Ria and Yuzuha's story : Interlude 3 【禍偏光】 〔1〕
季節は夏になった。
今を盛りと伸びる青草に、早くから昇り遅くに沈む日。
目に痛いような青空に積乱雲が湧きあがり、桶をひっくり返したような夕立を降らして去っていく。あっという間のできごとに運悪く濡れた人は呆然とそれを見送り、雨の名残はわずかに残る石畳の染みと草に置かれた露だけだ。
昼の熱気はじっとりと底に溜まるように暑いが、夕暮れは風が吹き、夕立の湿気を拭い去るようにして気温をさげる。
窓の帷を透かして踊る反射光。光の夏。光の欠片。夏片光―――。
どこまでも続く夏の空。
「ううううぅぅん」
暑さをさらに冗長させるような唸り声が、その窓のなかから聞こえてきた。
平屋のこぢんまりとした家だ。ささやかながら庭もついている。家主はセイルーンの上流地区で高級旅籠を経営する夫婦の係累だったが、この晩冬に他界した。
その後、住む者もなくつい先日まで空き家だったのを、人がいない家はどうしても荒れるからと管理代わりに誰かに住んでもらうことにしたらしい。ただ、その誰かもあまり管理は熱心ではないらしく、庭は夏草が伸び放題だった。野趣溢れると言い訳できないこともない。
つい先ほど雨が降ったので庭は一面に濡れて、滴が水晶のように光っていた。
「うぅ〜ん」
再び唸る声がする。
開け放たれた窓近く、射しこむ光線を避けるような位置に椅子が置かれ、そこに座っていた人物が声の主になかば呆れた顔を向けた。
「そんなに悩むようなことですか?」
「う゛ーん………いったい何を書けばいいのよう」
テーブルではリアが目の前の便箋を睨んでいた。ほとんど頭を抱えるようにして唸っている。
卓上にはまだ封をしていない封筒と、そこに入れられる予定のきちんとたたまれた便箋に、同封されるらしい透かし彫りの綺麗な香木の栞がある。
そこまではいいのだが、いまだ最初の一行を書かれたきりの便箋とその傍らにインク壺、羽ペンがあるに至っては、いままでこの部屋で何があったのかは一目瞭然だった。
ゼフィアは完全に呆れて椅子の肘掛けに頬杖をついた。
セイルーンに到着し、ようやっと身辺も落ち着いてきたのでサイラーグのシルフィールに宛てて手紙を出そうと思った。思ったまではいいのだが、如何せんいまの自分の状態では文字がろくに綴れないので代筆を頼んだ。相手は気軽に引き受けてくれた。そこまではいい。
問題は、自分の手紙を代筆したついでに何か一筆書いてはどうかと勧めてからだった。それがたしか今日の昼過ぎの話である。
現在、日はそろそろ赤く染まろうかという頃合いだ。
「そんなに書けないなら、同封をやめますか?」
「それもイヤ」
「じゃあさっさと書いてください。配達ギルドの便は明日発つそうです」
「うーん」
リアは唸りながら羊皮紙を睨んだ。サイラーグにいるミレイに宛てての手紙だったが、現在書かれている一文は「お久しぶりです。お元気ですか」。これのみ。
いくらなんでもこれでは送れない。
「手紙なんて書いたことないのよー」
ほとんど半泣きでリアは呟いた。
何か書きたい。書いてミレイに伝えたいと思うのだが、何を書けばいいのかさっぱりわからない。そもそもどういう文章で書けばいいのかがわからない。書き言葉と話し言葉とは全然違う。
隔幻話のほうが絶対楽だ。
そう思ってしまうあたりが、もはやダメなのかもしれないが。
だいたい伝えたいことというか、伝えるべきセイルーンでの事柄は、ゼフィアがシルフィールに宛てて書いている。だからリアがミレイに伝えたいことと言えばそれ以外のことになるのだが、それがまた問題だった。
リアは溜息をついて視線を天井に投げた。時代を経た木材が飴色に光っている。
先日までゼフィアが滞在していた宿の主人の好意で借り受けた家だった。
