怒らナイ」
「普通は怒るわよッ」
リアがなおもユズハに何か言おうとしたときだった。
白い影が二人の間に割って入り、涙をいっぱいたたえた目でリアを睨みつけた。
「 だ め ユズハ いじめ ない で 」
――一瞬、底知れぬ深遠の淵が口を開けているような錯覚を覚えた。
瞳孔と虹彩がほぼ同色をした、混じりけのない黒い瞳と純白の髪。
その取り合わせが、ある種異様な雰囲気を醸し出している少女だった。
「いや、別にいじめてるわけじゃ………」
気圧されたリアの背後から、困ったような声がした。
「フラウ、フラウ。違うよ。その人はユズハのことを心配しているだけなんだよ」
なだめるような声に、フラウと呼ばれた少女は青年のほうを涙で潤んだ目で見た。無言のまま目で青年に言葉の真偽を問うている。
「ほんとだよ」
青年が辛抱強くそう繰り返して、買い物の荷物の中から青い小花の花束を差し出した。
草の青臭さと独特の香りが鼻を突く。
それを目にした途端、フラウは機嫌を直したらしくリアに興味をなくし、静かに花束を抱きしめた。
「………料理に使うのかと思ってたわ」
リアが呟くと、青年は苦笑した。
「たしかに香草ではありますが、フラウが大好きなんです」
「はぁ………」
曖昧にうなずいたものの、リアはこの青年とフラウの関係をつかみかねていた。
最初の驚きから抜け出すと、フラウが少女ではなく女性と呼んでもいいような年齢であることに気づいたが、やはり印象や仕草が少女めいている。
しかし、それに騙されずによく観察してみると、青年とフラウは同い歳ぐらいだろう。
あれこれ詮索するのは行儀が悪いと思い直して、リアはユズハに声をかけた。
「ほら、ユズハ。帰るよ」
「ン」
ユズハがうなずいて立ちあがる。と、かくんと後ろに引っ張られて尻餅をつくようにまた座り直した。
「 だ め 」
見れば、フラウがユズハの服の裾をとらえて、静かな瞳でリアを凝視している。
「 ユズハ いく の だめ 」
「え………?」
めんくらったリアの背後で青年が困ったように嘆息した。
「実はフラウが妹さんのことを、ものすごく気に入ってしまったようなんです」
「………………そうみたいね」
ユズハをこの家に連れてきたのもフラウなのだと言う。
服を捕まえられているユズハが無表情にリアを見上げた。
「くーん。どうすれば、イイ」
「………………」
頭痛を覚えて眉間を押さえたリアの正面に、青年がまわりこんできて頭を下げた。
「すいませんすいません! どうか妹さんを今日だけ預からせてください! フラウにはよく言い聞かせますから!」
「………まあ、いいですけど………」
リアとしてはそう答えるしかなかった。妹じゃないと訂正をいれるのも面倒くさかったので放っておく。
帽子を脱がせないようによくよく言い置いてから、リアは一人で宿に戻った。
「――知らない人にフラフラついていくなんて、ユズハは何考えているのよ。なんであんなのがあたしより年上なんだか………!」
夜になって、枕をばすばす殴りながら気を発散させると、リアは一転して思わしげな表情になった。
あのフラウという女性。
純白の髪も珍しかったが、確実にリアより年上でありながら、言動がひどく幼かった。
そういう人がいることを知らないわけではない。
止むに止まれぬ事情で、心の成長が止まってしまったり、後戻りしてしまったりする人がいることは知っている。
おそらくフラウもそうなのだろう。
しかし、そのことよりも。
(あの漆黒の目………)
濡れて涙の膜におおわれて艶めいていた。目があった瞬間にぞくりとした。
黒目がちだと、人は表情が表に出にくい。それは黒目と白目の割合の他に、瞳孔と虹彩の色の違いにもそれは言える。動物などの目が、ちょうどそんな感じだ。
神秘的だと言い換えることもできるが、黒一色のフラウの目は、なぜかリアをぞくりとさせた。
こちらを見透すような真っさらな目だった。
何も混じるもののない、ただひと色の心。
―――鏡?
