さもなくば永遠に沈黙せよ

   Lord of the darkness and four worlds.
   ―――四界の闇を統べる王

   I beseech thy fragments.
      汝の欠片の縁に従い

   By all of the power thou possesses,
      汝ら全員の力もて

   give me further power.
      我にさらなる魔力を与えよ―――


 あたしがこの呪文をつむぐことは、
 ―――もう、ない。



 冬晴れの空は高く澄み、とうめいな青さが心地よい。
 うららかな午後の日射しのなか、葉を落とした木々を揺らして風が渡りゆく。
「…………」
 風に溶け込む吐息にも似た、あたしのつぶやきを聞きとがめ―――
 すこし先を行く旅の連れが、ひょこんと金色の頭を揺らし、こちらの方をふり向いた。
「なんか言ったか、リナ?」
 ここで首を横にふることは簡単だが、あたしの旅の連れであるこのガウリイ=ガブリエフ、頭の中味はブドウゼリーでも、五感はそれこそケモノ以上。
 ごまかそうとはせず、あたしはあっさり白状した。
「ただの『混沌の言語(カオス・ワーズ)』よ。気にしないで」
「気にしないで………って、それって、呪文ってことだろ?」
 わかっていないガウリイが首を傾げる。
 ―――現在、あたしたちが歩いているのは、カルマート公国からゼフィーリア王国へと続く大きな街道である。
 交易の大動脈でもあり、ひとの行き来もさかんな街道で、道幅も大きい。治安にも力を入れており、まかり間違っても野盗や盗賊なぞ出てきたりはしない。
 現にいまも、行く手からきた行商人の馬車が、のんびりとあたしの横を通りすぎていく。
 敵の気配などカケラもない。
 なのになぜ―――呪文を唱える必要があるのかと、彼は言いたいのだろう。
「だから、呪文じゃないわ。混沌の言語(カオス・ワーズ)
 重ねてあたしはそう告げる。
「………えっと………なんか違うのか?」
「全然違うわ。説明したげてもいーけど………聞きたい?」
「おう、いまヒマだから、聞いてもいいかなーとは思うぞ」
「………話したげない………」
 単なるヒマつぶしに聞いてやってもいいなどと言われ、これで話をする気になるひとがいたら見てみたいものである。
 ………まあ………説明したところで、ガウリイに理解できるかどうか、はなはだ怪しいものがあるが………
 彼に言った通り、呪文と単なる『混沌の言語』というのは、大きく違う。
 ―――術の詠唱に使用する専用の言語が『混沌の言語(カオス・ワーズ)』である。
 そのこと自体はなんら間違っていないのだが、だからといって単語ひとつ、ぽんっ、とつぶやいてみたところで、それが即、呪文になるかというと、そうではない。
 形式にのっとり、きちんとした発音のもとにことばを選び重ねて、ようやっと呪文として因と果を律する力を持つのである。
 つまるところ、あたしがつぶやいていたのは、呪文としての形式をととのえていない、単なることばとしての『混沌の言語』なのだ。
 それだけの話なのだが実際に、あたしが何をつぶやいていたのかというと………
「―――とにかく! 単なる『混沌の言語』よ。
 べつに呪文唱えて、そこらのおっちゃんをガウリイごと吹っ飛ばそうとしてるワケじゃないから安心して」
「………オレごとって………?」
 何やらガウリイがつぶやいているが、あっさりとそれは無視。
「さっきの町で読んだ論文が、ちょっと………ね。
 だから、あんまし気にしないで」
 あたしはぱたぱたと軽く手をふってみせる。
 嘘は言っていないが、事実を正確に語ってもいない。
 どこぞのパシリ魔族のような言いぬけかただが、常にうかつさ最大積載量のガウリイ相手にはこれで充分。
 ………まあ………時々とんでもなく鋭かったりするのだが………
 幸い今回は納得してくれたようで、あたしは彼と並んで歩きながら、道の先へと視線を向けた。
 あたしの足下から伸びゆく道の、その先は―――
「―――Till death parts us………」
 ふたたびそのことばをつぶやいて、あたしはガウリイに気づかれないよう、小さくため息をついたのだった。