どうやら持病があったらしいその主人にゼフィアが薬湯を処方したところ、格段に楽になったということで大層喜ばれ、そのうちに彼がセイルーンに来た事情を知ると、長い滞在になるのなら先日まで係累が住んでいた家に管理を兼ねて住んでくれないかと向こうから提案してくれたのだ。
家というのは人がいないとどうしても荒れてしまう。掃除も手入れもしなくてかまわない。寝起きの場所として使ってくれればそれで充分だから――――と、家賃もかなりの破格だった。
貴人相手の高級旅籠をセイルーンで切り回しているのだから、家自体は裕福だ。目の色を変えて賃料を取り立てる必要もない。家賃は形だけのものだろう。
事実、長期の滞在になりそうだったゼフィアはその話を喜んだ。
そしてここに移ってきたのが十日ほど前のことだ。移り住む前の埃払いは当然ながらリアが手伝った。
人手が多いに越したことのない作業だったので、母親に助力を頼んだのはいいのだが、どこで聞きつけてきたのか(まあ母親経由以外あり得ないだろうが)、ついでにこの子たちに掃除を覚えさせてくださいとアメリア王女が双子を押しつけてきたのにはまいった。
いったいどこの国の王族が、城下の空き家で埃まみれになって掃除をするというのだ。
生まれて初めての体験に双子は楽しそうで、おまけにゼフィアに会いたくて好奇心がうずいていたらしく、目をきらきらさせて掃除を手伝っていたのだが、双子の素性に関してゼフィアの疑いをかってしまい、ユズハに至っては手伝いどころか床磨き用のミルクをひっくり返す始末で、リアとしてはひたすら頭の痛い一日だった。
しかし、それからの暑さを増していく日々の何と穏やかだったこと。
弟とほとんど顔を合わせずにいたことからもたらされた、後ろめたさをともなう平穏だったが、あまりにもそれは幸せに近かった。
これでいいのかと、溺れそうになるほどに―――。
「クーン」
不意に名前を呼ばれ、便箋を押さえたままリアはふり向いた。何が起きたのかを察して、慌ててインク壺で便箋を留めると立ちあがる。
「すいません、窓を―――」
「待って。いま閉めるから」
リアは立ちあがり、窓を閉めた。珍しくガラスのはめこまれている窓枠から、赤く焼けた空が見えた。考えればもう夕暮れ時だった。
二つある窓をそれぞれ閉め、帷も降ろしてから、リアはゼフィアに声をかけた。
「閉めたわよ」
「ありがとうございます」
ようやくゼフィアは目元を覆っていた手を外すと、さっきの風でゆるんでほどけたらしい遮光布をたぐり寄せた。
リアは椅子に座っている彼の肩越しに手を伸ばして、その手元に手繰られた遮光布を取りあげる。
「クーン?」
「あたしがやっても?」
ゼフィアの目がリアを見返した。
見えていないとわかっていても、やはりその視線に心が騒ぐ。
リアが黙っていると、やがてゼフィアは頷いて、布を預けた。
白い布は三つ折りで、顔にあたる部分に光を遮るための細長い黒のフェルトを包んである。
それを包みなおしてから、リアはゼフィアに手渡した。彼が目に当てて調整したものを後ろで受け取り、丁寧に巻いていく。
沈黙がゆるやかに漂った。
結局、あの夜以来、自分は何かをこの相手に許している。
「いつ頃になるの?」
「夏の終わりには」
唐突な問いにも驚くことなく、穏やかな答えが返ってきた。
「もっと早く来てればよかった?」
「どうでしょうね」
ゼフィアは微かに苦笑したようだった。
「ダブオンで匙を投げられたら、ここに来る勇気はありません」
半島屈指の総合病院がある元ラルティーグ首都の名に、リアはわずかに溜息をつく。
たしかにタブオン・シティの総合病院で匙を投げられたら、白魔術都市には行きたくなくなるはずだ。あそことセイルーンが治療魔術の二大巨頭だから、両方から匙を投げられたら、もう治る見込みはないということになる。行くことを渋るのも無理はない。
自分はそうとも知らずにここにゼフィアを誘った。知らなかったとはいえ、よく怒りもせずに承知したものだ。
結果、すべてが上手くいったとしても―――。
ここ数日の日々があまりにも平穏に柔らかに過ぎていくのは、おそらくそのせいだった。
