Ria and Yuzuha's story : First access 【眩暈】 〔3〕
そのあとすぐに、リアとセイトは家のなかへと招かれた。
彼はこの町に数年ほど前から薬師として住みついているのだという。フラウについては、薬とまではいかないまでも、鎮静効果のある香茶などを長い間調合して渡しているので、病状についてもよく知っているらしい。
セイトは切らした香茶を受け取りに来たのだという。
「すっごい匂い……」
セイトの後に続いて扉をくぐったリアが開口一番に発した言葉はそれだった。
匂いひとつだけ取りざたするならそれほどでもない。それどころか、香草薬草の発する清々しい芳香と言うこともできる。
しかし、それら全部が混じり合い、なおかつ乾燥中の生葉の青臭い匂いやら何かの黒焼きの匂いやらが混じり合って、とんでもない匂いに変化している。
リアたちをなかに案内したゼフィアは馴れた様子で障害物を避けて歩きながら、戸棚に手をかけた。
「どうしても消えないんです。これで香とかを焚いてしまうと、ますます収拾がつかない匂いになりそうなんで我慢してください」
手探りで、なかに収めてあった大口の瓶を取り出しているゼフィアにリアは問いかけた。
「あなた、目が見えないのに薬師をしているの?」
「眼病が再発したのは一年ほど前ですが、本格的に見えなくなってきたのは最近です。もうすぐ薬師は廃業します」
あまりに穏やかに言われたので、リアはうっかり聞き流すところだった。室内を見回してみれば、なるほど、たしかにあちこちでまとめかけの荷物が置いてある。
セイトが無念そうな表情でゼフィアに訪ねた。
「やっぱりやめてしまうんですか?」
ゼフィアは困ったように笑う。
「こんな目では、薬を調合するどころか普通の生活すらおぼつきません。香草の配合比を書いておきましたから、役立ててください。もっとも、あなたは暗記しているでしょうが」
ゼフィアは瓶ごとセイトに差し出した。慌ててセイトがそれを受け取るためにゼフィアのそばまで歩いていく。
香草茶の葉が入った瓶を受け取ったセイトが真摯に言い募る。
「お願いです、先生。魔法を使ってくれる人が見つかるまで、どうかフラウを看てやってください。僕が、毎日食事とか届けにきますから」
(魔法?)
たしか、初めて声をかけられたときにも、そんなことを言っていなかったか。
聞きとがめたリアがセイトに問いただす前に、ゼフィが静かに口を開いた。
「セイト」
顔の半分が布に覆われているので、どんな表情をしているのかがわかりにくい。しかしそれでも、その声を聞くだけで布の下で沈痛な顔をしていることは明らかだった。
「セイト、その方法はダメだと言ったでしょう。そんなことをしてもフラウは治りません」
「先生はもしかしたらそれで治るかも知れないと言ったじゃないですか」
「奇跡が起きたら、です。口を滑らせました……」
言い争っている二人の会話を聞いていたリアは、セイトの依頼の目的を理解した。
軽く扉を叩いて二人の注意をひくと、セイトを見据える。
「もしかしなくても、あたしに烈閃槍が使えるかと訊いてきたのは、それをフラウさんに向かって撃たせるためなの?」
それを聞いたゼフィアの顔色が変わった。
「もしかしてセイトの依頼を承諾してしまったんですか !?」
してないと答えるひまもなく、ゼフィアがリアに詰め寄った。途中で本の山にローブの裾が引っかかって崩れてしまったが、全然気づいていない。
「やめてください。烈閃槍を使えるほどの技術をお持ちならわかっているはずです。そんなことをしても彼女の心が戻ってくるわけがないんです」
「やめるもなにも、依頼されたけど断ったわよ。ゼフィアさんにはわからないだろうけど、あたしは腰に剣を佩いてるの。そっちのほうで食べてってるわけ! 魔法はあまり使えないってば!」
見えていないゼフィアに、思い切り近くまで顔を近づけられて、リアは慌てて彼を押しのけた。
エルメキア・ランスは使えないと聞いてゼフィアは安心したらしく、大きな溜め息をついた。
「それは何よりです」
「全然何よりじゃありません!」
セイトが顔を真っ赤にして叫んだ。
「先生が言ったんですよ! フラウの心がこっちに帰ってくる見込みは少ないって。僕はフラウが治るんだったらどんなことでもやります」
その口調の異常さにリアは顔をしかめた。
