瑠璃飾り (ラピス・ラズリ) 〔2〕
「はあ? いなくなった?」
はるばる嘆願のあった領地まで来たアメリアは、ロードの言葉に素っ頓狂な声を出した。
ロードの城がある街に到着し、挨拶を告げた直後のことだった。
「いや、それがその………部下の者の話では、いままさに炎を吐こうとしていたデーモンたちが、一斉に顔をあげると、どこかに去っていったと言いまして………現に、それ以来デーモンを見たと言う者も減ってきていまして………」
さすがに気まずそうに、ロードが言い訳をする。
確かに、ここに来る道中でもデーモンには遭わなかった。
これまでは、目的の場所に向かう途中の道すがらでもデーモンが出没したという討伐隊の報告が多数届いていたのにもかかわらず、非常になごやかで楽しい道中だったのだ。
アメリアは眉をひそめて、考えこんだ。
「………ちょっと父さんと連絡を取ってみます。この街の魔道士協会はどこですか?」
届いた知らせは、驚くべき内容だった。
「殿下は何と?」
隔幻話室から出てきたアメリアに、待機していた討伐隊の隊長がきまじめな表情で問うた。
アメリアは困惑したような表情を、その隊長に向ける。
「何か………、各地で同じことが起こっているみたいです。異常気象も収まりつつあるそうですし、デーモンも潮が引くようにいなくなっているそうです」
「ならば、我々がここに来た意味は………」
「あんまし無いです」
アメリアに即答されて、隊長は沈黙してしまった。
「始まりと同じように、唐突ですね」
アメリアは首を傾げて独白した。
リナが大本の原因を滅ぼしたからなのだが、今現在そんなことがわかるはずもない。
ロードの城に戻る途中、アメリアは空を見上げた。
春の終わり。陽光がその強さを増して、風と共に降り注ぐ夏の始まり。
そうだ。これが本来の正しい気候なのだ。
雪が降っただの、暑さに日射病患者が出ただの、しばらく前までとことん異常気象だったのが、嘘のようだ。
異常気象が収まれば、父親であるフィリオネル王子の負担も軽くなるだろう。
デーモンの異常発生担当だった自分も、仕事の量が激減する。
これは好機だ。
「わたしってツイてるかも………」
くすと笑って、アメリアは後に従う討伐隊の隊長をふりかえった。
「では、現時点をもって、討伐隊は残りのデーモンの掃討へと任務の内容を変更します。せっかく来たのに帰るのもなんですし、念のため数日は、この街の周囲、デーモンの潜んでいそうな場所を巡ってください。それが終わったら一日ここで休暇を取り、帰城します。なお、指揮権はあなたに預けます。救援物資の配分はロードに一任したことですし」
「アメリア様は………」
「ちょっとここの領内の村に私用があるので、行ってきます」
アメリアは反論を封じこめるように、隊長に向かって笑いかけた。
自分の外見が、多少なりとも自分の宮廷での評価に直結していることをアメリアは自覚している。
あまり重要視はしていない。使えるものなら使っておこうというレベルの話である。あまり自分の外見に関心はない。もう少し背が欲しいとか、普通の人間の感情として良ければそれに越したことはないだろうとは思うが、それだけだ。
もし関心を持つことがあったとしたら、それは今はここにいない誰かが好みを述べたときだろう。尤も、そんな話など今まで一度も会話に昇らなかったし、昇るほどに互いに突っこんだ関係でもない………まだ。
「デーモンいなさそうだったら、別に休んでてもいいですよ?」
「はあ………。とりあえず、ここのロード殿にご挨拶を入れておいたほうがいいのでは………」
「それもそうですね。じゃ、戻りましょうか」
そう言ってアメリアは、くるりと隊長に背を向けた。
「くおのッ、出てけっ!」
罵声と共にアメリアの鼻先を、白い陶器の花瓶が右から左へと通過していった。
それに添って、右で窓の板戸が開く騒々しい音がして、その次に左で重力に従った花瓶の割れる華々しい音がした。
「え、と………」
リアクションに困って、アメリアは立ちつくした。
もちろん、先のセリフはアメリアに向けられたものではない。花瓶と共に窓を割って出てきたのだ。
とりあえず、これ以上自分に向かって何かが飛び出してきては困るので、窓の範囲から一歩退く。
あの花瓶が直撃していたら、いまごろ頭からだらだら血を流していただろう。
窓からは、なおもにぎやかに怒鳴り合う声が聞こえてくる。
「勝手に細工物をうっぱらいおって馬鹿もんが! 作ったのはわしじゃぞ !?」
「作っても売らなきゃ意味がないんだよ普通は! 大体どうでもいいのばかり道楽のように作りやがってっ。お金がないと材料も買えないことをオヤジは忘れ去ってるんじゃないだろうな !?」
さらに窓から色々な物が飛び出してきた。
何番目かに飛び出してきた黒っぽい塊がブラックオパールの裸石であることに気がついて、アメリアは慌てた。
宝飾品の性質について、最低限のことは知っている。
オパール。決して落としたり、熱を加えたりしてはいけない、水分含有率の高い脆い貴石。硬いだけが宝石ではないのである。しかもその裸石は大きかった。滅多に産出するものではない。
何だってそんなものがすっ飛んでくるのだろう?
