瑠璃飾り (ラピス・ラズリ) 〔4〕
「た、助けてくれて、ありがとうございます………」
その場にへたりこんだ商人は、いまだ歯の根のあわぬ声でそう礼を述べた。
陽が森の向こうに融け落ちようとする街道でのことだった。
ロードが直接治める街へと続いている、人通りは少なく規模は小さいが、それでもきちんと整備された街道である。
近頃、場所を選ぶことなく出没するデーモンにばかり気をとられていた商人は、本来旅人を襲う驚異である盗賊たちのことを失念していた。
仕入れ先の村から帰る途中、気がつくと囲まれ、剣を目の前に剣を突きつけられた。
そして今、その盗賊たちを叩きのめした男は、おもしろくなさそうに剣についた血糊を払っている。
「別に礼を言われる筋合いはない。路銀が足りなくなったので知り合いの真似をしたついでだ」
フードの奥からくぐもった声がした。存外、若い。
地に倒れこんだ盗賊たちから苦痛の呻きがして、商人は身をふるわせた。
「起きだす者が出てくる前に、さっさと行くんだな。急げば陽が落ちる前に村の方には間に合うだろう」
「は、はい………」
商人は、地に散らばった荷物を慌ててかき集めると、来た道を戻って早々にこの場から逃げ出した。
剣を鞘に収めて、青年は土埃にまみれた銀色の光る物に気がついた。さっき商人がへたりこんでいた辺りだ。落としていったのだろう。
拾い上げて、思わず呟いていた。
「耳飾り? なんでこんなものが………」
「影縛り」
後ろから声が聞こえてきた次の瞬間、グードに短剣を突きつけていた盗賊の体が硬直した。
「じいさん、離れろ。こいつはもう動かん」
解放されたグードがふり向くと、白いフードの青年が突然動けなくなった盗賊の首筋に剣の柄を叩きこんでいるところだった。気絶してもなお突っ立っている男の影から、青年がナイフを抜き取る。その途端、盗賊は大地に転がった。
「あんたは………」
そう言いながら、グードは思い出していた。何せ小さな村である、噂は広がるのが早い。宿に白ずくめの若い男が泊まっているという話を一昨日、宿の主がしていた。
「ただの通りすがりならよかったんだが。悪いな、こいつらは三日ほど前に俺が街道で叩きのめした奴らだ。俺のせいで懐が寂しくなったらしい」
言いながら、青年はもう駆けだしていた。剣を合わせるたびに、盗賊たちのほうが悲鳴をあげて倒れていく。
アメリアと名乗った少女が昏倒させた盗賊の一人が目を覚ましかけたところに蹴りを叩きこんで、青年は、殴り倒されたその少女の傍らで狼狽した表情見せている盗賊の副首領に相対した。
「また遭ったな。行き先が同じとは奇遇だな」
副首領だという盗賊が顔を青ざめさせる。
「こ、この間の………!?」
「たしかに、お前たちを相手にするときには的確さよりも派手さのほうが大事なようだ」
冷ややかな声。
すでに立っている盗賊は副首領一人しかおらず、逃げまどっていた村人たちが物陰からおそるおそる様子を伺っている。
「ビビらせて徹底的に復活する気をなくさせないと、ゴキブリと一緒で何度でも出てくるんだそうだ。知り合いが言っていた」
グードは、殴り倒された少女がぴくんと反応したような気がした。
青年が剣をかまえる。
「いまからでも遅くないだろう。私怨が混じるが勘弁しろ。恨みは倍返しって言葉を知ってるか?」
言葉の奥に潜んだ灼けつくような怒りを感じ取った盗賊が、悲鳴を呑みこんで左右を見回した。
すでに立っている者が自分しかいないと知り、さらに狼狽がひどくなる。
その手が、足元に倒れている黒髪の少女を乱暴に引きずり起こした。
華奢な首が仰け反って、あらわになった喉に短剣がの切っ先が突きつけられる。
「う、動くな。動いたらこの女を殺す!」
冷ややかな表情でそれを見守っていた青年は、唐突に剣を降ろして構えをといた。
そして、剣を持っていない空いた手でマスクを引き下ろすと、布を通さない明瞭な声でたった一言、口にする。
「アメリア―――」
その声に反応して、盗賊の腕の中で白く細い手が静かに持ち上がる。
声に応えた手の指が盗賊の顎に触れたとき、かすれた声がした。
「雷撃………!」
力が解放される。
盗賊の体が一瞬びくりと動き、そのまま大地へと崩れ落ちた。
それを見届けて、青年が剣を収める。
そして、そのまま電撃を受けて痙攣している盗賊と、何とか身を起こした少女のところまで歩いていくと――――問答無用で盗賊の腹を蹴り飛ばした。
尋常でない打撃音がして、ぎょっとした少女が青年を見上げる。
青年は何事もなかったかのように、その少女の隣りにしゃがみこんでいた。
そこまで見届けると、グードはずっと盗賊に腕を回されていたため凝ってしまった首筋をぐるんと一回転させた。
