Ria and Yuzuha's story : Interlude 3 【禍偏光】 〔3〕

「何をやっているんですかあなたたちは !? 手合わせするなとは言いませんけど、何だってお互い本気になってるんです!」
 人のいない試合場にアメリアの怒号が響いた。
 リアとゼルガディスは決まり悪げに沈黙している。
 どう考えてもアメリアの言っていることが正しかった。
 間一髪で呪文を放ったアメリアはあの後、見物していた城の者たちを笑いながら丸め込んで追い払った。
 いわく、
「うちの二人が迷惑をかけました。もう邪魔はさせませんから、それぞれの職責を果たしなさい。みなさん、充分堪能しましたよね? 二人とも運動不足を解消できたので、これ以上は動けないそうですよ?」
 話をふられたゼルガディスは意図を察して立ちあがり、リアに手をさしのべた。勝者というわけだ。
 リアもその手をとり立ちあがると、互いに一礼した。
 どういうわけか周囲から熱心な拍手が湧き起こった。いささか唖然とした当事者二人をよそに、アメリアが大きくパンパンと手を叩く。
「では各自それぞれの職務に戻りなさい。これ以上は見物代を取りますよ?」
 この一言に兵たちは笑い、次々に恭しく一礼して立ち去った。彼らの未来の主君は呪文を使いこなし、その伴侶もまたとない剣の使い手ということが本日めでたく判明したわけで、みな晴れ晴れとした表情だった。
 リアに対しては賛嘆と共に畏敬の視線が送られていた。気軽に口説くにはとても勇気が要る相手だということがわかったらしい。
 双子とアメリアだけが後に残る。
 そして、くるりとふり返った開口一番にこの大喝だ。
 思わぬ事の顛末に驚いている双子は声もなく、怒っている母親を見あげている。
「昔から熱くなると周りが見えなくなるその癖はいただけません。互いに大怪我したかったんですか? 完全に見物人のことも、刃が潰してあることも忘れていたでしょう」
「いや、ちゃんと寸止めするつもりだったぞ」
「嘘おっしゃい」
 身も蓋もなく一刀両断され、ゼルガディスは憮然とした顔で黙りこんだ。
「クーンまで子どもみたいに本気になってこの人に付き合うこともないんですよ」
 言われて、リアは首をふった。
「先に周りが見えなくなったのは、あたしですから」
 緊張が切れた途端、思いだしたように汗が噴きだした。
 頬にはりついた髪を指でよけながら、リアは再びその場に座りこんだ。疲労で立っていられない。
「でも、アメリアさん。何だって風魔咆裂弾なんですか………」
風波礫圧破ディミルアーウィンが良かったですか?」
 涼しい顔で数段上の威力がある風の魔法の名を出され、リアは沈黙した。
「まったくもう………」
 アメリアは嘆息混じりに腰に手をあてた。
「来てみたら、お互い手合わせの限度を超えてるじゃないですか。肝が冷えましたよ」
「すまん」
 リアと同じように汗だくのゼルガディスが短く謝った。
「少し頭を冷やしてこよう。クーン、お前も来るだろう?」
 すぐ外の中庭にある井戸のことを言っているのだとすぐにわかり、リアは無言で頷いた。とにかく顔だけでも洗いたかったし、ゼルガディスが双子のいないところでリアと話したがっていることにも気づいていた。
 剣を戻し、連れだって出ていく二人の背を見送りながら、アメリアは短く嘆息した。
「まったくもう………」
「母上、私、部屋に戻ります」
 不意にユレイアがそう言った。
「ちょっと待ってユレイア、これからわたしと一緒に体術の授業でしょう?」
「ごめん、さぼる」
「さぼ………」
 あまりに堂々と言われ、アセリアは絶句した。
「早くちゃんと記譜しないと忘れてしまう」
「は?」
 アメリアとアセリアが呆気にとられていると、慌ただしく一礼してユレイアは練兵場から出ていってしまった。
 溜息とともにアメリアはこめかみを押さえた。
「仕方ありません。あなただけでも行ってらっしゃい」
「ええ〜っ !?」
「ティルにだけ守らせてるつもりですか。自分のことは自分で守りなさい」
 少し不満げにアセリアは母親を見あげていたが、アメリアは頓着せずに娘の肩を押して共に練兵場を後にした。



 しばらく二人とも無言で顔を洗った。
 涼を求めて日陰にいる二人のあいだを風が渡っていく。それがほてった肌に心地よかった。
「何で乱れた。あのままなら勝っていたぞ」
