Ria and Yuzuha's story : Interlude 3 【禍偏光】 〔2〕

 白亜に輝く半島屈指の王都、セイルーン。
 六紡星のその都で正式に王太子として立ったアメリアだが、特に何かが変わったわけではない。そもそも彼女が時期国王であることはすでに結婚前から暗黙の了解となっており、形式のほうが今回それにようやく追いついてきた形になる。
 忙しいのは相変わらずだったが、式典も終わり、オリハルコンとデーモンと結界に関する一連の騒動も無事に片づいたので、その分の余裕はある。
 アメリアの立太子にともなって、その娘二人の継承権も正式に定まった。
 第一王女、アセリア=ウル=タナト=セイルーン。継承権第二位。
 第二王女、ユレイア=エディ=アルト=セイルーン。継承権第三位。
 これで便宜上とはいえアセリアが姉と定まった。
 本当のところ、どちらが先に生まれたか誰も知らない。
 生んでる真っ最中のアメリアにそこまで気が回るわけもなく、やっと人心地ついた頃には、先に生まれたほうに印として結んであった足首のリボンをうっかりユズハが解いてしまっていたため、誰にも区別がつかなくなってしまったのだ。極秘事項だが。
 アメリアの勘では先に生まれたのはユレイアだという気がするが、本当に母親の勘以外の何ものでもないので、結局真相は闇の中だ。
 その双子はといえば、のんびりしている母親と違い生活が大幅に変わったため、慣れるのに懸命になっていた。
 のんびりしている当の母親が年が明けたら王宮から追いだすと宣言してくれたせいである。
 かなり甘やかしてきたので、そのまま旅に出したら死んでしまいかねない。教え込むことは山のようにあった。
 旅に出すというのはまだ秘密だ。宮廷大臣など卒倒しかねない。
 しかし、その前準備としてリナとティルトが王宮を訪れる回数が多くなった。リアも時々は顔を出す。ユズハはリアのところと王宮を行ったり来たりして過ごし、相変わらず厨房でもてはやされて可愛がられている。
 忙しくありつつも、おおむね穏やかで平和な日々だった。
 その日々のなかで、頻繁にアメリアたちのあいだで口にのぼる名前がひとつあった。
 リナから聞いたところによると、リアは家から毎日通っているという。時々は別行動するし、暇な日は王宮に顔を出してくれるが、基本的にはずっと一緒らしい。
 さすがにひと月近く過ぎれば、名前以外にも色々なことがわかっていた。セイルーンを訪れた理由が眼病のためであることや、本業は薬師であり、薬草と白魔法を掛けあわせた治療に関する造詣が深く、治療院の方では正式に治療師として招きたがっていることなども知っている。
 目が見えないなら、知らない街を歩くにはどうしても案内がいるだろうし、何をするにも大変なはずだ。歩いている先に行き止まりがあったとしても、溝が掘られていたとしてもわからない。セイルーンまで連れてきたのがリアなのだから、案内するためにずっと一緒にいるのも当たり前だろうと思う。むしろほったらかすほうが問題だ。
 しかし色々と気になるのは仕方ない。胸を張って野次馬根性だと宣言してもいい。
 先日、借家の埃払いが云々という話を小耳に挟んだので、これ幸いとばかりに双子を押しつけて様子を見に行かせた。
 本当は自分が行って顔を見たかったのだが、ゼルガディスとリナに怒られて仕方なく双子だけを行かせた。
 あんまり自分が目をきらきらさせているものだからゼルガディスは呆れていたが、それでも少し気になったらしく、双子に報告させようとしたらわざわざ部屋までやって来た。
「………なんだ?」
「やっぱり気になるんでしょう? あなたにとってクーンは剣の弟子ですしね」
 ふふん、と笑うと視線が逸らされる。
 結婚式の直前に初めてリアと会ったとき、初対面のアメリアに挨拶をした後は、隣りにいたゼルガディスにまつわりついては、ゼルさん、ゼルさんとそれはもう可愛らしく、アメリアとガウリイは二人して少々憮然としたという思い出がある。