唖然としつつも反射的に体が動き、アメリアはオパールに手を伸ばす。
どうやら窓の中の住人も自分が投げた物が何であるかに気づいたらしく、慌てた声が聞こえてくる。
オパールが石畳とキスする寸前のところで、アメリアはそれを抱えこんだ。ただし、抱えこむことに集中したため、バランスをとれず自分自身はひっくり返る。
窓から、老人と青年がそれぞれ顔を出した。
それぞれしばらく互いに見つめあった後、裸石を抱きしめて石畳に座りこんだまま、アメリアは二人に向かって小首を傾げた。
「ここ………グードさんの工房、ですよね?」
それが、あの滅茶苦茶やる気のないデザイン画を提出した工房の名前だった。
ロードの城のある街から徒歩で一日の村にある。
距離は近いが、大きな街道から外れているせいか、あまり発展している様子はない。
どこに何をしに行くのかと聞いてくる質問を苦労してぼかして、うるさく言われる前に、さっさと一人でやってきたのである。
茶色の髪をした壮年の男性が、毒気を抜かれたようにうなずいた。
「あ、ああ………」
アメリアは立ち上がった。軽く自分の服の埃を払ってから、原石を差し出す。
「すまんの」
茶色の髪の男性の横にいた小柄な老人―――おそらく投げた本人が、何喰わぬ顔でアメリアからオパールを受け取った。
「いえ。ところでここグードさんの工房に間違いないんですよね?」
「わしがそのグードじゃからな」
オパールの傷の有無を確認しながら、グードは窓の左を指で示した。示す先には玄関がある。
「窓越しも何じゃから、入ってくるといい。わしに何か用かね、お嬢ちゃん」
「ええ、まあ」
アメリアは曖昧にうなずいた。
目録で見たあの耳飾りが欲しいのだが、どこでその情報を入手したことにするべきか、うまい言い訳をまだ思いついていなかった。さすがに王女です、とは言えない。
携帯している荷物の中には、アメリア個人の所持金が入っている。
リナたちと旅をしていたときに皆で依頼をこなして稼いだ、本当に自分だけのお金だ。
リナは金銭面に関しては執着が強かったが、主にその対象は盗賊たちに向けられていて、仲間の正当な報酬を着服するような人間では断じてなかった。
初めて依頼をこなして、自分だけのお金を手に入れた時の嬉しさは、いまでもはっきりと覚えている。何せ、いままで自分が使ってきたのは国の金だったので、リナたちと旅をしている間も常にその意識がつきまとっていた。それがないのが嬉しかった。
もし、あの耳飾りを手に入れることができるのなら、このお金で。
あまりにタイミング良くデーモンがいなくなったので、何やら薄ら寒い感覚はするが、せっかくこんな近くまで来たというのに、寄らないのもバカらしい。アメリアに、外出できる機会はあまり残されていない。
勢いこんで、アメリアは光溢れる外から薄暗いドアの中へと足を踏み入れた。
工房の中は物で溢れかえっていて、足の踏み場もなかった。
一応玄関の辺りは何とか片づいて、脇のテーブルには帳面とインク壺などが置いてあるが、他はごろごろ転がっている原石(だろう多分)やその破片などで、うっかり歩くと蹴つまずきそうだった。
茶色の髪の男性が、慌ててアメリアに駆け寄ってくると、奥のテーブルまで案内してくれた。
「オヤジ、お茶」
どうやら、この工房の主であるグード老人の息子らしい。
その当のグードはふんと鼻をならした。
「どうして、わしが茶なんぞ淹れにゃならんのだ。お前が淹れてこい」
「三ヶ月ぶりの客の接待をクソオヤジなんぞにまかせられるもんか!」
「三ヶ月ぶり」とアメリアは呟いた。
あんな綺麗なデザイン画を描くのに、顧客がいないのはおかしな話である。
