断章 〜シャルロット〜 〔1〕

 あたたかな陽の光を浴びながら、シャルロットは花輪を編んでいた。
 ぽふんと弾けた白詰草。重たげなひなげし。紫淡に色づいた勿忘草わすれなぐさ。黄金の手鞠のような蒲公英たんぽぽに、月見草によく似た桃色の眠り花。白い鈴の形をした夢見草。どういうわけか夜にしか明かりを灯さない釣り鐘形の幻燈ランプ花までが、ほんのり薄紅に光りながらあたりに咲き乱れ、風に吹かれて幸福そうに揺れている。
 花輪にする花を摘んで手元に置いておく必要はなかった。そんなことをしなくても、手を伸ばせば届くところにいくらでも咲いている。
 柔らかな草の上に座りこんで、シャルロットは懸命に花輪を完成させようとしていたが、どうもうまくいかない。
 あちこちから奔放に緑の茎が飛びだした花輪を睨んで、シャルロットは唇を尖らせた。
 すると不意に背後から伸びてきた手が、花と花のあいだに一輪の蒲公英を差しこんだ。
 こうすればいいのよ、と教えてもらったような気がして顔を輝かせてふり向くと、優しい微笑をたたえた口元がそっと頷いてくれた。
 天頂にかかる陽光のせいで影になり、その顔はよく見えない。
 シャルロットは編んだ花輪を手に立ちあがり、うんと背伸びをしてその花輪をその人の頭の上に載せた。ふわりとその唇が笑い、白い優しい手がシャルロットの頭に伸ばされる。
 撫でてもらえる―――。
 そう思って、首をすくめてくすぐったそうに待っていても、いつまでたってもその手は触れてこなかった。
 不思議に思って見あげると、その人はシャルロットではなく別のところを見ていた。
 視線の先にいた男の人が、シャルロットとその人に笑いかける。陽光はまぶしく降り注ぎ、目を細めて見あげるシャルロットからはその表情は見えない。
 伸ばしかけていた手を引っこめて、その人は嬉しそうに待つ人の元に駆けていってしまった。
 花輪が滑り落ちて、シャルロットの足元に放りだされる。差しこまれていた蒲公英が一輪、ぱさりと落ちた。
 シャルロットは思わず立ちあがり、色とりどりの花を踏みしだいて二人を追っていた。
 懸命に走ったのに、走れば走るほど二人の姿は遠ざかっていく。穏やかにシャルロットに微笑みかけ、立ち止まって待っていてくれるのに、どうしてもたどりつけない。
 風に花びらが舞い散った。ひなげしが、蒲公英が、眠り花が、灯燈花が。とりどりに舞いあがり、二人の姿を隠してしまう。
(待って………!)
 待って。おいていかないで。どこにも、いかないで。
 花びらのあいだに光が差しこみ、二人の輪郭をかすませた。もう微笑む口元すら見えない―――。
 声を枯らして、シャルロットは叫んだ。


(待って。ぱぱ、まま!)


