破烈の人形 (ファイア・ドール) 〔1〕
夜、だった。
とりあえず速攻で駆けこんだ宿の一室で、アメリアは情けない声でゼルガディスを呼んだ。
「ねえ、ゼルガディスさん………」
「……………」
返事はない。
アメリアは待った。
沈黙。
さらに待った。辛抱強く待った。
「……………」
先に折れたのはゼルガディスの方だった。
黙りこんで見つめあう(どちらかと言うと睨みあいに近い)二人を面白がるかのように、テーブルの上でかたかた動いている物体を、べてん、としばき倒してから無表情に尋ねる。
「………………………なんだ?」
ゼルガディスの行動に多少ビクつきながらも、アメリアはゼルガディスが張り倒したモノを指差して、言った。
「………どうします、コレ―――」
「俺が知るかッ !!」
言った途端、力いっぱいゼルガディスが叫んだ。
事の起こりは、ほんの二、三時間前の出来事だった。
陽はすっかり沈んでしまい。星がきれいに夜空でまたたく夜だった。
満月が東の空に浮かび、夜にもかかわらず、あたりは白々として明かりもいらないくらいだ。
人通りがすっかり絶えた街道を、黒髪の少女と白いフードをかぶった青年が足早に歩いていた。
街道の行き着く先を目で追えば、街の明かりが見て取れる。
「やっとか」
「遅くなっちゃいましたねー」
そう言いながら傍らを歩くアメリアを、ゼルガディスはじとりと睨みつけた。
「前の村を出るのが遅れたのは、だれのせいだと思ってるんだ?」
「え………と、その………」
頬に汗をたらして視線を泳がせていたアメリアは、不意にゼルガディスをふり返った。
「ゼルガディスさんだって、かまわないって言ったじゃないですか」
「それはお前が花嫁を見たいと言ったから、見るだけだと思ったんだっ。だれがベール持ちまで頼まれてると思う !?」
「ゼルガディスさんに了解を取りつけたあとで頼まれちゃったんです!」
負けじとアメリアも言い返す。
「だいたいどこの花嫁が、行きずりの旅の娘にベール持ちを頼むんだ? ああいうのは普通、親戚の子供とかがやるもんだろう?」
「そのベールを持つはずだった花嫁さんの姪御さんが、式の直前で足を捻っちゃったんです!」
呆れたようにゼルガディスは溜め息をついて、それ以上突っこむのをあきらめた。
いまここで言い合いをしても時間が戻ってくるわけではない。
それに、ベール持ちを務めるためにその花嫁の姪から淡い萌黄色のドレスを借りて正装したアメリアに、思わず呆然と見蕩れてしまった自分も人のことは言えないため、実はそう怒ってもいない。
「ゼルガディスさん?」
不安げな表情で、アメリアが顔を覗きこんでくる。
ふっと口元に笑みを浮かべて、ゼルガディスはその黒髪にぽんを手を置いた。
「よかったな。すぐ近くで花嫁が見れて」
「はい! ホントにきれいでした!」
嬉しそうにアメリアがうなずいた。
二人で旅を始めてから、数ヶ月が経っていた。
街へ入って、ゼルガディスは軽く舌打ちした。アメリアが怪訝な表情でゼルガディスを見上げる。
入る場所を間違えたとゼルガディスは思った。
街道からそのまま街中に入ったのだが、あまり雰囲気がよろしくない。
どうよくないのかというと、単純明快、人気がないのだ。
わりかし大きな通りなのだが、人っ子一人歩いていない。
並んでいる店もほとんど閉まっており、看板を見てみれば、どれも夜になってまで店を開ける必要がない靴屋やら雑貨屋などで、当然のごとく明かりもない。
「静かですね」
「この街の東側の南北にかけて、かなり大きな街道が通っているから、そっちのほうに宿屋や酒場が集中しているんだろうな」
ゼルガディスたちが通ってきた西の街道は、村やそれほど大きくない街ばかりをつないでいる、利用者の少ない小さなものだった。
こっちのほうは、どちらかというと街の〈裏口〉なのだろう。
昼間なら何の問題もなかったのだろうが、月が中天にかかろうとするこの時間帯にこういった雰囲気はあまりいただけない。
「宿のある東側まで歩くぞ」