 ゼルガディスが顎から滴をしたたらせながらリアを見た。服が濡れるのも気にせずに頭ごと顔を濡らしたせいで、要人とも思えないひどい有様だったが、一向に気にしていない。まあ、いつもこんな感じの人だ。
「………我に返りました。あのままだと大怪我をさせていました」
「たしかにあれが当たっていたらおれはよくても周りが騒でいただろうが、そうじゃないだろう」
 リアは唇を噛んだ。見透かされている。
「勝ちたくなかったか」
「いいえ」
 勝ちたい。誰にだろうと、自分自身にだろうと。
 ゼルガディスは溜息をついた。
 たしかに今日の手合わせにアメリアが怒ったのも無理はない。互いに集中しすぎて手合わせの意味をなしていなかった。
 打ち合いの最初から、相手の剣とその向こうにある真紅の双眸が尋常でなかった。最初はそのことに焦り、手合わせだということを思いださせようとしたのだが、そんな余裕はどこにもなかった。気を抜くとこちらがやられる。
 結果としてアメリアの雷だ。
 以前アメリアが言ったことを思いだす。
 リアだけ危ういと。間違いなくガウリイとリナの子どもで、そのことがわかるだけのものを受け継いでいるのに、ティルトとも姉弟だということが見てわかるのに、他の三人と比べて彼女だけ違うものがあると。
 そう言われた以前はよくわからなかったが、こうして剣を手合わせするだけで充分だった。
 三年間で何があったか。これを成長と呼ぶのなら成長したのだろうが、十五のときにはあったはずのリナに似た破天荒さがどこにもない。
 結局、溜息しかでてこなかった。
「強くなったな」
 リアの動きが一瞬止まり、すぐに再開される。水が盛大に跳ねる音だけが響く。
「だが、もうしばらく迷っていろ。迷いを切り捨てるな」
「―――それって逆じゃないですか」
 リアは手で水をすくったまま、思わず顔をあげていた。
 いきなり何を言いだすのだろう、この人は。だいたい、普通は逆で、迷いを捨てろとか、迷うなとか言うものではないだろうか。
 ゼルガディスは小さく肩をすくめた。
「迷いはなくなるものなんだ」
「捨てても、なくなることに変わりはないんじゃないですか?」
 単純に疑問に思ってそう問い返したリアにゼルガディスは苦笑した。
 何と言ったものか。柄でもない役回りだが、いい加減この歳にもなると慣れてきた。
「迷いなんてものは、消えるべきときに勝手に解決されて消えていく。無理に捨てるもんじゃない。むりやり捨てると」
 その指が己の頭をとんとんと叩く。
「ここが灼き切れる。一本とぶぞ」
 リアは声もなくゼルガディスを見つめた。
 自分はそんなものを切り捨てようとしていただろうか。
 たしかに、いつでもこれでいいのかわからずに、迷いながら歩いている。だが、それをやめようとはしていなかったように思う。むしろ、抜け出せずに足掻いてばかりだ。
「………まるで、ゼルさんが一本とんだような言い方ですね」
「実際とびかかってたな」
 濡れた髪を手櫛で撫でつけながら、ゼルガディスは真顔でそんなことを口にした。
「お前の両親に出逢わなかったら間違いなく、とんでそのままだっただろうな」
「だから、ですか?」
「うん?」
「だからあたしに迷ってろって?」
「お前の剣がめちゃくちゃだったからだ。以前に比べて強くなってるのに違いはないんだが、最初から噴っ飛んでただろう。止められなかったおれもおれだが」
 リアは顔を伏せた。
 果たしてどこまで読まれたか。
 ゼルガディスがしばらく見つめてくる気配がしたが、やがてそれも途絶えた。
 顔をあげようとしたとき、声がした。
「お前、何で剣を握っている」
「好きだからです」
 即答だった。
「剣の何が好きなんだ。はっきりいって自分以外の存在をどうにかするためだけの道具だぞ。騎士が剣に何かを誓うのは、あれは後付の幻想だ」
 すぐには答えられなかった。
 なぜかと問われれば、理由などないときっぱり答えていただろうが、何がと問われた。
 濡れた顔に触れる風がほてりを冷ましていく。髪の生え際の濡れた感触が少し気持ちが悪かった。
 結局こう答えた。
「剣は剣じゃないんですか? それ以外の何かがありますか?」
「ないな」
「ゼルさん………?」
 からかわれているのかと思い切り顔をしかめたリアに、相手は微かに唇の端を持ちあげた。
