Ria and Yuzuha's story : First access 【眩暈】 〔5〕
「―――ンなわけないでしょ。あんた寝ぼけてんの?」
娘の質問を聞くなり、母親はそう言った。
呆れた表情で隔幻話の向こう側から、娘の顔を見ている。
ゼフィアの代理として街の各店に薬草やら道具類を売り払うのには、三日ほどかかった。ほとんど暇つぶしを兼ねた依頼だったので、依頼料もたいした額をもらってはいない。
その依頼が一段落した今日、リアは魔道士協会におもむき、セイルーンの協会にヴィジョンを繋げてリナを呼び出してもらった。それが一時間前の話である。
魔道士協会から連絡を受けて、セイルーンから折り返し隔幻話を繋げてきたリナに、烈閃槍を撃つことで心の病が治ることはあるのかと問うた途端の回答がこれである。
「やっぱり、ダメよね」
リアの言葉にリナは渋面でうなずいた。
「当たり前でしょ。だいたいどこのどいつが攻撃魔法を人畜無害な一般人に撃ってみようなんて考えるのよ」
「……それは、そうなんだけど」
よほどリアは憮然とした顔をしていたのか、彼女を見てリナは嘆息した。
これから旅立つつもりだったのか、その出で立ちは見慣れた魔道士姿となっている。両手首にはこれまた見慣れた呪符。
手袋に包まれた指先を反対側の肘にからめるように腕を組んで、リナは話しだした。
「あんたも考えたからわかってるんでしょうけど、奇跡的な確率でしか成功しないと思うわよ、そんなこと。不可能って言ってあげた方が親切よ。たしかに烈閃槍は精神系の魔法だし、何かイヤなことがあって事実や現実がわからなくなることも精神の状態の一種ではあるけど、そんなこと言ったら、修行によって悟りを開いた神官とか、頭打って記憶喪失になった人とかも烈閃槍ぶちかませば、凡人に戻ったり記憶が戻ったりすることになるわよ」
「…………」
「病も悟りも記憶喪失も、精神活動という枠ではくくれるけれど、さらに細かく別れているわ。それを烈閃槍でなんて―――乱暴すぎるわね。ショック療法にもほどがある。壊れたからくりは叩けば直る、なんて言っているのと一緒よ。心はからくり仕掛けじゃないわ」
「うん、あたしもそう思ってる。念のために訊いてみたの」
答えたリアの顔を隔幻話越しに眺めやって、リナは軽く目を細めた。
「何を考えているの?」
「………別に何も」
母親の鋭さに内心舌を巻きながらリアは平静を装った。
「まあ、奇跡が起きたら何とかなるかもしれないけど、それでも最初からなかったことにはならないからね。穴を埋めた部分は埋めた形で跡が残るのよ。それから言ったら、穴なんか空けないのがいちばんなんだけど」
リナは何でもないような口調で続ける。
「あんたも穴なんか空けんじゃないわよ。失くせないと思うものがあったら、死に物狂いで引っつかんでおくことよ」
「今日は何だか説教くさくない?」
リアが顔をしかめると、リナは肩をすくめた。
「あんたが妙なこと訊いてくるから話が横滑りしただけよ。まったく、久方ぶりに連絡をよこしてきたかと思ったら、珍奇な相談を持ちかけてきたわね」
不意にこちらを推し量るような表情を見せて、リナは微笑した。
「横滑りついでに聞いてみようかしら。―――あんたの失えないものってなあに?」
冗談めかした母親の問いに、リアの眉間に盛大な皺が寄った。
「母さん? それ隔幻話で話すようなこと?」
「違うけど。どこかの放蕩娘は十五で出てったきり一度も帰ってこないし、ついでに聞いてみてもいいかと思って」
で、どうなの―――と隔幻話の向こう側で母親は追求の姿勢を崩さない。
リアはしばらく唸ったあげく、こう答えた。
「母さんたち………ってことにしておく」
「あら、ありがと」
軽い口調で礼を言ったあと、リナは唇を歪めた。
「あんたがまだ子どもで安心したわ。放蕩娘さん」
だんだん母親との会話にいらついてきたリアだったが、その言葉に反射的に問い返していた。こういうあたりが子どもなのかもしれない。
「じゃあ、母さんのは何なのよ?」
「昔はあんたの父親だったわよ」
臆面もなく言ってのけたが、内容が微妙に聞き捨てならない。先ほどからリアの眉間には皺が寄りっぱなしである。
「昔は?」
「今は世界ってとこかしら」
「なんでそんなやたら壮大なことになってるの」
「あら、わりと謙虚だと思うわよ。あたしを中心にした世界なんてたいした広さないもの」
「悪いけど、さっぱりわからないわ」
リナは笑い、ふと真顔になった。
「とにかく、妙ちきりんな相談もちかけるより、さっさとこの町出たら?」
「そうね」
気取られないように内心溜息をつくと、リアは適当に言葉を交わして隔幻話を打ち切った。
