Ria and Yuzuha's story:Second pray【楽園】〔10〕

 神殿に帰ると、皆が一睡もせずに待っていた。
「くーん、お帰り」
「ただいま」
 駆け寄ってきたユズハを抱き上げて、リアは困ったように残りの面々を見まわした。
 ミレイ以外はどの顔もそれぞれの表情で怒っている。
「遅くなりました」
「事情を説明してくださいね」
「明日の朝とかじゃ………」
「ダメです」
 ゼフィアがにべもなくそう言った。
 どう言ったものだろう。
 リアがアークに感じた共感など、言っても理解されまい。
 何とか適当な説明を捻り出そうとリアは嘆息した。
「あの人、悪い人じゃなかったわよ」
「どこがですかッ」
 椅子に座っていたミレイが立ち上がって叫んだ。
「シルフィールさんから聞きましたよ。魔族を憑かされそうになったって! そういうことをするのは普通悪人ですッ!」
 その顔が瞬く間にくしゃくしゃと歪む。
「あたしのせいで、クーン死んじゃうかと………」
「泣かないで。ごめんなさい」
 リアは苦笑しながら謝った。いきなり死ぬところまで想像が飛躍するのがミレイらしいが、事実死にかけたと言えないこともない。
 ―――無用の騒ぎを引き起こしたうえに、いらない心配をかけてしまった。
 リアは自省して、ユズハの頭を撫でながら嘆息した。
 もう帽子はどこへいったのやら。ユズハは神殿内を裸の頭で平気で闊歩している。
 そこに、アーウィスが憮然とした口調で割り込んできた。
「逃がしてきたのか?」
 部屋の中にいる面々のなかで、彼が最も不機嫌そうな顔をしている。
「だって、殺したり拘禁するような理由なんてありません。あたしにしたことなら、あたしはもう彼女を赦しています」
 リアはほろ苦く笑って、またユズハに視線を戻した。
「―――あたしに危害を加えたこと以外に、彼女に何の罪があるんですか?」
 アーウィスはぐっと言葉に詰まったあとで、それでも負けじと言い返してくる。
「魔族と同化しているような化け物を放っておくのか !?」
「人間じゃないという理由で殺さなければいけないなら、アーウィスさん、あなたは彼女よりも先にユズハを殺すべきです」
 アーウィスとミレイがぎょっと目を剥いてユズハを見た。
「エルフと魔族とじゃ根本的に違うだろうが!」
 理解してもらえない苛立たしさを全面的に押し出してアーウィスが反論してくるのに対して、リアは静かに事実を告げた。
「ユズハはエルフじゃありません」
「何だと?」
「ユズハは、精霊と邪妖精ブロウ・デーモン合成獣キメラです。ユズハが目の前で炎になったのを見ているはずです。アークが化け物なら、人間の部分が欠片もないユズハは何なんですか」
 アーウィスが気圧されたように黙りこんだ。
 状況をわかっているのかいないのか、ユズハがリアの腕のなかで首を傾げる。
「うぃす、ゆずは、消すか?」
「んなわけないだろう!」
 ユズハの言葉に、即座にアーウィスが叫んだ。
 その様子にリアは淡く笑う。
 ちゃんと理由があれば受け入れられる度量のある人は好きだ。
 アーウィスはいい人で、だからリアは好きだ。彼とシルフィールがずっと仲良くやっていけたらいいなと、ごく普通にそう思った。
 だから、この場は丸く収めねばならない。
「アーウィスさんがアークを嫌う理由はわかります。アーウィスさんの言う通り、感情の発露があってこそ人間です。だけどアークはそうすると魔族に体の支配権を奪われる可能性が出てきます。魔族を抱えこんだ人間より、魔族そのもののほうが危険なことは明白です。そうならないためにはアークはあんなふうに生きていくしかない、だから………」
 リアは目を伏せた。
「彼女を嫌いにならないで―――」

(あたしを嫌いにならないで………)

「あたしは、彼女が―――とても好きです」
「けれどリアちゃん、彼女が他の人にあなたにしたことをしないという保証はありませんでしょう?」
 シルフィールの言葉に、アーウィスやゼフィアがうなずいた。