「変わった色の髪よね」
布を巻くのに邪魔な髪を指で後ろに流す。艶やかに光を弾く濃い銀色だ。鏡のようだと、見るたびに思う。落日のもとでは朱金に染まるし、濃い緑の傍らに立てばその色を映す。
「祖母譲りだそうです。明かりが三割り増しでいいとよく祖父に言われました」
リアは吹きだした。その拍子に布が緩んで滑り落ち、慌てて引っ張って締めなおす。
「うちの父さんと同じこと言われてる」
「言ってるのは、先日お会いしたあなたのお母上ですか?」
「そうよ」
ゼフィアが小さく笑った。埃払いを手伝いに来てくれたリアの母親はなるほど、声だけでもわかるほど強烈な個性の持ち主だった。
「髪を切らせないうえに三割り増しですか―――」
「言いたい放題でしょ」
笑いながらリアはゼフィアの髪をすくいあげ、布をその下に潜らせて巻いていく。
「あたしも父さんと同じ色だから、二人ともいると六割り増しってわけ」
「あなたのお父上も金髪なんですか?」
「何で知ってるの。あたし髪の色なんかしゃべったっけ?」
「アーウィスが」
それだけを言ってゼフィアは黙った。聞きもしないのに解説してくれたとは口には出さなかった。
リアはしゃべりながらも手を動かしている。
「そうね。どっちも金髪だけど、父さんのはそれこそ柔らかい純金のままの色をしてる。あたしのは髪質が細いせいか、少し色が薄いのよね。ま、見ればすぐに違いはわかるんだけど」
巻き終わった布の端を留めようとリアの指が動く。
「目が治ったら、あなたが見たい」
手が止まった。
窓の外では東の空に宵の明星が光りはじめた頃。帷の下りた部屋には黄昏の長い影が落ちる。
いいんだろうか、と思う。
自分はこれで、このままで、過ごしていていいんだろうかと。
望めるはずもないのに。望む声が囁く。
「私をここまで連れてきてくれた、あなたの顔が見たい―――」
やがて再び手は動きだし、布を留め終えると静かに髪から離れていった。
呼吸するだけで満ちていく何かに、少し胸が苦しくなる。
あまりにも柔らかに日々が過ぎていくのは、数日前の魔法医の言葉のせいだった。
見えるようになるでしょう――――。
なんて、まぶしい。
ミレイ=シア=フェスティナーウ様
お久しぶりです。お元気ですか。ゼフィアに頼まれて手紙の代筆は私がしました。目は治りそうです。詳しいことは代筆した彼の礼状のほうに書いてあるので後で読ませてもらってください。宛名はシルフィールさんだけれど、あなたのこともアーウィスさんのことも話に出てたから、頼めば読ませてもらえると思います。ええと、読めばわかるんですが、アーウィスさんが怒ってないかどうか教えてください。必ず書いてくださいねと念を押されたので一応書きはしたものの、代筆した手前、気になっています。
目のほうは、すぐによくなるというものでもないらしく、定期的に治療を受ける必要があるそうなので、しばらくゼフィアも私もセイルーンにいます。
治ったらサイラーグに行きたいとゼフィアが言ってるので、そのときはたぶん私も同行すると思います。
ごめんなさい。
リア・クーン=ガブリエフより
読み終わったミレイは便箋ごと窓から放り投げたい衝動をかろうじてこらえた。
何やらもう嬉しいやら照れくさいやら羨ましいやら悔しいやら、呆れたし腹も立ったし、ミレイは顔を真っ赤にして寝台の枕をばしばし叩いた。
「何やってんのよ?」
音を聞きつけた隣室の同僚が無表情に顔を覗かせた。エディラーグで同僚だった彼女をミレイの嘆願でサイラーグに引き抜いたのは二ヶ月ほど前のことだ。彼女もあの神殿長に未練はなかったらしく、あっさりとそれに応じてここにいる。
同僚の視線も気にせず、ミレイは手にした便箋を見つめて絶叫した。
「ごめんなさいって何よ !? 」
最後の一文の『ごめんなさい』。どうやら後から迷った挙げ句に付け足したらしい。ここだけ筆跡とインクの濃さが違う『ごめんなさい』。
おおいに問題のある一語だった。