「はい」
満月の光でかなり明るいことと隣りにゼルガディスがいることで、特に何の不安も覚えずにアメリアはうなずいた。
しばらく道なりに歩き、通りの角を曲がろうとしたところでゼルガディスは急停止した。
「…………っ !?」
鼻先を何かがものすごい勢いでかすめさり、路地の奥へと消えていく。
一歩遅れて歩むアメリアが、目を丸くしてその何かが消えていった方角を見つめた。
「………ゼルガディスさん、いま」
「俺は何も見ていない」
「嘘つかないでください。いまたしかに」
「見間違いだ」
あくまでも見ないふりを貫こうとするゼルガディスに業を煮やして、アメリアが路地奥を指さした。
「いま、すごい勢いで飛んでったのって、にんぎょ―――」
「アメリア………」
ゼルガディスは沈鬱な顔で彼女を見返し、首を横にふった。
「反対に聞くが、それを認めてどうなるというんだ?」
人気のない夜道を一抱えもある人形が宙に浮いて、闇から闇へ消えていったなどと。
しばらくアメリアは沈黙し、やがてひとつ頷いた。
「………わたしも何も見ませんでした」
「よし、それでいい」
それが消えた方角とは反対側に進路をとり、歩みを再開した二人だが、しばらくも行かないうちに通りの真ん中で歩みを止めた。
満月がふと雲に隠れ、闇が落ちる。
二人の間を吹いていく風に、澱んだ気配が混じりこむ。
やがて足音とともに、ひとつの影が暗闇からすべりでるように二人の前へと現れた。
「あら、人がいたのね………」
やってきた人影は、二人に気づくと、かすかにいらだたしげな呟きとともに立ち止まった。
「女の人?」
アメリアがやや驚いた口調で呟いた。
さあっと吹いた涼しい夜風に、雲が流され月が再び顔を出す。
路地から通りの真ん中、月光のただなかに出てきたのは、漆黒の法衣を身にまとった女性だった。
まだ年若い。長い髪もその髪に隠れた瞳も、法衣と同じ艶のない黒色をしている。
月光に照らされるその姿のなかで、帯と唇だけが鮮やかな緋色だった。
そして、何よりアメリアとゼルガディスに異様だと思わせるモノは。
腕に抱かれているひと抱えほどもある人形だった。小さな子供ぐらいはある。
ベッドに置かれるぬいぐるみならば、それぐらいの大きさのものも存在するだろうが、精巧な細工の人形でこれほど大きなものは、アメリアもゼルガディスもいままで見たことがない。
黒い法衣も赤い帯も、腕の中の人形も。ただ、異様。
巫女とおぼしきその女性は気をとりなおしたように赤い唇に笑みを刻み、二人に会釈する。
「こんばんわ」
「こ・ンばん・ワ」
その後を追うように舌足らずな声がして、かくん、と人形の頭がたれた。
「しゃべった !?」
アメリアが思わずゼルガディスの腕にしがみつく。
よく見てみると腕の中の人形は、茶色の巻き毛をした少女を模していた。着ているのは豪奢な黒いドレス。
美術品として扱われてもおかしくないほどの、美しいアンティークドールだった。
ゼルガディスの袖をとらえて離さないアメリアに、その巫女は笑いかける。
その白い指先が、腕の中の人形の頬を、すっ、と撫でた。
「シィダは、お喋りができるのよ。そんなに驚くようなことかしら?」
巫女の視線を遮るようにゼルガディスがアメリアの前に立ち、問いただす。
「俺たちに何の用だ?」
黒い髪を風に流して、巫女は首を傾げた。
「あなたたち、このコによく似た人形を見なかった? こちらのほうに逃げたと思うんだけど」
「逃ゲたと・思ウ」
シィダと紹介されたアンティークドールが巫女のセリフを繰り返す。
「いや。あいにくとこの街には来たばっかりだ。用はそれだけか? なら、俺たちはもう行きたいんだが」
とりつくしまもなくゼルガディスが即答した。
正直に答えても難を逃れられるとは思えなかった。この黒い巫女が発する気配はどこかおかしい。
逃げた人形を見なかったかなどと、平然と尋ねてくるなど、あきらかに異常だ。
普段は、それなら一緒に探します、などと言いだすアメリアも、先刻目撃したものに加え、喋る人形にすっかり怯えて、何も言わない。