 どんな人だったかと問われた双子は、顔を見合わせた。
「えーと、何か優しそうな人でした」
「うん。すごく静かな人」
「何か、本読んでるときの父さまみたい」
「ですって」
「………何でおれにふる」
「すごいんですよ。ちゃんとわたしとユレイアの区別がつくんです」
「でも同時には話しかけないでくださいって困ってました」
 思いだしたのか、双子がくすくす笑い合う。
 他にも髪が銀色だとか、背が高いことなどを思うままに喋ったあとで、気づいたようにアセリアがこう言った。
「何か、あの人と一緒にいるとクーン姉さま、顔が違います」
「あ、うん。そうだ。アセリアもそう思ったのか?」
「ユレイアも?」
 アメリアとゼルガディスは顔を見合わせた。
「どう違うんです?」
 双子は困ったように首を傾げた。
「ええと………うまく言えません」
「でも違うんです。本当です」
 アメリアは二児の母とは思えない様子で目を輝かせて聞いていたが、不意にゼルガディスを見あげた。
「ダメだ」
「………まだ何も言ってません」
「頼むから野次馬そのままに見に行きたいとか言いださないでくれ」
「だって気になるじゃないですか! あなたは気にならないんですか?」
「わざわざ見に行くまでじゃない。だいたいおれは個人的に目が見えない物静かな手合いは苦手なんだ」
 憮然としたゼルガディスの言葉にアメリアの表情が一変した。部屋の空気が変化したことを、双子は敏感に感じ取る。あまり良くない方向への変化だ。
「―――ゼルガディスさん、本気でそれ個人的な感情ですよ。目の見えない方すべてに失礼です。実際に会ってもいないでしょう」
「だからそう言ってるだろう。褒められたことじゃないぐらい承知している」
「聞けば治るって話じゃないですか。目が見えるようになれば苦手じゃなくなるんですか? あなたの言ってることはそういうことですよ」
「だから、おれが一方的に無礼を働いていることぐらいわかっていると言ってるだろう」
「自覚があるなら普通は改めるんです」
 いきなり雲行きが怪しくなりはじめた両親の会話を、双子はハラハラしながら見守っていたが、そのうちコピーレゾだのヴルムグンだのまったく訳の分からない単語が飛び交いはじめ、最初の話題とは完全に逸れてしまったままその日の会話は終わった。
 それが昨日の話だ。
「………赤法師レゾを思いだすから目の見えない人は苦手だなんて、いい年した二児の父親の言うことですかそれが………」
 思いだすだけで頭痛がしてくる。
 非常に大人げない。大人げないと本人が自覚していつつも苦手意識が消えないあたり、気の毒と言えないこともないのだが、それでもやっぱり大人げない。
 書類の山を前にアメリアがこめかみを揉んでいると、執務室の扉が叩かれた。
 取り次ぎに出た侍従がアセリアの訪れを告げる。
「どうしたんです? 執務中はなるべく来てはいけないと言ったはずですよ」
「父さまがクーン姉さまと剣の手合わせをしています。母さまもご覧になりませんか」
 頬を紅潮させたアセリアの言葉に、こめかみを揉むアメリアの指が止まった。



 鋼と鋼がぶつかり合う鋭い音が円形の広間を駆けめぐる。消えていく旋律に次の旋律が追いすがる輪唱曲のような、途切れのない激しい音だった。
 軍の兵士たちが使う練兵場。そこに併設されている剣術の訓練や舞台試合のための殺風景な空間を、激しくなびく金と黒の髪が彩っていた。
 部屋の入口や大きく切られた窓はすでに黒山の人だかりとなっていた。誰もが息を詰めて目の前の剣舞を見守っている。
 あらゆる意味で二度とは見られないような手合わせだった。
 まず剣を振るっている人物が問題だった。この国の世継ぎの王女の夫―――まあ紆余曲折の末にその座におさまり、二児をもうけた今でもまだ賛否両論はあるのだが―――大公殿下である。いつも不健康そうな顔色をしているが、デーモン討伐や何かの折にその戦いぶりを目にすることができた兵士たちは皆、口を揃えてかなりの使い手だと言う。
