第五章 運命の渦〈奔流〉 〔1〕

 シャルロットはその後すぐさまウェンデルにとって返そうとしたのだが、案の定結界に阻まれて洞窟は通れず、途方に暮れてアストリア村に宿をとった。リースたちを見かけたのはそのときのことだ。
 そしてあの光に遭遇したのである。
「もしかするとこの子とそのヒースさんを襲ったのは、私たちを追ってきた獣人たちかもしれません。時間的にそうとしか………」
 リースの推測に、共にジャドを脱出してきた三人の顔が一様に強張った。
 デュランが口元に手をあてて考えこむ。
「………でもよ、ヒースさんとやらを攫ったその妙なヤツはジャドにはいなかったぞ。オレたちが見てねぇだけかもしれないが、そいつは獣人たちとは無関係なんじゃねぇのか」
「いや。関係ある、かも………」
 一同の視線が一斉に発言者へと集まった。
 当然ながら、いちばん反応が顕著だったのはシャルロットだ。勢いこんで相手―――ケヴィンへと詰め寄った。
「あんたしゃん、何か知っているんでちか!」
「え、と………その変なヤツ、こんな服で………」
 ところどころ言葉につかえながら身振りも交えて説明するケヴィンに、シャルロットが顔を真っ赤にしながら頷いた。
「そうでち! そんな感じのへんたいでちた!」
「変態って………いや、たしかにケヴィンの話が本当ならそうだけど」
 シャルロットの説明では要領を得なかった残りの三人も、ケヴィンの説明に認識を新たに顔を見合わせた。ケヴィンの表す恰好が事実ならたしかに変だ。それも、ものすごく。
「あんたしゃん、あいつを知ってるんでちね !?」
「………たぶん、死を喰らう男だと、思う」
 不吉な名前にリースが無言で顔をしかめた。
「何それ、本名じゃないでしょ? それがあいつの異名なの?」
「違う。そう名乗ってる。本当の名前、オイラも知らない」
「自分で名乗ってるの? うわぁ、怪しすぎるわそいつってば」
 アンジェラの身も蓋もない評価にシャルロットが地団駄を踏む。
「最初っからアヤシイんでちってば! わかりきってることで話のコシを折らないでくだしゃい!」
「なによ」
 アンジェラは露骨にムッとした顔をしたが、結局何も言わなかった。
「その死を喰らうナントカっていうのは、何者なんでちか!」
「オイラもよく、わからない………」
 シャルロットの勢いに押されてか、ケヴィンの口調は歯切れが悪かった。
「アイツ、最近、獣人王国に出入りしはじめた。ニンゲンへの復讐、手伝うとか言ってる………」
 途切れた言葉の続きを辛抱強く待っていたシャルロットは困ったようなケヴィンの表情に気づいて、掴んでいた服の端をそっと離した。
「それだけでちか………? 何にもわからないのと一緒でち………」
 ケヴィンの持つ情報がヒースの行方の手がかりにはならないと知り、シャルロットの顔が再び暗く翳る。
「ご、ごめん………」
 申し訳なさそうに謝るケヴィンの顔を見あげたシャルロットは、松明の明かりに赤く照り映える琥珀の瞳の、そのわずかに縦に長い光彩を見咎め、視線を揺らがせた。
「あんたしゃん、獣人でちか」
「………ッ!」
 ケヴィンの肩がびくりと震える。
「でも、あいつらとは違ってあんまり見た目じゃわからないでちね?」
「あ、その………」
「―――半分だけ獣人なんだとよ」
 無遠慮に割って入った声に場の全員がふり向けば、むっつりと唇を弾き結んだデュランが再び口を開く。
「お前も獣人かって聞かれるたんびにンな顔してるんじゃねぇよ。お前自身は何も悪いことしてなきゃ胸はってろよ」
「あ、う、うん………」
 シャルロットが気まずげにそっぽを向いた。
