帰る場所 (スプリング・アゲイン) 〔1〕
カタカタ………。
小さな物音に、アメリアはふと目が覚めた。
物音に起きたとはいえ、唐突に訪れたクリアな目覚めにとまどいながら起きあがる。
虫の知らせにも似た、突然の覚醒だった。
「何………?」
窓から射しこむ月明かりで確認できた物音の正体は、サイドテーブルに置かれたアメリア自身の耳飾りだった。ふるえ、サイドテーブルの表面とぶつかりあい、小さな音を起てる。
「揺れてる………地震?」
テーブルから転げ落ちそうなソレを拾いあげ、隣りに寝ているユズハを見やったアメリアはぎょっとした。
目を開けたまま、ユズハはジッと虚空を凝視している。
「ユズハ? 起きて―――?」
「唄ってル」
ぽつん、とユズハが言った。
月の光を照り返す黄みがかったプラチナブロンドが、枕の上に散って光を弾いている。
「ユズハ………?」
ユズハの唇が動いた。
「来ル―――」
次の瞬間。
ドンッと、どこかで鈍い音がした。
「な………!?」
大地の音だと認識するには、少し時間がかかった。
ベッドがガタガタと揺れ、身を起こしていたアメリアは床に落ちそうになり、思わずベッドの縁にしがみつく。
揺れているのは何もベッドだけではない。宿全体が揺れ、嫌な軋みをあげている。
サイドテーブルの水差しが、硬い音をたてて床に砕け散った。
ユズハだけが現実から隔離されたように、超然とベッドに横になったまま、その視線を虚空へと投げかけている。
やがて揺れも収まり、部屋は元のように静けさを取り戻した。
「収まった………?」
アメリアが思い出したかのように、そう呟いた。
長いように感じられたが、そう長く揺れていたわけでもなさそうだった。
すぐに窓の外やドアの外で、人の気配と声が生まれ始める。これだけの地震に寝ていられるのはよほど神経が太い人間だけだろう。
ようやっとユズハがむくりと起きあがる。
寝乱れた髪をふるふる振って整えると、その朱橙色の瞳でアメリアを見あげて言った。
「地の精霊が唄ってタ」
「それで地震が………?」
「ン」
ユズハがうなずいたとき、ひかえめにドアがノックされ、続いてゼルガディスの声がした。
「アメリア、平気か?」
うなずきかけて、慌ててアメリアは声に出す。
「平気です。水差しが落ちてわれちゃったぐらいですし。ユズハと一緒に寝直します」
「わかった」
遠ざかっていく足音を聞きながら、アメリアは大きく息を吐きだした。
「ああ、びっくりした」
「驚いタの?」
未知のモノに遭遇しても、驚くより先に好奇心の塊となってしまうユズハには、イマイチ驚くことがどういうことか理解できないようだった。
「ユズハは予知できたからいいんですよ。いきなり揺れたら誰だって驚きます」
「ふうン」
寝直そうとアメリアが枕を叩いて整えていると、ユズハもそれに便乗して枕をバシバシ叩きだした。いまだに色んなものに触りたがるクセは直っていない。
「ユズハ、もう叩かなくていいです」
「あうー」
叩いてほこほこになった枕に顔跡をつけるがごとく、ユズハがものすごい勢いで顔を押しつける。
べふっと空気が抜ける音がした。
「ン、いい気持ち。寝る」
「………おやすみなさい」
その隣りで布団に潜りこみながら、アメリアは窓の外に視線を投げた。そこには、近くにある山が黒い影となってわだかまっている。
「まだ溶け残ってた雪とか、なだれてなければいいんですけど………」
外は、早春の薄曇りの満月だった。
