瑠璃飾り (ラピス・ラズリ) 〔3〕

「やだ。ホントに盗賊」
 のんきにアメリアは呟いた。本気で驚いたのである。
 だがすぐに驚きから立ち直ると、今度はムカッ腹が立ってきた。
 最近執務ばっかりで、やっと外に出られたと思ったら欲しかった耳飾りは片方欠けている。よりによって盗賊のせいで。しかもその盗賊が襲ってくる。
 何より腹立たしいのは。
 いくらデーモン多発のせいで半島内全域で国力が低下しているからといって、セイルーンに自分たちを検挙する力がないと見くびられたことだ。たしかにデーモンや異常気象のせいで各地の治安は以前よりもずっと悪くなっているが、それでもセイルーンはいまだ国力を充分に残している。
 何か別の理由により向こうが勝手に切羽詰まっていたとしても―――ロバーズ・キラーが追ってくるとか―――喧嘩を売られたことにかわりはない。
「その喧嘩、買ったわ」
 呟いて、アメリアは背後の二人をふり返った。
「逃げてください。それともこんなとこに出る理由を直接聞きにいきます?」
 軽口を叩くアメリアに、パニック寸前だった息子の方が呆気にとらえれてアメリアの方を見た。グードが落ち着きはらって答えを返す。
「聞くとしたら間に鉄格子をはさんでいたほうが嬉しいの。アメリア嬢ちゃん、あんたも逃げるんじゃ」
「いいえ」
 アメリアは首をふった。
「売られた喧嘩は買います。ちゃんと逃げてくださいよ?」
「嬢ちゃん!」
 アメリアは外に飛び出した。
 逃げまどう村人とは逆の方向に走りながら、不意に苦笑する。
 個人に売られた喧嘩ではない。国に売られた喧嘩を買ってどうするのか。
「根っからの王族ですね、わたしは………」
 彼をどれほど好きで、どんなに王宮が窮屈でも。
 それに、喧嘩を買うにせよ何にせよ、今は被害を防がねばならない。
 ただのアメリアとしてリナたちと旅をしていたときでも、そうしただろう。きっと一緒にいたリナたちも、同じことをしただろう。
 だから。
「女子供を避難させなさい! 一箇所に集まって、そこを自警団で集中的に守るんです。それが無理なら散りなさい! だれか一人伝令を街に走らせて!」
 そう叫びながらアメリアは盗賊団の前に飛び出した。
 追う者と追われる者双方の流れに逆らって逆走してきたアメリアに、盗賊たちの奇異の視線が突き刺さる。
 その数二十余。馬に乗っている者は半数。
火炎球ファイアー・ボール!」
 まだ散開しきっていない、馬が集中している箇所を狙って呪文を叩きこんだ。
「ブレイク!」
 そして、それを拡散させる。火球が弾け、広範囲に渡って盗賊たちを巻きこんだ。致命傷にはならなくとも馬は怯え、大半の盗賊が落馬する。もう馬は使い物にならない。いかに世の中に目つきが悪い馬がいたとしても、彼らはもとより繊細な動物なのだ。
 小さな村に、本来なら攻撃呪文の使い手がいるはずがない。突然の呪文に盗賊たちが浮き足立ったところに、アメリアは飛びこんだ。
 こういうところには大抵、呪文を使う魔道士くずれが二、三人いるものだ。幸か不幸かリナの夜間外出に付き合わされているうちに、自然と学習してしまった。
 まずその魔道士から叩かなくては。
 魔道士とわからないように普通の格好を装う者もいるが、今回は違うようだった。褐色のローブ姿を見つけたアメリアはそいつに向かって、掌底を突き上げる。
 顎先を強打された魔道士が昏倒するのも確認せずに、アメリアは次の相手へと向き直った。
「このアマ………っ」
 正面の盗賊が剣をふりかぶった。
 アメリアは非常識にも振り下ろされる剣の腹を叩いて軌道をそらし、顎先を狙って再び掌底を叩きこむ。
氷の矢フリーズ・アロー!」
 そして、ふり向きざまに放った呪文に、後ろから襲いかかろうとしていた数人の盗賊が氷漬けになった。