「それも約束してきました。これもらってきたし」
 リアが契約の石を取り出すと、シルフィールが唖然とした顔をした。
「もうこんなことしないと言いました」
「口だけなら何とでも言えるぞ」
「自分のいのちが他人の掌中にあってもですか?」
 リアにそう返されて、アーウィスは憤然として頭を抱えた。
「チクショウ、わかってる。わかってんだよ。しかしさっきからどうも俺はむしゃくしゃしてたまらないんだッ。あきらかに納得いかねぇぞ! 蚊帳の外でむかつきやがる!」
「アーウィスは単にシルフィールさんに置いていかれたのがショックなだけでしょう?」
「ンだと、こら」
 すさまじい目つきと声でアーウィスがゼフィアを脅しつけたが、彼のほうは涼しい顔をして、リアに話しかけた。
「クーン。勝手にどこかにいかないでください。あなたは私をセイルーンに連れて行ってくれるのでしょう?」
 思いがけずあっさりと言われた言葉に、リアは目をみはる。
 セイルーンに行くのはあまり乗り気ではないと思っていたのに。
 少し、嬉しかった。
 シルフィール、アーウィス、ミレイ、そしてゼフィア。
 それぞれの表情が柔らかなものになっているのを確認してから、リアはきちんとその場でお辞儀をして謝った。
「心配かけてごめんなさい」
「まったくです」
 シルフィールが溜め息混じりに苦笑して、アークの話はそれで終わった。


 あてがわれた客室に引き取る間際のリアを、シルフィールが呼び止めた。
「何ですか?」
 シルフィールは扉とリアの間に回りこむと、後ろ手に閉じた。
「本当のことを教えてください」
「あたし、嘘は言ってません」
「ですが、本当のことも言ってませんでしょう? わたくしはユズハちゃんとは違って、納得できませんから。あなたはどうして、あの女性に―――」
 シルフィールの漆黒の瞳が強い光を帯びる。
「親近感を感じているんです?」
 その表現は当たらずとも遠からずか。
 リアは困ったように笑って目を伏せた。
 すでに部屋の中は二人以外に誰もいない。ユズハも先に戻ってしまった。
「言え―――ません」
 何かを言いかけたシルフィールをリアは遮った。
「言ってもどうしようもないことだから言いません。シルフィールさんに話せるのなら、もうとっくにあたしは母さんに話しています。だから、ダメです。ごめんなさい………」
「そうですか………」
 シルフィールは寂しそうに笑った。
 傷つけた―――という思いにリアの胸は痛くなるが、これは揺るがせない事実だ。
 誰にも、話せない。決して。
 代わりにリアは笑った。
 安心してほしい、と。
「シルフィールさん。父さんと母さんの娘であることは―――」
 あまりにも華やかで。
 そして、それに隠された淡い陰りを含んで。
 リアは大輪の花のように笑う。
「あたしの―――誇りです」



 あけて翌日、リアはアーウィスに手合わせを申し出た。
 相手は面食らっていたようだが、彼と出会ったときからやってみたいと思っていたことである。
 あまりここに長居をするわけにもいかない。
 ―――それとも、春になるまでサイラーグにいるべきだろうか。
 春にここを発てば、セイルーンに着く頃には晩春だ。
 すぐ、初夏になる。
 リアは個人的にセイルーンは初夏がいちばん綺麗だと思っていた。
 その要素には視覚も含まれるわけだから、ゼフィアにはあまり関係はないかもしれないが、やはり連れて行くなら初夏がいい。
 なら、もう少しここにいるか。
 ―――ミレイともっと色々な話がしたい。
 彼女が持ってきた書簡は呆れたことに彼女自身の異動を記した手紙だった。
 エディラーグの神殿長は、薬学書でシルフィールに恩が売れないと知ると、今度はミレイをサイラーグ神殿に派遣することで何とか好印象を持たれようと足掻いているらしい。
 まさに恩着せがましいとはこのことだ。
 しかも、言っては悪いが人身御供として差し出されたミレイ本人は、当然ながらそんなことは知らなかった。