「この嬢ちゃんがいつお前に客だとぬかしおった? わしに用があると言っただけじゃ」
「こんなもうろくジジイに宝石の注文以外に若い娘さんが尋ねてくるわけないだろうがっ」
「わしゃ、気に入った物しか作らんぞ!」
「宝石に囲まれて餓えて死ぬ気か !? オレは嫌だぞッ」
なるほど、それで先の喧嘩に至るわけか。
職人には独特の気質があって、扱いが難しいと零したのはいったい宮廷の誰だったか。
椅子に着席して、どうでもいい回想に首を傾げているアメリアの目の前で、なおも延々と親子喧嘩は続いている。たしか、茶を誰が淹れるかどうかが最初の問題ではなかっただろうか。
「だいたいっ、御用達選定の期日ぎりぎりにあり合わせのデザイン画なんか提出して、もっとまじめにやったらどうなんだ! オヤジは国に喧嘩を売ってるのか !?」
「売っとらんわ、馬鹿者! 大体、ああいうお祭り騒ぎは好きなれん。選ばれる気も毛頭ないわ! わしゃ、王族の方々は尊敬しとるが、その下の役人どもは大っ嫌いじゃ !!」
これは迂闊に名乗るわけにはいかない。もともと名乗る気はあまりなかったが、名乗ったら最後ヘソを曲げられる可能性が出てきた。
内心どうしようと思いながら、アメリアは理由を考えた。あの王室御用達選定の目録の中味を知っている理由。さいわい、喧嘩の終結までにまだ時間はある。
しばらく考えた。
目の前ではいつ終わるともしれない口論が、延々と続いている。
割れた花瓶を道からかたせと苦情がきた。
表で犬が吠えた。
喧嘩はまだ続いている。
ようやっと手頃な理由をひねり出したアメリアは、意を決して口を開いた。
「あのー」
反応は早かった。
我に返った息子のほうが、もみてをせんばかりに訊いてくる。
「何か?」
「わたし、初めて自分でアクセサリーを買いに来たんですけど」
「何じゃい、客かい」
つまらん、とグードが鼻をならした。
「ええ、客なんです」
アメリアはうなずいた。
嘘ではない。
ここまでは。
「それで、わたし、ロードの姫様のところでメイドをやってるんです。ずっとお給金を貯めてて」
嘘のつき具合に何やら自分で馬鹿らしくなってきた。だが、貯めた(というか貯まった)お金というのはあながち嘘でもない。
「それで、御用達の目録で偶然見た、あなたのデザインした耳飾りが欲しいんですけど」
アメリアは一気に言い切った。
言い切って、テーブル越しの二人の顔を見ると、グードは無表情で髯をしごいていて、息子の方は顔色が青と赤のまだらだった。
「あの、お嬢さん。そ、それではなくて何か……そう腕輪とか飾り櫛とかもありますけれど」
「あれがいいんです」
「ああああぁっ、何てことだっ!」
いきなり息子が頭を抱えてのけぞって、叫んだ。
「は、はい? あの?」
「せっかく! せっかく三ヶ月ぶりに客が来たと思ったのにっ。よりによってこんなことが……… !!」
何やら苦悩している息子の横で、工房の主たる老人が首をふった。
「あれはダメじゃ」
「どうしてですか?」
アメリアの問いに、グードが親指で自分の息子を指した。
「この馬鹿息子が三日前に、行商人に売っぱらいおったんじゃ。少しばかり間に合わなかったの」
「行商人に………」
アメリアは呆然と呟いた。
ひどくがっかりしている自分を自覚する。そんなに欲しかったんだなと他人事のように思った。
なおも懊悩している息子に向かってグードが怒鳴った。
「ええい、やかましい! 取り乱しおって。だいたい、パンすら買う金がない、あるもの全部売っぱらう、なんぞと言いおったのはお前じゃろうがッ」
「まさかあんなヘボい耳飾りを買いにくる客がいるとは思わなかったんだよ!」