 魔王と二度目の邂逅を果たし、サイラーグであたしがすこしだけ泣いてから―――
 黄金竜(ゴールデンドラゴン)の長老ミルガズィアさんと、偏食エルフのメフィことメンフィス=ラインソードとは、そのあとあっさりと別れた。
 それから―――
 とくに行くあてもなく。
 ガウリイのミョーな押しの強さに負け、よぉわからんうちにあたしの実家、ゼフィーリアを目指すことになったのはいいものの―――
 あたしはとても悩んでいた。
 一人で悩んでも答えが出るようなものではないが、かといって、相談してもラチはあかない。
 これはまず、あたし自身が結論を出すべき問題なのだ。
 答えが出ない限り―――彼に向き合うことはできない。
 思い悩むあたしへと、寒さを増した風が吹き、心をふるわせ過ぎてゆく。
 そう―――寒さを増した風が。
 サイラーグを出発したとき、季節はすでに秋だった。
 半島の西にあるライゼールから、東の端にあるゼフィーリアへ―――
 口で言うのは簡単だが、現実問題として一足飛びに足を運べる距離ではない。
 どれほど旅を急いだとしても、あたしの実家のある王都ゼフィール・シティにたどり着くことはおろか、ゼフィーリア領内に入る前に、季節は変わってしまうだろう。
 ………おわかりいただけるだろうか、あたしの悩みが。
 終わってしまうのだ。すなわち、ブドウの美味しい季節とやらがっ!
 それでもかまわず、ガウリイを連れて実家に帰る―――などという選択肢は、あたしの頭の中にはカケラもない。
 ………なんだってブドウもないのに、ガウリイなんぞを連れて、実家に顔を出さねばならんのだ………
 ガウリイもガウリイで、今ちょうどブドウの季節とゆーことは、旅をしている間にその季節が終わるだろうことぐらい、いくらクラゲとはいえ気づいてよさそーなもんである。
 ………何も考えずに口に出した可能性の方が高いが………それとも………いや、いい。考えるのはやめておこう………
 ………はう………
 そーゆーわけで。
 サイラーグを発ってはみたものの、連日連夜あたしのため息の数は増えまくり、ある日、とうとう思いあまって、あたしはガウリイに話をもちかけた。
 すなわち―――
 今からどんなに急いだところで、ブドウの季節は終わってしまう。ならばいっそ、来年の秋にゼフィーリアにたどり着くことを目標として、あちこちのんびり見て回らないか―――
 ………そこっ! 思いっきり逃げてるとか言うなっ!
 急ぐ旅ではないとはいえ、たどり着くのが一年後とゆーのは、さすがにあたしもムチャだとはわかってはいるのだが………
 正直な話、どれだけ頭をヒネっても、これぐらいしか解決策が思い浮かばなかったのである。
 ………なんの解決策なのか、自分でもよくわからなくなってきてるけど………
 しかし実際のところ、ひたすら急いで実家を目指すより、あたしとしては、あちこち寄りたいところがあったのだ。
 特にどうしても―――セレンティアには。
 あの街に眠る『彼女』にすべてを報告してからでなければ、どこにも行くことはできない―――
 正直にそう打ちあけたあたしに対して、ガウリイは、セレンティアに行くことについては、すぐに首を縦にふった。
 ところがどっこい。一年後にゼフィーリアとゆー、あたしの完璧なプランには、即座に首を横にふったのである。
 ………いったいどーゆーつもりだ………あのミジンコ頭………
 ブドウ以外にこれからの季節、おいしいものってないのか? などと問われ、思わず故郷自慢をしてしまったあたしもマズかったけど………
 だがしかしっ! ここで押し切られてはリナ=インバースの名がすたるっ!
 ならば、途中せめて、大きな魔道士協会のある街に寄りながら行きたい―――
 あたしはそう食い下がり、それを承諾させた。
 大きな魔道士協会のある街は、当然ながら、それなりに発展している。
 必然的に、そこには大きな表街道が通り、そのようなある程度の規模の街をたずね歩く以上、あたしたちが利用するのもまた、表街道ばかりということになる。
 そして表街道というものは、治安もよく、道も整備されて歩きやすいぶん、やたらと遠回りだったりするのだ。
 盗賊いぢめがしにくくなるのは痛いが、何のこれしきっ! 今のあたしには、おたからよりも時間が必要っ!
 …………………………………………………………………
 ………いや………なんで………おたからより、時間………?
 自分で言っといてなんだが、ワケがわからない。
 しかし、苦しまぎれの策とはいえ、あたしが大きな魔道士協会に寄りたかったのも、これまた事実である。
 ―――時々―――
 走ったりなんなり、少々勢いをともなう動きをした際に、胸元で揺れる慣れた重さがないことに、とまどうあたしがいる。
 ちらりっ、と手首に視線を落としても、当然ながら―――そこには何もない。
 盗賊や、まだまだ各地に多いデーモン相手に、一気にカタをつけようと、うっかり増幅の呪文を唱えかけ、あわてて中断したことも一度や二度ではない。
 ………どうやらあたしは、自分でも気づかないうちに、相当クセになっていたようである。
 魔道士協会に寄りたいというのは、つまりはそういうことなのだ。
 あたしは早急に―――というのは、ムリかもしれないが………何がどうあっても、呪符(タリスマン)に代わる魔力増幅の手段を手に入れなければならない。
 あたしには、いささかどころか、死ヌほどいらん因縁が多すぎる。
 いつどこで、また何に巻きこまれるか、わかったもんではない。
 そういう意味で、神滅斬(ラグナ・ブレード)獣王牙操弾(ゼラス・ブリッド)が使えなくなったのは痛かった。このままでは、かなり心もとない。
 以前にもちょっと研究していたことがあるからわかるのだが………
 魔力増幅の方法なぞ、はっきりいって雲をつかむような話である。
 呪符のほかに別の魔血玉(デモン・ブラッド)―――賢者の石が存在し、それならば同じように増幅の効果があるということは、はっきりとわかっているが、それとて伝説級のシロモノである。
 簡単に見つかるはずもない。
 だが―――
 あきらめる気はカケラもなかった。
 可能性は、いつだって残されているはずなのだ―――
 あきらめてしまえばそれすらも、その時点でジ・エンドである。
 実家にうまいものを食べに帰る旅の途中だからとて、やれることはたくさんある。
 あたしはまずは手はじめに、以前の知識の復習を、と思いたち―――各地の魔道士協会で文献を読みあさることにした。
 行く先々で魔道士協会をたずねては文献を精読し、閲覧を断られては竜破斬を唱えかけ半泣きで案内してもらったり、地元の魔道士と語りあってそこでの最先端の理論に触れ、ちょっぴりケンカを売られては爆裂陣(メガ・ブランド)でへち飛ばし、夜は宿の一室で自身の考察や推論を書きつけ、隣室でどんちゃん騒ぎをしている宿泊客にぷちキレて、それでも平和的に眠り(スリーピング)で解決し、なぜか翌朝、宿のおやじさんから苦情を言われてみたり―――
 あたしは毎日、真剣に対応策を模索している。
 ………誰がなんと言おうと、真剣ったら真剣なのである。
 そんなことをくり返しているうちに、いつのまにやら、旅程の半分は過ぎていた。
 セレンティアに立ち寄り、そこからラルティーグ領内を抜け、カルマートに入り―――
 この表街道の行きつく先―――あと十日もすれば、ゼフィーリアとの国境へとたどり着く。
 旅の終わりは近い。
 だがしかし―――
 あたしのなかではまだ、何も終わってなどいなかった………



