第四章 運命の渦〈胎動〉 〔4〕
「デュラン………」
ぽつりとケヴィンがデュランを呼んだのは、滝の洞窟に入ってしばらくしてからのことだった。
「どうした?」
先頭を行くデュランが、松明を片手にふり返った。彼の動きに合わせて動く炎に、一同の影が怪しくうごめく。
以前は絶えず松明と魔法の明かりがともされ、ひっきりなしに人の往来があったこの洞窟も、結界がはられた今となっては通る者もなく、先が見通せないほど暗かった。
自然と立ち止まった一行に、ケヴィンが首をふる。
「歩きながら、でいい」
首を傾げながらも、一行は歩みを再開した。道は下へ下へと下っていく。なかば湖の下をくぐるようにして、この洞窟は湖の対岸へと続いているのだ。
最後尾を歩いていたケヴィンだったが、リースとアンジェラを追い越してデュランの隣りに並ぶと、小さな声で告げた。
「………後ろ、ついてくるヤツ、いる」
デュランは危うく後ろをふり向くところだった。
「たしかか? 何人だ」
「それが、一人」
「一人ぃ?」
素っ頓狂な声をあげたデュランに、後ろを行くアンジェラが妙な顔をした。
「さっきから何話してんのよ?」
「ちょっと待て。後で言うからよ。………獣人兵か?」
低い声で問いただしたデュランに対して、困惑したケヴィンの声がした。
「それが、違う」
「違うぅ? だとすると人間か? なら何で一人でオレたちの後なんかついてくるんだ?」
「わからない。だからデュラン、言った」
「それもそうだな。ありがとよ」
やがて一行は、水ほとばしる割れ目に石を積んで泉となし、その中央に金塗りの女神像を安置したささやかな休息所にたどりついた。
デュランの持つ松明の灯りに、穏やかに瞼を伏せたマナの女神の御姿が浮かびあがる。その足元には女神に捧げられた幾つもの硬貨が水底に沈み、きらきらと光を反射して輝いていた。
「いったん休憩しませんか?」
デュランが提案する前にリースがそう言いだしていた。昨夜の騒ぎから結局、夜を徹して動き回っていたことになる。アストリアの襲撃といい、精神的な疲労も大きかった。
「リースに賛成。もう動きたくないわ」
反対意見がでる前にアンジェラがさっさと泉の傍に座りこみ、短靴を脱いで足を浸した。どうも罰当たりだとかそういう発想はないらしい。
「お前、なぁ」
「何よ。靴のなかまで濡れてたから気持ち悪かったのよ」
もはや何も言わず、デュランは壁にかかっていた松明に持っていた炎を移した。壁に穿たれた別の穴にも持っていた松明を差しこみ固定する。
やがて倍となった明かりが休息所として設けられた小さな空間を照らしだした。
「明るいとやっぱりほっとしますね」
リースが目を細めながらそう言った。
「相談がある」
「どうしたのよ? そういえばさっきも何だかごちゃごちゃ言ってたわよね」
デュランから打ち明けられたケヴィンの報告を聞いて、アンジェラとリースは顔を険しくした。
「獣人兵ではないというんですね?」
「気配、全然違う」
「この洞窟はひっきりなしに人が通るから、危ねぇ脇道なんかは潰されてて、ほぼ一本道だ。このままだとウェンデルまで後をついてくるぞ」
難しい顔でデュランが唸った。
「たまたまウェンデルに行く予定だったただの人が、たまたま滝の洞窟に入れるようになったからってセンは………ないか」
「ありえねぇ」
「ジャドには獣人兵が居座っていて、人の出入りを制限しています。アストリアがああなってしまった以上、結界を解いた直後に私たち以外の者が入ってくるというのは解せません」
「どうする?」
しばらく話し合った結果、ここで待ち伏せようと言う結論がでた。ケヴィンが一人だと断言した以上、四人もいれば何とかなるだろうと判断してのことだった。短いあいだとはいえ、ここまでの旅程でケヴィンが見せた勘の鋭さは、充分信頼に値する。
二本ある松明のうち一本を取りあげ、デュランが声をはりあげる。
「じゃあ、先を急ぐぞ」
「もう一本の松明はどうします?」
「ここに置いていこう。一本もあれば充分だしな」