「ぱぱ、まま………!」
 自分自身の呟きでシャルロットは目を覚ました。
 見慣れた天井が目に入り、硝子をはめこんだ天窓から差しこむ光はかなり明るい。
「ゆめでちか………」
 シャルロットはくしゃりと顔を歪めたが、しかしそれも束の間のこと。すぐに勢いよく寝台から起きあがると、水盤に水を満たして顔を洗う。
 やがて、もつれた巻き毛を丁寧に梳く頃には夢の名残も綺麗に消えさり、いつものように青い上下の上から日輪を刺繍した貫頭衣をまとうと、彼女はきちんと帽子をかぶって鏡の前に立った。
 光の泡みたいだねといちばん大好きな人から褒められる金の髪。空の青の瞳に、薔薇色の頬。
 いつも通り、文句なしの美少女だった。
「うん。きょうもシャルロットは美人でち!」
 鏡のなかには、六、七歳の愛らしい童女の姿が映っていた。



 ファ・ザード大陸中央部に位置するは、聖都ウェンデル。
 聖都と称されるにはわけがある。
 北の後背に大湖アストリア。西には湿地帯と深い森が広がる内陸のこの街は、〈光の神殿〉を中心として栄える門前町なのだ。
 隣接する北東の山中には、マナの女神が最初に地上に降りたった地として栄えていた太古の都市の遺跡が存在する。
 かつてはこの古代都市こそが聖地を崇める人々で賑わった門前町であったはずだが、すでにその時代も遙か過去の栄耀となり、いつしか〈光の古代遺跡〉と称されるこの都市の守護のために神殿が建てられた。
 そしてやはり過去の遺跡と同じように、神殿の周囲に人々が集まり街ができたのだ。
 マナの女神を奉る神殿の総本山を擁し、永世中立を謳いあげるこの都市は、マナの祝日には多くの参拝客でにぎわい、あたりを走りまわる子どもの笑い声で溢れる。
 街並みは白く清潔に整えられ、いかがわしい生業の男女も、疲れた笑みを浮かべる子どももいない。
 現在、街を治め神殿を統べるは、四代目の光の司祭。
 高潔にして徳に篤く、今日の聖都が繁栄はこの人物の人柄に拠るものが大きいとされている。
 老境にさしかかった光の司祭には、ただひとりの肉親となる孫娘が一人。
 すでに両親は他界しこの世にはなく、祖父のもと神殿で育てられている彼女をウェンデルの人々は心から愛し、そのゆるやかな成長を見守ってきた。
 シャルロット。
 光の司祭の一人息子と、永遠の乙女たるエルフの女性とのあいだに生まれた彼女は、今年で十五を迎える―――。



「うー、礼拝に出損ねたでち。怒られるでち………」
 自室の扉から首だけを出し、シャルロットは廊下を見回した。
 廊下は閑散として通る者もいない。
 部屋を出た瞬間に怒られたくなかったシャルロットはホッとして、今度はきちんと全身を出してから扉を閉めた。
 今日はマナの祝日ではないため、必ず出席しなければならない礼拝というわけではないのだが、それでも寝坊というのはあまり褒められたことではない。
 とりあえず朝食を食べにいこうと思い、シャルロットは食堂に向かって歩きだした。
 晴れて気持ちの良い日だ。シャルロットの前にも後ろにも一直線に続く外回廊は等間隔に白い柱が立ち並び、天井との境の部分に施された透かし彫りの細工が床に繊細な影を落としている。
 午後の日差しがゆるむ頃に、木陰で昼寝をしたらさぞかし気持ちがいいだろう。
 夢を見たような気がする。
 両親が出てきた。どんな夢だっただろうか。とても寂しい夢だったような。
 最近、夢ばかり見ては、目が覚めるとそれを忘れていることが多い。
 寝る子は育つとばかりに昼寝、夜寝ともよく寝るシャルロットだが、いつもその度に何かを夢のなかに置き去りにしたような気持ちで目が覚めるのだ。
 心がざわめくような。いてもたってもいられなくなるような。
「何なんでちかね………」
 首を傾げながら歩いていたシャルロットは廊下の角で誰かとぶつかり、危うくひっくり返りそうになった。
 シャルロットも驚いたが、相手はもっと驚いたらしい。
「シャルロット!」
 少々慌てた声がして、伸びてきた腕が彼女を支えた。遅れて何かが勢いよく床にぶちまけられる音が続く。