「………だああっ! 眠れんっ!」
 叫んであたしは身を起こし、ベッドでひとり頭を抱えこんだ。
 何も終わってなどいなかった………などと重々しく結んではみたものの、当然ながらそれで解決策が浮かぶはずもなく。
 時刻はたぶん夜中をまわったあたりだろうか。
 一階の食堂兼酒場のざわめきも消え、街は寝静まり、ときおり野犬の遠吠えが遠くに響く。
 何かあったかいものでも食べれば一発なのだろうが、階下に降りていくのも気がひけた。つうか、着替えるの寒いし。
 ―――あのあと。
 あたしは時々、思いだしたように『混沌の言語(カオス・ワーズ)』をぶつぶつつぶやきながら街道を歩き、そんなあたしに困った顔をしながらも、黙ってガウリイがとなりを歩く―――とゆーのを、この街にたどり着くまで、えんえんと続けた。
 ………ちょっぴし、アブないひとだったかもしんない。
 街に到着してからは、いつものように宿をとり、夕食をすませ―――あたしはつぶやくのをやめた。
 ………単に食べることの方に口を使っていただけの話である。
 だが鶏肉の香草蒸しやら、冬野菜と茸のシチューやらをせっせと食べているその間にも、あたしの頭の中では前の街で読んだ論文の内容がぐるぐるとムダにうずを巻き、しまいには腹まで立つ始末。
 ………あんな論文………とゆーか、論文以下のくそポエム、読まなきゃよかった………
 心の底からそう後悔してみるものの、いまさらどうしようもない。
 今のあたしには解決すべき問題がふたつ、存在する。
 そのうちのひとつ―――魔力増幅に関しては、これは一朝一夕にどうにかなるシロモノではない。
 ここまで来る間にも、可能な限りの文献に目を通している。
 あとはゼフィーリアに帰ってから、旅立つときに古巣の魔道士協会にうっちゃってきた研究を再開してもいいし、またどこかに旅に出るなら、それはそれでよし。
 このことに関しては、すぐにどうこうしなければならないわけではない。
 そうなると必然的に、残された問題は―――あとひとつ。
 今まで極力、気づかないフリをしてきたのだが―――いらんポエムまがいの論文を読んだせいで、思考がソレに占拠されつつある。
 …………………………っだああああっ!
 叫びだしそうになるのを必死にこらえ、あたしは罪もない枕に怒りのこぶしを叩きつけた。
 おにょれっ! 『混沌の言語の言語的可能性に関する一考察とその実践』などとゆー、ご大層な題名のあのくそポエム許すまじっ!
 ―――実は、魔道士うちで、当然押さえておかねばならない必須文献として、同じ著者で似たよーなタイトルの『混沌の言語の言語的可能性と詠唱の洗練・簡略化に関する一考察』なる文献があるのだが………
 これは逆に、非常に完成度の高い論文なのである。
 おそらく、ほとんどの魔道士協会に複写が存在するだろう。
 このあたしも、まだ駆けだしだった頃にこの論文を読んでいるのだが―――実際、めちゃくちゃ面白かった。
 個人の研究レポートというものは、その出来不出来は、当然ながら研究内容に大きく左右されるものである。
 だが、それ以外にも、レポートの構成や取りまとめの仕方、本人の文のクセなどといったものも、実は地味にかかわってくるものなのだ。
 研究の着眼点は良いのに、あまりにも章立てがごちゃごちゃして文にまとまりがなく、話のスジがあっちこっちに飛びまくり、結局あんたは何が言いたいっ! と途中で床に叩きつけたくなるよーなものもあれば、研究していることはかなりどーでもいいことなのに、構成が見事なうえに、文章も簡潔かつ明瞭(めいりょう)で、ついつい最後まで読んでしまったりするようなものもある。
 この『混沌の言語』のレポートは、研究内容もさることながら、理解(わかり)やすく簡潔でなお美しいその文章も高い評価を受けて、「魔道士の論文とはかくあるべし」と最重要文献として位置づけられているのである。
 かく言うこのあたしも、一読して以来、すっかりこの論文のファンになっており、立ち寄った魔道士協会で同じ魔道士が書いた別の研究論文を見つけ、これは! とばかりに手を出してみたのだが………
 ―――はっきり言おう。
 埋めろ。燃やせ。ンな論文。複写するなど紙のムダっ!
