瑠璃飾り (ラピス・ラズリ) 〔1〕
たったひとつの約束と、たくさんの願いと共に、アミュレットはひとつに減った。
想いだけは重なったまま、体は遠く離れていて不安だった。
だからもっと、繋ぐものがほしかったのかもしれない。
そのカゴのなかの瑠璃は、少しわたしに似ていた。
瑠璃を飾って。夢を飾って。
飾り物ではこらえきれなくなって。
そうして、わたしはあなたを求め出す。
「アメリアさまあ、お決まりですかあ?」
「まだですってば、そんな急かさないでください」
お茶請けのクッキーをぱりんと噛み砕きながら、アメリアは扉の前で待っている宮廷大臣に生返事をした。
執務と執務のわずかなお茶の時間。ゆっくりしたって罰はあたらない。というべきか、アメリアは何が何でもゆっくりする気でいる。
香茶をすすりながら、アメリアは手元の目録に目を落とした。
三年に一度、王室御用達の宝石工房を決めるためのデザイン画がセイルーン各地から届けられる。アメリアが目を通していたのは、それをまとめ一冊の目録にしたものだった。
それぞれ各工房がデザインした作品を提出し、それを見て決定するのだが、ノリはほとんどコンテスト状態で、各工房が王室の目に留まろうとして年々提出物が派手になるので度々規制がかかるほどだ。
王室御用達の工房が決まった後も目録がロードたちのほうにも回されて、お抱え工房になれることも少なくないから、どこの工房も必死である。
宮廷大臣としては立派な執務なのだろうが、アメリアとしては執務の合間の息抜きだった。
書類とにらめっこしてるより、同じ仕事とはいえ、こっちのほうが断然楽しい。
実際に実物そっくりに作ってある試作品やイリュージョンにはすでに目を通してあるので、残すはこの羊皮紙の目録のみだ。
「あ………」
羊皮紙をめくるアメリアの手が、ある頁のところで止まった。
わざわざ作られた試作品やら、魔法を使った立体的なイリュージョンやら、丁寧に彩色されているデザイン画やらのなか、それはえらく地味で逆に目立った。
変わったデザインの耳飾りだった。
針金で出来ていると思しき球形のカゴの中に、同じく丸い石が入っている。
それに短い鎖がついていて、耳につける金具とカゴとをつないでいた。
思いつくまま描いて清書などしてませんと言わんばかりに、羊皮紙に木炭でザッと描かれていて彩色などされていない。ただ、材質の書きこみがしてあるだけだ。
工房に御用達に選ばれる気がないのは明白だった。ただ出せと言われたので適当に提出しただろうことがよくわかる。
目の粗い安物の羊皮紙と木炭のせいでよくわからないが、針金で形取られたカゴの細工模様は曲線と花びらに見えた。
針金は銀、中の石は瑠璃と、それぞれ書きこみがなされている。
「銀か………」
アメリアは目を細めて、いつだったかの、風に揺れていたあの音と色を思い出した。
彼の髪は極細の金属の糸。
何かの拍子に揺れると、微かにしゃらっと音をたてた。
「お決まりですか?」
アメリアの表情の変化に気づいた大臣が目敏く聞いてくる。
「へ? い、いいえまだですまだっ」
アメリアは慌てて目録を閉じた。分厚く重い目録がものすごい音をたててテーブルに転がる。
欲しいと思った。直感的にそう感じた。だが、個人的に欲しいと思ったからこそ、国の金で買うことは絶対にしたくない。
「本当に早くお決めになってください」
「何でもいいです。適当に決めちゃってください」
「またそんなことを………」
心底イヤそうな宮廷大臣の後ろの扉から、アメリアの執務を補佐している侍従が入ってくる。
二杯目の香茶に花のジャムを大量に投入していたアメリアは、それを見て溜め息をついて立ち上がった。
「何か休憩終わりみたいです。適当に決めちゃっててください」
その細い腕では到底持てそうにない目録を、実際はひょいと抱えて大臣に返す。その重さにもう良い年である大臣がよろけて、慌てて目録を抱え直した。
「アメリアさま。グレイシアさまが御不在な以上、御用達の宝飾品はすべてアメリアさまのために作られると言っても過言ではありませんものを………」
侍従から午後の執務の書類を受け取りながら、アメリアは軽く肩をすくめた。