「何かあるやつは、騎士と同じで剣に幻想を持っているだけだ。幻想を持っているやつも困るが、剣にしろ何にしろ、技術そのものに何もかも捧げているやつも困る。危険でな。―――お前は違う。だから迷っていろと言うんだ」
 息が止まった。
 凝視した先で相手はひどく読めない顔をしていた。もともと表情が豊かな人ではないが、いつにも増して恬淡としている。
 まったく突然に、その表情に怒りを覚えた。
 ふと発作的に何もかもばらしてしまいたくなった。
 この胸の鬱屈。剣への飢え。
 そして眠る赤い黄昏の闇―――。
 それを知ったら、幼い頃から自分を知るこの人はどんな顔をするだろうか。それを伝え聞いた父は、母は、弟は―――。
 眩暈さえ覚えるほどの自棄的な誘惑だった。
「どうした」
 気配の変化を敏感に察して、ゼルガディスが怪訝な顔をする。
 濡れていた頬は乾きかけていた。
「ゼルさん―――」
 風が吹いた。
 ほどけた髪が目の前をよぎる。
 結局、気づけば全然別のことを口にしていた。
「………ゼルさん、ゼフィが苦手ってほんとですか?」
 口を濯ごうとしていた相手が勢いよく水を吹きだした。
「汚いですよ」
「お前な………。そんなことを誰が言っていた?」
「アセリアとユレイアです。ついさっき」
 ゼルガディスは頭を抱えて唸っていたが、やがて観念したかのように顔をあげた。
「会ってもいないのに好き嫌いを云々するのが間違っていることは承知している。会えばたぶん印象も変わるだろうさ」
「じゃあ、会いに行きます? ゼルさん、時々王宮抜け出しては下町にご飯食べに出かけてるでしょう?」
 ゼルガディスは額に手を当てたままうめいた。
「クーン、お前な………」
「ちなみにこれは母さんからですよ」
「だいたい、会ってどうするんだ。お前が世話になってるとでも言えばいいのかおれは」
 やけくそ気味のゼルガディスの言に、リアは不思議そうに首を傾げた。
「何だってゼルさんがゼフィにそんなこと言うんです?」
「………ガウリイが頭抱えるわけだこれは」
 きょとんとした顔をしているリアを眺めて、ゼルガディスは溜息混じりに呟いた。
 ―――ゼルガディスがもう少し気をつけてみていれば、リアの顔が微かに赤いことに気づいたかもしれない。



 開け放した窓を閉めようとして、ふとゼフィアは立ちつくした。
 夜との闇と見えない闇は等しく混然として彼を包む。
 日が落ちてからは早々に布は取り去っている。実は夏場は暑くてたまらないのだ、あれは。長い髪のほうは慣れてしまってそれほど苦にならないが、暑いものは暑い。
 気がつけば、いつの間にかひと月近くが過ぎていた。つい先日、この国の王女の立太子の式があり、祭りで街は賑やかだった。
 出した手紙は今頃サイラーグに届いただろうか。
 ―――見えるようになる。
 あまりにも簡単に手渡された事実が、どこかまだ腑に落ちず戸惑っている。
 セイルーンに来さえすれば治るようなたぐいのものではない。いま彼が受けている治療も研究の一環で、どうやらそれが上手くいきそうだというだけの話だ。まもなく完全に失明する彼の時間と、既存の研究が実を結びはじめた時期が運良く重なったというだけの、偶然性に満ちた話。
 奇跡のような。
 どこにって立てばいいのか、まだわからずに立ちつくしている。
 それでも、何でもよかった。
 見られるのなら。
 あの朝焼けを見られるのなら。
 世界を見られるのなら。
 見たいものなんか減りはしない。見れば見るだけ、次がほしくなる。終わりなどない。世界中の全てを見たとしても恐らく何度でも、自分はその全てが見たくなる。
 何ひとつ、見えなくていいものなどない。
 だから期待をするのは嫌だった。失って辛いものは持たないようにするのが自分のやり方だった。
 それなのに、いま、どうしても見たいものがある。
 生まれてしまった期待から、大きく膨らんでしまった望みがある。
 それを喜んでいいのかわからない。
 サイラーグにいる年上の友人あたりは手を叩いて喜びそうだが、如何せん、そこまで素直にはなれなかった。在ればただそれでいいと騙せるくらいには、自分は自身に嘘をついていられる。
 まだ閉めきらぬ窓の外から、じとりとした夜気が這いこんでくる。
 物思いをふりきるように、ゼフィアは窓を閉めた。
 微かな違和感に気づいたのはそのときだった。
「そこにいるのは誰ですか」