「別に、あんたしゃんのせいにするつもりはありません。ヒースをさらったのは獣人じゃなくて、あのへんたいおやじでち。あんたしゃんがいまここにいるということは、ウェンデルに攻めこもうとしているやつらとは違うんでちよね?」
「う、うん。違う。オイラ、国出た………」
「ならいいんでち。あんたしゃんに聞きたいことは、まだあるんでち。カメンノドウシという名前にききおぼえはないでちか?」
「………ううん。知らない。オイラたちの王、獣人王」
「じゃあ、あんたしゃんの国に行っても、ヒースはいないんでちね?」
「うん、たぶん………アイツ、王国にいつもいるわけじゃないから」
 ケヴィンはすまなそうに答え、すぐに続けた。
「その……役に立てなくて、ゴメンな」
「…………」
 シャルロットはケヴィンが気まずくなるほど彼を見つめていたが、やがて納得したように笑った。春の日溜まりに咲く蒲公英たんぽぽみたいな笑顔だった。
「あんたしゃん、いい人でちねぇ」
 つられたようにアンジェラとリースが微笑する。この獣人の少年の気だてがとても優しいことはすでに周知の事実だった。



 ―――結局、一行は人数をひとり増やして、そのまま洞窟を抜けた。
 すでに陽はかなり傾き、出てすぐのところに立てられていた道標が地面に長い影を落としている。
 半日ぶりに見る外の光だった。午後をまるまる洞窟のなかで費やしたことになる。
 途中、霧のような水煙のなかをくぐり抜けたり、シャルロットが足を滑らせて滝壺に落ちそうになったりしたものの、何とか無事にウェンデルまでたどりつけそうだった。
 やがて、ウェンデルが近づくにつれてシャルロットがそわそわしはじめた。
 遠目に見えてきた街の様子に、彼女以外の四人は首を傾げ、立ち止まる。
 聖都ウェンデルは〈光の神殿〉の門前町だから、神官や僧侶の姿が多いのは別におかしなことではない。
 だが、今日は女神マナの祝日でもなく、もう陽が落ちたというのに、明らかに神殿の者とわかる多くの人々が篝火を手にウェンデルの街を歩いている。
 さすがに陽が落ちる頃になると神殿は閉ざされてしまうので、シャルロットと別れてから宿をとろうという案を道中話していたリースたちがいぶかしんでいると、シャルロットが何やら慌てたふうに一行の最後尾にまわった。
「シャルロットはここでさよならするでち」
 リースたちが何か言う前に、そう言ってさっさと姿を消そうとする。ピンときたアンジェラが素早くその襟首を掴んだ。
「ちょっと待ちなさいよ。そういえばあんた、夜中に家出してきたんじゃなかったっけぇ?」
「家出じゃないでち。ちょっと出かけただけでちよ! だからこれから帰るんでち!」
「ふぅ〜ん」
 アンジェラがシャルロットを引き留めているのを幸いとして、リースがちょうど通りかかった神官を呼び止めた。
「あの、不躾ですが何かあったのでしょうか? どなたか探されているようですが」
 若い神官は少し驚いた顔でリースを見たが、すぐに表情を厳しくして頷いた。
「旅の方ですね? 失礼ですが、こちらに来るまでの道中で帽子をかぶった女の子を見かけてはおりませんでしょうか? 光の司祭さまの孫、シャルロットが昨日から行方不明なのです」
 デュランとアンジェラがやっぱり、という顔をした。ケヴィンが不安げにシャルロットを見る。リースはそんな背後の一同をふり返った。
 逃げようとじたばたしていたシャルロットをアンジェラが叱りとばす。
「往生際が悪いわよ! あんた、ヒースさんとやらのことを報告しに戻ってきたんでしょ!」
「それとこれとは話が別でち!」
 声を聞きつけてそちらを見た神官の目と口が、揃って丸く開かれた。
「シャルロットちゃんッ !?」
「光の司祭のお孫さんとやらは、滝の洞窟であたしたちと一緒になったわよ」