ユズハと出会ってから、もうそろそろ半年になる。城を飛びだしてからは一年。
ゆるやかに、刻は迫りつつある。
それから二日後のことだった。
地震の翌日にアメリアたちは、逗留していた街を後にして、街道沿いにある次の村へと移動していた。
アメリアが一昨日眺めていた山を背にした小さな村で、旅人の姿は少なく、宿にアメリアたち以外の客はいなかった。
フォークを手にしたゼルガディスが、じとりとユズハを睨む。
「………頼むから落ち着いて食わせろ」
林檎ジャムを塗ったパンを口いっぱい頬張ったユズハが器用に即答した。
「ヤ」
「…………」
そのユズハに皿いっぱいの卵サラダを取り分けてやりながら、アメリアは首を傾げた。
「これって朝御飯なんでしょうかね。それともお昼なんでしょうか」
朝には遅いし、昼には早い。
半端な時刻だった。
昨夜遅くに村に着いて、昼近くまで寝ていたため、必然的に食事の時間帯がズレこんだのだ。
三人で十人分ほどの量を頼み、しかもその八人分を子どものユズハが平らげているという奇観を、宿の女将が何やら引きつった顔で眺めていたが、アメリアとユズハは気にしていない。ゼルガディスの方は、もうとっくに諦めきっている。
「リナか、こいつは………」
何度目になるかわからない呟きをゼルガディスが洩らす。
だいたい魔族と似たような存在の仕方をしているのだから、食事などという非効率的なエネルギー摂取法を選ばなくてもいいだろうに。まあ、負の感情がご飯です、と言われるよりはマシかもしれないが。
げふ、とユズハがパンを喉に詰まらせた。毎度のことだ。
呼吸していないのだから、窒息の危険はない。ゼルガディスの反応は冷淡だった。
「だから、少しは落ち着いて食べろと言ってるだろうが」
スープでパンを流しこんで、とりあえずの危機を回避したユズハに聞こえている様子はない。
楽しそうに食事をする点においては、リナ以上かもしれなかった。
気を取り直して、ゼルガディスは食事を再開した。
一口大の卵焼きをカリカリに焼いたベーコンで包んである料理に手を伸ばしたとき、小さな手が持つ大きなフォークがそれを横からさらっていく。
「………ユズハ」
「なに」
「返せ。最後の一コだ」
「ヤ」
リナの時には天災と思って大人しく諦めていたが、ユズハは天災でもなんでもない。だからといって、あの二人のような想像を絶する争奪戦を展開する気もなかったが。
代わりにユズハの目の前に置いてあるパンが入ったカゴを、ひょいとテーブルから取り上げる。残り二枚。どれもアメリアが、ユズハのためにジャムやらバターやらを塗っていた。
「ぜる、返しテ」
「ならお前もそれを返せ。交換だ」
にべもなく言い切られて、ユズハはフォークに刺したベーコンと卵焼きを睨んで、短く唸った。
しばらく葛藤していたようだったが、やがてユズハは大人しくベーコンと卵焼きをゼルガディスの皿に乗せる。
勝った、とか秘かに思いつつ、ゼルガディスがパンのカゴを返してやったとき、全く別の方向からユズハの逆襲が来た。
アメリアの皿に、彼女が前に取り分けた同じ料理が残っていたのだ。
「りあ、ソレもらってもイイ?」
「いいですよ」
にこにことアメリアがユズハの皿に料理を移す。
アメリアの視線がそっちに行っているその間に、ユズハがンベっと舌を出した。
ゼルガディスが何らかの反撃手段を講じる前に、その料理は瞬く間に皿から消える。
ユズハからは首尾良く卵焼きを取り返した。それはもうスマートに。
(なのに何でこんなに悔しいんだ?)