 滅多に彼は自らの剣を人前で振るうということをしなかったが、こうして見ていると、すぐにその言葉が真実だということがわかる。
 迅い。攻守のバランスから言えばやや守りに傾いているが、刀幅のある重い剣を片手で操っているとは信じがたい速度で動く。時々両手でも振るうが、充分な力と勢いがのったそれは受けるよりも避けたほうが懸命な一撃だった。
 いまも飛んできたその一撃を、リアは大きく間合いを空けることでかわしていた。
 うなじでまとめた髪はまだ無事だったが、腰に折りこんだ服の裾はすでにほどけて落ちてしまい、動きに合わせて飾りのように弧を描いて広がる。
 まさか手合わせするとは思っていなかったため、細身のズボンの上から裾の長い女物を重ねて着ていたのがまずかった。かなり大きくスリットを入れてあるので動くのに支障はないのだが、絡みついてれるうえに非常に暑い。
 双子に会うために王宮を訪れたリアが、廊下で偶然ゼルガディスと行き会ったのは先刻のことだった。
「―――剣はどうしたんだ?」
 相手の開口一番はこれだった。
 リアの腰にはいつもの剣ではなく、護身用の小剣ショートソードしかない。
 薄青の瞳をいぶかしげに細めているゼルガディスに、リアはにっこり笑って嘘をついた。
「手入れに出しました」
 言いながら、バレるのも時間の問題だと思った。
 リアはあの晩、ゼルガディスたちの前で無事な剣を一度抜いている。折れたことが知られてしまえば、誰が折ったのかまでわかってしまうだろう。
 粘りのある鋼をあそこまで見事に斬り飛ばすことができる者は少ない。
 あの、あまりにも滑らかで無惨な、美しい斬り口。
 それでも一応、接ぎなおせはしないかと工房に持っていったのだが、偏屈で知られる職人気質の親方はリアと剣を見るなり「まず自分を接いでこい」と言って彼女を叩き出した。反論する暇も気力もなかった。―――接げるならとっくに接いでいる。
 リアの剣はアメリアとゼルガディスからの餞別であり、剣を鍛えた工房はもちろん二人の知っているところだった。問い合わあわされてしまえば一発でバレるだろう。
 しかし、旅先から帰ってきた剣士が馴染みの工房に武器や防具の手入れを頼むのは、ごく当たり前に行われていることでもある。とりあえずこの嘘でこの場はしのぐことができた。
「背も伸びているからな。あの剣は扱いづらくなってきていないか?」
「使い慣れてますし、特には。室内で振りまわす分には多少短いほうが便利です」
 リアの言葉にゼルガディスは吹きだした。
 ゼルガディスとアメリアは、三年前のリアの背丈に合った長さの剣を贈った。なるほど、背が伸びればそれだけ余裕も出るだろう。
「長いものに変えるなら、いまのうちにねだっておくんだな。冬の誕生祝いには間に合うだろう」
 リアは微笑して、何も言わなかった。
 どの面下げてこの自分が新しい剣をもえらえるというのだろう。
 自分が新しい剣を手にすれば、今の剣を接ぎなおせば、それを見て弟は見当違いの罪悪感を薄れさせるのかもしれなかったが、それは意味のないことだ。
 この手に握られた剣が、またいつ飢えと焦げ付きに耐えかねて狂いだすのかもわからない。
 どうしようもなく剣を手放せないこの醜さ。盲目的な恋にも似て。
「今日はいいのか?」
 並んで歩きだしたゼルガディスが思いだしたようにふと問うた。
 最初首を傾げたリアはやがて何を問われているのか気づき、笑って頷いた。
「最近はずっと施療院にいて、あたしには全然わからない話で盛りあがってます。帰りも向こうの人が付き添ってくれるそうですし」
「―――なら、帰る前に一勝負していかないか」
 リアは軽く息を呑んだ。
 ゼルガディスがそう言いだすのはおかしなことではなかった。旅に出る前は頻繁に相手をしてもらっていた。自分だって、あんな馬鹿なことをやらかさなければ、そう言いだしていたかもしれない。