リアが自分に手紙を書いてくれたのは嬉しい。手紙を書くのに慣れてないらしく考え考え書いているのか、やたらインクの濃い箇所が多く、文章もバラバラなのだが、短いながらも頭を悩ませながら書いてくれたことがわかるから素直に嬉しかった。
それに何より、この手紙に書かれた内容自体が途轍もなく嬉しかった。飛びあがりたいほどだ。
それもこれもリアがセイルーンに行こうとゼフィアを誘ったからであって、よくぞ提案してくれたと礼を言いたいぐらいで、妬く以前の問題だ。いやそれでもやはり妬けるのだが。自分も代筆とかしてみたかった。自分がゼフィアと一緒にいなくて、向こうがずっと一緒なのは事実なのだから、言ってみても始まらないことだが。
しかし、あれこれ思いはするものの、概ねこの手紙をもらったことは嬉かったのだ。
最後の追伸を読むまでは。
「ごめんなさいってどういう意味よー !?」
絶叫してるミレイを横目に、同僚の巫女は床に落ちていた封筒を拾い、裏返して所書きを読むと納得顔で頷いた。
「ああ、あの同じ女として自分が哀しくなるぐらい綺麗で美人な、あんたの友達ね?」
「ひ、ひどい………」
「あんたがいつもそう言ってるから、そう言っただけなんだけど。だってそうなんでしょ?」
「そうだけど。ほんとに綺麗なんだけど」
「あたしもエディラーグで一度見ただけだけど、ほんとに綺麗だったわね」
「うん、そうなの!」
思わず勢いこんだミレイに対して同僚は冷淡だった。
「で? あんたさっきから何を騒いでいるのよ?」
「そ、そうなの。聞いてよもう!」
ミレイは慌てて二枚の便箋のうち、文字の書かれた一枚を同僚に突きつけた。もう一枚は白紙だ。誰に教わったのか、そういう作法だけはしっかりしている。
「あのね。聞いてよ、じゃなくて、見てよでしょ。手紙は聞けないわよ。まったく………」
目を通し、巫女は再び「で?」と聞いた。
「これが何なの?」
「何なのって、だから、『ごめんなさい』ってどういう意味だと思う?」
「どうもこうも、やっぱり、その前文に書いてある、自分も一緒にサイラーグ来ることに対して『ごめんなさい』って書いてあるんじゃないの?」
それ以外、どう読みようもない。―――いや、この言葉だけ他と離して書いてあることろを考えると独立した一文とも考えられるが、それだと何に対して謝っているのか意味不明である。まあ、本人同士にはわかっているのかも知れないが。
ミレイは顔を真っ赤にさせながら、
「だから、それがどういう意味なのかってことよ。何で一緒に来ることを『ごめんなさい』だなんて、あたしに謝るのよ !?」
巫女は視線を窓の外に投げた。
ミレイ本人もとっくにわかっているだろうに、それでも絶叫してしまうのが人の善いところというか、あきらめが悪いというか。たぶん認めたくないのだろう。ミレイのそんなところと、この榛色の髪が好きだった。
だから、巫女は彼女の榛色の頭にぽんと手をおいてから、にっこり笑って言ってやった。
「宣戦布告されたわね。頑張りなさい」
言われたミレイはしばらく同僚の巫女を見つめていたが、不意に涙ぐみながら抱きついた。
「絶対あたしじゃ勝ち目ないぃ〜」
「ほらほら、人間外見じゃないわよ。見た目じゃどう足掻いても勝ち目はないけど、人間それだけでくっついたり離れたりしないわよ」
「さりげなくひどいこと言われてる………」
洟をぐすぐす言わせながら、ミレイは便箋を折りたたんで封筒にしまった。ゼフィアの礼状のほうは実はまだ読んでいない。これから読ませてもらえるよう頼みに行こうと思っていたのだが、この顔では何事かと思われてしまう。
しかしリアの手紙からすると、いったいアーウィス宛てに何を書いたのだあの人は。よっぽどすごいことが書いてあるに違いない。
「でも、義理堅いというか、不器用というか、変わった人ね。普通書かないわよこんなこと」
「だから困るの。良い子なのよう。すごい可愛いの」
大まじめにミレイはそう言った。いまだかつてリアを可愛いと表現した者が皆無であることを彼女が知るはずもない。