 何人目かの盗賊を昏倒させると、アメリアはその持っていた剣を走りながら拾い、その勢いのまま盗賊の一人に向かって投げつけた。相手が慌てて回転しながら飛んでくる剣をはたき落としたときには、もう間合いにまで飛びこんでいる。
「残念でしたねっ」
 叫ぶと同時に、アメリアは足で急所を蹴り上げていた。
 たった一人で二十人余りを相手にしているアメリアを呆気にとられたように盗賊たちが見る。
 盗賊の一人を蹴り飛ばしながら、アメリアは首領格の男を視界のはしでチラリと確認していた。
 倒れこむ盗賊の腰から短剣を引き抜くと、真っ直ぐにその男に向かって駆ける。背後に回りこむと、素早くその首筋に短剣をつきつけて、アメリアは通告した。
「ひきなさい」
「なに………っ !?」
「お頭っ」
「いますぐここから去りなさい。隣りにあるロードの街にセイルーン軍が逗留しているのを知らないんですか? すぐにでも知らせが行くでしょう」
「な、何だと !?」
 アメリアの言葉に盗賊たちから動揺の声があがる。浮き足立つ盗賊団に、アメリアは鋭く声を放った。
「動かないで! 動けば、あなたたちの首領の命はありませんよ」
「冗談じゃねえ!」
 不意に一人の盗賊が声を荒げた。雰囲気からして副首領といったところだろうか。
 アメリアは嫌な予感がして顔をしかめた。
 案の定、その盗賊はアメリアと彼女が短剣をつきつけている首領に向かって、びしりと曲刀をつきつけた。
「どこぞの流れの剣士に叩きのめされたばかりだっていうのに、このまま引き下がるなんてできるか! そんな女にやられるような首領なんかいらねえぞ!」
 アメリアは傍らの首領に同情の視線を向けた。
「………人望、ないんですね」
「うるさい!」
 やけくそ気味に首領がわめく。
 アメリアはその手を取ると振って勢いをつけ、副首領の方へと投げ飛ばした。
 慌てて副首領がよける。首領の体は他の盗賊にぶつかって二、三人を巻きこんで横転した。そこにアメリアの呪文が飛ぶ。
「スリーピング!」
 ばたばたと盗賊たちが倒れていった。無傷の副首領にアメリアが顔をしかめる。
「よけないでくださいっ」
「無茶なこと言ってんじゃねえ! お前、やることが汚ねえぞッ」
「盗賊やってる人にいわれる筋合いはありませんっ! リナ=インバースに言いつけますよ!」
 思わずアメリアが叫ぶと、見る間に盗賊たちの周囲の空気が凍りついた。
「………お知り合いで?」
「ええ、まあ」
「ふ、副首領! やっぱりここは逃げたほうがいいんじゃ………」
「だ、黙れ! ハッタリだ、ハッタリ! だいたい今すぐにリナ=インバースがやってくるわけじゃねえっ」
 バレてる、とアメリアは呟いた。
 盗賊たちの人数は十人程度まで減らせただろうか。あとは昏倒したり昏睡したりしている。どういうわけかアメリアが叩きのめす前から怪我をしている盗賊たちもいた。先の言に出てきた流れの剣士とやらだろうか。
 あまり戦闘が長びけば、意識のない盗賊たちが目を覚ます可能性もある。それに何より、それだとアメリア自身の体力が持たない。激しい動きをしたので、体中が汗だくだった。自分自身の呼吸が熱い。
「おい、女!」
 後ろの方からかかった声に、アメリアはふり向いた。副首領が「でかした」と叫ぶのを聞きながら。
「グードさん!」
「すまん、嬢ちゃん………」
 足が悪いため、逃げ遅れたのだろう。息子のほうは姿が見えない、まさかいくらなんでも先に逃げたりはしていないだろうが。
 アメリアはグードの首に腕を回している盗賊を睨みつけた。
「卑怯じゃないですかっ、人質をとるなんて!」
「お前だってお頭を人質にしただろーがっ」
「悪人に人権はないからいいんです!」
 どこぞの女魔道士のようなセリフを叫んだアメリアは、背後に気配を感じてふり返った。
 そのまま裏拳を放とうとするところへ声が飛ぶ。
「動くな! 動いたら、このくたばりぞこないのじーさんを殺す」