 なんだって、あれだけすばらしい論文を書いておきながら、次に発表した研究成果が『混沌の言語(カオス・ワーズ)』で詩をつくることだったりするっ!?
 ………まあ………世の中には、ナマコの食べ方とか、ツエツエバエの魔道的考察とか、それ以上にどーしようもない研究してる魔道士いるけど………
 ナマコやツエツエバエよりは、まだ役に立つかもしれないが、『混沌の言語』で詩をつくってどーなるというものでもない。
 どれだけ韻を踏もうがことばを選び抜こうが、そもそもが『死』だの『滅び』だの『悪夢』だの、非常に物騒なことばにかたよっている言語である。
 『永遠』や『誓い』などということばも存在するが、まかり間違っても『食堂のおばちゃん』やら『Aランチ』などということばは存在しないので、日常会話もとーぜんムリ。
 ………存在してたら、そもそもソレ、詠唱用の言語じゃないし。
 聞けばこのくそポエム。呪文としての形式をととのえさえすれば、呪術などの詠唱に応用がきくとかで、そう低い評価ではないらしいのだが………。
 このあたしの思考を、いらん方向に関連づけただけでも万死に値するっ!
 何が悲しゅうて、好きな魔道のことを考えていたはずなのに、なにゆえそれがいつの間にか、ガウリイ連れて実家に帰ることの意味にすりかわってなければならんのだ。
 ………つまり、そぉいう内容の『混沌の言語』だったのである………
 ………勘弁してくれ、まぢで………
 『死』だの『沈黙』だの物騒なことばばかり使っても、なるほど、それなりに真っ当な意味合いの文というのはつくれるものなのだ、と知ったが………
 知ってどーなる。どチクショウ。
「………ったく………」
 あたしは眠るのをあきらめて、ベッドの上に座りなおした。
 がしがし頭をかきつつ、現状を把握しようとつとめてみる。
 ここはカルマート公国。季節は晩冬。
 あとひと月もしないうちに、ゼフィール・シティにたどり着く。
 以上。
 うあぁっ! 把握したところで何の解決にもならないぃぃぃぃっ!
 落ちつけあたしっ。どーよーすればするほど、こちらが不利っ!
 ………まあ、要するに。
 その………つまり―――アレである。
 ふつー、旅に出ていた年頃の娘が実家に男連れて帰ってきたら、ブドウを食べに来たではすまない。
 それですんでくれたら、あたしがこれだけ頭を悩ませなくてもいいのだが、世の中そう都合良くはできていない。
 世間サマの常識とゆーものは、得てしてこんなものである。
 つまるところ、話はそれに尽きる。
 いくらあたしがブドウを―――ええいっ、もうブドウじゃなくてなんでもいいっ! なにか美味しいものを食べに来たのだと主張したとしても、あたしのまわりのひとたちがそれをどうとるか―――考えたくもない。
 まして内心はどうあれ、どーいう反応を返してくるか―――
 それこそが、あたしを心底ビビらせている原因だったりする。
 ………とーちゃんは、まず間違いなく釣り竿をぶんまわしてくるだろーし………あたしにじゃなくて、ガウリイに………
 ………かーちゃんの反応はいちばんマトモそーだけど………
 あとは、ねーちゃん………
 …………………………………………………………………
 ああっ、ねーちゃんのリアクションがいちばん怖いぃぃっ!
 あとひと月近くはあるという今でさえ、想像するだけで手がふるえ、冷たい汗が滝のように流れ出すのを自覚する。
 ほかにも、ねーちゃんの職場の同僚であたしの剣の師匠だとか、リアクションが不安なひとたちとゆーのは何人かいて………か、考えるだけで頭が痛ひ。
 ねーちゃんの影がちらつくだけで、本能がこれ以上の思考にストップをかけてくる。
 ………はう………
 ため息ひとつ吐きだして、あたしはベッドに寝転がった。
 とりあえず、あたしが取れる選択肢は今のところ―――ふたつ。
 このまま何もせずに旅を続け、そのままゼフィール・シティに入るか―――
 あるいは。
 答えがなんであるにせよ、とにかく早急に結論を出すか―――
 ………ったく。いったいなんの結論なんだか。
「………or forever hold your peace………」
 呪文にすらならぬことばのかけらをつぶやいて、あたしはむりやり目を閉じた。



