夏の帰還 (シークレット・クイーン) 〔2〕

 「アメリア、あんたやっと帰ってきたんだって?」
 懐かしい声に、思わずアメリアは椅子から立ち上がってその人影に抱きついて―――否、飛びついていた。
「リナさああああぁんっ! 会いたかったですうううぅっ!」
「うにょわっ !?」
 勢いを受け止めきれず、ひっくり返りそうになるリナとアメリアを後ろの人物がひょいと支える。
「おいおい、アメリア」
「ガウリイさんもお久しぶりです! シルフィールさんも!」
「ごぶさたしてます。アメリアさん」
 最後尾のシルフィールがにっこりを会釈を返してきた。
「リナさんたち、どうしてセイルーンに?」
「何言ってんの。シルフィールからやっとあんたが城に戻ってきたっていう手紙もらったから、顔見にきたのよ………って、すごいことになってるわね部屋………」
 アメリアの肩越しに部屋の床を見たリナが、呆れた表情で呟いた。
「ああ。遠慮なく、がすがすげしげし踏んでください。全部、縁談資料ですから」
「いや、踏めって言われても………」
 ガウリイが困った表情で床の塊を見降ろした。
「リナさんが塵化滅アッシャーデイストあたりでチリにしてくれると助かるんですけど」
「いくらなんでも、それはちょっとマズイわよ………。丁重に扱えって言う気は全っ然ないけど、とりあえず邪魔にならないように隅に除けたら?」
 茶器を持ってきた侍女が見たのは、大人四人で床の散乱物を暖炉脇に寄せている光景だった。
 思わず立ちつくしている侍女に、てこてことユズハが近寄ってきて、その服の裾をひっぱる。
「あそこ」
 テーブルの上を指差されて、我に返った侍女は慌ててそこに盆を置くと早々に退出していった。
「りあ、お茶きタ」
「わかりました。とりあえずこんなもんですかね」
 二人掛けの丸テーブルからソファの方のテーブルに盆を移して、アメリアはリナたちを誘った。
「この子が連れ帰ったっていうハーフエルフの子どもですか?」
 シルフィールがユズハを見て、首を傾げた。城下では幸運児としてもっぱらの噂である。
 ユズハの方も、シルフィールに向かって首を傾げてみせる。
 アメリアは直接それには答えずに、ガウリイを呼んだ。
「ガウリイさん。この部屋の周りに誰かいますか?」
「いや。いない」
 アメリアはひとつ頷いて、ユズハの素性をリナたちに明かした。
「………なんかすごいの拾ったわね、あんた」
 リナが唸る。
「なあ、よくわからないんだが………」
「いい。わかんなくていいから。とりあえず名前だけ覚えてなさい」
 相変わらずのやり取りにアメリアは笑った。
 ひどく懐かしい。そういえば、連絡だけはとっていたものの、四年も会っていなかったのだ。
「りあ。りあ」
 隣りに座ったユズハが、アメリアの白いドレスをくいくいっと引っ張った。
「なまえ。ダレ?」
「ああ、ごめんなさい。まだ教えてませんでしたね」
 一通り名前を聞き終わると、ユズハは首を傾げた。
「りな。しる。えと……がうりい」
 さすがにガウリイだけは名前の省略しようがなかったらしい。
 そこまで言ってから、ユズハは不意に周囲を見回した。
 白ネコの姿を捜して、ユズハはソファを降り立った。
 その様子を目で追っていたリナの視線がテーブルのうえのチェスに留まる。
 ゲームとしての不自然な配置に気がついて、リナは眉をひそめた。
 白の駒が幾つか配されているだけで、あとは全部、盤の外で直立している。
もちろんそれはユズハがやったのだが。
「アメリア。あれは何?」
「チェスです。やりますか?」
「いや、そうじゃなくて………」
 そう言いかけて、リナはアメリアの問いかけるような目に気づいて言葉を途切れさせた。
「………いいわ。やる」
 何か言いかけたシルフィールは、もう片方のところで展開されているやり取りに気をとられた。
「おるは、捜す」
「そいつは誰なんだ?」
「ネコ」
「なら、オレも一緒に捜してやるよ。リナ―――」
 ソファから立ち上がってチェス盤に視線を注いでいたリナは、ひらひらと手をふった。
「いってらっしゃい。シルフィールはどうする?」
「あ、わたくしは………。そうですね、ネコを捜して、それからグレイおじさまのところに帰ります。リナさんとガウリイさまは、今日はどうされます?」
 応えかけたリナの腕をアメリアがとらえた。
「泊まっていってくれますよね?」
 目を潤ませてお願い攻撃されて、リナは思わずうなずいていた。