「ヘボい………」
何やら憮然としてアメリアは呟く。
「ヘボいとは何じゃ !? あれを丸く細工するのにどれほど苦労したと思ってるんじゃ!」
グードは、そう怒鳴り散らすとアメリアの方を見た。
「すまんの。お嬢ちゃん」
「いえ………」
アメリアがあんまりしょんぼりしているのを見かねたのか、グードが立ち上がって、仕事をする机の方に歩いていく。
アメリアはその時、老人が足を引きずっているのに気がついた。
「あの、足は………?」
「原石を落っことしたんだ」
息子の方がにべもなく答えた。
しばらく机の上を探っていたグードは、再びゆっくりとテーブルに戻ってくると、アメリアの前に小さな細工物をころんと転がした。
アメリアと息子が目をみはる。
「これ………!」
行商人に売り払ったと言ったはずの、あの耳飾りだった。
ただし、片方だけ。
「行商人が一昨日、返品しにきおった」
「いつ !? そんなことは聞いてないぞ」
「いま言ったからな」
涼しい顔で老人はそう答えた。
「何でもあのバカタレ、盗賊団に襲われて片方どこかにやってしまったんじゃと。嬢ちゃん、欠けててすまんが、これでもよければ差し上げるよ」
「ホントですか !?」
思わず声をあげながらも、アメリアはテーブルの上の銀の塊から目を離せなかった。
銀のカゴの奥で瑠璃がまたたいている。
食い入るように見つめているアメリアを余所に、テーブルの向こうでは親子の会話が続いている。
「売り物にならんと抜かして返しおった、あのバカタレ。わしの作品を何だと思ってるんじゃ」
「売り物だろ」
「これだからお前はろくな物が作れないんじゃ!」
「でも、何だってこんなロードがいる街近くで盗賊が出るんだ?」
「そんなことは盗賊に直接聞け。おおかた、デーモン騒ぎに便乗してこんなとこまで出てきたんだろうさ」
アメリアはおそるおそるテーブルの上から耳飾りを持ち上げた。
「本当にいただいていいんですか。あの、お金は………」
「だれが両方揃ってない耳飾りから金をとるんじゃね」
呆れたようにグードが答えた。
アメリアは耳飾りを両手で包みこんだ。
「ありがとうございます !!」
「礼にはおよばんさ。わしは似合うものしか人様に売らない主義でな。嬢ちゃんになら、ちゃんと両方つけさせてやりたかったがの。ところで嬢ちゃん―――」
「アメリアです」
「アメリア嬢ちゃん。メイドは普通、巫女服は着んと思うのじゃが?」
「あっ………」
迂闊さに、顔から火が出そうだった。
グードが苦笑混じりにアメリアを見た。
「やれやれ、どこのお姫さんかね」
「あ、ええっとぉ………」
本当のことを言っても良いものか、アメリアが困り果てたときだった。
悲鳴が聞こえた。
間をおかず、怒号に罵声。パニックが起きている、外で―――
「何じゃ?」
グード老人の疑問は幸運にも答えが返ってきた。外で、誰かが叫んだ。
「盗賊だ―――!?」
「何ですって !?」
アメリアは呆然と呟いた。
盗賊団が村単位で襲撃を行うことは、ここ近年では―――訂正、ここ数十年では滅多になかったことだ。
理由は簡単。実入りが大きい代わりに、とことん派手で目立つからだ。国に喧嘩を売っているようなものである。暴挙を取り締まる国力は各国とも存分にあるし、彼らも自分自身の首をしめるような行動に出ることはなかった。
ましてここは辺境でもなんでもなく、ロードの城のある街からたった一日しか離れていない。
まだデーモンの襲来と言ったほうが、よほど信じられる。
「何かの間違いじゃ………!?」
アメリアは耳飾りをひっつかんで椅子の上の荷物に押しこむと、外への扉を引き開けた。