 見れば、書類の束がいっそ気持ちよいぐらい見事に床に散らばっていた。
 シャルロットを支えた腕の持ち主が不安げに彼女の顔を覗きこむ。短く削いだ白銀の髪と煙るような紫の瞳はよく見慣れたものだった。
「ごめんよ。どこも怪我していないかい?」
「平気でち」
 そう言うと、相手は安心したようににっこり笑った。
 つられてシャルロットも笑顔になる。
「おはよう、ヒース」
「おはよう、シャルロット。でも寝坊だぞ」
「わ、わかってるでちよ」
 顔を赤くしたシャルロットを見てくすくす笑い、ヒースは身をかがめると散らばった書類を拾いはじめた。
 身をかがめて、ようやく立っているシャルロットと目線が並ぶ。シャルロットよりもずっと背が高い彼は、彼女よりも六つ年上だった。
 たった六つ違うだけなのに、自分と彼の外見は十以上違うように見える。彼は人間で、自分は半分エルフの血が混じっているから。
 見つめるシャルロットの視線に気づいたヒースが顔をあげて首を傾げた。
「どうかしたかい?」
 首を傾げると、額にさげた細い金鎖が動きに合わせて小さく揺れる。神官の証であるそれは彼の銀髪によく似合った。
「何でもないでち」
 笑って首をふり、シャルロットも書類拾いを手伝った。シャルロットを支えるために彼は何の遠慮もなく書類を放りだしてくれたのだった。
「これで全部でちか?」
「そうだね。ありがとうシャルロット」
 書類を数え枚数を確認すると、ヒースはそう言ってシャルロットに笑いかけた。
 その笑顔に胸がきゅうっとなって、シャルロットは思わず目を細めて笑った。
「えへへへ。じゃあ、シャルロットはもう行くでちね」
 ぱっと走りだした彼女をヒースが慌ててふり返る。
「廊下は走らない。またぶつかるよ、シャルロット!」
「だいじょうぶでちよ。ヒース、また後でねー!」
 ヒースの笑顔が嬉しくて、シャルロットはさっきまでの寂しい気持ちなどどこかに行ってしまい、元気よく食堂に向かった。



 ヒースは回廊の角を曲がるシャルロットをしばらく見送っていたが、やがて反対の方向へと書類を手に歩きだした。
 途中で何人かの神官とすれ違う。皆、彼の姿を認めるとうやうやしく礼をし、彼もそれに応えて微笑しながら礼を返した。
 神官長の執務室に寄り書類を届けたヒースは、その足で礼拝堂におもむいた。
 参拝する者が多く訪れる七日に一度のマナの祝日が、神殿はもっとも忙しい。それが過ぎた翌日のルナの日はどことなく神殿全体に気の抜けたゆるやかな雰囲気が漂うのが常だった。
 参拝者に祝福を授け、助言を与えるために祝日はほぼ一日じゅう謁見の間に居る光の司祭も、ルナの日の午前中は礼拝堂で一人祈りを捧げて穏やかに過ごす。
 扉の前に立つ守護の神官と目礼を交わし、ヒースは礼拝堂に足を踏み入れた。
 丸天蓋に施された色硝子を通して陽光が筋となって降りたち、礼拝堂を満たしている。他に余計な装飾はいっさいない。降りたつ光が唯一の飾りで、それ以外のものはむしろ邪魔となるだろう。完成された空間だった。
 最奥に安置された女神像の前に立つ光の司祭が、ヒースの気配を察してふり返った。
「ヒースか」
 それだけ言い、司祭はすぐにまた女神像に向きなおる。
 無言で許された接近の許可にヒースは司祭から一歩下がった位置まで近づくと、そこで立ち止まった。
 そしてやはり、無言で女神像を見あげる。
 やがて嘆息と共に司祭が呟いた。
「見たまえ。女神像が血の涙を流しておる………」
 女神像の穏やかにふせられた瞼から、赤い液体が一筋、その石の頬を伝い落ちている。
 無彩色の女神像を彩る真紅が、穏やかな慈愛に満ちたその表情を不気味なものに変えていた。
「昨夜までは、このようではなかったはずですが………?」
「朝、礼拝堂に入ったときにはすでにこうなっておった」
 ヒースは司祭に気取られぬよう、そっと眉をひそめた。
 ならば、一夜にしてこの異変が起きたことになる。しかし夜には神殿の門は閉ざされ、一般の参拝者は入れない。かといって礼拝堂の女神像に、このような細工をする不心得者など神殿内部にいるはずがない。悪戯にしてはあまりにも不敬に過ぎる。