およそ一年ぶりぐらいに会話をしたのだが、何やらどっと疲れてしまった。
魔道の知識において母親にはかなわないので思わず相談してしまったのだが、
「何考えているの、ね………」
精神系の精霊魔法―――実は魔道のなかでも最もリアが興味を持っていた分野だ。母親は黒魔法が得意だが、リア自身は訳あって精神系の精霊魔法に特化している。
たしかに母親の言うとおり、さっさと町を出るのがいちばんいいのだろう。
ゼフィアだって言っている。
必要なのは、時間とそれにともなう経験、そしてその人の隣りにいてくれる誰かの存在と、その人の意志なのだと。
烈閃槍なんか、お呼びじゃない。
それでも母親に連絡なんかとってしまったのは、自分がどうしていいのかわからないからだ。
リアは撃つことができる。
本当はエルメキア・ランスを使うことができる。
そして、セイトの狂おしい思いこみに気圧されてしまっている自分がいる。
それで気がすむのなら。万が一、治るのなら。
狂気とも取れるセイトの思いこみを打ち砕いてしまいたいがゆえに。
しかし、それとは逆にフラウは笑いながら首を横にふっている。
救いなどいらない、と。
たったひとつの接点であるユズハを介して、その言葉はリアのところまで届いている。
(フラウが治るのなら)
攻撃魔法を彼女に撃ってもかまわない、と。
(傷ついて壊れたその心を)
(必ず僕が治してあげるんです)
(救わないで)
(そっとしておいて)
すれ違って寄り添わない心に、リアはたまらなくやるせなくなった。
セイトと、魔道士とおぼしきローブ姿の男の二人連れを見かけたのは、魔道士協会を出てすぐのことだった。
「セイトさん!」
思わずリアが声をかけると、セイトはすぐに彼女に気が付いて近寄ってきた。リアが何も問わないうちから、彼は嬉しそうに話しだす。
「聞いてください。とうとう見つかったんです」
「………撃つの?」
後ろの魔道士に目をやりながら、リアは自分の顔色はひどく悪いだろうと他人事のように思った。
結局、自分なんかが悩んで答えを出せずにいても、事態はどんどん進んでいく。
セイトにとって、自分はユズハという存在を介してしか繋がりのない人物で、ただそれだけなのだ―――最初に嘘をついたせいで。
だがリアは、ユズハという存在を介してフラウの意志を受け取っている。彼女なりに、このセイトとフラウの問題にかかわってしまったという自覚がある。
「撃つの? その………フラウさんが良くなる可能性は低いのに?」
「可能性があるなら、僕はそれに賭けます。フラウを少しでも早く治してあげたいですから」
軽い興奮状態のセイトから視線を外して、リアはしばし迷った。
しかし、結局こう答えていた。
「あたしも一緒に行ってもいい? ユズハを引き取りたいの」
行ったところでどうなるのか、自分はどうするのか、リア自身にもさっぱり見当がつかなかった。
「かまいませんよ」
もはや、他のことにまで気が回らないらしく、セイトは後ろの魔道士がイヤそうな顔をしていたことに気づかずに、リアの申し出を快諾した。
―――ゼフィアにこのことを知らせている時間はない。
唇を噛んで、リアは歩き出した。
フラウとユズハは、庭のサルビアの植え込みの前にぽつりぽつりと座っているところだった。
まず最初に気配に気づいたユズハが顔をあげ、次いでフラウがセイトの帰宅にふぅわりと笑みを浮かべる。
「ユズハ、来て」
「くーん?」
ユズハは魔道士に目をやってから、わずかに首を傾げてリアを見上げた。
「どうしタ?」
「どうもしないわ」
リアは首をふって否定すると、小さな声で付け加えた。
「どうにもできなかった」
「ホントに?」
思ってもみなかった言葉にリアがわずかに目を見張ったときに、早々と魔道士が呪文を唱え始めた。
永久と無限をたゆたいし 全ての心の源よ―――
唐突に気づいた事実に愕然として、リアは顔をあげた。
フラウは何が起きているのかわからないらしく、ふんわりとした様子でセイトと魔道士を交互に見上げている。
光集いて閃光となり――――
鈍い音がした。
「…………ッ !?」
セイトが驚きのあまり絶句する。
あとわずかで詠唱が完了するというときに、リアが渾身の力をこめて魔道士の顔を殴り飛ばしたのだ。
そのリアは、これ以上はないぐらいに腹を立てて、魔道士の胸ぐらをひっつかんでいた。
「あんたどういうつもりなの !?」
「な、なにがだ………! そちらこそ、いったいどういうつもりで―――」
殴られた魔道士が頬を押さえてわめきたてるのをリアは遮った。光の泡のような金髪が怒りに引きずられるように、ふわりと舞いあがる。