ようやく物陰から出てきた村人たちに声をかける。
「さあ、早く盗賊たちを縛りあげるんじゃ。すぐにセイルーンの偉いさんが来て一人残らず引っ立ててくれるだろうよ」
背後から、少女の嗚咽とそれに慌てる青年の声がした。
名前を呼ばれた。
彼だけが持ちうる声と、その響き。
忘れられるはずがなくて、以前ごく普通にそう呼ばれていた過去の時間が鮮やかに脳裏に甦る。
こんなに焦がれていたなんて。
泣きたくなるほど、名前を呼ばれるただそれだけの事が嬉しい。
ぐらりと揺れて定まらない視界のなか、アメリアは力在る言葉を解き放った。
アメリアの傍までやってきたゼルガディスは、いきなりアメリアの後ろで倒れている副首領に蹴りを入れた。
人の体を蹴ったとは思えぬ凄まじいその音に、くらくらする頭を持て余していたアメリアは思わず顔をあげてゼルガディスを仰ぐ。
もしかしなくても、かなり怒っているような気がした。
「ゼ、ゼルガディスさん………?」
名を呼ぶと、何事もなかったかのようにゼルガディスがアメリアの正面にしゃがみこんだ。
「無事か?」
さっきの蹴りは幻覚かと思いたくなるような、いつもと変わらない様子で訊いてくる。
平気だと言おうとして、殴られた顎が痛みだしたので黙ってうなずいた。
「悪い。宿にいたんだが、駆けつけるのが遅れた」
その言葉に、アメリアは目をみはる。
こんなところで出逢うなんて――――
「ゼルガディスさん」
名前を呼ぶのもひさしぶりだった。さっきは気がついたら思わず呼んでいたが、本当に長い間呼んでいなかった。
「ゼルガディスさん」
「何だ」
素っ気ない言葉に、アメリアはその服の袖をぎゅっと捉えた。
「ゼルガディスさん………っ」
「お、おい………!?」
ぽろぽろと泣き出したアメリアに、ゼルガディスが慌てた声を出す。
「アメリア !? どこか怪我でもしてるのか?」
「………です」
「?」
アメリアは緩く首を横にふって、ゼルガディスに抱きついた。
「逢いたかったです………!」
唐突に抱きつかれて一瞬硬直したゼルガディスだったが、やがて観念したように溜め息をついて、そっと腕をまわした。彼としても、以前と変わらないように会話をするのはこれが限界だった。
「………頼むから泣くな」
泣かれると本当にどうしていいのかわからないのだ。
腕の中のアメリアに泣きやむ様子が見られず、思わずゼルガディスは天を仰いでから、耳元で何事かを囁いた。
すると、ますますアメリアが泣き出したので、ゼルガディスは途方にくれる。
泣きやんだのは、それからしばらく経ってからだった。
それから一日が経過して、ゼルガディスはグード老人の工房で茶を出されていた。
「………おい、じいさん」
「何じゃ?」
素知らぬ顔でグードが尋ねる。
「何で俺を呼び出して茶なんか出してるんだ。俺は先を急いでいる」
「見張りじゃ」
「何………?」
フードの下でその表情が固くなる。
外ではようやく到着したロードの軍とセイルーンの討伐隊との混成部隊が、盗賊たちを引っ立てている最中だ。
アメリアはその指揮を執っていて今はいない。
涼しい顔でグードが先を続けた。
「頼まれたからの」
「頼まれた?」
「アメリア嬢ちゃんに自分が用を済ませるまで、あんたが黙って旅に出んようにしてほしいと頼まれたからの」
「…………………」
思わず頭を抱えたゼルガディスの正面のカップに、茶が注ぎ足される。
「出逢ったのが運の尽きか………」
溜め息混じりに、ゼルガディスは呟いた。
セイルーンを迂回すればよかったのだろうが、王都ならともかく辺境の村で出逢うと誰が予想できるだろう。
「アメリア姫さまと知り合いのようじゃの」
グードはロードの街から役人が到着した際に、アメリアから直接身分を明かされて、嘘をついた謝罪を受けていた。
「………………」
ゼルガディスがフードの下、沈黙をまもる。
「そんな顔せんでもいいだろうが。素性も経緯も聞きゃせんわ。あんたは村の恩人じゃぞ」
「どうだか」
「ヒネとるの」
「…………」
「あんたが蹴っ飛ばした盗賊、肋骨が三本ばかり折れとるそうじゃ」
「…………」
会話するのが馬鹿らしくなったゼルガディスは、椅子から立ち上がった。
「村を出ない。宿にいる。それでいいだろう?」
「いま外では役人や兵士がうろうろしとるぞ」
「…………」
「そうじゃ、座っとけ座っとけ」
憮然とした表情で椅子に座り直したゼルガディスを見て、グードが低く笑う。
「耳飾りじゃよ」
「…………?」
「アメリア嬢ちゃんは、耳飾りを買いにわざわざ来たんじゃよ」
「ここに?」
「そうじゃ。四日ほど前にあのバカタレの行商人を盗賊共から助けてやったのは、あんたじゃろう?」
