夏の帰還 (シークレット・クイーン) 〔1〕

 良く晴れた、うららかな春の終わりの日だった。
 アメリアは隣りにたたずむユズハの帽子を整えてやり、軽くうなずいた。
「よし」
 そうして、すっくと立ち上がるとパンッと自分の頬を両手で叩く。
 濃紺の瞳が、キッと遠くに見える景色を見据えた。
「ユズハ、行きますよ!」
「ン」
 アメリアとは対照的に、ユズハはのんびりとうなずいた。
 クリーム色の艶やかな頭髪に、赤みがかったオレンジ色の瞳の五、六歳の少女で、道行く人が思わずふり返るほどに可愛らしく、整った容貌をしている。
 クリーム色の生地に朱の色糸で刺繍をほどこした、耳覆いのあるその帽子の下には、尖った耳が隠れているはずだ。
 ユズハ。炎の精霊と抽出された邪妖精の精神体とを合成して生みだされた、いわば合成獣の亜種である。
 アンティークドールをその依り代としていたのだが、色々あるなかでその人形は壊れてしまい、現在は精神体のみの、ほとんど魔族のような存在の仕方をしている。
 現在その外見は、人形だったときの外見の記憶と邪妖精の肉体の記憶から構成されていて、パッと見、エルフのように見えないこともない。
 以前は着ているローブも一緒に具現化させていたのだが、最近になって魔力が増幅され存在が安定したことと、アメリアが必死に行った練習のかいあって、ローブを具現化させずに普通の服を着ることができるようになっていた。
 その結果、アメリアの着せ替え人形と化している。
 今着ているのは鮮やかな山吹色の丈の短い前合わせの上着とスカート。上着の裾にもスカートの裾にも、帽子と良く似た朱色の刺繍がされており、まるで最初からお揃いのだったかのように愛らしい。
「ン、行くべし」
 のほほーんと呟かれたユズハの言葉に気勢をそがれ、アメリアはがっくりと肩を落とす。
「あのですねえ、ユズハ。これから行くところわかってますか?」
「んと、りあのおうち」
「おおむね間違ってないです。で、あなたは何でしたっけ」
「えと……えるふ」
「はい、良くできました。じゃ、行きますよ!」
 アメリアは再び、前方にある王宮の門を睨みつけた。
 家に帰る者の表情ではない。
 一年半ぶりの、帰城であった。




「門を開けなさい! アメリア=ウィル=テスラ=セイルーンが帰りました!」
 なかばヤケクソ気味のアメリアの声に、歩哨に立った兵の一人が、慌てて通用門から中へと飛びこんでいく。
 門が全部開ききるのを待たず、アメリアは王宮の中へと足を踏み入れた。
 ちょこまかとユズハがその後を追う。
「………あの……アメリア様。こちらの子どもは………?」
 ユズハを見とがめた兵士の問いに、アメリアはにっこり笑って答えた。
「ハーフエルフのユズハです」
 そう言ってさっさと先へ進んでいく。
 リナとガウリイがこの場にいたなら言っただろう。
 やっぱり親子だ、と。
「アメリア様だ」
「アメリア王女が帰られたぞ」
「ただいま、みんな」
 次々に集まってくる城の人間に、アメリアは気さくに手をふった。
 片手では、ユズハの手をひいている。
 ユズハと言えば、さっきから周りをきょろきょろ見回していて、落ち着きがない。
 遠くに父親と重臣たちの集団を見つけて、アメリアはユズハを抱き上げて目線を合わせた。
「さあ、いよいよですよ。騙しきりましょうね。一緒にいるためにも」
「ン。がんばる」
 神妙な表情で、ユズハはこっくりうなずいた。