高熱に浮かされたうわごとように、ただその想いだけがとめどなく溢れだして周りの空気を病ませている。
ひたむきなことだけは理解できるが。
その思考の狡さに彼自身が気づいているのかどうか。
手を汚すのは―――フラウに向かって攻撃呪文を放つのは、セイト自身ではないと言うことを。
失敗したときに、罪悪感を抱くのは撃った魔道士であるということを。
―――たしかにこれは、誰に頼んでも断られる依頼だろう。
食堂でセイトに向けられていた憐れみの視線の意味を、リアはようやく理解した。
「セイト、私は見込みは少ないと言いました。しかし、それはフラウの心の傷が癒えるのに時間がかかるということです。傷が癒えればフラウは自分で自分を取り戻すでしょう。どうしてそれまで待ってやれないんです」
「待っています。待つつもりです。ただ、前にも言ったとおり、治る可能性があるならどんなことでも試してみたいんです」
以前からこんな堂々巡りをくり返しているのか、ゼフィアは疲れた表情で首をふった。
「………どちらにしろ、患者を途中で放りだすような薬師が言えることじゃありませんね。
―――調合したお茶はそれで全部です。配合比を書いた紙はテーブルの上ですから」
「ありがとうございます。僕はこれで」
理解してもらえない不満を全面に押し出したままで、セイトが外に出ていった。
リアは彼について自分も出ていくべきか迷い、結局ここに残ることにする。
「どうしました?」
出ていった気配がないことを悟ったのか、ゼフィアがリアにそう訊ねた。
「一応ここまで連れてきてもらったけど、一緒に出ていく理由もないから。宿は別に取ってあるし。まあ、セイトさんに預けてあるユズハの様子を見に行かなきゃいけなくはあるけど」
「セイトのところに誰か?」
ゼフィアが首を傾げた。
「そもそも、依頼を断ったのなら、どうして彼と一緒に?」
「ええっとね………」
そこでリアは、連れがフラウに気に入られてしまい、いっこうに別れたがらないので依頼として期限を設けて、この街に滞在していることをゼフィアに話した。
「フラウが、人を………?」
呟くと、ゼフィアは黙りこんでしまった。
その沈黙にリアは焦れて話しかけた。
「ねえ、よかったら事情を説明してほしいんだけど。でないと、あたしと連れ、いつまでこの街にいればいいのか見当もつかないから」
ユズハの耳がばれて、エルフだと勘違いされるぐらいならいいが、万が一、種族すらなく、魔族に近い生き物だと知れてしまうとやっかいだった。
「………いいでしょう。あなたには迷惑をかけてしまっているようです」
溜息混じりに、ただし、とゼフィアは続けた。
「そのユズハさんについて、私からもいくつか質問させてください」
珍しい話ではなかった。しかし、しょっちゅう聞く話でもない。当然ながら気持ちのいい話でもなかった。
商いをやっていたフラウの家族は三年前、仕入れを兼ねた旅行の帰りに盗賊に襲われて惨殺された。
街の近くで襲われたため、衛兵や街の自警団の者らが駆けつけるのも早かったのだが、それがフラウにとっては負の方向に作用した。
慌てた盗賊たちは、人身売買の商品として生かしておくつもりだった彼女や彼女の母と弟を、口封じのために斬りつけたのだ。
そのときすでに、父親と護衛として雇った者たちは事切れていた。
母親と弟が殺され、最後にフラウが斬られる寸前に衛兵が到着し、彼女はただ一人の生存者として助け出された。
彼女だけが。
淡い茶色だったフラウの髪は純白になった。
そして、常に子どものようにふわふわと笑うようになった。
「そのときまで、セイトはフラウの存在を知らなかったんですよ」
ゼフィアの言葉に、リアは首を傾げた。
それが見えていたわけでもないだろうが、彼は言葉を続ける。
「ごらんの通り、そう大きな街ではありません。当時の神殿の神官は復活が使えませんでした。そして小さな街ですが、住人全員が顔見知りというわけでもありません。セイトは、私の助手だったんです」
運びこまれたフラウは、治癒と薬の併用で治療するしかなかった。
薬師はこの街には彼しか存在せず、ゼフィアを中継するようにして、セイトはフラウと出会った。
その頃はまだ彼の目も視えていて、二人で何度となくフラウの怪我を看るうちに、やがてセイトが彼女を愛するようになった。
怪我は癒えたものの、幼子のようになってしまったフラウを引き取ることに彼女の親類が難色を示したため、セイトが彼女を引き取って一緒に暮らすようになり、そうして現在に至る。