「ふざけないで! その詠唱は烈閃槍じゃなくて、烈閃咆でしょう! あんた、彼女を殺すつもりなの !?」
セイトと魔道士が凍りついた。
「そ、んな………まさか?」
「ち、違う!」
硬直状態から脱した魔道士は、真っ赤になってリアに食ってかかった。
「でたらめを言うな! わたしはちゃんと烈閃槍を唱えた!」
「そっちこそ馬鹿言ってんじゃないわよ! 依頼主には呪文の種類なんかわからないと思ったんでしょうけど、あれはどう聞いたってフレイムのほうでしょうがッ!」
「魔道もわからない剣士風情が何を言うか! あれは烈閃槍だ。そう教わった !!」
「―――教わった?」
リアの低い声に、魔道士は失言を悟った。
「教わった? 攻撃呪文を? つまり、自分で理論をわかって組み立てたわけじゃないのね。他人からそのまま呪文ごと習い覚えたのね」
何とかごまかそうと口を開きかけた魔道士は、真紅の瞳に射すくめられて何も言うことができなかった。
「あなた、魔道を少し囓っただけでしょう。それか挫折したクチ。自分でちゃんと呪文を組み立てられることができるなら、烈閃咆と烈閃槍を間違えるだなんて絶対にやらないもの」
「ま、魔法も使えないくせにでたらめをいうな! これは烈閃槍だッ!」
「――――」
リアは唇を噛んで魔道士を突き飛ばした。
「セイトさん、この人に呪文を撃たせるつもりなの?」
「も、もちろんだ!」
そろそろ青く腫れあがってきた頬を押さえながら、魔道士は憤然とそう答えたが、セイトのほうはひどく戸惑って魔道士とリアを交互に見た。
「リアさん、いまあなたが言ったことは―――」
「でたらめに決まってるだろう! だいたい魔道をろくに学んだこともないやつに呪文の意味がわかるものか。呪文を聞いて違いがわかるはずもない! おおかた呪文を撃たせたくないに違いないっ」
セイトはそれを聞いて顔を歪めた。
「リアさん、まさか先生から頼まれてはいないですよね?」
「…………」
その一言にもう何も言う気がなくなってしまったリアの沈黙をどう受け取ったのか、セイトは彼女から顔を背けた。
「………撃ってください」
リアはきつく唇を噛みしめた。
迷いは一瞬だった。
「―――いくらよ」
「は?」
「………いくらセイトさんからもらう約束なのよ」
リアは吐き捨てるようにそう言って、ユズハのほうをふり返った。
予想に違わず、朱橙の瞳がまっすぐにリアを射抜いていた。
そのまま言葉を交わすことなく、金髪を風に流してリアは再び魔道士に向き直る。
「倍額払うわ。その依頼をあたしによこしなさい」
「…………!?」
絶句した魔道士を押しのけて、リアはフラウの前に立った。
無垢な漆黒の瞳がリアをとらえる。
断罪されているような気分になった。
「あんたに撃たせてこの人を死なせるくらいなら、あたしが撃つ。これでセイトさんもあんたも文句はないでしょう?」
「なんだと?」
「リアさん !?」
「詠唱の始まりからして、烈閃槍と烈閃咆は呪文が違う」
独り言のようにそう呟くと、リアはフラウの前にひざまずいた。
フラウが静かにリアを見返した。
この間見た夢のように現実からひどく乖離した自我が、漆黒の瞳を通じてリアへと注ぎこまれてくる。
(きっと)
祈りを捧げるように、リアは目を伏せた。
―――光よ
(唱え終わったあとも、この人はまだ向こうにいる)
救いを求めない心。
―――我が手に集いて閃光となり
(ここには帰ってこない。この人を愛してくれる人が目に入ることはない)
このうえもなく透明な闇の中に、ただ独り、座りこんでいるフラウ。
純白の髪は、永遠に元には戻らない。
ならば。
どうして自分は撃つのだろう。
与えなくてもいい精神の苦痛をこの手で与えなければならないのだろう。
―――深遠なる闇を打ち砕け
(死なせたくはなかったから?)
自分なら呪文の威力を弱くアレンジすることができる。
だから?
答えを見いだせないまま、溢れる木漏れ日のなかで、ひそやかな声がささやいた。
「―――烈閃槍」
漆黒の虹彩がまぶたの裏に隠れ、くたりと体から力が抜けた。
朱橙の瞳が完全なる傍観者として、それを見ていた。
「フラウ」
光の槍を受けて意識を失った彼女を、大切な宝物のようにセイトが抱きあげる。
そして、もはや膝をついたままのリアのことも、呆然とした表情の魔道士のことなど目に入っていない様子で家の中へと入っていった。
金貨の袋を土の上に放り出すようにして置くと、リアは両手で顔をおおった。
「………ユズハ。帰ろう」
かすれた声を無理やり喉の奥から押し出して、リアは自らの行為の結果から目を背けるように、セイトとフラウの暮らす家から顔を背けた。