楔―くさび― 序章

 ―――どうして、あたしのせいで、いつもだれかが傷つくんだろう?



 深夜、リナは宿屋のベッドの上で飛び起きた。
「………ッ」
 呼吸を整えて、吹き出た汗を拭うと、すぐ隣で眠るアメリアの様子をうかがう。黒髪の少女の起き出す気配がないのを確認して、少し安堵の吐息をついた。
 何の夢を見ていたのかは、思い出せなかった。夢に見そうな嫌な体験はありすぎるほどあったから、どれなのかはもはや見当もつかない。
 闇に呑まれる夢。自分でないだれかが血を流す夢、死んでいく夢。恐怖。怒り。悲しみ。孤独。不安―――
 ナメクジの夢は一度だけ見た記憶があるが、あまりにおぞましくて夢の内容は忘れてしまった。
 もちろん良い夢も見るけれど、最近は回数が少なくなってきていた。
 代わりによく見るのは、あの夢。
 ガウリイが冥王ヘルマスターに連れ去られた翌日に、初めて見た夢。
 初めて見て以来、あの夢は自分の眠りを妨げるようになった。
 ガウリイはちゃんと傍にいるというのに。
 最近、ふと思う。
 いつまで―――
 いつまでこうやって、皆と一緒にいられるのだろうかと。
 アメリアもそろそろ国に帰るころだろう。ゼルガディスだっていつまでも自分たちにつきあっているわけにもいかない。
 ガウリイは、一緒にいてくれるだろう。代わりの剣を探すって約束したから。
 でも、ガウリイは―――
 ぼんやりと、眠るアメリアを見下ろしていたリナの顔が、不意にゆがむ。
「また………?」
 アメリアが視界に入らないように、リナは横になって背を向けた。
 最近、頻繁に自分の体に異常が起きる。
 それがいったい何なのか、考えたくはなかった。原因の予想がつくだけに、考えたくなかった。


 ―――もしかしたら、あたしはみんなと一緒にいないほうがいいのかな。


 ふっ、とそんな想い脳裏をよぎって、リナは慌てて目を閉じた。
 眠らなければ。
 背中をぎゅっとアメリアにくっつけるようにして、リナは目を閉じた。
 まるで寂しがりの子供のような仕草だった。



 翌朝、いちばん起きるのが遅かったのは、やはりリナだった。
 一階に降りていくと、もう三人ともテーブルについている。
「おはよ」
「リナさん、遅いですよ」
 アメリアとガウリイの間の、空いた椅子に座る。差し向かいにはゼルガディスが座っていた。
「ごめんごめん。ちょっと夢見が悪くて、あんま寝てないのよ。あ、おばちゃんAセット三つね」
「リナ、平気か?」
「ん、だいじょうぶ。寝れなかったぶん、こうして起きるの遅いわけだし」
「ならいいが………」
 ガウリイが不承不承うなずくと、代わってアメリアが恨みがましい口調で言った。
「ほんとに寝れなかったんですか? わたし今朝、リナさんに押しつぶされて目が覚めたんですけど………」
「んー、気にしない気にしない」
「そりゃリナさんは寝てるからいいんでしょうけど………」
 ぶちぶち文句を言うアメリアに、水の入ったコップを手元に引き寄せながら、リナが尋ねる。
「なんなら部屋、別にしようか?」
 アメリアはちょっと驚いた顔をして、すぐに首を横にふった。
「いいです。部屋代もったいないじゃないですか」
「それもそうね」
 本当は、リナが心配で部屋を別にしたくなかったのだが、表面上アメリアはそう答えておいた。
 そうこうしているうちに、リナの前に注文していた料理が運ばれてきた。
 三人ともリナがすぐに食べ始めると思ったのだが、リナはやや驚いたような表情で、ぼんやりと手元の水のコップを眺めている。
「リナさん?」
「おい、リナ?」
「リナ、どうした。食べないのか?」
「あ、ああ………」
 口々に言われて、リナはハッと顔をあげた。目の前の料理を見て、ぎこちなく笑う。
「食べるわよ、もちろん」
 思い出したようにフォークを手に取るリナに、三人は思わず顔を見合わせた。
「リナ、お前本当に体調が悪いんじゃないか? もう一泊するか?」
 心配そうに聞いてくるガウリイに、リナは笑う。
「何言ってんの。ほんと平気だってば。ちょっと考え事してただけよ。で、どこ行くんだっけ、今日。イグルーゼだったっけ?」
 ゼルガディスがうなずいた。すでに朝食を終えたゼルガディスはマスクを口元にひきあげながら答える。
「セイルーンに向かうなら、イグルーゼの街だな。ゼフィーリアならプラメアだ」
「ゼフィーリアはやめて………」
 リナは思わずうめいた。
 一行は現在エルメキア帝国内にいた。何とか外の世界から結界内まで戻ってきたものの、お互い別れづらくて、半年ほど過ぎた今もいまだに一緒にいる。
 この街から北に行けばゼフィーリア、西に行けばセイルーンである。セイルーン近くまで行って、アメリアが抜ければ、自然とばらばらになるだとうという予想が全員の胸にある。
「昨日の話だとイグルーゼの予定だったろう。ただ、途中どうしても外で一泊することになる」
「別にいいんじゃないか?」
 ガウリイがそう言うと、アメリアもうなずいた。
「一日ぐらいなら、平気ですよ」
「そうね」
 リナはうなずくと、食べることに専念しだした。その様子はいつもとまったく変わらない。
 ホッとした表情のアメリアの向かいで、ガウリイだけが気遣わしげな表情をしていた。