 数分後、リナとアメリアはチェス盤をはさんで向かい合って座っていた。
 リナが面白くなさそうに黒檀の駒―――敵駒を僧侶ビショップの前におく。
「シルフィールを通してのうちらへの圧力が不可能なら、こうくるでしょ。フィルさん抱きこんで説得ってとこかしら」
 アメリアは、黒駒に囲まれている、父に見立てた僧侶の駒を遠ざけて、盤の外へと置く。
「父さんは、この件に関しては無介入、中立です。母さんも市井の人でしたから、わたしに無理強いできる立場じゃないです」
「なら………」
 トン。
 リナは黒のキングを手に取ると、白の王すなわちアメリアの駒の正面へとおいた。
「チェックメイト――――」
「お祖父さまですか?」
「そういうこと。やっぱり味方が少ないのが痛いわね。あたしもずっとここにいるわけにはいかないし、シルフィールもこれに関しては、ね………」
「戦略レベルでは手のうちようがないですね。お祖父様が強権発動しないことを祈るしかないです。見合いとか夜会とかの小さなレベルになると、何とでもなるんですけどね」
 アメリアは伏せられていた女王クイーンの駒を起こした。
「これは?」
「ユズハです。見合いをぶち壊すくらい、自覚ナシにやってくれると思います」
 敵駒の認識外にある、伏せ駒。シークレット・クイーン。
 それが自在に動いて、敵の歩兵ポーンを蹴散らした。
「ユズハか………」
 さっきのユズハの仕草を思い出すかのように、リナは目を細めた。
「ゼルもユズハみたいに思い切りよく、いっそ、戻んなくてもいいって言えばいいのに」
 女王の駒を動かしていたアメリアの手が、虚空で一瞬だけ静止した。
「わたしがウィル=テスラ=セイルーンでなければ、そう言ってくれたかもしれませんね………」
 リナが驚いた表情でアメリアを見返した。
「ずいぶん弱気じゃないの。らしくないわね」
「ダメですか? リナさんの前じゃなきゃ言いません、こんなこと」
「ダメじゃないわよ。溜めこんでると、潰れるわよ。要は最後に胸張ってればいいんだから」
 互いに顔を見合わせて、しばしの沈黙のあと、二人は同時に苦笑した。
「まあ、ユズハに関してはゼルガディスさんも色々思うところがあるみたいです」
 口には決して出さなかったが、何となくわかってしまった。
 望まない変貌をとげた自分自身に対してのユズハの全面的な肯定は、ゼルガディスとは対極の位置にある。
「待ってるのね?」
 さりげなく投げかけられた言葉は問いではなく、確認。
 アメリアははっきりとうなずいた。
「待ってます」
「そっか………」
 リナは秘密を共有している子どもめいた顔で笑った。
「がんばんなさいよ」
「はい」
「シルフィールにはあたしから言っとく。こまめに連絡しなさい」
「え………? でもリナさん、旅の途中じゃ………」
 相手の居場所が不定では、連絡のしようがない。
 リナは気まずげに視線を宙に泳がせた。
「うん、途中よ。でも、ちょっとゼフィーリアに帰ってゆっくりしようかな、って………」
「え? でもさっきの話だと、一回帰ったんでしょう?」
「うん。だから、もう一回………」
「んんんー?」
 アメリアは意地悪く笑って、持っていた女王の駒をリナの頬に押しつけた。
「どうしてですかー? ガウリイさんももちろん一緒ですよねー?」
「ア、アメリア………」
「ダメですよ。四年ぶりにあったんですから、もちろん聞かせてくれますよねー? あ、あとででいいですよ。夕飯のあとにでもゆっくり」
「………この娘は………」
 劣勢に追いこまれたリナが反撃を試みる。
「そういうアメリアも聞かせてくれるわよね? まる一年ゼルと一緒に旅してたんでしょう?」
「な、何言ってるんですかっ。ユズハも一緒ですよ」
「でもその前の半年間は二人だけだったんでしょー?」
「うぐ………」
「あ、あとででいいわよ。夕飯のあとにでも」
 互いに二十歳を過ぎても、何ら変わるところのない二人だった。



