Their Valentine
「ゼルガディスさん、今日つきあってほしいところがあるんですけど」
彼女のアメリアにそう頼みこまれたのは、製菓会社のイベントデー当日の午後だった。
「は………?」
ぽかんとゼルガディスはアメリアを見おろした。
当日呼び出されて、チョコレートを期待しない男はいないだろう。片思いならともかく、二人は、はっきりきっぱりカップルなのだから。
が、特にチョコレートを渡してくるでもなく、アメリアはゼルガディスに何やら頼みこんでいる。
「ダメですか?」
「いや、別に…………」
アメリアの顔がぱあっと輝いた。
「ありがとうございます。じゃあ、さっそく行きましょう!」
そう言って、アメリアはゼルガディスの手をひっぱった。
とある事に気がついて、ゼルガディスは内心首を傾げる。
待ち合わせは午後二時に駅前広場ということだったのだが、二時五分前にゼルガディスが広場につくと、そこにはすでにアメリアがいた。
袖にも裾にも、もちろん襟にも茶色いファーのついたベージュのフレアコートを着ていて、何だかチョコレートの妖精のようだった。
いまきたばかりだと言っていたアメリアだったが、只今ゼルガディスの手をひっぱる手袋をはめたままのアメリアの手は、冷え切っているのだ。
「おい、どこに行くんだ」
「デパ地下です」
「そのみょーな略語はやめい………って地下 !?」
大きな駅だ。駅前にはデパートや百貨店が軒を連ねている。各店ごとに売場の構成は違うだろうが、たった一つだけ共通点があった。
地下は、食品街であるということ。
「今日の夕飯の買い物だとか言わんだろうな」
「なんだってそんなことにゼルガディスさんを付き合わせるんですか。チョコレートです」
「………は !?」
アメリアはふり返って、ゼルガディスを見た。
「チョコレートを買うんです」
「………ポッ○ーとかか?」
アメリアがじとりとゼルガディスを睨んだ。繋いだ手がぶんぶん振りまわされる。
「何だって、この日にデパートの地下で、コンビニで売ってるお菓子を買わなくちゃいけないんですか」
一語一語区切るようにアメリアは発音した。
「バレンタインの、チョコレートを、買いに、行くんです!」
ゼルガディスの頭の中に、一気に疑問符が炸裂した。
普通、こういうのは単独で前日のうちに買っておくものではないのか? いや、前日でなくとも単独なのには間違いがないと思うのだ。
ゼルガディスは人混みが嫌いだった。バレンタイン当日のチョコレート売場。考えただけで眩暈がしてくる。そして、おそらくカップルは目を引くだろう。普通はこない。カップルではチョコレートは買いに来ない。
もしかして自分以外にあげる相手がいて、その買い物につきあわされるのかと一瞬考えないでもなかったが、彼氏以外の相手にあげるチョコレートを彼氏と一緒に買いに行くほど、アメリアはバカではないだろう。向こうが自分のことを友人としか思っていないのなら別だが、大学で同じサークルのリナとガウリイが呆れるほど、どうやら互いに同性の友人に惚気まくっているようなのだから。
だったら、どうして。
思考がさらに飛躍して、もしかして遠回しに別れたいと言われているのだろうかと思い悩んでいると、地下の食品街に到着した。
「う………」
人。人。人。さらに言うなら女性ばっかり。
おまけに立ちこめる甘ったるい香りに、その中に突っこむ前からゼルガディスは何だか嫌気がさしてきた。
「さ、ゼルガディスさん」
アメリアがうながす。
「何だって俺がチョコレートを買うのに付き合わされるんだ?」
「さっき、つきあってくれるって言ったじゃないですか。ゼルガディスさんも一緒じゃなきゃダメなんです!」
ゼルガディスは抵抗を諦めた。諦めたら諦めたで、小柄なアメリアが人混みでおたおたしないように、しっかりエスコートするあたりがゼルガディスである。
アメリアに連れられて売場をまわるゼルガディスを、通り過ぎていく女性客が不思議そうに見た。
(ええい、もうどうにでもなれ)
もはや、ヤケクソの気分になってゼルガディスは周囲を見回した。