「だって興味ありませんから。あ、その香茶、もったいないから執務室まで持ってきてくださいね」
「アメリアさまぁ………」
初老の宮廷大臣は腰痛の原因となりそうな目録を抱えたまま、情けない声を出した。
あの後、夕食を間にはさんで、いったい幾つの書類にサインをしたのか記憶に自信がなくなったころ、ようやく書類の山が無くなった。
ライティングが無数に灯された執務室は明るいが、窓から見える外は真っ暗だ。
「これで、今日はお終いですか?」
書類を片手に、アメリアは傍らの侍従に問いかける。
「本日の執務はこの嘆願書で最後です」
「嘆願書? またですか?」
浮かない顔でアメリアは手のなかの書類に目を通す。西の方に小さな領地を持つロードからの書類だ。
いいかげん、さっさと終わらせて休みたかったが、内容もわからずに署名をするわけにはいかない。
それに、嘆願書ということは恐らく内容は討伐隊の派遣要請だろう。
「なんだってもう、あっちでもこっちでもデーモンばっかり………」
予想に違わない内容のその書類に目を通しながら、アメリアは溜め息をついた。
デーモンの異常発生だけでも頭が痛いのに、さらにここ最近は異常気象も加わって、思わず暴れだしたくなるくらい執務の量が増えている。
書類にサインを入れて、アメリアは侍従にぴらりとそれを向けてみせた。
「いちばん近くにいる討伐隊に、ここに向かうよう連絡を入れてください」
「いちばん近いのはこのセイルーンです」
「…………は?」
アメリアは思わず声をあげる。
「そうでしたっけ?」
「そうです。いちばん近い討伐隊はカルマート国境近くの隊ですが、カルマート側の村から要請があって出動中です。お忘れですか?」
「あ………、そうでしたね」
国境周辺の住人にしてみれば、遠くの国王軍より、近くの他国軍のほうが何倍もいいに決まってる。遠方からの救援を待っているあいだに、デーモンの牙は多くの民を引き裂くだろう。
その事実を重く見たフィリオネルの提案で、ディルスを除いた各国での国境付近の出動要請は自国隣国を問わないことになっていた。
下手をすると侵略の糸口ともなりかねない危険すぎる提案ではあったが、フィリオネルの人柄と目の前に迫る災禍が周辺国に首を縦にふらせた。実質、各国の虎の子の戦力は首都と主要な都市部を守るのに手一杯で、とてもではないが自国だけでは国境付近まで手がまわりきらない状況だった。この提案でもっとも貧乏くじを引くであろう内陸国のセイルーンが自らそんなことを言い出したので、どの国も特に反対はしなかったということもある。
たった一国だけそれに賛同していないディルスだが、伝わってくる情報によると何やらゴタゴタがあったうえに、トドメとばかりに国王が病没して、それどころではないらしい。
王室御用達の工房を決めているような場合ではないのだ。
それをあの宮廷大臣は………。
わかっていない。あの宝飾品は、姉のグレイシアを飾るためでも、アメリアを飾るためのものでもない。『セイルーンの王女』を飾るためのものだ。
「ああもう頭が痛いったら………」
「薬湯をお持ちいたしましょうか?」
思わず呟いたアメリアの言葉を耳敏く侍従が聞きつける。
「あ、いりませんいりません」
アメリアは、ぱたぱた手をふって椅子から立ち上がった。扉に向かいながら、指示を出す。
「明日中、遅くとも明後日までにはここに向かう討伐隊を編成、待機させておいてください。ロード直々に嘆願が来たとなれば、被害の状況はひどいことになっていると思いますから、救援物資の準備もそれに併行して行ってくださいね。あと、書類を受理したことをロードに伝えといてください」
「わかりました。それでこの隊の指揮をとるのは―――」
ドレスの裾をばさりとひるがえして、アメリアは侍従をふり返った。
ある意味、挑発的で、挑戦的なその瞳に宿る色。
「―――わたしです」
文句があるなら言ってみろと言わんばかりの口調だった。
自室に戻るなり、アメリアはベッドの上に倒れこんだ。
「………疲れたあ」
枕に顔をうずめながら呟く。
ごろんと寝転がると、窓から星空が見えた。
「リナさんたち今頃どうしてるかなあ………。また変なことに巻きこまれてなければいいけど」
