破烈の人形 (ファイア・ドール) 〔2〕

 人形に睨まれて、アメリアは硬直したように動かない。
「アメリア。おい、アメリア!」
 強い口調で名前を呼ぶと、必死で人形から視線をそらしたアメリアが、ぎぎぃっと後ろをふり向いた。
 涙目で無言のうちに「とってもコワイですう」と訴えられる。
 二人から少し離れたところに立っている人形は、石畳のうえに転がっているシィダと同じくらいの大きさの同じようなアンティークドールだった。
 白と見間違うようなクリームブロンドの髪は肩のあたりで切りそろえられていて、不思議な朱橙しゅとう色の瞳をしている。
 朱色に近いが、それよりももっとオレンジを帯びた色合いだ。
 ドレスもシィダの人形と同じく豪奢なものだったが、髪と同じような淡いクリーム色だった。今日の昼にアメリアが借りたものよりも、遙かに豪華に作られている。
 敵意は感じられなかった。
 ただ、小さな子供とあまり変わらない大きさの精巧な人形が、月の光を浴びながら黙って通りの真ん中に立ってこっちを凝視しているのだ。
 シィダと違って喋ろうとする様子はなかったが、喋るにしろ喋らないにしろ、ひたすら普通にコワイ。
「こいつが逃げた人形なのか………?」
 もしそうだとしても、どうして自分たちの前に現れたのかがわからなかった。
 そうしていると、人形が不意に動いた。
 アメリアが、ビクリと身をすくませる。
 ゼルガディスはアメリアを後ろに庇うと、迷わず剣の柄に手をかけた。
 だが、二人の目の前で人形はぎこちなく両手を前でそろえると、そのクリーム色の頭をぎぎっ、と下げた。
 ようするに、お辞儀をしたのだ。
 思わずゼルガディスとアメリアは顔を見合わせる。
「え、と………お礼を言ってるんでしょうか………」
 まだ表情の引きつったアメリアがそう呟く。
「たぶんそうなんだろうな………」
 なかば投げやりにゼルガディスはそう答えた。
 再び顔を上げてこっちを見ている人形を嫌そうに見て、ゼルガディスは口を開いた。
 人形なんかに話しかけるのはイヤだったが、アメリアがこの状態では、代わりを引き受けてくれるとも思えなかったので、しかたない。
「わかったから、もう行け。俺たちも行く」
 人形がジッとゼルガディスを見てくる。
 ゼルガディスはつとめてその視線を無視しながら、アメリアをうながした。

 だが、当然のごとく、人形は二人の後をついてきたのである。



 どんなに振り切ろうとしても人形がついてくるという、かなりヘビーな恐怖体験を充分に味わったあと、蒼白な顔でアメリアがゼルガディスを見上げた。
 卒倒したりパニックを起こしたりしないだけ、まだ助かる。が、壊れる一歩手前と言ったほうが実は正解なのかもしれない。
「連れてくしか、ないんじゃ、ないでしょうか。もうヤ、です」
 怪奇現象そのものを連れていくと自ら言い出すぐらいだから、逃げた後、ふり返るとそこにいる、という状況と直面するのがもう心底イヤらしい。
 同じような心境のゼルガディスは溜め息をついて、あたりを見回した。
 街を東に向かって逃げてきたため、明かりのついている建物が増えていた。まだ人とすれ違ってはいないものの、窓には人影が映るようになっている。
 二人が歩く後ろを人形がついていくなどというシチュエーションは、死んでもイヤだった。
 どういうわけか、攻撃呪文を放とうという気には二人ともならなかった。
 恐怖体験に精神的なダメージを受けて思考が麻痺して、そこまで考えが至らなかったということもある。
 だが何よりも、目の前の人形に敵意が微塵も感じられなかったせいかもしれなかった。
 目の前の人形に視線を落とす。
 意志の疎通ができてしまうという、岩壁に頭を叩きつけたくなるような現実はいかんともしがたいが、疎通ができるならしたほうがいいに決まっていた。
「どうしてもついてくるんだな?」
 ギッ、と人形がうなずいた。
「俺たちの敵ではないと誓えるか?」
 再び、人形の首がきしみながらうなずいた。
 悲壮な顔でゼルガディスはアメリアをふり返った。
「連れていくしかないだろう」
「ですね………」
 決断した後は早かった。
 ゼルガディスがマントを外して、それで人形をくるむ。
 アメリアもゼルガディスも直接抱っこしたいとは、カケラも思わなかった。
 そうして東の大通りに出ると、普段泊まっている宿よりもワンランク上の宿屋を探した。
 なにせ普段通りにお互い別々の部屋を取ると、人形の押し付け合いになることが目に見えていたので、寝室が二つと居間のある長期滞在者専用の部屋を借りる。
 早く人形を手の中から放り出したくて階段を駆けあがる二人を、宿の主が怪訝な顔で見送った。