 ―――翌朝―――
 軽い寝不足ではあったものの、いつものように朝食をとり、あたしたちは次の街へと出発した。
 ………といっても、街と街のあいだの距離が短く、あたしたちはさほど歩くことなく、次の街へと到着する。
 たまに、こういうこともある。
 急ぎの旅ならば、このまま街を通過し、日が暮れてから街道脇で野宿をしていたかもしれないが、今はそうではない。
 ここの魔道士協会は、出立した街の協会を親とする小さな支部しかないので、とくに立ち寄る必要はなかったが、いちおーそれでも挨拶をかねて顔を出す。
 そんな用事に、たいして時間がかかるわけでもなく。
 あたしとガウリイは今夜の宿を探しつつ、ぶらぶらと表通りを歩いていた。
 途中でパノン・ジュースをひとつ買い、のんびりとあたりを見て歩く。
 デーモンの大量発生のおかげで一時は、訪れるどの街もひどくさびれていたのだが、最近ようやっとあちこち活気を取り戻しつつあった。
 この街もさすがに大きな街道が通っているだけあって、通りには露店と屋台がにぎやかに軒を並べ、あれこれ見て歩くだけでもそれなりに面白い。
 ………そういや、手みやげのひとつもない帰省というのも味気ない、か。
 みやげ話は山ほどあるが、実際に形になるものがないのも、またさみしい話である。
 せっかくだし………なんか見(つくろ)っていこーかな………
 日は傾きはじめているが、店じまいにはまだ早い。
 羊肉の串焼きやら鶏の衣揚げやらを、ガウリイと奪いあいながら囓りつつ。
 通りをゆくあたしの視界に、ひときわ特徴のある輝きが飛び込んできた。
 これは………この輝きは―――
「………リナ?」
 気づいて声をかけてくるガウリイに軽く片手をあげて応え―――単に衣揚げがまだ口の中に残っていたのである―――あたしは、その露店へと近づいた。
 どうやら、背後の魔法の道具の店(マジックアイテム・ショップ)からの出店のようである。
 カルマートはお国柄なのか、このテの施設が極端に少ないのだが、この出店もその例に漏れず、特に目をひくような品はない。
 まあ、掘り出し物を露店に並べて二束三文で叩き売る、なんつーのは、店じまいでもない限りやらんだろーし………
「お、いらっしゃい」
 あたしが魔道士姿なのを見てとり、店番をしていたおっちゃんが気安く声をかけてくる。
 並べた木箱の上に板と布を敷いた売り台には、宝石の護符(ジュエルズ・アミュレット)を加工した装飾品から、ちょっぴり黄ばんだレグルス盤まで、これといった統一性のない品が、雑多に並べられていた。
 その中で、あたしの目をひいたのは―――
「―――これ、魔道銀(ミスリル)ね」
 あたしは並べられた小物のなかから、ひとつの指輪(リング)をとりあげた。
 なんの変哲もない、ごくフツーの装飾だが、どことなく蒼みを帯びた銀が暮れなずむ夕日の赤をはじき、ぬめるような紫に光る。
 その輝きになぜかふと、斬妖剣(ブラスト・ソード)を思いだし―――
 あたしは思わず、かたわらの相手をちらりっと見やり、すぐに視線を戻した。
「さすが目が肥えてるねぇ。
 言う通り、それは魔道銀だよ―――上物だろう?」
 愛想を言う店のおっちゃんに適当に相槌をうちながら、あたしは指輪をためすすがめつし―――その手を止めた。
 指輪の内側に彫りこまれた『混沌の言語(カオス・ワーズ)』を目にとらえ。
「………Till death parts us」
 思わずそのことばが、あたしの口をついて出る。
 すると、それまであたしのすることをぼけっと眺めていたガウリイが、そのつぶやきを聞きとがめ、
「それって………昨日からお前さんがなんかぶつぶつ言ってた―――」
「違うわよ」
「そうか?」
 きっぱり否定したあたしに、納得いかない顔で首を傾げるガウリイ。
 ああっ! さすがに昨日の今日だとおぼえてるっ!?
「呪術につかう呪具ね。効果のほどはさておき」
 つとめて淡々とそう告げたあたしに、
「おや、そうなのかい?
 てっきりお守り代わりの装飾品(アクセサリー)だと思って仕入れたんだけどねぇ」
 以前にあたしが肩当て(ショルダーガード)を購入した店のおばちゃんと同じで、おっちゃんもただの商売人らしく、やたらと呑気にそう言ってくる。
 ………まあ、世間一般にはそうとも言うかもしんない………
「なんだい、呪術ってことは………なんか物騒なシロモノなのかい?」
 世間の呪術に対する誤解そのまま、心配そうに言うおっちゃんに、あたしは小さく肩をすくめてみせた。
「いいえ。単に儀式の成功率を高める効果があるってだけで、モノはただの指輪よ。
 メッキじゃなくて本物の魔道銀だから、逆にそれなりのもんだし」