言って、デュランは持っていたそれを踏み消すと入口の脇に身を潜めた。反対側の壁には同じくケヴィンが気配を殺して立っている。
リースとアンジェラもなるべく暗がりに身を潜め、息を殺した。
遠くから伝わる瀑布の水音だけが微かに大気を震わせている。
やがて、ぱたぱたと軽い足音がした。
休憩所の入口に姿を現したその人物の小柄さにデュランは驚いた。当初の予定を変更してケヴィンを留まらせると、小さな影がこちらをふり仰ぐのとほぼ同時に、その体を引っさらうようにして抱えあげる。
「よっし、捕まえ―――」
「ぎゃああああああああああああぁぁッ! 殺されるでちぃぃぃ !! 」
耳元で叫ばれ、デュランは鼓膜が破れるかと思った。
「う、わっ、ちょっと待て引っ掻くな暴れるな! 落ち着け待てッ!」
「ぎゃあああっ、殺されるーっ、食べられるでちー! だれか助けてえぇぇッ!」
リースは慌てて立ちあがり、松明を壁から降ろした。
おろおろとケヴィンが手を伸ばしかけては引っこめる。アンジェラが顔をしかめて両耳を塞いだ。狭い空間で反響する叫び声はびりびりと耳に突き刺さり、うるさいことこのうえない。
息継ぎのために叫びが一瞬途切れるのをみはからって、リースが明かりを近づけた。
急に明るくなった目の前に、問題の声がぴたりとやむ。
炎の光に、くるくるした巻き毛が朱金に輝いた。青い瞳がきょとんとリースを見あげる。
「落ち着いて。だれもあなたを食べません」
「ほ、ほんとでちか」
「当たり前だろーがッ」
憮然としながらデュランが地面の上に腕のなかの少女を立たせてやった。
よろけながらもきちんと降りたつと、少女はデュランを見あげた。
松明の明かりに照らされるその背丈は彼の腰ほどもない。青い上下に身を包んだ体躯はどう見積もっても六、七歳の子どものもの。先の二つにわれた赤い帽子の先には、それを強調するかのように可愛らしい丸房がついていた。
四人をきょろきょろと見回していた子どもは、リースとアンジェラに目をとめ、唇を尖らせた。
「なぁんだ。やっぱりアストリアの村にいたさっきの人たちじゃないでちか。まったくもう、おどろかせないでほしいでち」
驚いたのはリースたちのほうだった。
「どういうこと? あなたアストリアにいたの?」
「いやでちねぇ。となりのへやに泊まっていたのに、ちっとも気づいていなかったんでちね」
顔をしかめて舌足らずな口調でそう言われ、リースたちは思わず顔を見合わせていた。無言のうちに互いの顔に問いかけるが、やはりみな無言で首をふった。隣りの部屋に宿泊客がいたかなど、まったく頓着していなかったのだ。
ケヴィンが少女の顔を覗きこむ。
「お前、無事だった。他の村人、どうした。だれかお前の他に、助かったの、いないのか?」
アストリアにいたと知って、思わずそう問いただしていた彼に、少女は幼い容姿に似合わぬ大人びた仕草で目を伏せた。
「シャルロットも、あんたしゃんたちとおなじようにあの光を追いかけたんでち………」
しかし途中で見失い、道に迷っているうちに運良くあの惨事を免れたのだという。
「あんたしゃんたちが村人をとむらうのを遠くから見てまちた。シャルロットこわくて近づけなかったでち………。遠くから祈るだけでちた………」
「お前、ウェンデルの巫女か何かか?」
デュランの言葉は問いというより確認だった。シャルロットと名乗った少女は青い上下のうえから、光の神殿の象徴である日輪を刺繍した法衣を着ていた。
シャルロットは心なしか偉そうに胸を張った。
「そうでちよ。シャルロットのおじーちゃんが神殿で、司祭をしているんでち………何でちか?」
不意にひざまずいたリースに、シャルロットはきょとんとまばたきした。
「祈ってくれたんですね………ありがとうございます」
「そ、そんなお礼をいわれるようなことは何もしてないでちよ。とむらったあんたしゃんたちのほうがエライでち」
リースに手を取られたシャルロットは面食らった顔でそう答えた。
「こちらこそ、あんたしゃんたちが結界をといてくれて助かったでち。ウェンデルに帰れなくて困っていたでちよ」