「滝の洞窟 !?」
 神官はさらに卒倒しそうな顔になった。
「ヒース殿が結界をはっていたはずなのに、何だってそんなところに !?」
 観念したのかシャルロットが小さな声で白状した。
「ヒースのあとを追いかけていったでちよ………」
「あー、一応こいつ、こっちに帰ってくる途中だったみたいだぜ」
 さすがに可哀想になったのか、デュランが庇いだてにもならないようなことをぼそりと言った。
 これだけ騒げば他の者も気づく。やがて探索に加わっていた者たちがぞくぞくとこちらにやってきた。必然的に集まった篝火に照らされ、シャルロットが居心地悪そうに顔を伏せる。
「昨日から、ずっとシャルロットを探していたでちか?」
「当たり前です! どれだけ司祭さまが心配なさっていたと思うんです!」
 目くじら立てて叱りとばされ、シャルロットはひゃっと首をすくめたが、誰にも聞こえないような声でぼそりと呟いた。
「ミックのやつ、ちゃんと黙っていてくれたでちね………」
 そうと知ったらやらねばならないことがある。シャルロットはデュランの服の裾をくいくいと引っ張った。
「おねがいがあるでち」
「あン?」
 怪訝な顔をしたデュランにしゃがめしゃがめと合図して、シャルロットとは周りの神官たちには聞こえないように小声で囁いた。
「あんたしゃんたち、これから神殿に行くと思うんでちけど、そのときにぱっくんチョコを買えるだけ買ってきてほしいんでち。ええと、四つもあればいいでちから。たぶんシャルロットはこのまま神殿へれんこーされるでち。代わりにおねがいするでちよ」
「連行ってお前な………」
「おねがいでち。シャルロットは約束を破るわけにはいかないんでち」
 真剣な青い瞳に見あげられ、デュランは口をへの字に曲げた。
「………ま、いいけどよ。お前、あとでちゃんと金払えよ。アレ幾らすると思ってンだよ」
「出世ばらいでおねがいするでち」
「ちょっと待て………ッ」
 デュランは抗議の声をあげたが、きちんと交渉する前にシャルロットは神官たちに囲まれて神殿のほうへと移動をはじめてしまっていた。
「あーあ、どうすんのよ?」
 遠ざかっていく一団を見送ってから、アンジェラが呆れたようにデュランの顔を見た。憮然としてデュランが答える。
「ったく、買ってきゃいいんだろ」
「あれたしか四十ルクぐらいしなかったっけ?」
 同じ値段でまんまる花飴ドロップの小袋が八つは買える。もの自体はどこでも買えるが、原材料の香豆カカオが火山島ブッカでしか採れないため、値が少し割高なのだ。
 デュランは空を睨んで少し唸っていたが、やがてあっさりとこう言った。
「おい、ちょっと金を貸せ」
「えーっ !? あたしが?」
「ちゃんと返すからよ」
 デュランとアンジェラが揉めているところに、探索の統率者と思しき神官と話をしていたリースが戻ってきて、向こうの厚意で神殿に一泊することになったことを告げた。どうやらシャルロットを送ってくれた礼ということらしい。
「街に用事があるので、それを済ませてからでもいいかって訊いてくれるか?」
「用事、ですか?」
 不思議そうな顔をしたものの、リースは再び神官のもとへと引き返していった。遠目からでも神官が了承の頷きを返すのがわかる。
「かまわないそうです。あと、光の司祭さまにも取り次いでくださるそうですよ」
「悪ぃな。何か揉めてるあいだに話つけてもらって」
「いえ。向こうのほうから私に話しかけてきたんですよ」
 首を横にふり、リースはくすりと笑った。
「早くしないと………お店、閉まる………」
  ふとケヴィンが思いだしたように呟き、デュランは慌てて道具屋の看板を探しはじめた。