 その頃、ユズハとガウリイとシルフィールの一行は、無事にネコのオルハを発見していた。
「おるは」
 ユズハが呼ぶと、寝ていたオルハは脱兎のごとく木の上に駆け上がり、あっという間に枝を伝って二階の開いていた窓のなかへと飛びこんでしまった。
「あ、逃げタ」
「嫌われてないか、お前さん………」
「そう言うかも、しれナイ」
 むう、とユズハが唸って、ネコの消えた窓を見上げる。
「どうするんだ?」
 ガウリイが自分の膝ぐらいの位置にあるユズハの顔を見おろした。
「追う」
 それまで二人のやりとりを見守っていたシルフィールが一人うなずいて、ガウリイに声をかけた。
「ガウリイさま。わたくし、これで失礼させていただきます。あんまり遅くなるとおじさまが心配しますし」
「わかった。帰るときにまた寄らせてもらうさ」
「はい。お待ちしてます」
 何気ないその会話を、ユズハはジッと聞いていた。
 シルフィールが中庭から姿を消して、ガウリイはユズハをふり返った。
「捜しにいくか?」
「ン、行く」
 夏の強い光が溢れて、濃い影をつくる中庭を歩きながら、ユズハはガウリイの服をとらえた。
「がうりい」
「ん? 何だ?」
 前を行く剣士が、のんびりと精霊の少女を見やる。
「がうりいも、ぜると、おんなじ。言いたいコト言わないの。黙ってル」
「…………?」
「しる、もそう。言わないの。思ってるのに、言わナイ。したいことしない。りあも、ちょっとだけ、そう。好きなのに言わないの。ぜると一緒いたいのに、いない」
 太陽の光に、ユズハの炎色の瞳が鮮やかな艶を帯びた。
「そういうとこ、キライ」
 情緒がそれほど育っていないユズハの精神面は何ら子どもと変わらない。
 その子ども特有の潔癖な思考に、わずかにガウリイは苦笑して、ユズハをひょいと抱き上げた。
「キライか」
「きらーい」
「アメリアもキライか?」
「大スキ」
 即答だった。
「なら、許してくれよ。オレもアメリアも、シルフィールもな」
 王宮の回廊を抜けて、ガウリイに抱っこされて二階への階段を上りながら、ユズハは不満げだった。
「どして、言わナイの?」
「言わなくてもわかってくれる相手ってのも、いるんだ。アメリアもそうだし、ゼルもそうだ………リナもな」
「しる、は?」
「………シルフィールにはまだいない。オレは、なれない」
「どうして?」
 邪気のないユズハの問いは、真っ直ぐだ。
 はぐらかすことなく、ガウリイもそれに答える。
「リナがいるから」
「ゆずは、りな、スキ」
「そうか」
「キラキラしてる。キレイ」
「そうだな」
「一緒いるの?」
「ああ」
「じゃあ、どして? りあは、ぜると一緒いたいのに、いないの?」
 階段を上りきって、ユズハを床に降ろしてやりながら、ガウリイは静かに言った。
「――――ずっと一緒にいたいからさ」



「おそーい………って、何その顔」
 ガウリイの顔を見た途端、リナは吹き出した。
「こいつにやられた」
 憮然とした表情で、ガウリイはユズハに『拉致』されているオルハを指差す。
 ユズハの肉体は具現化した物質にすぎないので、痛覚の有無は自由自在である。よって、ひっかかれようが蹴られようが、ユズハ自身はいっこうに平気な顔をしていた。
 ネコにとって、これほどケンカしがいのない相手もいるまい。
「オルハ、何やってるんですか! ユズハもそういう時は止めるんです」
「あう」
 ユズハが尖ったその耳をぴこぴこさせて、生返事をする。
 それを見て、リナが笑いながらユズハに言った。
「面白かったんでしょ?」
「ン。すごく」
「お前らなあ………」
 笑いを噛み殺しながら、リナがガウリイを手招いた。
「ほら、治癒リカバリィかけたげる。ご飯、フィルさんも一緒だってさ。それとも、その顔で会う?」
「いい」
 二人の向こうでは、ようやっとユズハの手から逃れたオルハが、テーブルを蹴ってアメリアの肩の上に逃げこんでいた。
 ネコの重みにアメリアがよろける。
 アメリアの横で、ユズハがネコを見上げて指差した。
「おるは、降りル」
 ニャーオと鳴くと、アメリアの肩の上で、オルハはそっぽを向いてしまった。
 そのオルハのひっかき傷を治療中のリナとガウリイは、次いで起こったアメリアの大声に驚いて、そっちを見やる。
「ユズハっ! 宙に浮くなとあれほど言ってるじゃないですか!」
 浮遊してオルハを捕らえようとしたユズハが、すとんと床に降り立つと、ぱたぱた走って、部屋のすみに逃げたオルハを追いかけていく。
「ああ、そっか。魔族と似た存在の仕方なら、そりゃ宙にも浮けるわよね」
「なんでもいいんだが、リナ」
「何?」
「呪文続けてくれ」
 言われてリナは軽く舌を出した。
「ごめん、つい」