こうしてよく見ると、本当に色々なチョコレートがあったが、最近は生チョコブームらしく、どの店も店頭には生チョコをラッピングしたものが山と積まれてあった。
ゼルガディスは生チョコはあまり好きではなかったので、どうでもよくなってアメリアの目線の先を追う。
どうやら何かを探しているようだった。
人混みにおたおたしながら、どうにかこうにかディスプレイやショーケースの前まで行っては、サッと売っているチョコレートを確認して人混みから離れて次の店へと移動する。さっきからそれを何度も繰り返しているのだ。
だだっ広い売場の四分の三以上をそうやって制覇したあたりで、アメリアはようやっとゼルガディスを見上げた。
「待っててください。買ってきます」
「おい、ちょっと待て………」
慌てて声をかけたが、小柄なアメリアの体はあっという間に精算待ちの人混みにの中に埋もれてしまった。
「………何だってんだ」
二十分も待ったところで、やっとアメリアが胸に紙袋を抱えて人混みを抜けてきた。
「ご、ごめんなさい。混んでました」
「見りゃわかる、ンなこと」
呆れてゼルガディスは呟いた。
「公園に行きません?」
また行き先の指示が出た。
つきあうと言ってしまった手前、ゼルガディスは黙ってアメリアの提案に従った。
駅前近くの公園についたところで、ゼルガディスはアメリアからさっきの紙袋を渡された。
「というわけでチョコレートです。ごめんなさいっ」
ゼルガディスは眉間に指を当てて、しばらく黙考した。片手には紙袋。
まったくわけがわからない。
「………チョコレートなのは、わかった。それをくれるということもわかった。どうしてくれるのかも、わかっている。が、どーしてもわからん。なんで俺をつれて買いに行かなきゃならん? あと、なんで渡しながら謝るんだ?」
アメリアが困ったように目をそらした。
「ええっと、どうしてもわたしがあげたいって思っているチョコレートが見つからなくて。ホントはゼルガディスさんとの待ち合わせまでには、ちゃんとデパートまわって探して買っておくつもりだったんですけど。それで仕方なく――――」
「ちょ、ちょっと待て」
ゼルガディスは慌ててアメリアの言葉を遮った。
「デパートをまわって !?」
「はい」
こくんとアメリアは頷いた。
「二つ質問するぞ。何時からここにいる? そして、デパートを幾つまわった?」
「九時からいて、あのデパートで最後ですけど」
「全部のデパートの売場をまわったのか !?」
少なくとも北、東、西口合わせて七つはある。それで手袋の布地があんなに冷たかったのか。
ゼルガディスの声に、怒られたと思ったのかアメリアが肩をすくめる。
「だって、どうしてもゼルガディスさんにあげたいのが見つからなかったんです」
「お前がくれるんなら何だっていい。別に甘いものは嫌いじゃない」
アメリアが上目遣いにゼルガディスを睨んで言った。
「嘘つき」
予想外の言葉に、ゼルガディスが目をまばたかせる。
「嘘つき?」
アメリアは拗ねたようにゼルガディスを見た。
「甘いもの平気なのは知ってますよ。でも、ものすごく好みがうるさいのも知ってます。特にチョコレート。気づいてないと思ってました?」
「…………」
「ホワイトはともかく普通のミルクは好きじゃなくて、ビターがよくて。おまけにチョコレートにナッツとかクッキーとかが入ってたり、フレーバーが付いてたりする加工系はダメで、プレーンが好きだけど、プレーンでビターでも生チョコは嫌い。例外は中にお酒の入っているボンボン系だけ。いっそのこと製菓用のクーベルチュールチョコレートにリボンをかけてもらおうかと思ったぐらいです」
一気にまくしたてるアメリアに、ゼルガディスは一言も反論を返せなかった。全部、事実だったので。
まさか全部気づかれているとは思いもよらなかった。おまけに、この異常な条件に合うチョコレートをアメリアが探し回っていようとは、思いもしなかった。
「そういうわけで、思い切ってゼルガディスさん連れて売場に行ったんですけど、ゼルガディスさんどれにも目を止めてくれないし」