 ミレイは神殿で薬草学を学んでいたとのことで、ゼフィアとの面識もそこから来ているらしい。魔道の才能はからきしだが、薬草に関してはシルフィールよりも詳しいようだった。
 ただ、そそっかしいのを自覚しているのか絶対自分で調合しようとしないあたりが、何だか笑いを誘う。
 ミレイはひとしきり神殿長を罵倒したあとで、結局手紙の通りにここに居座ることにした。
 そう決めた後でリアにこっそり、結構シルフィールさんって容赦なさそうであたし実は怖いんですけど―――と神妙な顔で告白してきたので、思わず笑ってしまった。
 にっこり笑って容赦ない手合いは、リアの周りにはなぜか多いので、ミレイの不安にはそのうち慣れるだろうとしか答えられなかった―――つまりリア自身もシルフィールのことについて否定はしなかった。
 神殿の中庭には、アーウィスとリア以外の人影はない。
 昨夜の霧のせいで、空気が湿っていて少し重たげだった。
 二合、三合と剣を打ちあわせてすぐ、アーウィスがリアに片手をあげた。
「やめだ」
 リアは軽く片眉をあげただけで、何も言わなかった。
 なんとなく理由はわかった。
「クーンの腕前だと本気になっちまう。手合わせにならない」
「それでも手合わせというものはできるはずですけど」
「んーとな」
 アーウィスは困ったように後ろ頭をかいた。
「手合わせができる手加減具合を、俺もあんたもよく知らないというのが問題だな。俺はこれで喰ってきたから相手に手加減なぞしないし、したとしても生かしておこうという目的があっての手加減だ。クーンのほうはクーンのほうで、自分より上の相手としか打ちあったことがないだろう? 手加減どころか本気ださないと負けるような相手とだ」
「わかりますか」
「ああ、わかるな」
 たしかに、いつも手合わせの相手は父親かゼルガディスだった。
 母親のほうはあくまでも魔道の補助という目的の剣技だったので、リアが上達するにつれて勝負にならなくなった。
 神殿の中庭にある石段に腰かけて、アーウィスは苦笑した。
「まあ、俺もクーンの親父さんについてはシルフィールから話を聞いているから、あんたとの手合わせに興味があったんだがな。やめだ。これじゃどっちかが怪我をする。女の子に傷をつけるのはあまり俺の趣味じゃない」
「父さんは、もっと―――強いです」
 それこそ比べものにならないほどに。
 リアはゼルガディスにもまだ勝てない。
 弟子は師匠に勝てないものだが、やはり勝ちたいものだ。
「だろうなあ。なにせ伝説になってるぐらいだからな」
 顎の下をさすりながらアーウィスがぼやいた。
「第一、クーンの剣見てりゃわかるからな」
 リアは軽く目を見開いた。
 わかるものなのか。
「さっきの最初の打ち込みの時ヒヤッとしたからな、あんなの軽くあしらえるような技量っていったいどんなことすりゃ身に付くんだか」
 遠回しに誉められているのだろうか。
 アーウィスは怒るときには怒るが、後には引きずらない性質のようだった。抗論したのは昨日の深夜のことなのに、何もなかったかのようにリアと相対している。
 ―――大人だ。
「弟さんのほうも剣をやっているのか?」
 リアは黙ってうなずいた。
 五つ年下の弟の顔が思い浮かぶ。
 旅に出たときはまだ子どもだったが、ちょうど成長期に突入している頃だ。だいぶ背とかも伸びて面変わりしていることだろう。
「多分、父さんの跡を継ぐのは弟のほうです」
 それからリアは言い足した。
 父さんや弟に跡継ぎ云々の考えがあればの話しです―――と。
 リア自身にも何かを伝えられているという自覚はないのだ。おそらく父親も弟もそうだろう。
 父親も子どもが剣を習いたいというから教えただけだろうし、子どものほうもたまたま剣を習う相手が父親だっただけの話だ。
 自分が持っている斬妖剣を子どもに継承するなどということは、微塵も思いついてないに違いない。
 だいたい父親はリアを猫かわいがりしていて、小さい頃は刃物を扱わせてくれなかったのだ。
