第2話 黒の学院 [3]

藍香(アイカ)! こっち来なよ」
 燈海が片手をあげて呼ぶと、待ってましたとばかりに近くの卓に座っていた女性数人が場に押し寄せてきた。
 他の学徒たちの何か言いたげな視線が彼女たちに集中する。いち早く真実を知る権利を与えられた者に対する嫉妬混じりの視線だ。いろいろ複雑なのは事実だが、選徒はたしかに特別な存在なのだ。
「もう、待ちくたびれたわよ」
 笑いながらやってきた先頭の女性が燈海にそう言った。濃い青の髪をうなじでまとめ、服装も動きにも、とにかくさっぱりした印象がある。気さくで物怖じしさなそうで、全体的な雰囲気が燈海によく似ていた。貴族階級出身というわけでもなさそうで、蒼国出身者であることといい、たしかに気があいそうである。
 円卓に座った六人を見まわし、藍香は感嘆の表情になる。
「すごいわ、六人そろい踏みね。こうしてみると壮観だわ」
「こちらが黄国の方?」
 藍香の横にいた女性が月羽に目をやるが、案の定、何だってこんな暑い日に全身に布をまとっているんだろうと訝しげな顔をしていた。
 燈海は何食わぬ顔で頷く。
「うん、そう。こっちが黄国の月羽。ものすごい内気さんだから、あんまり困らせないでね」
「だから顔を隠しておられるの? 暑くない?」
「ツキハさんって仰るのね」
「私たちは神学科の学徒よ。どうぞよろしくね」
 次々と早口で話しかけられ、月羽は硬直して声も出せない。
(さすが燈海の友人たちですこと。遠慮のなさがそっくり………)
(翠璃………!)
 こっそりと囁いた翠璃を白煉がたしなめる。
「こら紫穂(シホ)、だから困らせちゃダメってば。布もめくっちゃダメだからね。見えなくなる」
 月羽が身をすくませた。隣りに座っている紫音が、だいじょうぶだと軽く手をたたく。
 紫穂と呼ばれた淡紫の髪の学徒がいぶかしそうに眉をひそめた。
「見え………なんですって?」
「燈海?」
 口々に問い返してくる友人たちに、燈海は一転して深刻な顔をして声を潜めてみせる。
「………ここだけの話にしといてね。小さい頃に晶術の暴走に巻きこまれたせいで、全身に〈透過〉がかかってんだって」
 瑳雪からの課題は、月羽という小石を最小限の波紋だけで学院という泉に沈めること。ただでさえ選徒は秘密の紗幕に覆われている。不審を覚えさせない程度にはもっともらしく明瞭に。そして反発を買わない程度に言葉を濁し不透明に。
 どうあっても隠し通すことのできない透過については、こちらから正直に打ち明けるべきだと燈海たちは結論づけていた。
「人見知りするのはそのせいだから、許してくんない? ムリもないと思うし。まだあたしたちにも人見知りしてるぐらいなんだ」
 晶術はおのおのの生まれ石が持つ周波との共振を利用してかけるだけに、暴走するととんでもない被害をもたらすことぐらい、子どもでも知っている。
 滅多に失敗しないのだが、失敗するとそれこそ命はないという術なのだ。
 生きているにもかかわらず、体が生まれ石へと変じてそのまま石像となり、結局その状態では生きておられず死んでしまっただの、片翼になって石核も半分欠けて色褪せ、寝たきりになってしまっただの、晶術を習う際に恐ろしい実話をさんざん聞かされて育つ。
 月羽の家名を隠しながら、全身の透過をうまく説明するにあたって、晶術の暴走というのは実にもっともらしい理由だった。ここに来る前に、五人で手早く打ち合わせたのである。
 嘘は真実のなかに隠すもの。相手の好奇心を適度に満たし、口止めをするのではなく自ら話さないようにし向けること。
 煙に巻くことをもっとも得手とするのは、それが生来のものとして染みついている翠璃だが、至極素直な紅乃でさえ選定から一年で、ある程度のあしらいかたを身につけてしまっていた。
 望んで得たものではないが、選徒には共有の秘密が多すぎる。
 そしてそれはこれからもっと増えるだろう。やっと六人、揃ったのだから。
 案の定、術の暴走と聞いて藍香たちは顔色を変えた。
「晶術の………!? どこの馬鹿術士がそんな………!」
「何てことなの、解呪は―――?」
「手だけ成功しているわ」
 静かに口を開いた白煉に藍香たちはややたじろいだ。どこか近寄りがたい静謐な雰囲気を持つ彼女は、燈海とは逆に学徒間での同性受けが悪い。だが、いまは口にした内容のほうに気をとられたらしく、藍香たちは続きを聞きたそうに先を促した。
「出迎えた学院の使者もさぞかし驚いたのではないかしら。一年も合流が遅れたのは、学院側で何とか解呪しようとしたかららしいわ」
 純白のまつげを伏せて物思わしげに語る白煉の様子に、藍香たちはあっさりと納得したようだった。
「ああそれで去年、晶術の教授たちが慌ただしかったのかしら」
「そういえば、何かばたばたしてたわね」
「でも手だけでも解呪できてよかったわね」
 そこではじめて月羽が声を発した。
「はい。手だけでも………とても、うれしいです」
