破烈の人形 (ファイア・ドール) 〔3〕
―――翌日。
傷を負ったエデアとシィダを抱いていた黒衣の巫女は、揃って薄汚れた床に膝をつき、許しを請うて平伏していた。
日は高くのぼっているが、雲が多く、すっきりとしない天気だった。
気のない風情で窓の外に目をやっていた女性が、二人へと向きなおる。
茶色の髪に茶色の瞳。ごく普通の恰好をした、これと言った特徴のない彼女は、艶やかな声で二人に問いかけた。
「ユズハとシィダはどうしたの」
ひれ伏す二人の背中が小刻みにふるえた。
「も………もうしわけございません!」
「わたくしに同じことを言わせないで。ユズハとシィダはどうしたの。あの子たちは一応、大事な大事なお使いなのよ?」
「そ、それが――――」
エデアが必死に言葉を紡ごうとする。
「シ………シィダは、旅の剣士と巫女に壊されました」
「壊された」
女性がゆるりとまばたいた。その瞳に感情の色はない。
「じゃあ、ユズハは? あなたたちにはユズハを追わせていたはずだけど」
「ユ、ユズハは………!」
目の前の汚れた床を穴があくほど凝視して、巫女は答えようとする。
「その………」
不意に、二人を見下ろす女性が巫女の言葉を遮った。
「キリエも前に壊したわね」
その声音に、ヒッと二人が息を呑む。
「あなたたち、もういいわ」
「お、お待ちくださ―――」
エデアと巫女が顔をあげて、何とか許しを乞おうとする。
女性の唇が動いた。
「爆風弾」
真空の刃によって肉片と化した二人をふり返ることなく、女性は窓から離れ、部屋を出た。
歩む廊下は埃が積もり、ところどころ床が腐り落ちている。
嫌そうにそれを避けて歩きながら、女性は玄関までたどりつくとドアを開け、ふり返ることなく静かに閉める。
そして、そのまま何事もなかったかのように、彼らと待ち合わせていた空き家を出ていった。
あの恐怖の一夜から一週間が過ぎていた。
「ゼルガディスさん遅いですねー」
テーブルの上ではなく、隣りでちゃっかり長椅子に座っている人形にアメリアは話しかけた。
かくん、と人形がうなずく。
アメリアはすっかり人形とうち解けてしまっていた。
へばりついて離れてくれない以上、打ち解ける以外ないではないか。
いまだに少し恐いと思うときもあるが、馴れというものは恐ろしい。
名前は、ユズハ。
あの黒い法衣の巫女が言っていた名前を消去法で絞りこんだ結果、めでたく判明した名前である。
「外に出るのは嫌がるのに、こういうことは別ですよね」
ゼルガディスは、目的の魔道書を魔道士協会の図書館に借り受けに行っていて留守だった。
アメリアは、隣りでおとなしく座っているユズハに目をやった。
見れば見るほど、精巧な造りの人形だった。
精巧で、なおかつ大きい。きちんと立たせればその背丈は赤ん坊を越えるだろう。
その顔は、木の粉を練り固めた上に胡粉を塗ってできていた。
ゼルガディスによれば、胡粉とは貝殻を焼いて粉にした真っ白な染料のことを言うらしい。どうしてそんなことを知っているのかは謎だが。
陶器でできているビスクドールしか知らなかったアメリアとって、胡粉の人形はちょっとした驚きだった。
胡粉を塗られた人形の肌は、白磁の肌よりも自然な質感と色合いを出していて、以前から釉薬をかけられて、やたらテカテカしている陶器の顔を気持ちが悪いと思っていたアメリアは胡粉の肌が気に入った。
唇は形がよく、上品な赤で塗られている。
目も、この手の人形にありがちな巨大な瞳ではなく、あくまでも自然な大きさの瞳が朱橙色のガラス玉で造られていた。
髪はいったいどういう染めを行ったのか艶々と輝くプラチナブロンドで、クリーム色に近いそれは肩のあたりできれいに切りそろえられている。
着ている衣装は、髪と同じ色の淡いクリームの贅沢なドレス。
こうやって、ちょこんと座っていれば文句無しに完璧な人形だった。
きっと好事家たちが、惜しげもなく金を払うほどの。
ギッ、と首が動いて、ユズハがアメリアを見上げた。
(………動かなければの話ですけどね)
アメリアは、内心でそう付け足した。
「アメリア、紙持ってないか」
借りてきた魔道書から顔を上げることなく、ゼルガディスはそう言った。
ゼルガディスが座っている前のテーブルには、何やら書き散らされた羊皮紙がこれでもかとばかりに散らばっている。
「ちょっと待っててください」
そう言ったアメリアが自室に向かう足音がして、しばらくしてからスッと数枚の羊皮紙がゼルガディスの目の前に差し出された。
「ああ、すまな――――」
フッと顔をあげると、目の前にはどアップで迫る無表情な白い顔。
「うをっ !?」
思わず長椅子のうえでのけぞると、手に持っていた魔道書がユズハの顎に見事なアッパーカットを喰らわせた。
