翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔序〕

 ―――世界を変える力が欲しい。

 それは、二人の少女の願い。




 破談させた見合いの相手だった幼なじみを見送りに外に出たアメリアは、白く強い陽光に目を細めて空を見上げた。
「もう夏も終わりだっていうのに、暑いですねえ」
「暑イ?」
 ユズハが首を傾げた。
「ユズハにはあんまりわからないかもしれませんけどね」
 本来、物質界(こっち)の存在ではないユズハには、暑いだの寒いだのといった気温の変化はあまり実感をともなわない。
「ま、でもこれからどんどん涼しくなりますよ。きっと」
 呑気に呟いて、アメリアはユズハをともなって自室へ帰ることにした。見送った相手の馬車はすでに遙か遠くへ行ってしまったので、ここにいる意味はあまりない。
 アメリアとユズハの引き返す気配を感じ取ったネコのオルハが、無造作にアメリアの肩に飛び乗った。
「………オルハ。暑いうえに重いです」
 降りる気配はない。
「ユズハに引き渡しますよ」
 素早く地面に降り立つと、白ネコはどこかに消えてしまった。
 思わず笑ってから、アメリアはユズハの手をひいて歩き出した。


 黒髪の王女と彼女に手をひかれた幼い少女が連れだって歩くのは、ここ三、四年のうちに王宮では当たり前となった、心なごむ一枚の絵画だった。
 結婚を拒むという謎を残しつつも、それ以外においてアメリアはまず満点に近い王女だったし、幼い頃から、王宮で働く者たちの間で絶大な人気を誇っている。
 下の階級の者からすれば、王女の結婚など自分たちとは関係のない話である。(たとえ嘘でも)人身売買されかかったハーフエルフの少女を助けて引き取ったと言えば、その優しい性根に心酔するし、結婚しないのは誰か心に決めた人がいて、その男を待っているのだという噂を聞けば、無邪気に応援する。そういった題材の話は何百年も前から存在する、結構な娯楽なのだから。
 秩序と風紀と慣例に与えられている打撃と、血の存続に頭を悩ませているのは目下、国のトップにいる重臣たちだけの話で、下の者たちはアメリアとユズハに好意的だった。
特にユズハは単独でも人気があるが、アメリアとセットだと相乗効果で可愛がられまくる。
 こうして二人が歩いているときなどは、必ず遠くから衛兵やら神官やら庭師やらがそれを見て、何やらなごんだ気分に浸っているのである。
「ねえ、ユズハ。最近暇ですねぇ」
 何の大禍も災害も起きていないので、アメリアの執務の量も通常に戻り、休みが多くなっていた。
 横を行くユズハが、うなずく。
「ン、いいコト」
「そうですね」
 返事をしながら、アメリアは近場から自分を見つめる視線に気がついた。
 王女である以上、王宮内で出歩けば視線が集まるのは当然のことなので、普通の視線であればアメリアも特に気にもとめたりはしない。
 だが、それは無視することのできない視線だった。睨みつけているというよりは、どちらかというと好奇心のこもったもの。  最近やたらと増えてきた視線だ。
 視線の主を探して、顔をめぐらせたアメリアは回廊の柱の横に立っている十二、三歳ほどの少女の姿を見つけた。
 来ている服は女官のもの。見習いだろうかと、アメリアは首を傾げる。
 アメリアの髪と良く似た感じの黒い艶やかな髪をきっちりと左右で団子にし、そこからそれぞれ二、三本の三つ編みが左右の肩に流れていた。
 頭の形がはっきりわかるほどに、きっちりまとめられた髪の下、瞳もやはり濡れたような黒。ユズハが珍しいらしく、ジッとそっちのほうを注視している。
 洗い物らしい布を両手で抱えた少女は、アメリアに見返されて首を傾げてみせる。
「どうかしましたか?」
 アメリアが尋ねると、少女は首を横にふる。
「いえ。姫さまのお話が、たまたま耳に届いたものですから。暇なのは良いことなのですか?」
「良いことじゃないんですか? 何も大変なことが起きてない証拠でしょう?」
 今度はアメリアの方が首を傾げた。
「そうでしょうか」
 あまりにさらりと言われたので、アメリアはうっかり聞き流すところだった。
「良いことじゃないんですか?」
「わかりません。良いことと悪いことはひとつの物事の裏表だってお話をこの間、神官の方から聞きました。良いこともあれば悪いこともあるものじゃないでしょうか」
 思わぬ反論に、アメリアは虚をつかれて少女を見返した。
「それも、そうですね。たしかにいまのところ危機感が足りませんね、みんな」
 その言葉に、昨日の見合いの席での幼なじみ―――リーデットとの会話を思い出してアメリアは、つい本音が出た。
「平和ぼけもいいところですね。わたしが結婚さえできれば、セイルーンはこの先永遠に繁栄するとでも思ってるんでしょうか、宮廷大臣たちは。いいかげん、自分の視野が狭まってきていることに気づけばいいんですけど」
 少女が、きょとんとアメリアを見つめる。
 女官相手にぽろっと本音を洩らしてしまったアメリアは、慌てて少女に口止めをしてその場を離れた。
 すれ違う際に、ユズハの視線が少女と一瞬からみあい、離れていく。
 回廊の向こうから別の女官に呼ばれ、少女は洗い布を抱え直して歩き始めた。



 アメリアは軽く頭をふった。
 相変わらず短い黒髪が右に左に舞い上がる。
 立ち回りを演ずることがほとんどなくなった現在、なおも髪が短いのはささやかなる嫌がらせだった。姫君は結えるほどに髪が長いもの、と決めてかかっている周囲の空気が気に入らない。
 髪を伸ばしはじめるとしたら、それはきっと、彼が戻ってきたとき。
 それまではたとえ体を動かしていなくても、ここは戦場だ。
 さっきの見習い女官の少女を思いだして、アメリアは口元に笑みを浮かべた。
 頭の良さそうな子だった。正式に女官になったら、女官長に頼みこんで自分付きにしてもらおう。きっと、いまは王宮では話せないことも話し合えるような仲になれる。
 味方になってくれる。
 ―――味方。
 いまいちばんアメリアが欲しいものだった。
 いまの自分に実権はないに等しい。ただの執務を処理するだけ。
 父親のフィリオネルが実質的な権力を握ってはいるが、フィリオネルがアメリアのことを理解してくれても、下についている重臣たちがアメリアのことを理解してくれない以上、父親の権力は役に立たない。
 王宮内を変えていく力が欲しいが、それを手に入れるには、できることならなりたくない王にならねばならない。矛盾の塊だ。
 この馬鹿馬鹿しい、見合いが原因の諍いをなくしたい。結婚を迫られなくてもいいようにしたい。
 無理を押し通して母親を迎えた自分の父親のように、自分も同じことがしたい。
 そして、政変に巻きこまれて死んでしまった母親のようなことが二度とないようにしたい。
 彼にちゃんとお帰りなさいと言う、そのための力がほしい。
 だいそれた願いだろうか。自分はそうは思わない。
 ここに居続けるためのささやかな望みだ。
 彼のほうだって頑張っているのに、自分が頑張らなくてどうするのか。
 リーデットではなく、彼の姉姫のアセルスが傍にいてくれるならば、どれほど助かるか。彼女なら、きっと自分を助けてくれる。
 奇しくも、昨夜のリーデットと同じ事をアメリアは考えていた。

 それから数日後の深夜に、事件は起こった。