 そうして、冒頭の会話となるのである。
 ゼルガディスに、べてん、としばき倒された人形が、ギギギギと起きあがる。
 その朱橙色の瞳がゼルガディスを凝視した。
「な、なんだか怒ってませんか………?」
「知るか」
 冷や汗をだらだら流すアメリアに対して、ゼルガディスは冷ややかだった。別の言葉でいい加減キレたとも言うことができる。
「だいたい何だっていうんだ」
「変なことに巻きこまれちゃいましたねぇ………」
 あの黒衣の男女に、襲いかかってきた人形。
 セリフからすると、どうやら二人は口封じついでに新しい人形の材料に選ばれかけたらしい。
「こいつも何でついてきたんだ。逃げ出したならどっかに行けばいいだろうに」
 ゼルガディスの言葉にも人形は何も言わなかった。
 どうやらシィダのように喋ることはできないらしい。
 その代わり、シィダよりも遙かに動けるようだった。首や手が細やかな動きを見せている。
 ただ、歩くことはできないらしく、スススと音もなく宙をすべって移動するのが何とも言えず気味が悪い。同様に立つこともできず、立っているかのように宙に浮いているのである。
 もちろん人形だから、とことん無表情。
「どうします?」
 どうにか気持ちが落ち着いてきたアメリアがゼルガディスに尋ねた。
「どうにもならん。この街の伝承と魔道書が目当てでやってきたんだ。街から出ていくという選択肢はない。コレは無視して調査にかかる」
 ヤケクソ気味な口調でゼルガディスは言うと、人形に視線を投げた。
「そいつはいったいどうやって動いてるんだ? 自我があるようだが、アンデットの類じゃないのか?」
「違うと思います。そんな気配しませんよ?」
 アメリアとゼルガディスは人形から視線を外して、顔を見合わせた。
「あの女、俺たちを人形にすると言っていたな」
「ええ………」
 同時に視線を人形に向ける。
 人形がクリーム色の頭髪を揺らして、ギッと首を傾げた。
 やや引きつった表情で、アメリアが尋ねる。
「あなたも、そうなの………?」
 しばらくの沈黙の後、かくん、と人形はうなずいた。



 ベッドの中で、アメリアは何度も寝返りをうった。
「寝れないですぅ………」
 目を閉じると二時間ほど前の恐怖体験がよみがえってきて、どうしても眠れない。
 夜の街中、宙を滑空して人形が迫ってくるのである。さすがにあれはキツイ。
 元は人間とわかると、あの人形もそう怖くはなくなったが、やはりまだダメだ。最初の印象が悪すぎる。
 ゼルガディスのところに枕を抱えていきたい気分だったが、そんな大胆な行動を実行に移したことは(いまのところ)なかったし、ゼルガディスの部屋に行くにはあの人形がいる居間を通らなくてはいけない。
 しかたがないので枕をゼルガディスだと思って、ぎゅうっと抱きしめる。が、
「やっぱりコワイぃぃぃ」
 そのとき、ふと良い案が思い浮かんだ。
 枕を、ばべん、とゼルガディスの部屋ではないほうの壁に投げつける。
 さすがに直接そっち側の壁に投げつける勇気はなかった。
 しばらくすると、ドアがノックされて呆れ顔のゼルガディスが入ってきた。
「お前な………」
 どうやら呼びつけられたことに気がついているらしい。
 ドアを閉めるとベッドの隣りまでやってくる。アメリアはベッドの上に座りこんだまま、ゼルガディスを見上げた。
「だって、怖くて寝れないんですもん」
 ゼルガディスが溜め息をつく。
「スリーピングをかけてやろうか?」
「コワイ夢見そうだから、それもヤです」
「じゃあ、どうすればいいんだ俺は」
 アメリアはぎゅうっとその服の裾をつかまえた。
 その濃紺の瞳がうるうるとゼルガディスを見上げて懇願する。
「眠るまでそばにいてください」

 ―――内心頭を抱えつつ、彼に断れるはずもなかった。