握っているフォークが微妙に折れ曲がったのを、ゼルガディスは自覚した。
「旅の巫女さまと剣士さまにお見受けいたしますが」
「………どっからどう見てもそうだろう」
話しかけてきた老人に、食後の香茶を飲みながら、冷ややかにゼルガディスは答える。
傍らのユズハが首を傾げた。
「そ・う? 見えナイ。ぜる、変だシ」
「お前もな」
ゼルガディスは相変わらずのフード姿で、ユズハは耳を隠すための帽子にローブ。色は帽子もローブもクリーム色。変と言えば変だった。
いつものように香茶に大量の砂糖を投入していたアメリアが、話に置いていかれた老人に訪ねる。
「何か御用ですか?」
ユズハにちらちらと好奇の視線を送りつつ、老人はうなずいた。
「この村の村長をやっております。あなたがたに頼みたいことがあるのです―――無論、お礼はいたしますが………」
アメリアとユズハがゼルガディスに視線を向けた。
こういうことの決定権は、自然とゼルガディスに委ねられている。
カップをテーブルに置いて、ゼルガディスは応えた。
「内容によるな」
老人はそれにひとつ頷くと、
「一昨日の地震をご存じですな」
「ええ、まあ………」
突然の話題転換になんとなくその先を察しながら、アメリアは相槌をうった。
「その地震で、裏の山には雪崩れやら土砂崩れやら起きたのですが、一箇所、派手に崩れたところがありまして、そこから何かの遺跡と思しき洞窟が姿を見せたのです」
それを聞いたゼルガディスの表情が、わずかな変化を見せる。
「別にそれだけなら何ともないのですが、さっそく昨日、興味半分でそこに出かけた村の若者二人が―――」
「まだ帰ってこない、と」
「ええ、ええ。そうです。誰か他の者をやって探させようかとも思ったのですが、遺跡などに慣れない者が出かけて、また帰ってこなくなっても困りますし………」
「悪いが、報酬のほうはどうなるんだ?」
老人が述べた金額は、相応のものだった。
ゼルガディスは考えこんだ。
悪い話ではない。遺跡と言われて興味も湧いたし、路銀を無限に持っているわけでもない。
ただ、問題があるとすれば―――
「行きタイ」
当然ついていくと言った表情で、ユズハがゼルガディスを見あげる。
問題があるとすれば、遺跡には付きものの罠系統を、この元精霊が好奇心から全発動させるであろうことだった。
かといって、置いていくのはもっとマズイ。
アメリアは当然ゼルガディスに同行するだろうし、この問題がありまくりのユズハを一人で放っておくと何をやらかすかわかったものではない。
いまここで断っても、ユズハが遺跡に行きたがるのは明白で、自分も行ってみるだろうことも予想がついた。
しばらく考え、ゼルガディスは結論を出した。
「わかった、引き受けよう」
「ふえ〜、派手に崩れてますねえ」
アメリアのブーツがざくりと土の塊を踏み砕く。逆に何も踏まずに歩くほうが難しいほど、あたりは真新しい土砂で埋めつくされていた。
そのアメリアの隣りで、ゼルガディスが周囲を見回す。
「なるほど、あれか」
問題の遺跡がぱっくりと口を開けていた。
近づいてみてわかったのだが、きちんと人の手が加わっており、床は石畳になっている。
間違いなく遺跡だ。
本来の入り口ではなく途中の通路が露出したらしく、周囲の崩れた岩や土砂の中には、石畳の石材などが混じっていた。
「行ク」
「待たんかい」
すーっと宙を滑っていくユズハの襟首をゼルガディスがひっつかむ。
大量の土砂にまともな歩行は諦めて、ユズハはさっきから、ふよふよ浮いていた。
「いいか、これだけは言っておく。地面に足をつけるな。浮いてろ。俺の前に出るな。アメリアの後ろにも行くな。槍が降ってもお前は平気だろうが、俺たちは間違いなく平気じゃない」
「ン、わかった―――あ、チョウチョ」
「………ほんとにわかってるんだろうな………」