 リアはリアで剣が習いたかったから、父親が教えてくれないならと、勝手にゼルガディスのほうに教えを請うた。
 そのせいで最初から父親に教わっている弟とは微妙に型が違う。師匠が二人いるようなものだ。
 それはそれでいいと思っているが。
「にしても、クーンは尋常じゃない強さだなァ」
 膝に頬杖をつきながら、アーウィスは笑った。
 リアは首を傾げる。
「そう―――かな」
 とてもそうは思えない。
 とても、そうは―――。
 だって。
 上には上が。
 リアの様子に、アーウィスは叱るような口調で言い聞かせた。
「あのな。上には上がいるけど下には下がいるんだよ。どこまで行ってもそんな感じだ。クーンの周りにはたまたま上ばっかいるから、お前さんは怪訝そうな顔をするが、俺からしてみりゃこの歳でこんだけ強けりゃ言うことないぞ」
 リアは反論しなかったが、納得もしなかった。
 たまたま上ばっかりが周囲にいるということは、つまりそこが基準になるということだ。
 他から見て自分が上の方に位置していることを知ってもどうにもならない。
 安心はできるだろうが、リアは安心したくないのだ。
 アーウィスは続ける。
「だいたいな、いちばん下ってのは何もないけど、上のある程度から上ってのは図抜けてるんだ。俺なんかとても及ばない。剣じゃなくて、料理とか絵とかでもいいけどな。そういうやつはたいがい、どこか一本飛んじまう。昔っから言うだろう? 何とかと天才は紙一重って」
 リアは笑おうとして失敗した。
 風がべたつく。
 気持ちが悪い。
「あたしは―――」
 アーウィスの表情が微妙に変化した。
 ―――なんだ。
 その表情の変化を見て、リアは納得する。
 自分はまだこんなにも諦めきれていないのか。
「そのある程度から上に行きたくてしょうがないんです」
 ゼフィアも諦めることをやめたようだ―――
 ただし彼と自分の方向は―――ひどく違うようだが。
 アークのひどく哀しそうな顔が、頭のなかに浮かんだ。
 やはり長居はやめておこう。
 ぼんやりとそう思った。



 赤蕪を切りながらミレイは神妙な顔で隣りのシルフィールを見た。
 サイラーグ神殿のほうに異動となってから三日ほど経った昼下がりのことである。
 調理場には暖かい湯気がもうもうとたっていて、大鍋の向こう側で当番の神官がスープをかき回している。
 シルフィールは一晩水に漬けて戻した豆を下味を付けた鳥肉と一緒にしているところだった。
 本来なら料理当番など廻ってこない地位にいるはずなのだが、廻ってこないならこないで気が向けばいつでも手伝っているらしい。
 気さくな人だ。
 ちょっと怖いけど。
「あのう………」
「はい」
 シルフィールは手を止めてミレイのほうを見た。
「その赤蕪、早く切っちゃってくださいね。こっちと合わせて煮ますから」
「あ、はいっ」
「手は切らないように気をつけてくださいね」
「はいッ!」
 ミレイは顔を真っ赤にした。
 言った途端、手が滑って包丁がダンとまな板の上で大きな音をたてる。
 何も言わない方がいいと判断したらしくシルフィールは無言で自分の作業を再開した。
「それで」
「はい?」
「何を言いかけたんですか」
「あ」
 忘れていた。
「ええと―――クーンたち、行ってしまいましたね」
 リアたちは今日の朝、サイラーグを発ってセイルーンへと向かった。
 ミレイがエディラーグで初めて彼女たちと会ったときとは違って、どちらかというとゼフィアのほうが迷いのない顔をしていたのが気にかかった。
 やはり、あのアークという女性に遇ったことがリアのなかで何かの変化を起こしたのだろうか。
 短い間だったが、リアとミレイはよく話した。
 ミレイが思っていたよりもリアはとっつきやすい人柄だった。
 何も知らずに外見だけ見ていたときよりも、魔法が使えて、剣も使えて、ますます美人で。
 ―――だけど歳よりずっと幼い子どものように見えた。