ごず、鈍いと音がして、もともと宙に浮いていたユズハがテーブルを越えて向こう側の長椅子へと吹っ飛んでいく。
ひらひらと羊皮紙が部屋を舞った。
ちょうど部屋から出てきたアメリアがその光景を見て悲鳴をあげる。
「あああああっ、ユズハに何してるんですかゼルガディスさん! せっかく紙を持っていってくれたのにっ」
ユズハのところまですっ飛んでいくと、アメリアはその身を起こしてやる。
「こいつに持たせるな! 自分で渡せ頼むから!」
憤然と叫ぶゼルガディスに、負けじとアメリアがユズハを抱きかかえて反論する。
「紙を出すのにだいぶ荷物をひっくりかえしちゃって、すぐには持っていけなかったから、ユズハが持ってってくれたんです。イジメちゃダメじゃないですか!」
「だいたい何だってお前は、そんな得体の知れないモノとうち解けているんだっ」
「えー、いいじゃないですか。ユズハは良いコですよ。ねー?」
がくん、とその腕の中のユズハがうなずいた。
(笑っている。絶っ対、笑ってやがるっ)
一も二もなくゼルガディスはそう確信した。
ユズハ対ゼルガディスの水面下の戦いが始まったのはその翌日からだった。
それから数日経って、今度はアメリアが買い物に出かけて、部屋にはゼルガディスとユズハの二人だけになってしまった。
買い物に行きたいと言うアメリアに、一応の苦言はていしてみたのだが、ずっと留守番してたんですから少しぐらい良いじゃないですか、と逆にカウンターを喰らって黙って見送るしかなかった。
「おみやげを買ってきますね」と言われたユズハは、おみやげが何なのか理解できなかったらしく、がくんと首を傾げたままアメリアを見送った。
「おい、ユズハ」
ゼルガディスが不機嫌な声で名を呼ぶと、正面の長椅子にちょこんと座ったユズハが、ギギギと顔をあげた。
「お前、俺のこと嫌いだろう」
ギッ、と首が縦にふられた。
「安心しろ。俺もお前が嫌いだ」
そう言ってゼルガディスは、再び魔道書を読み始めた。
だが、すぐに視線を感じて集中が途切れる。
「………何だ」
ギギッ、と首が右を向いてわざとらしく視線をそらす。
(コノヤロウ………)
魔道書を組んだ足に乗せたまま、ゼルガディスはあらぬ方向に視線を投げて溜め息をついた。
「あいつが人形が好きだとは知らなかったな………」
どちらかというと、人形よりぬいぐるみのほうが好きそうに見えたのだが。
気を取り直して、また魔道書に視線を落とす。
「ユズハ」
首は動かさなかったが、黙って聞いているのは何となくわかった。
「あまりあいつを巻きこむなよ」
キッ、と首がかすかに音をたてた。
その朱橙色のガラスの瞳が、ジッとゼルガディスを見る。
顔をあげずにゼルガディスは続けた。
「壊れるときが来たら、その前に黙っていなくなれ」
人形の器にヒトの精神が宿るというのは、どう考えても異常な状態で、それが長く続くわけがない。
このまま何も起こらずにユズハが無事でいたとしても、そう長くは保たないだろうことは容易に想像がついた。
アメリアが、そのあたりも知ったうえでユズハを可愛がっているのなら別にいいのだが、どうもそんなふうには見えなかった。
突然この人形が動かなくなったら、きっと泣くだろう。
泣かれると、どうしていいかわからなくなる。
ユズハの首がきしむ音はしなかった。
部屋に静かな沈黙が落ちる。
しばらくそうやって時間が過ぎていき、ゼルガディスが窓の外の夕焼けに気がついて、顔をあげた。
「遅いな」
窓を見ながら呟くと、不意に正面でゴト、と乾いた物音がした。
弾かれたようにそちらを見ると、ユズハが長椅子から床の上に転がり落ちていた。
「おい !?」
慌てて拾い上げ、長椅子の上に座り直させる。
「おい、どうし―――」
人形に尋ねようとして、ゼルガディスは息を呑んだ。
ユズハの白い額に赤く光る線が浮かび上がっていた。
その五本の直線が形作るものは、あまりにもはっきりとしていて間違えようもない。
(逆五紡星 !?)
その形の魔道においての意味は、アンバランス。
自然に逆らう力の流れ。
無表情のまま人形がカタカタとふるえだす。
そのうちユズハの全身に異様な紋様が浮かびあがった。ゼルガディスにはすぐにそれが魔道文字と魔法陣だとわかる。なぜこんなものが。
「何だこれは………!?」
ユズハの額の逆さ星印に、ゼルガディスは指を伸ばした。
「………ッ」
指先にはしった高熱に驚いたゼルガディスの指がユズハから離れた瞬間、人形の体は空中に浮き上がり、窓の外へと飛び出していく。
直後、この宿の建物のすぐ近くで大きな魔力が動くのをゼルガディスは感じ取った。
鋭い舌打ちと共に、ゼルガディスは剣をつかんで窓枠に足をかけた。
「アメリア――― !!」