 この魔道銀(ミスリル)、魔道士の間ではそこそこ需要のある金属で、硬度はそれなりだが、金と同じで異様に伸びが良く、糸や箔状などに簡単に加工することができる。
 以前のあたしのマントも、これの繊維を織りこんで仕立てられたものだった。
 だが、そうやって需要が高いわりに、オリハルコンほどではないが、やはり産出量が少なく、魔道銀製とうたわれている品物は実は、そのほとんどがうわべだけのメッキ加工だったりするのだ。
 ぶらさがっている値札を見ると―――まあ適正価格と言えないこともない。
 相場より、多少安いと言ったところか。
 見るだけ見て、あたしはさっさと指輪を元に戻した。
 するとガウリイが、意外そうな顔であたしを見やる。
「なんだ、リナ。買わないのか?」
「………へ………?」
 思わずあたしはあきれ顔で、ひらひらと手をふってみせた。
「………あのねえ、ガウリイ?
 あたしが手袋してるの見えない?
 こんなモンしてたら、邪魔で仕方ないでしょーが」
 仮にしたところで、手袋の着脱時に引っかかることは目に見えている。
 かといって、手袋の上から指輪をするのはあたしの好みではない。
 なんか、これ見よがしとゆーか………趣味が悪そうに見えるのだ。
「いやぁ………しげしげ見てるから、てっきり買うのかと………」
「………ま、指輪じゃなけりゃ、ちょっとは考えたかもね」
 純粋な魔道銀自体、機会がないとは言わないが、あまり目にするものではない。
 先ほど述べたとおり、糸やらメッキやらの加工品が多いのだ。
 言った通り、指輪でなければ考えてもよかったかもしれないが―――
 ………まあ、あのミョーな『混沌の言語』が彫りこんである時点で大却下だけど………
 などと内心思っていると、とーとつにガウリイが口を開いた。
「指輪じゃなけりゃいいんだな?」
「………へっ?」
 質問の意味がわからず、あたしは思わず間の抜けた声を上げる。
 そのあいだに、彼は店のおっちゃんと話をつけ、さっさと支払いをすませると、ソレをあたしに差しだした。
 首からかけられるように、鎖に通された魔道銀の指輪を―――
 さすがにあたしは絶句する。
「ほら、これならいいだろ」
「………いいだろ………って………」
 我ながら、問い返す声がかすれているのがわかる。
 面食らっているのと、動揺しているのとで、思考がうまく働かない。
 ………さすがに、これは………ちょっと………
 返答すらできず硬直しているあたしに。
 いつもと何ら変わらぬ口調で、ガウリイは―――
「………ほら、お前さん、首にしてた赤いの壊れてから、なんだか落ちつかないふうだったし………同じように首からなんか下げてりゃ、重くて安心するんじゃないかと思って………」
「あたしは気に入りのぬいぐるみがどっかいって寝れないお子さまかああぁぁぁぁっ!」
 すぱぁぁぁぁぁぁんっ!
 あたしの怒りのスリッパは、迷うことなくガウリイの後頭部を直撃した。
 店のおっちゃんが目を点にしてあたしたちを見ているが、はっきりきっぱりそれは無視っ!
 ったく………いくら胸元が落ちつかないからって、なんだって呪符の代わりに、そんなやたら意味深な指輪を首から下げねばならんのだっ!?
 ンなもんが代わりになると本気で―――
 ……………………………………………………………………
 あ………
 ―――この時―――
 あたしは自分でも、妙に冷静だった。
 おそらく―――顔色ひとつ変えてはいなかっただろう。
 ………ふぅん………そう来るわけね………
 急に黙りこんだあたしを、店のおっちゃんとガウリイが、それぞれ表情は違えど、揃って同じように見つめてくる。
 おもむろに―――
 あたしはひょいと肩をすくめると、ガウリイの手のひらからソレを取りあげた。
 通された鎖に指をひっかけ―――くるりと回して見せる。
「ま、くれるっていうんなら………もらっとくわ。
 ―――ありがと、ガウリイ」
「………あ? ああ………」
 何やら妙な顔つきでガウリイがうなずき返す。
 あたしはあえてそれに気づかないフリをして、もらったものをふところにおさめた。
「じゃ、そろそろ日も暮れるし、いいかげん今夜の宿を決めに行きましょーか」
 店のおっちゃんに手をふって、返事も聞かずに歩きだす。
 わずかに遅れて―――無言であとを追ってくる、彼の気配。
 ―――今頃になって。ようやっと。
 ときんっ、と鼓動がひとつ跳ね―――
 通りの角を曲がった途端、射しこむ夕日があたしの顔を赤く照らしだした。
 ………へぇ………なるほど………
 あたしはかすかに口の端を持ちあげる。
 申し訳ないが―――
 そっちがそう来るなら、こっちはこっちで勝手にやらせてもらうことにする。
 ―――このあたしを、ナメないでいただきたい。