 先日のユズハの出現と同じような動きがあった。現れた質量に押されて、空気が微かに動くような気配。説明しがたい感覚だが、自分以外の他人が同じ空間にいると、いつもこうして暗闇が浮き足立っているような違和感を覚える。
 しかしユズハではないと思った。
 ユズハは音をたてるのもたてないのも無頓着だが、いま自分の周囲にある闇はどこか息を潜めているような感じがする。
 闇が声を発した。
「―――こんばんは」
 どこか楽しそうな口調だった。
 扉が開閉する音などもちろん聞いていない。
 いるはずのない他人が突然同じ空間に現れて口を聞いている。本来ならあり得るはずのない事態だった。
 ゼフィアは思わず顔をしかめた。
 ここにいると存在を申告されないのが、いちばん困るのだ。そういうことをされると、自分には頼りない感覚でしか相手の存在を探れない。
 ぬけぬけと夜の挨拶をしてくるところをみると強盗というわけでもないだろうが、まともな訪問ではないことも確かだった。
「どちらさまですか」
「初めまして。ゼロスと言います」
 くすりと声が笑う。
「一応、僧侶の恰好をしているんですが、あなたには僕の服装など見えないわけですから、名前以外にお知らせすべきものは特にありませんね」
「………あなたもユズハと同じですか」
 ゼフィアは閉めたばかりの窓を開け放っていた。
 湿気った夜気が再び頬をなめる。虫の声が止んでいた。
 彼の問いに、相手は少しばかり困ったようだった。
「何をもってあの合成獣と一緒にされているのかがわからないんですが………」
「現れ方です」
「ああ、そういうことなら同じ理屈ですよ。ただ、他のことでは一緒にされたくないですね」
 ユズハが普通の存在ではないを知っていることを前提としての会話が、あまりにも当たり前の調子で成り立ったため、問うたゼフィアのほうがわけがわからなくなった。
 漠然とした不快感と焦りは確実に水位を高めてきている。
「何の用ですか。言うまでもないですが、早々にお帰りください」
 相手はおもしろそうに笑った。
「そう言われるのも無理はないんですが、昼間はたいていリアさんがご一緒ですので、彼女がいらっしゃるところに僕が顔を出すわけにもいかないんですよ。どういうわけか嫌われてしまいましたので」
 声の発するあたりからして部屋の入口近くにいるのだろうが、一向に近づいてくる様子はない。
 いっそ自分のほうがこのまま窓から外に出て、ここから離れようかとも思う。
 相手の言葉が途切れ、自分もまた言葉を発せず、ほんのわずかな間が空いた。
 そして。
 ―――愕然としてゼフィアは背後を・・・ふり向いた。
 間近に迫った相手の気配は、どこまでも闇に近かった。
 あまりにも状況にそぐわない軽い口調はそのまま。
「取り立ててあなたに興味はないんですが、まあ、リアさんと一緒にいることが最大の不幸ですかね…………」
 それは、今から確かめようとしている幸福だった―――。



 床に倒れこんだ相手を無表情に見下ろしながら、しばらくゼロスはその場にたたずんでいた。
 やがて視線を外すと、暗示をかけるために相手に触れた自分の右手に視線を移す。
「将を射んとすればまず何とやらといいますが………」
 笑いに肩が揺れ、一歩下がった拍子に床を流れる髪を踏んだ。ざり、と嫌な音がする。
 足を退けると、ゼロスは身をかがめて意識のない相手に再び触れた。
「予定通りにいきましょう。僕にいま会ったことも忘れてもらいますよ」
 本当にごくありふれた、塵にも等しい人間だ。リナたちのように魔族の目に留まる強烈な部類のほうが少ないとはわかっているのだが、あまりに他愛ないので少々おもしろくない。
 まあそれも、いましばらくの辛抱だ。
 鼻唄でも歌いだしそうな機嫌の良さで暗示をかけ終わると、ゼロスは自分のいた気配の名残を消した。万が一、ユズハやガウリイなどに気づかれては困る。
「やれやれ。たった一度あの方の行幸を仰いだだけでこうとは」
 因果律はよっぽどずたずたになったに違いない。
 しかしこんなに楽しい目に遭うのは、かの行幸の契機となった冥王の一件以来だ。あのとき滅びなくてよかったなどと魔族らしかぬことを心の底から思ってしまうぐらいに、いまのこの状況は楽しい。
 やるべきことを済ませ、ゼロスは空間を渡って姿を消した。
「では。どうぞ、良い光を―――」
 開け放たれたままの窓の帷が、微かに揺れた。