 それにこの涙。
 乾いていない証拠として濡れた艶を保っているにもかかわらず、いかなる不思議か女神の胸元には顎先からしたたり落ちているはずの雫がない。いまにもその優美なおとがいから涙が玉となって落ちそうなのに、だ。
 これを怪異といわずして何といおう。
 ヒースは言葉もなく女神像を見あげた。
「―――昨夜、アストリア湖の上に現れた光をそなたは見たか」
 不意に司祭に問われ、ヒースは慌てて頷いた。
「はい。夜中だというのに、まるで昼間のようでした」
 突然現れた光は湖の上空でまばゆく輝き、湖面に反射してその輝きを増した。
 シャルロットは眠っていて見ていないはずだったが、彼女以外の神殿の者ほとんどがその光を目撃していたはずだった。もしかすると街にも光に気づいた者がいるかもしれない。それほどの光量だった。
 神殿の北面に出て皆が騒ぐなか、強いマナの流れをヒースは感じた。
「光は、対岸の村のほうへと遠ざかっていきましたが」
「ああ。わしも見ておったよ。溢れるようなマナだった。あの光もこの女神像も、最近の変動と無関係ではあるまい………」
「ええ………」
 ヒースは控えめにその言葉を首肯した。
 魔力の源であるマナは、マナの女神がもたらす世界に満ちる力であり、八つの精霊属性に分化する前の純粋な元素でもある。
 風の吹きだまりや枯れた泉のように、マナが満ちているところもあれば希薄なところもある。水が河となり海に流れ、やがて雲となって雨を降らし、また河となるように、一定の法則と均衡に従ってゆるやかに世界中を巡り、人や物などあらゆるものに宿っているのがマナなのだ。
 目に見えず、暖かで、強大な、マナ。女神のマナ
 そのマナが最近おかしい。
 生物に宿っているマナは別としても、流れとして存在するマナの方にありえない変化が起きていた。いままであったマナが急に枯れていたり、逆にいままでなかったところに急流のように流れこんだかと思えば、そのままそこを通過してひとところに留まらない。
 いままでにないことだった。
 女神の涙と謎の光。この二つをマナの変動と関連づけることはそう難しいことではない。こういった形で目に見える影響が出るというのは、由々しい事態だった。
 司祭は重い溜息をついた。
「どうにもきな臭い話ばかり聞こえおる………北のアルテナの他にも、南の砂漠にも何やら不穏な動きがあるとか」
「南の砂漠、ですか………?」
 世界中から参拝客が訪れるウェンデルは情報の集積地でもあるが、ここ最近よく耳にしていた北の大国以外の名が司祭の口から出たことに、ヒースはわずかに眉をひそめた。
「そのような話でも?」
「うむ………先日訪れた砂漠からの客人がな。はっきりとそう口にしていたわけではないが」
 そのときのことを思いだしたのか、司祭の顔がわずかに翳る。
「世に争乱の兆しありしとき、マナの変動生ず。其れ、より大いなる災いの呼び水とならん………」
 神殿に古くから残る戒句を口にし、司祭は再び溜め息をついた。
「逆ではないのかと疑いたくなるときもあるが、卵と鶏のようなものだ。どちらとも言えぬ。何にせよ、調べてみなければならぬだろう」
 司祭はヒースを見ると、わずかに表情をなごませた。
「ちょうど、そなたを呼びに行かせようと思っていたところだったのだ」
 ヒースも司祭に微笑を返した。
「はい。アストリアまで行ってまいりたいと思います」
「すまぬな」
「いいえ。ジャドに不吉な予兆を感じていたところです。ついでに確認してまいります。念のため、滝の洞窟にはが――――あ」
 失言に気づき、ヒースの言葉が途切れた。
 光の司祭の表情は一見、何も変わらなかった。しかしその目におもしろがるような光が宿っている。
 咳払いをし、気を取りなおしてヒースは言いなおした。
「滝の洞窟には外部の者が入れぬように、が結界を張っておきますので。………失礼しました。先ほどまでシャルロットといたもので」
「わしはいっこうにかまわぬが」