「困ったわ………。一緒に探してくれないかしら」
「断る」
はっきりきっぱりそう言うゼルガディスの隣りで、アメリアもぶんぶか首を横にふった。
巫女が満月の明かりの下、顔をくもらせる。
「不親切なのね」
「フ・しん・セツ」
巫女はシィダを抱えたまま、哀しげにうつむいた。
「残念。なら、しょうがないわ」
ゼルガディスとアメリアには、それが"もう行ってもいい"と言う意味にはどうしても聞こえなかった。
うつむいていた巫女が上目遣いにゼルガディスの姿を見た。
その赤い唇が、ニッと笑む。
「見られてしまったわ。あのコの代わりにあなたたちを連れていかなくちゃ」
二人の背後に気配が生まれ出た。
「ゼルガディスさん!」
アメリアがゼルガディスを突き飛ばした。
離れる二人の間を、銀色の光がかすめていく。
いつの間にか現れた黒い法衣を着た男に、剣を抜いたゼルガディスが斬りかかった。
腕の立つ男だった。斬り結ぶ二人のあいだで銀色の刀が幾度もきらめく。
シィダを抱えた巫女が笑った。
「こんなにめずらしいキレイな顔と髪をしてるんだもの。せっかくだから外見もキチンと模していただきましょう。合成獣の人形なんてあのかたもお喜びになるわ」
ゼルガディスの気配が途端に殺気立ち、アメリアはひゃっと首をすくめた。これはもう間違いなく逆鱗だが、己が死刑執行書にサインしたとは知らずに、巫女はなおもあでやかに笑う。
「それから、女の子のあなた。あなたも特別に一緒に人形にしてあげるわ」
「しぃだ・ト・一緒」
初めて主とは違う言葉を喋ると、シィダはかくかくと細かくふるえだした。
そして腕の中から飛び出すと、宙を舞ってアメリアに頭上から襲いかかる。
だが、アメリアはすでに呪文を唱え終わっていた。
「烈閃槍!」
アメリアの手から放たれた光条が、シィダに直撃する。
次の瞬間、シィダはあっけなく地面に転がった。もはやピクリとも動かない。
「やはり精神系の魔法で正解ですね」
「くっ」
巫女がギリ、と唇を噛んだ。
さっきまでの余裕の表情は、微塵もない。どちらが有利か明白だった。
「何をしてるの、エデア早く! ユズハが逃げて、キリエとシィダも失くしたなんて、あのかたに何て言えばいいの!」
巫女の悲鳴を受け、男が鋭く舌打ちする。そうして、ゼルガディスの放った一撃をムリヤリ弾き返したときだった。
フッとゼルガディスが笑う。
男がいぶかしげな表情をしたその瞬間、巫女から声があがった。
「エデア、後ろっ」
ふり向くと、目の前に靴の爪先が迫っていた。
「あっ」
アメリアが声をあげる。
助走をつけて跳躍し、こめかみに向かって横薙ぎに蹴りを放ったのはよかったのだが、男が巫女の声にふり向いたため、こめかみではなく眉間に爪先がヒットしてしまった。
まあどちらも人体急所だから問題はないのだが。
衝撃に男が剣を落としてよろめく。
そこに、ゼルガディスが顎先を狙って拳を叩きこんだ。
脳震盪を起こして、声もなく倒れ伏す男をいちべつして、ゼルガディスは黒衣の巫女に目をやった。
その冷ややかな目の光に、ビクリと巫女が身をふるわせる。
「目をつけた相手が悪かったな」
「…………ッ!」
巫女は素早く身をひるがえすと、もと来た暗がりの向こうへと姿を消した。薄情にも男を置いたまま。
ゼルガディスは剣を収めると、忌々しげな溜め息を吐いた。先刻の発言からして斬ってもよかったのだが、背中を見せて逃げている相手をわざわざ追いかけて殺すほどではなかった。
「まったく何だってんだ………」
風に混じっていた澱んだ気配はきれいに消えていた。
不意に、すぐ後ろにいるはずのアメリアが、ゼルガディスのマントをぎゅっとつかんで引っ張った。
「アメリア?」
返事はない。
「どうした。怪我でも―――」
言いながらふり返った、ゼルガディスの言葉が途中で途切れる。
完全に固まってしまっているアメリアの視線の先には、壊れたシィダとは別のクリーム色のドレスを着た人形がじっとこちらを見て立っていた。