 しかし、いまは―――。
 鳩尾に冷たい刃を射しこまれたような気がしたが、ここで断るとさらに不審を煽る。リアは小さく頷いて、それを了承した。



 練兵場にリアとゼルガディスが姿を現した途端、場がざわついた。
 耳障りな音が立て続けに起きる。
 三年前より以前から王宮にいる中堅の兵たちのなかにはリアのことを覚えている者もいたが、新兵はそうもいかない。リアに見蕩れて打ち合う手元を狂わせる者が続出した。
「………ゼルさん」
 恨めしげにリアが昔ながらの呼び方で目の前の背中に話しかけると、憮然とした返事が返ってきた。
「仕方ないだろう。これだけ広い王宮のくせに、まともに剣を打ち合えるのはここしかないんだ。他の場所でやったら勘違いした衛兵がすっ飛んでくる。おまけに庭でやったら芝が痛むんだそうだ」
「あれだけ広いのに」
「まったくだ。―――ああ、騒がせてすまない」
 ゼルガディスは近寄ってきた隊長に邪魔を詫びると、試合場と訓練用の剣を借りたい旨を伝えた。幸い試合場は空いており、隊長はリアの顔を覚えていた一人だった。
「貴様らあ! 誰が休憩を許可した。稽古を続けんかッ!」
 隊長が怒鳴りつけたが、効果はあまりなかった。
 大公殿下は陛下から軍の統率権を預かることが多いので、わりと頻繁にこうした場所に顔を出す。だから緊張はするものの、それでもまだ慣れている。今回は同伴者が問題だった。
「………ガウリイに殺されるかもしれんな」
 少しばかり後悔してゼルガディスが呟いた。ゼルガディスは父娘ともに見慣れて何とも思わなくなっているが、この親子の容姿の整い方は半端なものではない。既にリアを見る周囲の視線が熱いものに変わりつつあった。
 リアは極力視線を合わさないようにしている。まわりはみんなカボチャ―――じゃなくてキャベツだキャベツ。カボチャは好物なので例えるとまずい。
「………ほんとにやるんですか?」
「ここまで来てやらないのも間抜けな話だろう」
 そうもそうだ。
 リアはあきらめて息を吐いた。つい癖で髪をかきあげる。
 どよめきがあがりかけたが、ゼルガディスと隊長が睨むと静かになった。
「ええと、一応剣だけで?」
「剣だけだ。ここを破壊したくないからな」
 苦笑混じりにゼルガディスが答えた。
 二人とも魔法を併用して剣をふるう戦法を得意とするうえに、実際の戦いでは平気で足を使ったり体術を絡めたりする。お互い騎士道精神なんかそっちのけだが、リアの問いは今回それはなしだという確認だった。
 衣服を整え髪を束ね、刃を潰した訓練用の剣のなかから重さと長さが自分の剣によく似たものを選ぶ。
 選んだ剣の柄を握った瞬間、背をぞくりとしたものが駆け抜けた。
 目を閉じ、なかば恍惚としてそれを味わうと、リアは静かに目を開いた。
 剣を、捨てられない。
 いつか斬られるその日まで。
 その日まで自分は剣と共に生きていよう。奥底に潜んだ亀裂に足を取られながら、それでも歩いていけるだろう。笑うことも泣くことも、きっと、できる。
 たとえそれがどれほど赦されないことだとしても。
 すでにもう、自分は泣く場所を得てしまったのだから。
(ティルト…………)
 自分が崩してしまった。どこまでも健やかに伸びていくはずだったのに。
 何もかもが手遅れだ―――。
 二人は試合場の中央で相対した。
 外の喧噪が嘘のように閑散として埃っぽく、乾いている。
「どうだった。この三年?」
「まあ、色々と」
 言葉を濁したリアに、ゼルガディスは珍しく微笑して剣を構えた。
「なら、こっちに聞こう」
 リアも応えて微笑み返す。
「では、お願いします」
 この胸の鬱屈。眠る赤い黄昏の闇。剣への飢え。
 ばれるか、ばれないか。もはや運だ。
 剣を手に演じるだけ。自分は笑っていられると。
 軽く一度剣を交わし、互いに三歩、そこから下がる。三歩目を踏んだときが試合の始まり。それが慣例だ。
