上野の国立博物館の平成館入り口でチケットを切ってもらい、昌浩と彰子、紅蓮の三人は特別展の会場へと入った。
途端に照明がぐんと落とされ、管理の行き届いた空調が肌に触れる。
常設展に加えていつも何かしらの特別展が行われている国立博物館だが、現在の催し物は「宮廷のみやび―摂関家1000年の名宝」展。
展示資料の所有者である財団法人が藤原グループの本家が設立した団体なので、彰子のところまで特別招待券が数枚もたらされてきたのである。
せっかく無料券があるからと、正月休みを利用して昌浩と彰子は上野までやって来たのだ。二人とも骨董を見るよりはネズミの国などで遊ぶほうが好きだが、家柄と仕事柄で目は肥えているし、興味のあるところをざっと見てから隣りの動物園に移動する予定だった。紅蓮は二人の保護者としてついてきたのだが、彰子からチケットを渡されたとき、ちょっと興味深そうな顔をしていた。
「ふーん、六章構成になってるんだ」
「文庫っていっても、文書だけ保管しているわけじゃないのね」
チラシに載っている人形や刀剣の写真を眺めながら、昌浩と彰子は最初の展示までてくてくと歩いていく。
「おもしろいわ。名前が同じだと字も同じになるのかしら」
そう言って彰子が吹きだしたのは、御堂関白記の前でだった。
藤原道長直筆とされる日記は、今回の特別展の目玉だ。ぎりぎりまで弱くしぼられた照明を使って展示されている。千年前の紙だから細心の注意を払って展示しているのだろう。
せっかくの目玉展示だが、千年後の二人にはまったく意味がわからなかった。さすがに日付は読めるし、ところどころ知っている漢字も見かけるが、全体の意味はまったくわからない。
「お父さんが芳名録とかに筆ペンで名前や住所を書くとき、こんな字になるの」
「へえ、道長おじさんこんな字書くんだ」
「名前が一緒だと字まで似てくるのかしらね」
二人は小声で笑いあいながら、次の展示へと進んだ。
一章の展示は流れるような毛筆の
文書類が多く、見ても読めないし、解説を読んでこういうものかと納得しながら会場をまわる。二人とも他の年配の客より足取りが早いのは仕方がないが、こういったことにあまり興味がないはずの紅蓮がめずらしく足が遅かった。
「紅蓮? 先行っちゃうよ?」
「ああ、すまん。先行っててくれ。追いつくから」
ばつが悪そうな顔で謝ると、紅蓮はわずかに足を速めたが、すぐにまた次の展示で足を止める。展示期間の最初の週ということもあって客が多く、順路に沿って人の流れができているが、何せあの体躯だ。動じることなく堂々と立って展示を見ている。
懐かしいのだろう。何せとんでもなく長生きだ。そう考えると、こういう博物館のイベントは神将たちにとってはけっこう興味深いものなのかもしれない。
日本史系の番組を勾陳などはおもしろがってよく見ているが、青龍や天后などは断固として見ない。間違いだらけの解釈に見ていて腹が立つらしい。そこをおもしろがれるか、腹を立てるかは個人の気質の差だろう。博物館はよけいな解釈は最低限にとどめて直接モノを見せてくれるから、今回の展示は青龍や天后にもいいかもしれない。
内裏図の前で立ち止まり、紅蓮は何やらしみじみと考えこんでいる。
昌浩と彰子は顔を見合わせ、ちょっと肩をすくめて次の章に向かった。ここは第一章だからぐずぐずしていると何時間もかかってしまう。途中の休憩コーナーまで行って、そこで紅蓮を待とう。
視界の端で移動する二人を確認し、紅蓮は前髪をかきあげて、わずかに嘆息した。
「勾でもつきあわせればよかったか………」
千年前の現物は、いまとなってはみな国宝級なのでそうそうお目にかかれない。他の神将たちも喜んだだろう。
懐かしくて感慨深いが、懐かしさというのは少し胸が痛む感情だ。ひとりで見ると少々持て余す。
道長が
金峰山に納めた経筒を眺め、つらつらと紅蓮は過去を回想する。
たしか中宮がなかなか懐妊しなくて、道長が痺れを切らしかけていた頃のものだ。ちょうどあのとき彰子のほうが二人目を懐妊したものだから、これは何が何でも中宮のほうにもと、ちょっと目つきが恐かった。うっかり百日精進に昌浩もつきあわされそうになって、妻が懐妊していて障りがあるからと必死で辞退して見逃してもらった記憶がある。