 その夜。
 うんと背伸びをしてノブをつかむと、ユズハはリナにあてがわれた客室のドアを開けた。
「りな?」
 夕食の後、ユズハはリナの部屋に呼ばれたのだった。
 窓際の揺り椅子に座って魔道書を読んでいたリナは、本を閉じてテーブルに置くと、ユズハを手招いた。
 ドアを閉めてから、ユズハがリナのそばまでやってくる。
「ユズハ」
「何、りな」
「あんた、辛くない?」
 ユズハはゆっくりを目をまばたいた。
 朱橙色の瞳が見上げる先に、強く輝く真紅の瞳がある。
「ツライ? 何が?」
「魔力。平気なの? あんたはずっとここにいるだろうから、聞くけど。圧迫されてるでしょう? この街入ったときからずっと」
「ン」
 ユズハはあっさりうなずいた。
 街全体が巨大な結界となっているセイルーン。
 結界内での歪んだ魔力の流れを正そうとする機能が、そこには働く。
 調和と安定の六紡星。
 殊に、ここはその中心部の王宮。もっとも強く結界が働きかける。
 いるだけで、ユズハの魔力は削られ続ける。
「当分、平気。ばっ君から、もらったカラ」
「そう」
 リナはうなずいて、椅子の傍らに立つユズハの頭を撫でた。
「やばくなったら、あたしに言いなさい。なるべく早く。アメリアを一人にしないでほしいから。王宮内で、あの子の味方はあんただけよ」
 フィリオネル王子はダメだ。公人として、王族の責務を自覚しているから娘の行動を応援するわけにはいかないし、私人として、自分も似たようなことをやっている以上、重臣たちに味方して勝手に縁談を進めるわけにもいかない。この件に関しては傍観者でいるしかない。
 リナの言葉に、ユズハはすぐに頷いた。
「ン。言う。一人にしナイ」
 そう言って、ユズハは首を傾げる。
「言ったら、りな、何とかスル?」
 窓を背にして、リナは苦笑した。
「わかんないけど、多分ね」
 ユズハは再び首を傾げた。
 昼間リナを初めて見たときとは、微妙に雰囲気と受け取る印象が違う。
 こんな………茫洋とした、穏やかな目をした存在だっただろうか。
 ジッと見つめてくるユズハに、リナが首を傾げた。
「どうかした、ユズハ?」
「りな、違う」
「何が?」
「一人じゃ、ナイ」
「…………!」
 リナが絶句した。
 次いでその顔が真っ赤になる。
「………参ったわね………」
 思わず天を仰いでから、リナがユズハを見やる。
「気づいたのはあんたが最初だわ、ユズハ。まだ誰にも言ってない」
「何を?」
 肘掛けに頬杖をついて、リナは苦笑しながら答えた。
「この部屋に、あんたとあたしの他に三人目がいるってこと。ここにね―――」
 リナが手で軽く自分の腹部を示す。
 何のことぞや、とユズハが首を傾げるのを見て、リナはその尖った耳をつまんだ。
「そういうことの講釈は、後でアメリアにでもしてもらいなさい。あたしはめんどいからやんない。とりあえず………このことは秘密ね。言っちゃダメよ」
「言わナイの?」
「………言うわよ。あとで」
 複雑きわまるリナの声音に、ユズハはうーんと唸ってみせた。
「ダレに、言わなければイイ?」
「全員に決まってるでしょうが」
「ン、努力する」
「………………なら、せめてあたしがここにいる間だけでも黙っててちょうだい。お菓子あげるから」
「ン、黙る」
「よし、契約成立。じゃ、おやすみなさい、ユズハ」
「おやすみ、なさい。りな」
 ユズハはリナの部屋を出て、アメリアのところへと戻った。
「何のお話だったんです?」
 オルハの喉を撫でながら、アメリアが不思議そうな表情で尋ねてきた。
「んとね、魔力」
「はあ………」
 アメリアが相づちをうつ。
「ユズハの魔力に興味でも持ったんでしょうか………」
 首を傾げるアメリアの横で、羽根枕に埋没しながらユズハが告げた。
「おやすみ、なさい。りあ」

 アメリアが秘密を知ったのは、リナたちが王宮を去ってから数日後のことだった。
 黙っていたユズハに、アメリアが拗ねてしまったのは、言うまでもない――――



 鮮烈な夏の光。蝉の声がうるさく響く。
 広い広い芝生の上に、影を落としながら流れていく純白の雲から視線を戻し、アメリアはもうしわけなさそうに隣りに立つユズハに笑いかけた。
「ゼルガディスさんを待っている間、わたしは戦わなくちゃいけません。手伝ってくれますか?」
 持ちこまれるだろう数々の縁談を断り続ける他に、王宮内の改革を。持ちこまれる異分子に、重臣たちの眉がしかめられることのないように。反論の余地がないほどに体裁を整える、その準備をしなければ。
 ただ、待つことなど絶対にするものか。
 扇状のひらひらした巫女服の袖を夏の風になびかせながら、異分子第一号がアメリアを見上げた。
 春に続き、これもまたユズハにとって初めての夏。
 ユズハの小さな右手が、アメリアに向けて伸ばされる。
「てつだう」
 窓の外の遠い空の青を背景に、アメリアの手とユズハの手が、うちあわされた。
   

 END.