変なことも変なこと。このデーモン大量発生の根幹にかかわっていて、そのせいで魔血玉を噛み砕くような目にあっているとは、アメリアにわかるはずもない。
枕をぎゅっと抱えて、アメリアはベッドの上を右に左に転がった。
自然と頬がゆるむ。
「久しぶりに王宮の外に出られるな………」
討伐隊といえども、外出に変わりはない。
なんかもう最近忙しくて忙しくて、王宮を抜け出す暇がなかったのだ。
望んでここにいるのだが、王宮はやはり窮屈で、周囲の空は旅の空とはあまりにも違う。
「リナさんたちと旅してたころは良かったなぁ………」
世界中が宝物を隠しているみたいにキラキラしていた。
風にさらわれる髪に、足元の土の感触。陽光の結晶。雨に雲に、降り積もる雪。
みんなで囲んだ炎の熱。
熱と光に満ちた圧倒的な密度の時間。
間違いなく自分の記憶なのに、自分のことではない気がしてくる。
叩きつけてくる圧倒的な力。
風の唸りで世界はうるさいはずなのに、感覚だけは冷え切って、神経は灼き切れそうだった、あの夜。
絶対に生きて還る、その縁が欲しくて滑り出た言葉。
『この戦いが終わったらセイルーンに―――』
あの時、自分はどんな表情でそれを口にしたんだろう。
再び枕に顔をうずめて、アメリアはぽつんと呟いた。
「逢いたいな………」
あのデザイン画のせいで、彼の髪の感触と音を思い出してしまったがゆえに。
「元気かな………元気ですよね………」
髪が頬にさらさらとふりかかって、視界を隠した。
部屋に沈黙が降りる。
「…………よし」
べふと枕を叩いて、アメリアはベッドから身を起こした。
「このデーモン騒ぎに一段落ついたら、絶対王宮抜け出して、ゼルガディスさんに逢いに行こう」
多分、それが最後の出奔になるだろう。
それまでは、王宮にいよう。
それにしても、あの瑠璃飾りは本当に綺麗だった。デザイン画を見ただけでそう思わせるのだから、実際はどれほどのものだろう。
欲しい。純粋にそう思った。
眠るために夜着に着替えている途中で、アメリアはふと首を傾げた。
「………あの工房、どこにあるんだっけ?」
呟いて、アメリアは地図があるはずの続き部屋の方へ駆けだそうとして―――
ずべしゃあっ。
脱ぎかけのドレスの裾を踏んですっ転んだ。
「………着替えてからにしよ………」
思わず赤面した顔を押さえて、アメリアは呟いた。誰もいない部屋で一人、自分は何をやっているのだ。
今度こそ夜着に着替え終わるとライティングを唱え、書斎となっている続き部屋へとアメリアは入った。
机の引き出しから、たたまれた絹布を取り出すと、寝室に戻りベッドの上いっぱいに広げる。セイルーン全土のみが詳しく記された大きな地図である。
記憶に間違いはなく、あのやる気のないデザイン画の工房がある村はこれから討伐隊を指揮して向かう領地内に存在していた。
「どうしましょう。そんなに遠くないですし、ついでに寄るってのはダメでしょうかね………ダメだろうな………」
地図を前に、アメリアは唸る。
結界内の半島全域で非常事態なことぐらい、わかっている。
こんな時期に執務をほったらかして単独行動をしたら、もう二度と外出をゆるしてもらえなくなる可能性があった。
彼に逢いに行く計画のためも、その状態に陥ることは避けたい。
「シルフィールさんとかに頼めないかな………でもなあ、こういうことを頼むのもなんですよねぇ………」
未練を残しつつ、アメリアは広げた絹布の地図を折りたたんでテーブルの上に放り投げた。
耳飾りはともかく、明日の遠征のための準備をしなければならない。
アメリアはクロゼットのなかから以前着ていた巫女服一式を出して、テーブルの上に置く。
そしてその上に、ひとつだけのアミュレットを乗せた。
もうひとつは、どこかの遠い空の下。
テーブルの上のアミュレットを指でなぞって、アメリアは少しだけ切なくなって顔を歪めた。
「………逢いたいです、ゼルガディスさん」
あなたに、逢いたい。
欠けた護符だけでは不安になるこの心は、贅沢なものなのだろうか。
もっと、繋ぐものがほしい。
この狭い世界に囚われていても、確かだと思える何かが欲しかった。