御堂関白記の前で立ち止まり、紅蓮は広げられている箇所からぎりぎり視認できる端の一文に目を留めた。墨書で塗りつぶし、読めなくした部分がある。以前に京都であった別の展示会では、立后の日時を晴明に占じさせた箇所の記述がやはり墨書で塗りつぶされていた。
―――たしか、この日は。
探りあてた記憶に、紅蓮は思わず目を細めた。唇が知らず微笑を刻む。
今頃二人は動物園のほうに行きたくて、うずうずしながら紅蓮を待っていることだろう。最後の章にはたしか行成の自筆もあったはずだ。あれだけ見てから帰るとするか。
千年前の思い出にゆっくりと蓋をして、紅蓮は展示室を後にした。
墨書の下は、こう書かれているはずだ―――
十四日、丁卯、火戌
晴れ。今夜、陰陽頭吉昌の子息、晴明朝臣ゆかりの娘と婚礼す。装束一襲、右大弁をもってこれを給ふ。
かぎりなき 君がためにと 居る花は
時しもわかぬ ものにぞありける
(古今集 読人知らず)
〈了〉
あとがき
まずは、長い話をここまで読んでくださり、ありがとうございました。
「なゆたのうた」初の長編「君がためにと をる花は」をここにお届けいたします。少々、趣の変わった少年陰陽師となりましたが、楽しんで頂けたなら幸いです。
もともと、三日餅話をいつか書きたいというのはありました。
それとは別に、少年陰陽師と平安三大才女をコラボレートさせたいとずっと考えていました。掌編でちょこっとだけ紫式部が出てますが、もっとしっかりと短編や長編で出したいなと考えていたのです。だってせっかく同じ時間を有名人がたくさん生きているのに! もったいない!(笑)
すぐにネタが思い浮かんだのが和泉式部です。なにせ貴船の神と歌を詠み合うというエピソード持ち。貴船の神には昌浩も大変お世話になっていますし、他の二人の才女より断然強いつながりです。で、和泉式部というと恋愛の大ベテラン(爆)。気がつくと二人の結婚に和泉式部がからむという、何だかとんでもない話になっていました。
最初、二人の年齢と蛍の季節だからという理由で「寛弘元年の五月」と簡単に決めていたのですが、調べていくうちに、和泉式部の南院入りや賀茂祭、吉昌パパの昇進といった事項が重なりあい、まるで最初からこの時機しかなかったようにするすると話が展開したのがおもしろかったです。
和泉式部は個人的には、もっと憂いと色気のあるキャラにしたかったのですが、そうなると今度は少年陰陽師の雰囲気からあきらかに浮いてしまうので、こういう感じになりました。それでも昌浩とあまりに恋愛に対するスタンスやら経験値が違いすぎて、微妙に会話が噛み合っておりませんが(苦笑)。
タイトルは古今和歌集にある歌からですが、「折る花」を「居る花」にわざと変えてあります。本来の意味は、「限りないあなたのためにと折る花は、季節など関係なしに咲く花でした」というもので、実は造花をプレゼントするときの歌だという何だか台無しな背景がありますが(笑)、「折る」が「居る」だと途端に「私はいつでもあなたのために居るんですよ」という素敵な意味になるので、気に入っています。
ちなみにこれを書いているときのテーマソングは「タッチ」でした。特に前半部分の話が。まさに星屑ロンリネス(笑)
参考資料は、和泉式部日記、大鏡、栄花物語、大日本史料などにお世話になりました。他は収集している手持ちの資料を活用したのでどれとどれを使ったのかちょっと憶えていません。あとは和泉式部に関する「――寛弘元年の二人――」というドンピシャな論文を発見することができなかったら、ここまで書けていたかどうか怪しいです。後日、補足ということで史実虚実に関するフォロー記事をのせられたらなーと思います。
それにしても長い話ですねぇ。あとがきも長いなあ(笑)
賀茂祭の話も、貝のエピソードも、彰子が衣を仕立てる話も、掌編や短編として独立できそうなものばかりで、我ながら色々詰め込んだなぁと思います。とりあえずいまの自分の昌浩×彰子の総集編という感じで、書けて満足しました。
ここまでおつきあいくださいまして、ありがとうございました。いつか大鏡などを読む際に、「これを昌浩と彰子が見てたのかー」などと想像して楽しんでいただけたら、冥利に尽きます。平安時代は本当に大好きな時代です。
どうぞこれからも「なゆたのうた」をよろしくお願いします。