 突然のことに藍香たちはちょっとびっくりした顔で口をつぐんだが、月羽が口をきいてくれたことが嬉しかったらしく、すぐに明るい顔つきになった。
「え、なに? もしかして燈海よりも年下かしら !? 声可愛いわね、よろしくね!」
「透過してるなら色々不便なこともあるでしょう。困ったことがあったら遠慮せず仰ってね」
「えっと………ありがとうございます」
 思ったよりもしっかりした口調で月羽が受け答えしたおかげで、後の会話はそう不自然になることなく終わった。あまり話さないうちに夕食の鐘が鳴ったということもある。―――もちろん、わざとそうなるように場所も時間も見計らってから喫茶室に移動したのだが。
 白煉と翠璃が予約した個室に入り、六人だけになると翠璃がおおきく息をついた。
「どうにか第一関門突破というところかしら」
「藍香たちは知り合いも多くておしゃべりだから、明日の朝にはたぶん学院中に広まってるよ。そして一度しゃべったら後はしゃべらない。これはやたら口にしていいことじゃないってわかってもいるしね」
 燈海が苦笑しながら肩をすくめる。
「それにしても月羽ちゃん、ちゃんと受け答えできてたね。えら〜い」
 紅乃にほめられ、月羽はことんと首を傾げた。
「………うれしかった、から」
「嬉しかった?」
「困ったことが、あったらって………」
 その言葉を聞いて、紫音がしみじみと頷く。
「素晴らしい………なんと素直な。これはぜひ見習ってもらわねば」
「まず貴女が見習うべきでしてよ。()紫音(シオン)
「翠璃姫が見習うべきだとは、私は一言も言っていないが?」
 白煉がくすくす笑いながら、一同をうながした。
「さあ、部屋は借りられたけど、料理は勝手に運ばれてこないわよ。取りに行かなくては」
 学院の食事は基本的には大食堂で全員が食べる。ただ来客用や貴賓用に幾つかの個室があり、学徒も予約を入れれば借りることができた。ただし自由形式の食事の内容まで変わるわけではないので、自分で取りにいかねばならない。
「あたし、料理長さんからお菓子もらってくるっ」
 紅乃が歌いだしそうな口調で言い、真っ先に出て行った。
「んー、これはあれだよね。大皿に六人分どかんとが手っとり早いかな」
「では私は取り皿と麺麭(パン)を」
「じゃあ、私はお茶ね。翠璃は月羽といてくれるかしら?」
「よろしくてよ。お願いするわね」
 自分はどうすればいいのかとおろおろしている月羽の横で、泰然と翠璃が頷いた。もともとかしずかれるのに慣れているので、実に堂に入った様だった。
 扇子でゆったりと仰ぎながら、翠璃は月羽を見る。しかたがないとはいえ、何度見ても実に暑苦しい格好だ。
「月羽、これから食事なのだから、仮面はおとりなさいな。つけていると貴女も暑いでしょう」
 言われて素直に仮面をはずしている月羽を見て、翠璃はそっと溜息をついた。
 いったい神帝はどういう基準で選徒を選んでいるのだろうか。どうして月羽のような者を選んだのだろう。
 一年遅れてやってきた、運命共同体の最後のひとり。
 もしも、月羽と合流したのが自分たちと同じ一年前のことだったなら、五人ともこんなふうに彼女を受け入れることができただろうか。―――答えは否、だ。
 紅乃は遠慮なく悲鳴をあげていただろうし、白煉は表面上は何事もなく装いつつも、おそらく深く拒絶していただろう。燈海は燈海で、あれでいて実はかなり容赦がない。
 紫音はわからないが、翠璃自身はおそらく真っ向から拒絶していたはずだ。
 それがどれほど月羽を傷つけるのかは、いっこうに気にせずに。
 学院が解呪に手間取っていた一年間は、はからずも翠璃たちにとっても必要な時間だったといえる。
 この一年はさんざんだった。おかげで相手の個を認めずに潰し合うためだけの(いさか)いが、どれほど互いの不利益を招くのか思う存分、学習させられた。
 結果として五人とも、どうにか角がとれた言わねばならない。
(瑳雪にしてやられましたかね)
 目を細め、忌々しげに舌打ちする。あの全身真っ白の教官は、外見とは逆に相当な腹黒さだった。これもまた一年間でさんざん学習してきている。
「あの………翠璃さ―――えっと、姫さま」
「姫さま !?」
 思わず叫ぶと月羽がびくりと身を縮こまらせた。翠璃は慌てて声を落とし、口調をやわらげる。
「姫は不要でしてよ。ここにいる限り、国の身分など関係ありません。わたくしは貴女と同じ選徒です」
「ご、ごめんなさい」
「謝る必要もなくてよ。で、何かしら」
「あの………それは、何ですか?」
「は?」
 『それ』とやらが何かわからず怪訝な顔をした翠璃に、月羽は唯一透過していない手で、翠璃が手にしていた扇子を指さした。
「その、翠璃が手にしているものは、何に使うものですか?」
 翠璃の思考が停止した。
 やがて腹の底からふつふつと怒りがわきあがってくる。手にした問題の道具がきしみ、握られた拳がぶるぶると震えた。
 一年間。春夏秋冬、日数にして三百五十四日!