 アメリア=ウィル=テスラ=セイルーンは二十歳の誕生日を間近に控えた春の終わり、セイルーン王宮へと帰還した。



「そろそろ暑くなってきましたねー」
 窓を大きく引き開けながら、アメリアは初夏の風を胸一杯に吸い込んだ。
 王宮に戻ってきてから三週間近くが経過していた。
 そろそろ王宮での暮らしに、元の感覚が戻り始めている。
 ユズハも、あまり騒ぎを起こさなくなった。
 アメリアは、親から疎まれて売られたハーフエルフの子どもだとか何とか適当な嘘をついて、父親と重臣にユズハを紹介し、王宮で引き取るよう強引に押し通した。
 父親のフィリオネル王子が慈善事業に反対するわけはなく、渋い顔をする重臣たちにをなだめすかして半分脅して承諾させたのだ。
 ユズハの容貌が極めつきに愛くるしいのも、承諾に一役かっている。
 来るなり、ユズハは下働きの女官やメイドたちのアイドルとなった。可愛いがってお菓子などをくれるので、ユズハはご満悦である。
「ベッドの端から端まで転がっていって、そのまま床に落ちられたときにはどうしようかと思いましたけど………」
 広いベッドとシーツの感触が嬉しかったらしい。
 思い出して口をへの字に曲げたアメリアは、何気なく中庭の鮮やかな緑の芝生を見おろした。
「ま、でも順応してるみたいで………ってユーズーハッ! また何してるんですかあなたは !?」
「あ、りあー」
 アメリアの声に気づいたユズハが、アメリアのいる二階の窓を見上げて、ぶんぶか手をふった。
 そのちまい片腕には、何やらのたうちまわる白いモノがしっかりと抱えこまれている。
「何なんですか、それは !?」
 窓から身を乗り出して叫ぶアメリアに、ユズハは両手でその白い物体を掲げて見せて、一言。
「ねこ」
「見ればわかります。そんなことは。一体どこから捕まえてきたんです」
「そこにいタ」
 王宮区画は別に陸の孤島ではないので、ネコぐらい探せばいくらでもいるだろうから、別に不自然ではない。が、
 なにゆえ、そのネコを水揚げされた魚のごとく、でべろんと抱えこんでいるのだ。
「何してるんです。そのネコめいっぱい嫌がってるじゃないですか!」
 ユズハが必死で暴れる白ネコを抱きしめて、あっさりと言った。
「勝っタ」
「何にですっ !?」
「ねこに」
「ワケのわからないケンカをしないでくださいっ」
 思わず叫ぶアメリアに、ユズハはもはや抵抗をあきらめたらしい白ネコをでべろーんとぶら下げて見せた。
「いいですか。いまからそこに行きますからね! 尻尾つかんで、ふりまわして放り投げちゃダメですよ !?」
 アメリアはドレスの裾を持ち上げて、呪文を唱えながら窓枠を蹴った。
 ネコを抱えて、ユズハがそれを見上げながら呟いた。
「りあ、それはヒドイ」


 その夜。
 アメリアの寝室にはアメリア以外に一人と一匹がベッドの上に転がっていた。
 枕を抱えて、ごろんごろんしているユズハと、ユズハとさんざん格闘したうえに「室内に入れるならそのネコ洗ってください!」と引きつった表情で女官が叫んだため、これでもかというぐらいに洗われて疲れ切ったネコが、丸くなるどころではなく棒のようにノビている。
 ゼルガディスの代わりに、ユズハは新たなケンカ相手を見つけたようだった。
 夜着に着替えたアメリアが、ノビている白ネコを持ち上げる。
 パン生地のごとくネコがでろーんと伸びる。
「………いや、あの、少しは反応してほしいんですけど」
 されるがままにしていた白ネコは、物憂げにアメリアを見返して、ナーオと鳴いた。
「………ごくろうさまです」
 思わずそうネコに言うと、アメリアはソファの上にネコの寝場所を作ってやった。
 そこまで行くと、ネコは丸くなって寝てしまう。
 白い毛並みに、オレンジの瞳の優美なネコだった。
 体の半分はあろうかという巨大な羽根枕に体ごとのしかかりながら、ユズハがアメリアに事の顛末を報告する。
「んとね、木の上にいたの」
「………で、目があったら因縁つけられたんですか?」
「ン、そう」
 つぶれた枕を叩いて膨らませてから、もう一度。
「…………」
 こめかみに手をあてて、アメリアは目を閉じた。
 因縁つけられたというよりも、人ならぬユズハの気配に獣の防衛本能が働いただけのような気がしてならないのはなぜだろうか。
 眠るネコの隣りに座って、アメリアはネコの毛並みを撫ぜた。
「ユズハのお友達第一号ですか?」
「おとも、だち?」
 相変わらず表情の乏しい顔を、せいいっぱいしかめてユズハが唸る。
「んとね、毎日ケンカするの」
「…………………それは何て言うんでしょうね………」
 複雑きわまる声音で呟いて、アメリアはユズハに視線を投げた。
 視線の先で、巨大なイモムシのような物体がベッドを右へ左へ転がっている。おそらく抱えていた枕にシーツが巻きこまれたのだろう。
「名前はどうするんです?」
「なまえ?」
 シーツが巻物のごとく解けて、ユズハが顔をあげてアメリアとネコを見た。
「なまえ、おるは。おんなじ目の色してるの」
 アメリアはゆっくりと微笑んだ。
「そうですか。ケンカは程々にしてくださいね。ユズハ、オルハ」
「ン。二日に一回にすル」
「………できればもうちょっと少なく」
 それからしばらく時が過ぎて、深夜。
 傾きかけた初夏の満月が、二人と一匹が眠る王宮の部屋に、静かに光を投げかけていた。
 サイドテーブルには、対の欠けた瑠璃の耳飾り。