「フラウの家族になるんです、とセイトは口癖のように言っています」
セイト自身も養父母に育てられたという背景を持つためか、彼はそのことに異常に執着しているのだという。
フラウの心を治し、喪われた家族に代わって、一緒に暮らす。
数年前から、彼はずっとそのことだけを言い続けている。
「そうして、一年ほど前になるでしょうか。見かねた私がついうっかり口を滑らせてしまったんです。精神系の精霊魔法で何とかできないだろうかと」
そのときのことを思い出したのか、彼は深々と溜息をついた。
ゼフィアにもわかっている。
あの頃は、ちょうど自分の目の病が再発したときで、彼自身にも余裕がなかったのだ。このままフラウを看ていることができないと思い、焦っていた。
だから、確証すらない思いつきを口に出してしまった。
それにセイトが激しく反応した。
二年間、無為に時を過ごしてきたセイトは、それこそ片っ端から魔道士や神官に精神系の精霊魔法でフラウが治る可能性を問いただしてまわった。
どの者も、明確な答えは出せなかった。そんな話は聞いたことがない。もしかしたら治るかもしれないが、その可能性は限りなくゼロに近い。失敗すれば廃人になる。ならば危険性を考えるだに、やるだけムダなこと―――。
そう言う答えが出されたことをセイトから聞かされたゼフィアは、ほっとした。まさか、そのゼロに近い確率に賭けて、セイトが魔道士を探し始めるとは思わなかったのだ。
「何かに縋り付いているように思えます。ただひたすら烈閃槍を撃ってくれる魔道士を探しまわっている………」
街の魔道士協会の魔道士たちに断られ、旅の魔道士にも断られ、ついには彼自身が魔道を学び始めたが、そのころすでに魔法を撃って恋人を正気に戻そうとしているセイトのことは有名になっており、すぐに魔道士協会は彼に魔道を教えることをやめた。
そして、とうとうゼフィアの視力は日常生活に支障をきたすほどに悪化し、彼は生活の保護を求めて、薬師を止め、もと居た神殿に帰るしかなくなった。
当然、セイトとフラウを同行させるわけにもいかない。フラウはこの街を離れたがらないし、そのフラウを置いてセイトが動くわけがない。
眼病の完治をなかばあきらめているゼフィアの心残りは、この二人のことだった。
「だから、ユズハさんのことをお聞きしたいんです。セイトもあなたに言ったと思いますが、フラウが誰かに興味を持つなんて初めてです。良い兆候ですから」
長い話を語り終えたゼフィアは、その視線をリアの方へと向けた。
見えていないはずなのに、見えているときよりもはっきりと視線を感じるのは、その目が布で隠されているせいかもしれない。
これ以上の病気の進行と視力の悪化を防ぐために、有害となる太陽光線を布で遮っているとのことだったが、顔半分を隠すことによって、より静謐な印象が際だっている。
「ユズハのこと?」
リアは顔をしかめながら聞き返した。
いったいあの半精霊のことを何と説明すればいいのだ。どんな性格ですか、などと聞かれてもどう答えればいいのやら。ひたすら言葉を探して唸るしかない。
「変わった名前ですけど、女性ですよね。歳はどれくらいなんですか?」
「(一応、建て前上は)女よ。歳は……は、八歳くらいかしら」
「どうかしました?」
さすがに耳聡い。
「いえ。何でもないわ」
まさか自分よりひとつ年上の十八歳ですとは言えない。今後もしゼフィアとひきあわせるようなことになれば、フォローのしようがない。性別がないなんて、口が裂けても言えない。
「そんなに小さい子をつれて旅をしているんですか?」
ゼフィアは違うことに驚いたようだった。
「リアさんはさっき剣を生業としてると言ってませんでしたか。ユズハちゃんを連れてそんなことをしてまわっているんですか?」
「あああっと、えっと……」
相手を焦がしてくれて助かってますとは、言えない。
ゼフィアにはこちらの表情が見えていないのだから、いくらでもごまかしようはあるくせに、どうしてこんなにも慌てているのか、リア自身にもわかっていなかった。
「預かってるの。母さんたちの親友の人たちが引き取る予定の子で、あたしはそこまでの護衛を頼まれたの。ちょっと複雑な生まれだから、情緒面にすごい問題があって」
嘘は言っていない。嘘は。
ゼフィアは苦笑したようだった。
「前半は嘘で、後半は本当でしょうね」