 そしてその三歩目を踏んだ瞬間、あらゆる雑事がリアの脳裏から噴きとんでいた。



 ゼルガディスにとって、リアは初めて自らで剣の基礎を手ほどきしてやった相手でもあったが、同時に良い練習相手でもあった。弟子というよりは好敵手に近い。
 だいたい彼が教えなくとも、彼よりもすさまじい技倆の持ち主が父親なのだから、本来は最初からそちらに師事すべきなのだ。ゼルガディスの弟子というほどのこともない。
 ゼルガディスが彼女に教えたのは本当に基礎の基礎だ。後は剣と魔道を合わせた戦い方のコツぐらいで、こればかりはガウリイでは教えてやれなかったためだが、それも特に何か特別なものを教えたというわけではない。
 身体から合成されていた部分が分離されるにともなって、彼自身が以前の戦い方を大幅に変える必要に迫られ、教えるどころではなくなった―――という理由もあった。
 以前のゼルガディスは体の耐久性を利用した、自虐的とも言える戦い方を身につけていた。
 戦士はよく身につけた鎧にわざと当てさせて攻撃を受け流し、逆に相手に斬りこんでいく技を使うが、ゼルガディスは自分の体でその鎧の代用をしていた。自分の肉体が傷つく心配をしなくてすんだため、端から見ると無謀に近い動きでの攻撃が可能だった。
 なにせ斬られる心配はない。内部に響く重い打撃にだけ気をつけていれば良かったから、動きが無茶苦茶だった。盾を使う必要も、鎧をまとう必要もない。鎧がない分、敏捷性が増す。
 しかし体の組成が人間に近いところまで戻ったいまはそうはいかない。肌は普通に斬られれば血が流れる。何より体を動かす勝手が違った。
 一から何かを身につけるより、一度身につけたものを変えるほうが難しい。
 結局、体に染みついたこの戦い方を直すのに二年近くかかった。
 その間に、ゼルガディスの剣に付き合ったのはガウリイとリアだった。
 何せ下手に基礎ができて戦い方が確立しているだけに、それを変えるとなると互いの剣の癖を呑みこんでいる相手でなければ手合わせは危険だった。その点、付き合いの長いガウリイはうってつけで、手合わせの仕方もかなり融通が利く。
 おおよその癖がなおってからの細かい調整相手には、ゼルガディスより技倆が下のリアがちょうどよかった。相手は全力で、自分は手加減が利く。
 そうやって剣を合わせているうちにリアはめきめき上達し、いまでは五本に二本は持って行かれるほどだった。才能があるな、とゼルガディスは思うが、リアはそれでもまだ不満らしい。
 父親も弟も彼女以上の才能の持ち主なので無理もないことだったが、これ以上強くなられては立つ瀬がないので勘弁してほしいところだった。
 軽く一度剣を交わし、互いに三歩、そこから下がる。
 一歩、
 二歩、
 三歩目を踏んだ瞬間、
 リアが真っ直ぐ突っこんできた。
 フェイントも何もない。三歩目を踏んだその足で地面を蹴り、六歩の距離を一瞬でゼロにする。かわされて当然の単純な一撃だが、それゆえに充分な重さと速さが乗っていた。
 唸る剣風に押されるようにゼルガディスは後ろに下がる。
 剣先が触れんばかりにぎりぎりの間合いを見極めてかわすと、剣を振り抜いた姿勢のリアに向かって一撃を繰りだした。
 飛び離れるリアをゼルガディスの剣が追う。切り裂かれた空間が悲鳴のように音をたてた。
 速さならリア。一撃の重さならゼルガディス。
 激しい剣戟の音を聞きつけて、たまらず覗きこんだ兵士が棒を呑んだように立ちつくした。その様子に気づいた同僚が同じように試合場を覗きこみ、やはり棒立ちになる。
 それが一人増え二人増え、終いにはそれを叱責していた隊長まで加わり、試合場の入口はたちまち剣の行方に魅入られた者でいっぱいになった。溢れた者は庭をまわりこんで窓へと走る。
 撃ち合ったと思えば離れる。広間のような空間が狭く感じられるほど、流れるように剣と剣が移動する。
 溜息のような感嘆がそこかしこから漏れた。