「ユズハと………ティルに、似てるかも………」
我知らず呟いて、リアはどきりとした。
馬鹿らしい。
ユズハはともかく弟のティルトを見ても、ぞくりとしたことなどない。
軽く頭をふってその考えを追い出すと、リアはさっさと寝ることにした。
翌朝、宿にやってきた青年―――昨日のうちにセイトと名乗っていた―――の隣りに、ユズハの姿はなかった。
セイトの表情を見るだけで、フラウがごねたのだということぐらいは予想がつく。
「ユズハは?」
「それが………目を覚ます前に寝台から連れ出そうと思ったんですが、急に起きだして………」
「セイトさん」
溜息混じりにリアは口を開いた。
「別に先を急ぐ旅というわけでもないから、数日はかまわないけど、いつまでもここにいられるわけじゃないのよ。別れづらくなる前にさっさと引き離したほうがいいと思うけど」
「はい………」
「なんならあたしが悪者役を引き受けてもいいから。いまからユズハを連れ出すわ」
「待ってください!」
強い調子で、セイトがリアを止めた。
驚いたリアの表情に、また恐縮したように顔を伏せる。どこが、と詳しく言葉にはできないが、セイトには全体的に暗い陰りが見てとれた。
「いえ、あの……」
やがて意を決したようにセイトは話しだした。
「昨日、フラウの様子を見てどう思いました?」
「どうって………」
「彼女、今年で二十三になるんです。数年前からあんな風になってしまっているんですけど」
「………………」
「フラウがああなってから、あんなに何かに執着したのは初めてで………。すいません。できれば、本当にいられるだけいてほしいんです」
リアはこっそり溜息をついた。
こういうものは同情すればいいというものではないし、していたらきりがないというのもある。
しかし、無下に断れるほどリアは薄情な人間ではなかった。母親以上に駄々甘だという自覚も実はある。
しばらく考えこんで、リアは何とか妥協案を見つけだした。
「なら、依頼にしてもらえるかしら。それなら、依頼料をあなたが払うあいだずっといるわ」
それがダメならばユズハを連れていく―――。
そう告げたリアの言葉に、セイトはためらいなくうなずいた。
「あまりお支払いできませんが………」
「あたしもたかだかあのへっぽこ娘を貸し出すのに、とんでもない依頼料を請求したりしないわよ」
リアは小さく肩をすくめてそう言った。
「でもそうなるとあたしはかなりヒマだわ。あなた、これからどこか行くの?」
「あ、はい。市場に………」
見ればなるほど、買い物かごを抱えている。
「あたしも連れていってくれない?」
セイトは驚いた表情をしたが、すぐに笑ってうなずいた。
「はい。よろしければ案内しますよ」
リアが立ち寄ったこの街は、街道の周囲一面に小麦の穂が揺れていたことからわかるように、農作物の生産が盛んな土地で、物資の流通も自然と農産物が主流となっている。
市場もセイルーンのような洗練された贅沢品を売る店は少なく、穫れた季節の果物、その果物を加工して作った菓子、麦藁を染めて編んだ雑貨品など、あくまでも素朴な日常の必需品などを扱っている露店が多い。
しかし、市独特の喧噪はどこに行っても変わりはなかった。
通りいっぱいに溢れる人と店。食べ物の匂いが入り混じる。たまには一人二人、旅の吟遊詩人たちが歌を唄っていたりもしていて、人の話し声と混じって大きなうねりのようになる。
そんなところは変わらない。ただ、売っている物が荒編みのかごいっぱいに積まれたジャガイモだったりカボチャだったり、穀物袋いっぱいに黄色いトウモロコシ粉が入っていて、そこに量り売りの器が無造作に突っこまれていたりするだけだ。
リアは、両親の旅を楽しむ才能を十二分に受け継いでいて、さっそく金色のバターをのせた熱々のふかしたジャガイモを頬張っていた。
彼女はセイトの後を付いて歩いているだけだが、セイトが案内もかねて色々な店や露店に寄ってくれるので、つまらないなどということはなかった。
ただ、どこにいってもセイトとの関係を訊かれるのには閉口した。
旅の途中でやっかいになっているだけだと繰り返し答えながら、リアはセイトの後に続いて市場を抜けた。
人混みを抜けて大きく息をついたリアは、セイトの腕の中に今日の夕食の材料であろう食材の他に、昨日とは別の花束を見つけた。
強くはないが、これまた独特の香りがする。
「それは?」
「ああ、これですか? これはロスマリンですよ。さっき寄った香草店で買ったんです」
「ロスマリン?」
「あっ、すいません。それはこのあたりの訛りですね。ローズマリーです。見たことありませんか?」
「ああ」
ローズマリーなら、リアも名前ぐらいは聞いたことがある。わりとポピュラーな香草だ。
納得しながら、リアは手渡された花束をしげしげと眺めた。
「あたしが普段見てるのは乾燥させたやつだわ。生葉と花は初めて見る」
リアはちらりと上目遣いに視線を投げた。
「あの、やっぱりこれもフラウさんが?」
「ええ。フラウが好きなんです」
セイトがうなずいた。相手が喜ぶ行いをしていることが嬉しくてたまらないと言った表情だった。
(ふぅん………)
リアはちょっと妙な気持ちになった。フラウとセイトの関係がますますわからない。
ローズマリーの束をしまうと、セイトはリアに問いかけた。
「市場じゃないんですが、寄るところがあるんです。リアさんはどうします?」
リアは少し首を傾げて考えこんだ。
相変わらず自分はヒマだ。
「そこ、あたしが一緒に行ってもいい?」
「ええ。かまわないと思います」
「なら一緒に行くわ」
セイトに連れてこられたのは、彼の家があるところとは別の町外れだった。
森と小川が近いらしく、濃密な草の匂いと水気がする。
リアとセイトが訪れたとき、草木に囲まれるようにして建っている家の扉から、ちょうど主とおぼしき人物が姿を現したところだった。
「先生!」
セイトの声に、その人物は顔を上げる。
髪がかすかに揺れた。色は銀。鏡のような金属の色だ。
リアは小さく息を呑んだ。
その顔の上半分は布でおおわれていた。目隠しをするように、幅の広い厚い布をきちんと折りたたんで顔に巻きつけている。
年をとっているようには見えない。布に隠れていない顔の下半分はとても綺麗だ。おそらく、かなり端正な顔の人。
その人物の口もとが微かに笑みの形を作った。
「セイトですね」
やはり見えてはいないらしい。
声は女性のものではない柔らかみを帯びてなめらかに響く。
(男の人だ………)
リアの足元で枯葉が乾いた音をたてた。その音に、青年の顔がこちらのほうを向く。
見えてないはずなのに、見られている。
どういうわけか、心臓が跳ねあがった。
「どなたか御一緒でしたか? フラウではありませんね」
「わかりましたか」
セイトが笑って告げた。
「旅の方で、リアさんといいます」
続いてセイトがリアのほうに青年を紹介しようとするのを手で押しとどめ、彼はリアに笑いかけた。
「こんななりで驚かれたでしょう。初めまして。ゼフィアと言います」
―――それが、出会いだった。