 瑳雪はこの目の前の選徒に何を教えていたのだ………!?
 べきり、と握力に耐えかね、扇子が折れる。
「瑳雪―――ッ !! 怠慢にも程がありましてよ―――ッ !!」
 部屋の外まで戻ってきていた燈海と紫音は顔を見合わせた。
「うむ。やはりか」
「絶対、姫は叫ぶと思った」
 食事をしながら、次々と発覚する月羽に欠けている一般常識の膨大さに、選徒が揃った最初の食事はその担当教官への悪口で話題が占められてしまった。
 瑳雪を扱きおろすほうに五人とも意識がいってしまい、月羽の食事風景については、まったく問題にされずなかった。嫌がられるどころか話題にさえならず、五人は瑳雪を盛大にののしりながら好きにしゃべり月羽に勝手に話題をふり、また好きにしゃべった。
 みな、月羽がそこにいることを当たり前として食事をしていた。必要以上にかまわれることもなく、無視されることもなかった。その放任は以前とは決定的に違うもので、月羽がそこに存在することを許容したうえでの寛容だった。
 何が違うのかさえうまく言葉にできず、それでも違うことだけはわかり、月羽はこっそり泣きながら食べた。
 嬉しくても泣くのだと、初めて知った。



 ―――燈海の意図したとおり、翌日の昼までには月羽のことは主だった学徒たちの間に広まっていた。
 こうなると、後は一緒だ。紅乃や燈海たちが学院にやって来たときと同じ過程をたどればいい。選徒たちが画策したことは、透過の事実だけ先に一人歩きさせて浸透させてしまい、月羽を以前の五人の選徒到着時と変わらない状態に持っていくことだった。
 実際、透過の事実さえ無いものとして考えれば、月羽は他の選徒たちと何も状況は変わらない。遅れた理由も異様な格好も、すべてそれで説明がついてしまう。
 朝食の席で、共通講義で、休憩時間で。月羽は、以前に紅乃が来たときと同じように人に取り囲まれ、そして同じように言葉を交わした。〈透過〉の話題が一言も出ないことに、逆に月羽のほうが戸惑うほどだった。
 一度、晶術科の学徒が学術的な興味からその話題を持ち出したが、月羽が素直に腕をまくってみせると、当の学徒だけでなくその場の全員が酢を飲んだような顔で黙りこんでしまい、その学徒は皆から無言で非難され、それきりその話題は二度と出なかった。気味悪がって近づかなくなった学徒もいたが、そういう輩にはこちらからも近づかないだけだ。
 ややこしすぎる課題を出してくれた瑳雪だが、選徒のとったやり方に、案の定何も言ってこなかった。ただにこにこ笑って、あらすっかり仲良くなったわねぇなどと(のたま)ってくれた。月羽以外、揃って彼女を睨みつけたのは言うまでもない。
 ―――話し合った結果、月羽には必ず誰かひとり、選徒が行動をともにすることになった。
 少なくとも、数ヶ月は面倒を見てやらないと非常にまずいことになるというのが一同が出した結論だった。いままでは選徒の数がひとり足りないこともあり、何かを強いられることもなくお互い好き勝手に別行動をとっていたが、六人揃った現在、月羽をほったらかしてそんなことをしようものなら、瑳雪がにっこり笑って凍りつくような嫌味を口にしてくることだろう。
 もっとも、これだけ危なっかしい人物を目の当たりにして放っておける者のほうが珍しいだろう。特に白煉と紅乃は庇護欲をいたく刺激されたらしく、何のかんのと世話を焼いているし、下に弟妹のいた燈海も面倒見は悪くない。
 月羽はひととおり身のまわりのことはできるにも関わらず、必須の常識が抜けていたり、なぜそうしなければならないのかという理由や理屈を知らなかったりする。教官は一年間もいったい何をしていたのだと五人は盛大にののしり散らしながら、月羽にひとつひとつ生活していく上での常識や約束事を教えていった。
 ―――だが、ときにはさすがに五人でも予想し得ない事態というのは起こりうるものである。
 血相を変えた白煉と燈海が他の選徒たちを呼び集めたのは、合流三日目の午後のことだった。