 剣戟の音と騒ぎの気配を聞きつけて双子がやってきたのはちょうどそのときだった。
 王女の姿に気づいた兵が道を開け、自然と一本の道ができあがる。
 その道の先に見えるこの剣楽の奏で手の正体に二人は一瞬、呆然と立ちつくした。父親とリアの手合わせを見るのはこれが初めてではなかったが、久しぶりに見るこれはいつものそれとは何かが違う。
 強いて言い表すなら、気迫が違うのだ。もしかせずとも互いに本気ではないだろうか。
 戦いの気配に身を竦ませながらも、ユレイアはなかば陶然としながら見入った。
 興奮で頬を赤くしたアセリアが母親を呼んでくると駆け去っても、彼女はその場から動けなかった。
 一方が攻めれば、もう一方がそれを受ける。踏みこみと後退。剣を握る手と手。研ぎ澄まされて鳴る鋼の音が動きに絡んで舞踏とその調べのようだ。
 これもまた歌だ――――。
 自分にとって世界はすべて歌に成せる。たとえ自身では唄えずとも。
 なかば無意識のうちに頭のなかで記譜を始めていた。あとで曲にしよう。
 不意にどよめきがあがった。
 ゼルガディスの一撃を受け流したものの、その勢いを殺しきれずリアが大きく体勢を崩したのだ。勝敗がつくと誰もが思ったが、リアは不自然な体勢のまま倒れこむように前に踏みこみ、相手の側面を撫で斬るようにしてすり抜けた。ゼルガディスが体をひねってかろうじてこれをかわす。服の端が裂けた。
 そこかしこで息を呑む音が聞こえ、次に氷のような沈黙があたりを支配した。
 刃を潰した訓練用の剣とはいえ、本気で打ちこまれれば怪我ではすまない。打ち所が悪くて訓練中に死んでしまう兵もいる。
 手合わせとはいえ、その片方は要人である。
 勝負に見入るあまり忘れていたことを思いだし、試合場に異様な緊張が走ったが、当事者たちはそんなものとは無縁だった。
 ただ互いに剣を振るう。
 リアは最初から互いの剣しか見ていない。
 ゼルガディスは最初のうちは余裕があったが、もともと外見とは逆で熱くなりやすい質だ。最初は引き留めようとしていたが、剣を合わせるうちにリアの熱が感染うつされてしまい、結局引きずられて勝負に没頭していった。
 体勢を立てなおした二人が真っ向からぶつかった。
 周囲が息を呑む。
 互いに一歩も引かないままの剣が凄まじい音を響かせた。
 そのまま互いに左右にずれて、一撃。それを受けてさらにまた剣閃が迅る。連なる鎖のような美しい鋼の音が聴き手の頭のなかに絡みつく。
 ほとんど飛びこむように、大きくゼルガディスが踏みこんだ。無謀に近い踏みこみだった。返り討ちにあうような間近から剣を振るう。
 激烈なその一撃をかろうじて受けきると、リアはそこに生じた針の先ほどの隙に無理やりねじこむように剣を繰りだした。
 ―――避けられない。
 場の全員が―――当のゼルガディスさえも、そう確信した瞬間。
 視界が白く灼けた。
 誰もそれには気づかない。
 ただひとり、彼女だけが息を呑む。



 ―――いったい何を・・斬ろうとしている?



 脳裏で再燃された幾多もの幻に、自分がどこにいるのかわからなくなった。
 剣の尖先が大きく乱れた。
 突然生じたその隙をゼルガディスは逃がさなかった。リアの繰りだした攻撃がそのまま返ってきたかのような剣撃が迅る。
 一瞬にして勝者と敗者が逆転した。
 避けられない―――!
 我に返ったリアが愕然としたときだった。
風魔咆裂弾ボム・ディ・ウィン!」
 凶暴な風の塊がリアとゼルガディスにぶちあたって弾けた。
 風に煽られた剣先がリアの脇腹をかすめて過ぎ去る。
 完全に不意を衝かれた二人は、揃って姿勢を崩して膝をついた。
 蜘蛛の巣のように巡らされていた緊張の糸が瞬く間に切れる。リアは剣を手にしたままその場に座りこんだ。ゼルガディスが呆然と呪文を唱えた人物を見る。
「―――執務をさぼって何をしてるんですか、私の旦那さま?」
 人だかりの最前列、走ってきたらしいアメリアが息を乱したまま、にっこり笑って立っていた。