 そして季節は夏へと移り変わる。
 自室のテーブルのうえに山積みにされた、肖像画やら履歴を書いた羊皮紙やらの塊を床の上に払い落とすと、アメリアは空いたテーブルにチェス盤を置いた。
 市松模様のチェス盤は、白は象牙、黒はオニキスの薄片で象嵌されており、後からテーブルに置かれた駒は象牙と黒檀でできている。姉グレイシアの私室にあったのを無断で借用してきたのだ。
 アメリアは白のキングをつまむと、所定の位置に置いた。自分に一番近い列の真ん中に。そして傍らに自由に動ける女王クイーンを横に寝かせて置く。
 王の傍らにある、不確定要素。自由に動けるイレギュラー。
 アメリアの伏せ駒。
 少し離れたところには、僧侶ビショップ。王を助けようと思えば助けられる位置に。しかし、動きに多少の不自由がある。
 そして、幾つかの歩兵ポーンを配すると、アメリアは窓辺で寝そべっている白ネコを呼んだ。
「オルハ、ユズハはどこです。探してきてください」
 オルハはちらっとアメリアに視線を投げたものの、命令に従う気配はなさそうだった。
 ユズハの姿が見えないとなれば、たいてい厨房にいる。そこではオルハの姿が見えただけで料理人が殺気立つので迂闊に近寄れないらしい。
 アメリアは嘆息して椅子から立ち上がった。
 白く薄い紗のドレスがさらさらと絹ずれの音を立てる。下から重ねた萌黄の薄物の色が透けて見えて、涼しげだった。伝統的な夏の配色である。
 そのドレスの裾を持ち上げて、アメリアは床に堆積した羊皮紙やら肖像画などを、靴の爪先で思いっきり蹴っ飛ばした。
「誰も彼もが敵ばっかですっ」
 憤然と呟いて、アメリアはユズハを探しに自室を出た。
 寝るのに飽きたオルハが、近くまで蹴飛ばされてきた肖像画の木の額で爪を研ぎ始める。
 床の塊全部がアメリアに持ち込まれた縁談の資料だった。


 無事にユズハを探し当てたアメリアは、女官に香茶と茶菓子を運んでくれるように頼んでから、自室へと戻った。散歩にでも行ったのか、オルハは姿を消している。
 さっそくユズハがテーブルの上のチェスに興味を示して、椅子の上によじのぼる。
「りあ、何コレ」
 アメリアは何も説明せずにユズハに残りの駒全部を押しやった。
 ユズハがさっそくソレをいじり始めるのを見ながら、先ほど駒を置いた方を自分側に、何もない方がユズハ側になるようにチェス盤の位置を直す。
「ユズハ、あなたならどうやって、この真ん中のヤツを取りますか?」
 小さなユズハの指が、中央のキングの駒を指差す。
「これ?」
「そう、それです。どうします?」
「んとね、手でトル」
「………それはそうです。でも、その前に周りの駒が邪魔をしますよ。その間にこの駒は逃げちゃいます」
 ユズハがチェス盤の上に身を乗り出した。
 せっかくズラリと立てて並べたチェスの駒を、着ている夏用の巫女服の袖で掃除してしまわないように押さえてから、その手で一点を指差した。
「これ、ジャマ」
 そこには幾つかの駒の集団がいた。ひとつだけ王の近くに歩兵ポーンがあって、そこから延長線上にちょうど援軍のような状態で二つ騎士ナイトが置いてある。変則的な動きをする騎士。
「………ですよね。邪魔ですか、やっぱり。なら先にそれを除きにかかるでしょうね………」
 ユズハに指摘されて、アメリアはその歩兵をつまもうと指をかけた、ちょうどそのとき。
 控えめに扉がノックされて、香茶と菓子をのせた盆を提げた侍女が部屋に入ってきた。
 床に散乱した無惨な状態の縁談資料に、一瞬表情をひきつらせてから、彼女は告げる。
「シルフィールさまがお見えになっています」
 アメリアは軽く目を見張った。
 彼女にはリナたちへのパイプ役として、以前から度々会っているが、帰城してからはまだ一度も会っていない。
 指をかけたままの歩兵に、ちらりと視線を戻してから、アメリアは言った。
「通してください」
「………ここにですか?」
 床の上の塊を見て、侍女が口ごもる。
「ええ、ここに通してください」
 侍女のところまで歩いていって、その手から盆を受け取ると、アメリアは有無を言わさぬ口調で重ねて告げた。
「ここで全然オッケーですから」
「は、はい………」
 退出する侍女に追加で来客の分も香茶と菓子を頼むと、アメリアはチェス盤の横に盆を置いた。
「ユズハ」
「何、りあ」
 アメリアの幼い頃の巫女服を着たユズハが、無表情にアメリアを見上げた。
「歩兵はパワーアップできそうですよ。簡単にはどきません。どうやって除きにかかります?」
 ユズハがむう、と唸ってチェス盤を睨む。
 アメリアは知らなかった。
 その歩兵が、今回は騎士二人を伴っていることを。
 嬉しい驚きは、ほんの数分先の未来のことだった。