 寸前で手が止まった。相手の顔の直前でブレもせずにぴたりと拳を止めてしまったことに、思わず寸止めの練習なぞしなければよかったと過去の自分を責めてみたりする。
 前方で、異議の声が聞こえた。
「誰がくたばりぞこないじゃっ」
「うるせえ」
 盗賊が腕に力をこめる。老人の顔が苦痛に歪んだ。
「やめてッ」
 思わず爪先の重心を移動させようとしたアメリアの正面に、副首領だという盗賊が回りこむ。
「おっと、動くな。動いたらあのじーさんを殺させるぜ」
「…………ッ」
「とりあえず、そのすぐにでも蹴りを放てる立ち姿をやめな」
 アメリアは体術の基本姿勢をといた。
 まずい。これでは隣りの街に逗留しているセイルーン軍に連絡がいって、近い将来彼らが討伐されるとしても、この村の直接的な被害を押さえることができない。
 小声で眠りの呪文を唱えかけたアメリアに、短剣が突きつけられた。
「呪文もダメだ」
「なんだってこんな暴挙に出たんです。こんな派手なことをすればセイルーンから討伐隊が派遣されることぐらい予想がつくでしょう?」
 アメリアの問いに、副首領は顔を歪めた。
「ちょいと不幸な出来事でな。稼ぎの大半を持っていかれちまったんだよ。お頭が命惜しさにべらべら喋っちまいやがった」
「リナ=インバースにですか?」
「違うッ。だいたいあの女が来たら今頃オレたちゃ墓の下だ!」
 思わず副首領が声をあげる。
 ひどい言われようだとアメリアは思ったが、過去の記憶を掘り返してみて思わず頷きそうになった。
「お喋りはここまでだ。セイルーン軍が来るなら尚更、さっさと取るもの取ってとんずらしなきゃならいんでね」
 アメリアは正面の盗賊を睨みつけた。
「動けなくするのに顎を狙うのは悪くねぇ。こんなふうにな―――」
 拳を避けようとして、アメリアの視界に短剣を突きつけられたグードの姿が入った。
 思わず回避の動きを止めた瞬間。
 がつっと衝撃がきて目の前に火花が散った。全身に冷たい石畳の感触がして、自分が倒れこんだのだとわかる。
「この間と言い、あんたと言い、たった一人に叩きのめされる経験なんざ、一度で充分だ」
 男の声がひどく遠い。手をついて起きあがろうとして力が入らず、アメリアは再び石畳に倒れこんだ。意識は鮮明なのに、体が動かず言うことをきかなくなる。
 殴られた顎だけが熱をもったように痛い。
 敷石の感触は冷たくて、視界ははっきりしているのに体はどうしても動かなかった。
 グードの自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
 聞こえてはいる。聞こえてはいるが、それに応えることができない。
 意識を失うわけにはいかない。起きあがって何とかしないと。略奪が始まってしまう。
「ったく、とんだ手間かけさけやがってこのアマ………ッ !?」
 髪の毛をつかまれて引き起こされようとしたそのとき、慌てた声がしてその手が離れていった。
 剣の音と怒号と、盗賊たちの悲鳴。混乱の空気が伝わってくる。
 何が起きたの?
 再び石畳に頬をつけながら、アメリアは必死で手に力をこめた。たてた爪の間に小石の欠片が食いこんで嫌な感触と痛みを伴う。
 いい。いまはそんなことはどうでもいい。
 ただ、あの声は、なに?
 ほんの一瞬だけ、耳をかすめていったあの声は―――――


「また遭ったな。行き先が同じとは奇遇だな」
「こ、この間の………!?」
「たしかに、お前たちを相手にするときには的確さよりも派手さのほうが大事なようだ。ビビらせて徹底的に復活する気をなくさせないと、ゴキブリと一緒で何度でも復活するんだそうだ。知り合いが言っていた」
 風に散る、声。
「いまからでも遅くないだろう。私怨が混じるが勘弁しろ。恨みは倍返しって言葉を知ってるか?」
 涙が溢れてアメリアの視界が滲んでぼやけた。

 早く、起きなくちゃ―――――――