 笑いをこらえている司祭にヒースはうっすらと赤くなりながら、ばつが悪そうに首をふった。シャルロットと司祭の前では、どうにも素が出てしまう。
「シャルロットはどうしておった。礼拝にいなかったようだが」
「寝坊したようです。………最近、あまり元気がありません」
「うむ………。あれはのう………」
 呟く司祭の言葉は途中で途切れてしまった。
 シャルロットの体を流れる血の半分はエルフのものだ。彼女をここに引き取ったときにエルフの里から忠告されていた通り、その成長は遅く、十五になったいまでも十にならぬ幼子のように見える。片親であるエルフ族が樹霊ドリアードの影響を強く受ける種族であるためだった。
 樹木の生長は遅い。何十年、何百年かかって大樹となる。その樹木の精霊ドリアードの影響を受けるエルフ族もゆるやかに時を刻み、長い寿命を誇る。
 さらにドリアードは八精霊のなかでも、もっともマナの女神に近い精霊とされている。実際、エルフ族は身のうちにマナを強く宿し、魔法をくした。
「もしかするとあれは、マナの変動を敏感に感じとっているのやもしれんな………」
 一人ごちて、不意に司祭は顔を険しくした。
 シャルロットは、司祭とヒースの二人にとって最も大切な存在。何事かと思い彼が緊張していると、司祭は片手で顎を撫でながら告げた。
「アストリアへ行くことは黙っているがいい。またぞろ騒ぎだされてはかなわんて」
 一瞬呆気にとられたヒースは、非礼とは知りつつ思わず吹きだしていた。



「おじーちゃん」
 シャルロットが礼拝堂を訪ねたとき、そこには祖父一人しかいなかった。
 侍祭であり、祖父の片腕的存在であるはずの青年の姿はどこにも見あたらない。
 たしかに常に司祭の傍らに控えているわけではないのだが、彼の姿を求めて神殿中を探しまわり、どこにもいないならここにいるはずと確信してやってきたシャルロットは少なからず落胆した。
「おお、どうした。シャルロット」
 司祭の威厳はなりを潜め、いかにも好々爺といった風情で光の司祭が目を細める
「おじーちゃん。ヒースを知らないでちか? ずっと探しまわっているのに、いないんでち」
「そなた、仕事中はヒースの邪魔をしてはいかんとあれほど………」
「仕事中じゃないでちよ! ヒースは午後からおやすみをもらったって、侍祭長しゃんが言ってまちた!」
「………トレスめ」
 余計なことをと光の司祭は内心苦虫を噛み潰したが、表面上はいたって穏やかに首を傾げてみせた。
「では、どこかで行き違いになっておるのではないか? おぬしがそう神殿中を駆け回っていたら向こうが会いたくとも会えまいに。部屋でおとなしく本でも読んでいなさい」
「ぶー」
 シャルロットは頬をふくらませたが、あえて逆らおうとはせずに、ぺこりと一礼して立ち去ろうとした。
 一礼し、顔をあげたシャルロットの視線が司祭の背後の女神像でとまる。
「女神しゃん。泣いてないでちか?」
「………泣いておられるよ」
 孫の指摘に狼狽しつつも司祭は女神像をふり仰ぎ、重々しく頷いた。
「眠っているのに泣くなんて、なんか悪い夢でも見てるんでちかね」
 シャルロットはマナの女神が目を伏せた姿で表現されるのを、眠っているからだと解釈していた。マナの女神は樹になって眠りについたと神話では伝えられている。だからその像も目を閉じているのは当たり前なのだと思いこんでいた。
「早く、起こちてあげないと可哀想でちね」
「な、ん………」
 司祭が絶句しているあいだにシャルロットは一人で勝手に納得すると、女神像に聖印をきってから礼拝堂を駆けだしていった。
「じゃあね、おじーちゃん」
「ま、待たぬかシャルロット。いま何と………」
 司祭の声は届かず、シャルロットは礼拝堂から飛びだしていってしまった。
 一人残された光の司祭はいま一度、この世界を創造したという女神の石像を仰ぎ見た。
 慈愛の表情をたたえたその顔は赤い涙を流したまま、ひっそりと黙して語らない。そこから何かを読みとるのは、神に仕える司祭自身に課せられた役目だった。
「女神よ………御身の子たるこの世界に、どうかご加護を」
 目を閉じ、司祭はただ祈りを捧げた。