楔―くさび― 第一章
晴れて、とても天気の良い日だった。
イグルーゼまでの街道は、森の中を切り開いて作られていて、街道の脇には切り株と木立がぽつぽつと続く。
前を行くガウリイの背中を眺めながら、ぼんやりとリナは歩みを進めていた。
眠りが足りないせいもあって、陽射しがとても気持ちがいい。
そうやって、ぼんやりと歩いていたおかげで、リナは気配に気づくのが四人の中でいちばん最後になった。前を行くガウリイの背中に思わずぶつかりそうになる。
「ホントに調子悪そうだぞ、リナ」
ガウリイがなかば呆れるようにそう言って、剣を抜いた。
「レッサーデーモン?」
アメリアの呟きに、リナはうなずく。
「野良ね。二、三匹しかいないし」
そう言って、ガウリイの服を思いっきり引っ張る。
「あんたね、まだ光の剣持ってた癖抜けてないでしょ。魔皇霊斬をかけるまで待ちなさいよ。ゼル、アメリア、先お願い」
二人はうなずいて、呪文を唱えだした。唱え終わるまえにデーモンの炎の矢が四人に向かって放たれる。
それぞれ飛び退いてよけると、結局いつも通りの二組に分断されてしまった。
リナの呪文を受けて、ガウリイの剣が赤く輝きを帯びる。すぐさま剣閃が奔り、デーモンが一匹、切り伏せられる。
アメリアたちのほうでも、何の苦戦もせずにデーモンを片づけていた。
最後の一匹を倒すため、リナが呪文を解放しようとしたときだった。
―――ドクンッ!
ひときわ大きく鼓動がはねた。
「 !? 」
だが、呪文を放たないわけにはいかない。
「黒妖陣!」
生み出された闇は、普段の倍近い大きさだった。巻きこまれそうになったガウリイが、すんでのところで飛び退く。
断末魔の叫びすらなく、デーモンは黒い塵と化した。
「おい、リナ!」
「ご、ごめん………」
しどろもどろ謝って、リナは口ごもる。ゼルガディスとアメリアが近づいてきた。
「増幅したのか?」
「う、うん。そうなの、ごめんね」
ゼルガディスの問いに、リナは慌ててうなずいた。
「たったあれだけのデーモンごときに、増幅なんていりませんよ」
「ごめんね、つい」
追及をかわすかのように、リナが荷物を担ぎなおす。
「じゃ、先に進もっか。日が沈んじゃうし」
これ以上のことをリナが言う気がないことを悟った三人は、リナに習って再び街道を歩き出した。
日が暮れてから、街道を少しそれた木立で、リナたちは野営をすることにした。
ゼルガディスとガウリイが周囲の草を刈っている間に、アメリアとリナが薪を集めて火を熾す。
ここでもやはり、リナの様子はおかしかった。
「ごめん、アメリア。火、点けてくれる?」
アメリアは戸惑った表情でリナを見返した。
「どうしてリナさんがやらないんです?」
ガウリイとゼルガディスが離れたところにいるのを確認して、リナはアメリアの耳をひっぱった。
「………そろそろ、近いのよ」
「………なるほど。それでさっきの呪文も増幅したんですね」
アメリアは納得顔でうなずいた。
その様子を怪訝な顔で男二人が眺めている。
「あたし、もっと薪集めてくるね」
「お願いします。わたしも火を点けたら行きますから」
リナの姿が木立の奥に消えると、ゼルガディスがアメリアに声をかけた。
「なんだっていうんだ、いったい」
「乙女同士の秘密です」
沈黙したゼルガディスを放っておいて、アメリアは呪文を唱えて薪に火を点けた。
腕の中に薪を抱えて、リナは溜め息をついた。
なんだというんだろう、いったい。
増幅なんか、もちろんしていない。普通に黒妖陣を唱えただけだ。
なのに、あれほどの闇を生んでしまった。
おかげで薪に火を点けるのさえ怖くて、結局アメリアにやってもらった。
もちろんあの日が近いわけでもなくて、アメリアだけでもごまかしておこうと思って、嘘をついた。
木立を吹き抜けていく風に、さらわれそうな頼りない自分がいる。
自分自身が大きく広がり、収拾がつかなくなっていく感覚に、眩暈すら憶える。
無限に、融けて。広がり、溢れ出て。
融和し、還元する――――
その感覚を追い出すように、リナは軽く頭をふった。
しばらくそのまま薪を集めはじめたが、不意に目をまたたく。
「また………?」
しゃがみこんで顔を押さえたリナを、アメリアが見つけて駆け寄ってくる。
「どうしたんです、リナさん?」
「何でもない………。ちょっと立ちくらみがしただけよ」
「貧血になりやすいですからね。あの前って」
勝手に納得しているアメリアにリナは苦笑して、薪を抱えて立ち上がった。
ぱちぱちと闇に赤い炎が踊る。
「すっかり日も落ちちゃったわね」
リナの言葉に、三人とも空を見上げた。
「でも、きれいですよね。こういう時間の空って、わたし好きです」
アメリアが嬉しそうに空を見たまま言った。
鮮やかな夜の藍と、夕陽の名残の紅色と、空本来の青さが絡みあい溶けあって、その奥で、光り始めた星が瞬く。
四人とも、持ってきた携帯食で適当に夕飯をすませて、後は寝るだけだった。さっきまでは携帯食のまずさについて、リナが何やら文句を言っていたのだが、いまは揺れる炎をぼんやりと見つめている。
完全に日が落ちた時点で、木々の向こうから満月がゆっくりと夜を照らし出した。空はもはや藍一色。
「満月だったんですね」
アメリアがそう言って、ひざを抱える。月光と炎が、それぞれ混ざり合って美しい。
「そろそろ寝るか」
ゼルガディスが剣を手元に引き寄せた。
不意にリナが立ち上がった。
「リナ?」
「ん、ちょっと風に当たってくる」
そう言って、ガウリイの表情に気づいて笑う。
「何よ、だいじょうぶだってば」
木立の奥に消えていく小柄な影を見送ったと、何やら微妙な沈黙が野営の場をおおった。
しばらくもしないうちに、ガウリイがいらいらと焚き火を木の枝でかき回し始める。
難しい顔でアメリアが、リナの消えた木立とガウリイを交互に見る。ガウリイと目のあったゼルガディスが苦笑して、視線とあごで、いいから行って来いと告げた。
ガウリイがちょっとだけ苦笑した。
「ちょっと見てくるよ」
ゼルガディスが片手をあげてそれに応じる。アメリアは何やら瞳を輝かせてガウリイを見送った。