 これはミレイの錯覚なのだろうが、下手をすると一緒にいるユズハよりも年下に見えるときがあるのだ。明らかにユズハのほうが幼い外見をしているというのに。
 もっとも―――ユズハの正体を聞く限り、実年齢は定かではないのだが。
 シルフィールが何かのソースを鍋に入れながら何気なく言った。
「ミレイはセイルーンには行かないんですか」
 赤蕪が包丁とまな板の間で思い切り滑った。
「あたしが !? ど、どうして、どうやって !?」
「どうやってって、徒歩か馬車で」
「そそそうじゃなくて。あたしは神殿の巫女で―――」
 巫女や神官という者は、所属している神殿の用事でもない限り、みだりにどこかに出かけてはいけないものである。
「まあ、それもそうですね。巫女をやめるとか、巡礼の旅に出るとかしないといけませんね」
 あっさりシルフィールはそう言って、目だけで笑った。
「どうして、のほうは理由は自分でわかっていますでしょう?」
(この人やっぱり素敵な性格をしてらっしゃるわ………)
 そのことに関してはリアと話しているうちに、もはや吹っ切れている。
 切った赤蕪を片端からシルフィールの手元の鍋のなかに放り込みながらミレイは言った。
「ゼフィア様、お目が見えるようになったら帰ってきてくださいますし。あたしのほうはここで薬草の研究でもしながら待っています」
 ミレイのさっぱりした様子に、シルフィールは軽く目をみはって、次にそうですかと笑った。
 イヤじゃない笑い方で、ミレイはそれを見て何となくホッとした。
 ミレイが赤蕪を切り終わってそれを全部鍋に入れてしまうと、シルフィールは後を当番の神官に頼み、今度は山と積まれた百合根の下ごしらえをし始めた。
「リアちゃんのお父様はわたくしの古い知り合いなのです」
「シルフィールさんの?」
 会話からしてそうではないかと思ってはいたが。
「このサイラーグに神聖樹を植えた光の剣の勇者の末裔なのです―――といっても、もうあなたの歳ではフラグーンなんて見たことがないんでしょうね」
「はい。ありません」
 ミレイは罰が悪そうにうなずいた。
 彼女が物心ついたときからサイラーグは復興中の水の街だ。
「リアちゃんの容貌は間違いなくお父様のガウリイ様似です。瞳の色は母親のリナさん譲りですけど、髪の色といい目許といい、ほんとそっくりで………」
 百合根と包丁を両手に持ったシルフィールの顔が、どことなくうっとりとしている。
 それを見て、漠然とながらリアの両親とシルフィールの関係がわかったような気がした。
 どうやらミレイには、怖くてあまりつっこめない関係のようだ。
「弟のティルトくんのほうはリナさん似ですね。もう長いこと会っていないのですけど」
 ほっておくとそのまま昔話に突入しそうなシルフィールに、ミレイは何気なく訊いてみた。
「シルフィールさん」
「はい。何です?」
「あたし、勝ち目あると思います?」
 シルフィールは珍しく、返答に窮したようだった。



 ユズハはジッと自分の両手を見おろして、それから大気に目をやった。
 少し濡れたような空気の向こう側の空は、蒼く、ぼんやりと霞んでいる。
 あまりはっきりしない空の色だ。
「………変わル」
 ユズハはぽつんとそう呟いて、それから首からかけた六紡星のペンダントを握りしめた。
 もうところどころ銀が黒く変色してしまった、古びた魔除けのペンダントだ。
 自分が在って、世界が在る。
 在って、在るもの。
 それはひどく相対的だ。
 向こうが変わればこっちも変わる。
 こっちが変われば向こうも変わる。
 ただそれだけだ。
 いったい、それ以外の何を識ろうと?
 立ち止まったユズハを少し離れた道の先から呼ぶ声がした。
 つい先刻、アークと似てるの似てないのと言い争った相手だ。
 ―――クーン。
 彼女が自分を選んだのではなく、自分が彼女を選んだのだ。
 それもまた、ただ自分のうちにその事実が在ればいいだけのことだった。
 自分が在って、世界が在るのだ。
「いま行ク」
 ユズハはぬかるんだ街道を走り出した。