そこまで言うと、アメリアは一変してにっこり笑った。
「でも、理想のヤツが見つかったからいいです。開けてみてください」
「………いまここでか?」
「ダメですか?」
「後でがいいが………できるなら」
もちろん、はっきりきっぱり照れくさいのである。
「ダメです。お家帰ってから開けられると、もらえないじゃないですか」
「はあ? 何をだ?」
「味見の一コです」
「……………………開けるよ」
ゼルガディスとアメリアは公園のベンチに座った。
過剰包装の気があるラッピングをほどいていくと、中から大きめの紙箱が出てくる。
開けると中は半分に仕切られていて、片方はリキュールやブランデーなどの各種の酒のボンボンが詰められている。
もう片方は綺麗な型押しがされたビターチョコレートのプレートだった。
アメリアが箱を覗きこんで笑った。
「ボンボン系って義理チョコが多いのか、小さかったり安かったりして、どうでもいいやつが多いんですよ」
プレーンの方も大抵、ミルクやホワイトが一緒の各種詰め合わせになっていたりする。
それに、売場の大半は生チョコやトリュフや、チョコレートケーキや、ナッツやフルーツにからめたものだ。
そういった加工系がチョコレートの主流だから、加工系を撤去したら、売場のスペースは半分以下まで縮小されるだろう。
「どれがほしい?」
ゼルガディスが箱を見せてアメリアに聞くと、アメリアは頬をふくらませた。
「そういうことは、ゼルガディスさんが両方食べてから言うんです」
くつくつとゼルガディスが笑って、アメリアの頭を軽く撫でた。
「ありがとな。わざわざ探し回ってくれて」
「えへへ、あげたかったんです」
とりあえず、チェリーリキュールと書いてあったボンボンの包みを開けながら、ゼルガディスは言った。
「もうひとつのお菓子会社のイベントデーの方を、期待して待っててくれ」
「それなんですけどね、ゼルガディスさん」
「はう?」
ちょうど割れたチョコレートからリキュールが出てきたところだったので、上手く返事ができない。
アメリアはしごく真面目な表情で首を傾げた。
「いつも思うんですけど、どうしてホワイトデーはマシュマロとかキャンディとかビスケットなんでしょうか?」
「いや………そんなこと俺だって知らないが………」
「だってズルイです」
「?」
「キャンディとかマシュマロが好きな女の子より、チョコレートが好きな女の子の方が圧倒的に多いと思うんですよ。どうして男の人だけチョコレートなんでしょう」
ものすごく真面目な顔で言うものだから、アメリアがどっちが好きな方なのかはすぐにわかった。
思わず笑ってしまう。
「ならお前は、どんなチョコレートが好きなんだ?」
「えっとですね、ケーキも捨てがたいですけど、やっぱりトリュフ系ですね。ちょこっとだけお酒のきいてるふんわりしてるやつとか………って、何言わせてるんですか」
その口に、ぽんと白ワインのボンボンを放りこむと、ゼルガディスは箱のフタを閉めて紙袋の中に戻した。
チョコレートから溢れ出してきた白ワインに目を白黒させているアメリアをよそに、ゼルガディスはベンチから立ち上がる。
「三月には売場にチョコレートが売ってなくてイヤだというんなら、なんなら今からお前へのお返しを買いに行くか?」
ようやくチョコレートを飲みこんだアメリアが、驚いた顔をする。
「え? でも………」
今度は逆に、ゼルガディスがアメリアの手をつかんでひっぱった。
「デパート全部まわったんなら、色んなヤツ見てきたんだろう? で、どれがいちばん食べたかったんだ?」
引っ張られるようにして歩きながら、しばらくきょとんとしていたアメリアは不意にクスクス笑いだした。
ゼルガディスの腕をとると、ぱたぱた小走りに走り出す。
「えっとですね、西口のところのやつですっごく美味しそうなのがあったんです!」
「おい、走るな」
「こっちです!」
元は聖人の日だろうとなんだろうと、製菓会社の陰謀で、けっこう幸せになれるカップルはいるものである。