Ria and Yuzuha's story : First access 【眩暈】 〔終〕

 それから、リアは宿の部屋から一歩も出ることなく、寝具に埋もれるようにして数日を過ごした。
 魔法を撃った状況が状況だったため、最悪の気分だった。
 精神状態が悪化したとき、どのように時間を過ごすかは人それぞれだが、彼女の場合はベッドで埋もれるようにして、起きる気力すらなくじっと時をやり過ごす。
 昔からそうで、リアがいったんそうなるとリナやガウリイは声をかけることなくただひたすらほっといてくれた。
 そうして、彼女がようやくベッドから出てくると、何事もなかったかのように日常生活に引きずり戻してくれるのだ。
 柔らかな敷布にくるまっている間、リアのところにやってくるのはティルトとユズハくらいのもので、気を滅入らせている原因の大半はこの弟だったから、ティルトが来た場合、回復には時間がかかったが、それでも、まどろんだり天井を見つめている間に何とかなっていた。
 ここ数日、リアが枕と布団の間にうずくまっている間、ユズハはそれこそ人形のように椅子に腰かけたきり動いていなかった。リアが何もしようとしないので、自分が動く必要性が見あたらないらしい。
 リアの指が敷布の皺をゆるくなぞる。
 泣いているわけではない。気分は最低だったが、泣きたいわけではなかった。
 後悔しているのでもない。後悔は自省とは違う。リアは後悔の必要性を認めていない。
 落ちこんでいるのだろうか?
 それはそうだろう。でなければ、こんなに何日も外に出ないなんてありえない。ここまでの状態は久々にきた。
 だから、その原因は―――。
 リアはわずかに頭を持ちあげた。
「………ユズハ」
「ン」
「あたし、どう?」
 曖昧な、疑問の内容の定義すらなされていない問いに、ユズハはそれでも明瞭な答えを返してきた。
「くーん」
「そうね」
 寝そべるように上体を起こして、リアはベッドに肘をついた。ふりかかる髪をわずらわしげにかきあげる。
「ねえ、どうしてあたしは落ちこんでるんだと思う?」
 言って、リアは再び枕に顔を埋めた。
「いい。答えなくていい。馬鹿なこと聞いたわ」
「ン」
 ひどく眩暈がする。ユズハの姿が一定しない。
 ユズハが姿を変化させているのか、それとも自分の視界がおかしいのか―――答えはいうまでもなく後者だ。ここ数日ろくに食事をした記憶がない。
 どうやら、精神状態が復活する前に体の限界が来たらしい。
 頭を持ちあげて、リアは盛大に舌打ちした。
「………最低」
「何が最低なんです?」
「何がって自分が…………ッ !?」
 本格的に、自分はどうにかしているらしい。
 リアは愕然としてベッドから跳ね起きた。再び眩暈に襲われるが、何とかこらえる。
「ぜあ?」
 ユズハの淡々とした声が、訪問者の正体を言い当てた。
 流れるような銀の髪。
 それが目に入った瞬間、リアは自分自身のなかの原因と向き合った。
 ―――罪悪感。
 彼をを裏切ったから。
「たしかに、最低の体調の声をしていますね」
 顔の半分を布で隠した薬師は、にこりともせずにそう言った。