 旅は続く―――
 町から町へ。
 街道を歩いてすこしずつ、だが確実に距離を重ね―――
 こんこんっ、と扉が叩かれる音がした。
 ………来たか………
「―――起きてるし、開いてるわ。入ってきていーわよ」
 あたしの声に応え、部屋の扉が開かれる。
「リナ、どっかぐあいでも………って、起きてるじゃないか、お前さん………」
「だからいま、起きてるって言ったでしょーが」
 完全に旅支度をととのえ終えているあたしを見て、やはりこちらも支度の終わっているガウリイがわずかに顔をしかめる。
 おおかた、あたしの調子が悪いか、寝過ごしたか、そのどちらかだと思っていたのだろうが………
 ―――そうではない。
 待っていたのだ。
 あたしは―――彼を。
「準備ができてるなら、なんだって降りてこないんだ?」
「ちょっとね」
 あたしは小さく笑って、部屋に入って扉を閉めるよう、彼にうながした。
 開け放ったままの窓からは、朝の光がこぼれ落ち、ときおり、ちちっと小鳥がさえずる。
 ちらりとのぞく空は澄み、今日もまた、良い天気だろう。
 あたしとガウリイが今いるのは、カルマート最東端の町。
 ここを発てば、今夜たどり着く町はもう―――ゼフィーリア王国領内である。
 そして―――
 そこからあと数日も歩けば、あたしの実家―――ひとまずの旅の終点となるゼフィール・シティに到着する。
 ………うあ………今頃になって、なんだか後悔してきたよーな気がしないでもないけど………
 いまさら、そんなこと言ってどーなる………
 どうやら―――あたしは自分でも思っているほど、強いわけでも、決断力があるわけでもないらしい。
 つうか、いーかげん腹くくれ自分。
 ため息にも似た深呼吸をして、あたしはようやっと心を決めた。
「………リナ?」
 怪訝そうなガウリイの声。
 あたしはただ黙って、彼に向きなおった。
 そのまま、ゆっくりとした動作で―――左の手袋を脱ぐ。
 彼の表情が、わずかながら変化する。
 ―――あたしの中指にある魔道銀(ミスリル)指輪(リング)を見て。
 ………まったく………次からちゃんとサイズ聞きなさいよね………教えたげるから………
 そうなのだ―――
 あたしはあのあと、一度たりとてもらった指輪を首から下げたりなどしなかった。
 道中はふところにしまいこみ、夜は夜でひねくり回しながら考えこみ、結局こういう結論に達したのである。
 ………いざはめてみようとしたら、中指がジャストサイズだったとゆーのには、もぉ笑うしかなかったが。
 ―――このまま旅を続けて、実家に帰るか。
 なんでもいいから結論を出すか―――
 あたしの頭を悩ませていた二択は、実はその先にもうふたつ、選択肢が存在している。
 つまり………なんでもいいから結論を出すことを急いだ場合の選択肢が、である。
 ひとつは―――徹頭徹尾(てっとうてつび)、強硬にただの連れ、単なる帰省を主張する。いろんなモノに、どんだけヒビを入れようが。
 そして、もうひとつが―――
 あれこれ突っこまれて進退きわまる前に、いっそこちらからひらきなおってしまうことだった。
 ―――言うのは簡単である。
 しかし当然だが、そうほいほいとできるものではない。
 だが、ひらきなおれないはずがないことだけは―――幸か不幸か、とうにわかってしまっていた。
 ようは、あたしが今まで見ないフリやら気づかないフリやらでごまかして、わざと曖昧に避けてきたものに対して、どれだけ素直に向きなおれるか―――というだけの話なのだ。
 他人事のようで申し訳ないが、あたしのヒネくれぐあいは折り紙付きである。
 実際、こうやってあれこれ思い切るまでに、ここまでの道のりの大半は消化されてしまった。
 実家にたどり着くまでに、はたしてそれが成せるのか、実はけっこう怪しかったのだが―――
 ………ああ来られては、いくらなんでも………さすがに気づく。
 ………どこまでわかってやってるのか、怪しいとは思ってたけど………
 あたしは彼から視線をそらすことなく、手袋を脱いだ手を持ちあげ―――かざした。
 あの日の翌日。
 宿の一階に下りてきたあたしの胸元を見ても―――彼は特に何も言わなかった。
 ここまでしたあげくにそ知らぬ顔をされては、こちらにだって考えというものがある。
 あたしは―――先手をとられるのが大嫌いなのだ。
 彼は何を言うでもなく、ただこちらを見つめている。
 手のひらを彼に、手の甲をこちら側へ。
 二人を(さえぎ)るようにかざした手を軽く曲げ、あたしはゆるくこぶしをつくった。
 互いに―――視線は、外れぬまま―――
 目を閉じることも、逸らすこともなく。
 まるで敵に挑むかのように。
 そのまま―――あたしは指輪にくちづけてみせる。
 ―――これが。
 あたしの答えであり問いであり、無言の通告。
 ただの、一度きりの。
 もちろんこれは、あたしの独断。
 彼がなんと答えようと、あたしのうちに答えはひとつしか用意されていない。
 そして―――
 何より、あたしは卑怯なことに『わかってしまって』いるのだ。
 自分の想いも。
 彼の―――気持ちも。