「それなんだけどよ。ウェンデルの関係者にしろお前はまだ子どもだろ。何だってアストリアなんかにいたんだよ。誰か一緒じゃなかったのか?」
「シャルロットは子どもじゃないでち!」
すぐに噛みつくようにそう言い返され、デュランが呆れた顔をした。アンジェラはケヴィンと顔を見合わせて肩をすくめ、リースはそっと苦笑する。
一同の苦笑混じりの呆れを敏感に察して、シャルロットは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「失礼な人たちでちねっ! シャルロットは次の誕生日でもう十六でちよ! ただ人より成長がおそいだけでちっ!」
リースたちは目を剥いた。
「げっ………オイラと、同じ歳………?」
「もうじき十六って………冗談でしょ !? 十五年も生きてて、ぎゃあ食べられる〜ぅ?」
アンジェラの疑わしげな口調に、シャルロットも負けじと言い返した。
「人をいきなりとっつかまえて驚かすほうが悪いでち! だいたい露出のおかしい人には言われたくないでちね!」
デュランが爆笑した。
アンジェラはシャルロットにくってかかるべきか、デュランをはり倒すべきかで迷い、結局デュランを思い切り泉に向かって押し倒した。よろけたデュランが泉に半身を突っこむ。派手にあがった水しぶきに、リースとケヴィンは慌てて後ろに下がった。
「てめェ、いきなり何しやがるっ!」
「人のこと笑った挙げ句にそういうこと言うワケ !?」
「オレは何も言ってねぇだろうが!」
「あんたのほうに腹が立ったのよ!」
頭上で飛び交う二人の口喧嘩をぽかんと聞いていたシャルロットが、ふと誰にともなく尋ねた。
「………シャルロットはもう行ってもいいでちか?」
「よくありません。あなた本当に十五歳なの?」
二人のことは放置することにしたリースの問いに、唇を尖らせてシャルロットが頷く。
「ほんとでちよ。ただ、シャルロットのママはエルフでちから、シャルロットは成長がおそいんでち」
「まあ………」
人間を嫌い、外界との接触を断ってこの世界のどこかに隠れ住んでいるという森の住人の名に、リースが目を見張る。
「そのわりには耳長くないわねー」
さっさと口論から逃げだしてきたアンジェラが、無造作にシャルロットの巻き毛を掻きあげた。エルフの身体的特徴はよく知られていて、ひゅんと伸びた細長い耳はあまりにも有名だった。
突然の暴挙に、シャルロットが激怒してアンジェラの手を払いのける。
「かさねがさね失礼な人でちね! もうシャルロットは行くでち!」
「待、待つ! ひとり、キケン………」
「だからシャルロットを子ども扱いしないでくだしゃい!」
舌足らずな口調で怒鳴りつけられて、ケヴィンは困り果ててしまった。
「ああもう! じゃあ、さっきのあんたの暴言とで差し引きチャラよ。あたしは謝ってもいいけど、そしたらあんたも謝るのよ」
アンジェラが腰に手を当てて言い放った。シャルロットは噛みつきそうな顔でアンジェラを睨みあげていたが、やがてぷいとそっぽを向いた。
「わかりまちた。ちゃらでち」
「………で、誰か一緒じゃなかったのかよ」
左半身に濡れた染みを作ったデュランの憮然としながらの問いに、シャルロットの表情が一変した。
青い瞳が翳り、深くうつむく。
「お、おい………?」
「ヒースがいっしょでちた………」
デュランはケヴィンを見たが獣人の少年は首を横にふった。シャルロット以外の人物の気配はどこにも感じられなかった。
さっきまで盛大に角をつき合わせていたアンジェラもさすがに思わしげな顔になり、慎重にシャルロットに問いただした。
「そのヒースって人、まさかアストリアで………?」
ケヴィンがびくりと肩を震わせたが、シャルロットは癇性に首をふってそれを否定した。
「違うでち。違うけど、違わないでち」
「どういうことですか」
シャルロットはわずかに顔をあげた。その目にいっぱいに溜まった涙がまばたきした拍子にこぼれ落ちる。
「ヒースはさらわれまちた―――!」
そのままシャルロットは泣きだした。