「わかってル」
「とてつもなく不安だが」
そう呻きつつ、ゼルガディスはライティングを唱えて遺跡へと足を踏み入れた。
ユズハがふよふよと後に続き、アメリアが最後に入り口をくぐる。
「りあ、持ってテ」
ユズハが帽子を脱いでアメリアに渡した。
以前アメリアが買ってやった、耳の覆いが付いている布製の帽子なのだが、ものすごく気に入っていっているらしく、これをかぶっている間は絶対火球に変じようとしない。
火球に変じるかもしれないときは、今のように予めアメリアに手渡しておくのだ。
なめらかなクリーム色の頭髪から、ゼルガディスと良く似た尖った耳が顔を覗かせる―――炎の精霊に邪妖精の精神を合成した、ある意味ゼルガディスと同じ合成獣。
遺跡の中には懸念していた罠などは存在しなかったが、平坦な石の通路が続くばかりで遺跡の年代を示すような特徴や、遺物なども見当たらない。
もしかするとこの山すべてが遺跡なのかもしれなかった。
何も見当たらない代わりに、捜している村の人間二人も見つかっていなかった。
「土の精霊ばっかり。つまんナイ」
ユズハが呟いた。その耳が上下にぴこぴこ動いている。
「あたりまえだ、山の中にいるんだ―――って、また変なことを覚えたな………。なんだその耳は」
「んとね、りあが、耳が長いイキモノは、ぴこぴこさせるんだっテ。練習してみタ」
「ンなわけないだろうが。犬やうさぎじゃあるまいし。じゃ、エルフは耳が上下に動くのか !?」
「ぜる、は?」
「動くかっ!」
ゼルガディスはアメリアをふり返った。
「………アメリア、こいつに何を吹き込んでいる」
「一般常識です」
「耳がか !?」
思わず叫んだゼルガディスの声が狭い石の通路にわんわんを反響する。
そして、その反響が不自然に途切れた。
「―――!?」
三人の視線が同時に同じ一点に向けられる。
「この先ですね」
「ああ………」
「何もナイ」
不意にユズハが呟いた。
ライティングの光のなか、朱橙の瞳が濡れたように艶を帯びて、硝子玉のように光る。
「何も、ナイ」
「何もない?」
「この先にか?」
「何もナイ、精霊もイナイ。おかしい」
それだけを告げると、ユズハは宙を滑空して先に飛びだした。
「っ待て、先に行くな!」
ゼルガディスが後を追って駆け出す。
さらにその後を追って、アメリアは通路の先へと走り出した。
しばらく走ると、先頭を行くユズハが行き止まりに急停止したのが見えた。そのプラチナブロンドの頭が、勢い良くアメリアとゼルガディスをふり返る。
「ここ、ヘン。来ないデ!」
ユズハがそう叫んだ瞬間―――。
ぐにゃりと世界が歪んだ。
石の通路も壁も一瞬のうちに消え去り、何もなくなる。
前にいたユズハとゼルガディスの姿も消えた。
水底から世界を見上げたときのように、何かが揺らめき、きらめいてアメリアの周囲を包んでいる。
(何………!?)
思わず自分の足元を確かめようとして、アメリアは気づいた。
体がない。
あるはずの足がない。確認できるはずの手がない。触覚も。
ただ意識と視覚だけがここに在る。
模様としか形容できない周囲の色彩がぐるぐると渦をまいた。ときおり何かが凝ろうとしては、それを成すことなく、ほどけて消えていく。
銀の粒が散らばり、収束し、ゆるゆるとほどけては、また散っていった。
魔族の結界に取りこまれたときとは微妙に感覚が違う。
しばらくするとアメリアは、周囲の模様が自分の思考に反応することに気がついた。思考の経緯に添って、ゆるやかに色も形状も在る空間さえも変わっていく。
パニックを起こしかけたが、どうにか思いとどまる。
もしかしてこれが精神世界面というやつなのだろうか。
ゼルガディスとユズハはどこに行ったのだろう。
捜さなければ。
そう思ったアメリアの思考に、誰かの思念が割りこんだ。
―――汝はここに何を捧ぐ―――