「どうして、ここに?」
「呼び出したら、出て来れましたか?」
 逆に問い返されて、リアはしばらく沈黙した後で首を横にふった。相手にそれが見えないことに気がついて、声に出す。
「………たぶん、ムリだわ」
「だから来ました」
 リアはベッドの上に座りこんで敷布を握りしめた。ものすごい状態の自分の姿を見られていないことに、わずかに安堵もする。そのあたりはゼフィアもわかっているのだろう。寝室に踏みこむ無遠慮さを、わざと無視しているように見受けられた。
 リアは、小さく呟いた。
「………何をしにきたの?」
 その問いに、ゼフィアは困ったように溜息をついた。
「愚問です」
「そう」
「ここに来ようと思ったきっかけは、宿屋の女将さんにお客が寝込んでいると言われたからなんですけどね」
「は?」
 思わずリアが間抜けな声で聞き返すと、ゼフィアは自分で適当に椅子を探し当てて手元に引き寄せて座った。
「それだけなら処方を書いて渡すだけなんですが、どうもそれがリアさんらしいと聞いて連れてきてもらったんです。連絡もとれなくなっていましたし」
「………クーン、でいいって―――」
「そうでした」
 ゼフィアは苦笑して名前を呼び直した。
「フラウが精霊魔法を受けたそうです」
 さらりと話の続きのように言われたことに、リアは身を竦ませた。
 あれからどうなったのかリアは知らない。セイトに連絡もとっていなかった。
 我ながら無責任だと思うが―――知りたくも、なかった。
「やはり、治らなかったそうです。魔法の威力が弱めてあったので廃人にもならずにすみました」
「………そう」
 のろりと返事をしたリアに、ゼフィアは黙って顔を向けていた。その目が隠されていなければ、きっと目を細めているのだろう。
 穏やかに声が紡がれる。
「魔法、使えたんですね」
「………ッ!」
 リアは小さく息を呑んだ。
 やはり、ゼフィアにはわかっていたのだ。もしかしたら、セイトが直接報告に来たのかもしれない。
「ごめんなさい」
 ゼフィアは首を傾げた。
「何で謝っているんです?」
「嘘をついていたから」
「ああ」
 納得したようにゼフィアはうなずくと、不意に微かに微笑んだ。
「どうして嘘をついたんです?」
 そこに詰問の口調は欠片もなく、それどころか質問自体が本来の目的ではないような気配すら匂わせていた。
 ゼフィアの意図が読めず、リアは顔をしかめながら答えた。
 眩暈はまだ、治まらない。
「セイトさんに、そう嘘をついたからよ」
「ということはクーン、あなたは撃つつもりはなかった」
「………結果的に撃ったわよ」
「そうですね」
 あっさりとゼフィアは同意した。
 いったい、彼はわざわざここまで見えない目で何をしにやってきたのだ。
 リアはしだいに苛立ってきた。
 なじるならさっさとなじってほしいし、その気がないなら、ほっといてほしい。
「まだ、御礼を言っていませんでした」
 唐突に話が飛んだ。
 リアは見えていないのをいいことに、再び盛大に顔をしかめる。
「フラウを、助けてくれてありがとうございます」
「――――!?」
「あなたではなく、セイトが見つけてきた魔道士が撃っていたなら、あなたの言うとおりフラウは死んでいたでしょう。ですから、その御礼です」
 リアが何も言えずにいると、静かにゼフィアは続けた。
「でも………できるなら、撃たずにいてほしかった」
「………………」
 リアはわなないた唇を引き結んだ。
 違う。泣くはずではない。泣いてどうなる。自分は泣くことで慰められたいのではなくて。謝って胸をなでおろしたいのでもなくて。
 こんなとき、どうすればいいのだろう。
 リアが答えを探しあぐねているうちに、ゼフィアが言った。
「だからそのことを忘れないうちに、とりあえず起きてきてください」
「くーんは、忘れナイ」
不意にユズハがぽつりとそう呟いた。
 リアが驚いてそちらを見やると、床に届かない足を椅子の上でぶらぶらさせながら、ユズハは再び同じことをくり返した。
「くーんは、忘れるようなコト、ナイから」
 ゼフィアが安心したように微笑んだ。
「そうですか」
「ン」
 タイミングよく、宿の女将が湯気のたっているカップを盆にのせて部屋のドアを開けた。
 テーブルの上に置かれたそれに、リアは戸惑ってゼフィアを見る。
「これは?」
「最初に言ったでしょう? 私は寝込んでいる客がいると聞いて来たんです。これを飲んだらさっさと寝てください」
 ゆるく結わえた銀髪を手で後ろに流しながら、ゼフィアが椅子から立ちあがる。
 リア手にしたカップのなかには、湯とブルーリーの実が入っていた。微かに薄荷の匂いもする。
「ねえ、ゼフィ」
 女将の手を借りて部屋を出ていこうとしたゼフィアは、女将に断りをいれて先に行かせるとリアのほうをふり返った。
「なんです?」
「セイトさんとフラウさんは………ずっと、あのままなのかな………」
 ひとくち口にしただけで、眩暈はすでにゆるやかな眠気へと変わりつつあった。視界が一定しない原因も、別のものへと変わりつつある。
 リアの脳裏に、木漏れ日の中の光景が断続的に浮かび上がった。
 フラウは笑っている。セイトも笑っている。金色の木漏れ日は二人を綺麗に飾っている。このうえもなく幸せそうなのに、決してその光景から違和感が消えることはない。
 重ならない世界。
「――――ません………」
 ゼフィアの答えがひどく遠くから聞こえた。
「とりあえず………まは寝て……さい。起きたら依頼が……ますから」
 聞こえない。
 しかたなく、リアはそのままゆっくりと目を閉じた。
 ユズハが隣りにもぐりこんでくる冷たい感触がした。



 たっぷり二日ほど寝続けてリアが目を覚ますと、仕事の依頼が待っていた。
「護衛? あたしが、あなたを、ライゼールまで?」
「イヤならかまいませんよ。私は見ての通りこんな目ですから、控え目に言っても普通の護衛の仕事より面倒くさいものになるでしょうし」
 ゼフィアがもと居た神殿が、ライゼール帝国にあるのだという。
 軽くひと月はかかるだろう。それを見越した依頼料の額ではあったが、なにぶん遠い。
「あなたは強いのでしょう?」
「たぶん、そこらへんのよりは」
 家族の中ではいちばん弱いと思うけど。
 そうこっそり付け足したあとで、リアは少しの間迷ってからうなずいた。
「別にかまわないわ。ちょうどライゼールに知り合いもいるし、会いに行くのもいいかも」
「ユズハちゃんはどうなんです?」
「ン、行く」
 ユズハが提案された行き先に反対したことなど、これまで一度もない。例によって、今回も何の反対もせずにうなずいた。
「ぜあ、ぜあ」
「何です?」
「ちゃん、てナニ。ゆずは」
「………………」
 さすがにこのブツ切り状態の言葉では理解不能だったらしく、ゼフィアはリアのほうに顔を向けた。
「たぶん、ちゃん付けを止めろということじゃないかと思うけど……」
「なるほど」
 曖昧にゼフィアがうなずいた。
「で、いつ出発するの?」
「明日にでも」
 リアは少し冷たくなってきた風に舞う落ち葉を、目で追った。
「………セイトさんとフラウさんは?」
「もう、私がいてもいなくても、何も変わりはしないでしょう」
「………そうね」
 答えて、リアはゆっくりと目を伏せた。


(あたしはどうするのが正しかったのかしら?)
(もしかしたら)
(あたしこそ、ゼフィにお礼を言わなければならないんじゃないかしら)
(撃たないでほしかったと、敢えて言ってくれた彼に―――)


 秋は、もうすぐ終わるだろう。
 巡らせた視界のなか、ユズハの髪に枯葉がからみ、すぐに落ちていくのが見える。
 なぜだか、無性に家族に会いたくなった。