「…………たしかについでで商人を助けはしたが、それが何だ?」
「あのバカタレが、片方失くしおった耳飾りをわしのところに返品しにきおったんじゃ」
ゼルガディスが眉をひそめた。
「………だから何なんだ?」
「それが、アメリア嬢ちゃんがわざわざ買いに来たヤツでな。結局片方しかやれんかった。ま、片方だけでもやれて良かったというべきかもしれんがの」
ゼルガディスが小さく身じろぎした。
次の瞬間、ドアがものすごい勢いで開かれて当のアメリアが顔を出す。
「ゼルガディスさんッ !!」
「いる」
「良かったああぁぁぁ」
短く即答したゼルガディスに、アメリアがドアにすがりつくようにして、しゃがみこんだ。
「………よっぽど前科があるようじゃの」
くくっとグードが笑いながら立ち上がった。
「湯を沸かしてくるよ」
わざと席を外してくれたことは二人にもわかった。
アメリアはドアを閉じると、そこに背を預けて座りこんだ。
「良かった………また黙って出ていかれるかと思いました」
「だから見張りを頼んだのか?」
「だって! あの時だって勝手にアミュレットだけ持って一人で出ていったじゃないですか。ズルイですよ!」
「話し合ってる最中にお前が泣きながら眠りこむからだろうがッ」
「あんなの話し合いって言いません!」
しばし二人して睨みあって、先にアメリアの方が視線を外した。
膝を抱えて俯くと、アメリアが呟いた。
「………今度は置いていかないで」
独り言のように落とされた言葉に、ゼルガディスが無言で目をみはる。
「きっと最後の出奔になります。一緒に行かせてください………」
欠けたアミュレットだけでは心が繋げない。不安を抑えきれない。
だからここに瑠璃を買いにきた。
けれど。
「アミュレットを持ってても、ここに瑠璃を買いに来ても、王宮にいると不安なんです。王宮がわたしの居場所で、わたしは王族なんですけど、まだわたしの方が弱くてそれに負けそうになるんです。だから、だいじょうぶだと思えるまで、ゼルガディスさんの旅についていきたい」
「…………」
「ダメですか………?」
顔を伏せたアメリアの目の前に無言で握り拳が差し出された。
反射的に手を差し出すと、銀色の塊が手のひらから手のひらへと移される。中の瑠璃が銀のカゴにぶつかってカチリと音をたてた。
「え……? え? えええぇっ、どうして?」
目を丸くするアメリアは、ゼルガディスがドアを開けたため後ろにひっくり返りそうになった。
「ゼルガディスさん !?」
「勝手にしろ」
「あ………」
その言葉がじんわりと染み渡って理解できたとき、アメリアは笑い泣きの顔で頷いた。
「はい、勝手にします!」
嬉しそうにそう言って、アメリアは奥の台所から出てきたグードに封蝋を施した羊皮紙を手渡した。昨日、寝る前に書いておいたのだ。
「これをうちの隊長さんに渡しといてくれませんか」
「別にかまわんが。嬢ちゃんはどうするんじゃね」
「これから出かけるんで、その旨を記した手紙です」
グードが無言で眉を動かしてアメリアを見た。
「―――ずいぶん急じゃな。役人たちの仕事はまだ終わっておらんぞ?」
「ええ、まだみたいですね」
すました顔でアメリアはそう答えて、グードに頭を下げた。
「耳飾りどうもありがとうございました。大事にしますね」
「いや、わざわざこんなところまで来てくれて、こちらこそ礼を言うよ。アメリア姫さま」
納得顔でグードが丸められた書状をぽんぽんと叩いた。
「渡しておくが、わしゃ知らんぞ?」
「ええ、グードさんは書状の中味を知りません。わたしはちょっと用があると言って工房を出ていったんです」
「ほうほう、ちょっと用がね」
「はい。ちょっと用が」
ゼルガディスが開けっ放しで出ていったドアのノブに手をかけて、アメリアはグードに笑いかけた。
「本当にありがとうございました。お元気で!」
陽光の中、黒髪を舞わせて走り去る自国の王女をグードは目を細めて見送った。
「やれやれ、行ったか」
手の中の書状にセイルーンの紋章が押された封蝋を見て取って、グードはにやりと笑った。
「これを渡すのは夕方のほうが面白いかのう」
陽はまだ高かった。
とことん素直じゃない肯定を返したゼルガディスは、ちゃんと村の反対側の出口―――パッと見にはわからないところに生えている木の根元でアメリアを待っていた。
体重を預けていた木から体を起こして、ゼルガディスが素っ気なく告げた。
「行くぞ」
「はい。行きましょう、ゼルガディスさん」
華のように、アメリアが笑った。
二人が朱橙の瞳をした炎の精霊に出逢うのは、それから半年後の未来の出来事である。