皆、口を揃えて「綺麗」とは言うが、なかなか「可愛い」とは言わないのだ。
だが、ミレイは本気で可愛いと思っている。
年の頃はほぼ同じはずなのに、どういうわけだか、ふとしたことで幼い子どものように見えてしまう。その表情が大変に可愛らしいのだ。綺麗なうえに可愛い。天は二物を与えずというが、いったい何の冗談だと思いたくなる。
同じ年頃の友人が少ないのだと苦笑するリアに、この容貌なら無理もないと思ってしまったミレイだが、リアは外見よりもずっととっつきやすい人柄だった。なまじ近寄りがたい美貌をしているだけに損をしている。
あの短い滞在の間でミレイはリアが大好きになった。
だから、困るのだ。
「………見た目じゃなくても勝ち目ない気がする」
ミレイがぽそっと呟くと、同僚はしばらく何とも言い難い顔で彼女を眺めていたが、やがて微笑してその肩を叩いた。
「ま、世に殿方はゼフィア様だけじゃなし」
「ふえぇえぇぇ」
「だいたいあたしもあの方と長いけど、どこがいいの? 何考えてるかよくわかんないじゃない」
「そ、そんなことないわよっ! 思慮深くてとっても優しい方よ! あなたの好みに合わないだけじゃないの!」
ほとんど噛みつくように反論したミレイに、あっさり同僚はうなずいてみせた。
「そうね。あたしはアーウィスさんみたいな方のほうがいいわね」
驚いたミレイの涙が引っこんだ。
「アーウィスさん? でもシルフィールさんがいらっしゃるわよ」
「当たり前でしょ! あたしは、『みたいな方』と言ったんであって、アーウィスさんがとは一言も言ってないわよ。とんでもない誤解をしないでちょうだい。好みの話と言ったのはあなたじゃないのッ!」
「あ、うん」
気の抜けたミレイの返事に同僚はしばらくこめかみを揉んでいたが、やがて気を取り直したのかこう言った。
「で、返事はどうするの?」
「か、書くわよぅ」
「さっさと書かないと配達ギルドの折り返しの便が行ってしまうわよ」
「わかってる」
ミレイはまぶしげに、空の積乱雲を見つめた。
セイルーンから出された手紙が旅をしているあいだに、あっという間に季節は夏の盛りになってしまった。
新しいサイラーグの街の特徴は、中央に位置する大湖とそこから縦横に巡る運河だ。この季節には目も開けていられないほど鏡のように光を弾く。
夏の空を眺めながら、なぜだかミレイは晩冬に初めてリアを見た、あのときの驚きを思いだしていた。光に誘われたのかもしれない。
本当に同じ空気を吸っているとは思えないような立ち姿だった。
余分なものはいっさい要らないとばかりに立つ長身は、彫刻の女神像か何かのように恐ろしく均整がとれていて、むだのない動きも逆に華やかに見えた。
そこに彩りを添えるゆるく巻いた金の髪に、申し分なく整った造作。
そして何より、あの鮮烈な真紅の目。
リアをリアたらしめているのはあの目だと、ミレイは強く思う。
光を乱反射する玻璃細工の華やかさと、そこに潜む脆さを同時に気づかされるような。それでいて、それを守りきるだけの決心を奥に秘めた、容易には持ち得ることのできない目。
それがあの容貌に彼女だけの色彩と気配を添える。あの整った姿のなかであの真紅だけが異質で、それでいてあの真紅がないとリアという存在感を持ったあの容姿は完成しない。
赤い光だ、とミレイは思う。
あの真紅は宝石のような赤ではない。あそこまで硬い、確固たる赤ではなく、あの赤にはありふれているのにとらえどころのない、光という媒体がふさわしい。
かといって落日の赤でもなかった。あのようなどこか黄味を帯びた朱ではなく、もっと混じり気のない、誰も見たことのないような、天空の光の加減では生みだせない赤。もしそんな純粋な赤い光があるのなら、きっとリアの瞳のような色をしているのだろう。
―――少し儚く、そして必ず影をともなう。光。
わけもなく、微かに胸が痛んだ。
空は、遠くセイルーンまで続いているはずだった。