思わずリアは絶句する。
「なまじ視えない分だけ、声で相手をはかってしまいます。すいません」
ゼフィアは謝罪したが、こちらが謝られることではない。
リアは潔く謝ることにした。相手を目が見えないと思って侮っていたことは間違いがない。
「ごめんなさい。でも、これ以上詳しくは言えないわ。どんな子か知りたいなら実際に会ってみてくれる?」
「ええ。ぜひ、会いたいと思います」
ゼフィアはそう言って、その日の話を締めくくった。
「ゼフィが最後にフラウを看たいから、明日連れてきてって言ってたわ」
夕方、セイトに家を訪れたリアはそう告げながら、暖炉の前に敷いた敷物の上で遊んでいるユズハとフラウを横目で見た。
フラウはただじっとしているし、ユズハはそれに付き合って、首を傾げながらも同じく真向かいに座りこんでいる。果たしてこれを遊んでいるといっていいものか。
窓から射しこむ夕日が、部屋の中にある白いクロスがかかったテーブルを鮮やかな朱色に染めあげている。
フラウがじっとそれを見つめて、ときどき「 きれい 」と呟いていた。
「先生が……わかりました」
フラウはユズハを離さないだろうから、必然的にゼフィアとユズハは顔をあわせることになる。
「リアさんは、明日はどうされるんですか?」
「依頼を受けたわ。ゼフィから」
あっさりとリアはそう答えた。
「え?」
「いい加減あたしもヒマだし、ゼフィに頼みたいことがあるって言われたから引き受けたの。荷造りの手伝いと、持っていかないものの処分。あなたがもらうものを選んだ後で売る店に持ち込むから、明日はあなたも来てって」
依頼を受けた際に、ゼフィと呼んでほしいと言われたので、リアもクーンと呼んでくれるように頼んでいた。どうも、リアと呼ばれると母親と間違われているような気分になるのだ。
呆気にとられたように立っているセイトを無視して、リアはユズハに声をかけた。
「ユズハ、元気?」
「んむ。動いてイル」
「……じゃ、また明日ね」
元気かなどと訊ねてしまった自分を責めつつ、リアは宿に帰った。
――どうしてフラウはユズハを受けて入れているのか。
ベッドに寝転がって天井を見上げながら、リアは考えた。
(それはユズハが人間ではないから?)
現実ではないから。
フラウにとって、現実は惨劇のあった過去からの延長にしかなく、彼女は過去を否定している。
だから現在も否定する。
しかしユズハは非現実的だ。
本来、在りうるはずのない存在だからこそ認識する。
それはつまり。
「………ただひとつの接点だわ」
自分の世界を築きあげてしまったフラウと、彼女とは違う世界に身を置いている自分たちとを繋ぐ、どちらにも存在しうる存在。
在りえないからこそ、在りえているという矛盾。
(だからといって、いつまでもあたしはここにいるわけにはいかない)
「?」
リアは不意に眉をひそめて、一瞬前に思考を通り過ぎた独白を巻き戻した。
(いつまでもここにいるわけにはいかない)
だれが?
少なくとも自分は、だ。
「 !? 」
リアは思わずベッドから跳ね起きた。
自分の思考の矛盾点に愕然とする。
そうだ。
いつまでもここにいるわけにはいかないのはリア自身であって、ユズハではない。
ユズハはどっちでもいい。
なぜ、自分はいるわけにはいかなくて、ユズハはどっちでもいいのか。
自分に関しては簡単だ。そうしたくないからだ。あてがないとはいえ、旅の途中だからだ。
ならばユズハは。
―――束縛されていないからだ。
アメリア王女の元にいたときはともかく、ユズハは自分からそこを出てきてリアの旅についてきた。リアがここに留まり続けたくないのと同じく、ユズハにも自分自身の意志がある。
もし、ユズハがフラウと共にいることを望んだら。
(どうなるの?)
リアは自問する。
ユズハがどうなるのではなく。
(あたしが、どうなるの?)
ユズハは自分と一緒に行動し、共にいるものだと無条件でそう思いこんでいた。
そんな根拠はいったいどこにある?
(どうなるの?)
金の巻き毛が肩から滑り落ちて左右の頬にかかる。
ユズハが、アメリア王女やゼルガディスを含めた『自分たち』から離れていくなどという予想は、彼女の想像範囲内を遙かに越えていた。
リアはきつく顔をしかめた。
―――どうして、『くーん、だから』なの?
ユズハが『くーん』を選んだ理由。
クーン自身にはまだ、それがわからない。