   Therefore if any man can show any just cause or impediment,
   why we may not be lawfully joined together,
   ―――我らの結びに異を唱えし存在(もの)


 無視しようと思えばできたはずの、あのどうしようもない『混沌の言語(カオス・ワーズ)』の詩が、あたしの心をかき乱したように。
 どうでもいいような相手の死を想像しただけで、肺が縮むような思いなど―――しない。


   let him speak now,
      今ここに名告りをあげよ


 まわりくどいやりかたで外堀を埋められつつあることに、気づかなかったわけではない。
 だがあたしはそれに気づきたくなかったし、あえてはっきりさせたくもなかった。
 つまりそれは―――知っていた、ということでもある。


   or forever hold your peace.
      さもなくば永遠に沈黙せよ


 答えを示せ、というのならば―――はっきりと胸を張って応えてやろうではないか。
 あたしのこの行動の意味がわからないはずが―――ない。
 ―――さあ、どうする?


   We promise to be faithful to each other, by my and your life,
      我と汝が生をもて 魂の不変をここに誓わん


 指輪には、こう彫られている―――


   till death parts us.
      死が我らを分かつまで―――


 どれほど、時間が過ぎたのか。
 声が、する―――
 いつも通りの彼の―――いつもと違うことば。
 それを聞いて、あたしはわずかに目を細めた。
 ならば―――よし。
 いまさらながらに顔がほてってくるのがわかる。
 それでもあたしは笑ってみせ、伸ばされた腕を受け入れた。
 

 ―――そして、春。
 あたしたちは、ゼフィーリアへと帰郷した。
 


 〈Fin.〉