子どもたちは眠れない 〔2〕
「叩き出せ、ンなもん」
夕飯を食べながら事情を聞いた母さんは、あたしとそっくし同じ事を同じ口調で言った。
やっぱし、こういうあたり親子なんだなあとしみじみ思う。こんなことで実感してどうするるんだあたし、とは思うけど。
「で? そのおめか―――女の人はまだ王宮にいるのか?」
母さんに睨まれて、慌てて途中で代名詞を変更した父さんが、あたしとティルトに訪ねた。
多分、お妾さんって言おうとしたんだろうな………。
クリームシチューをまだ飲みこんでいなかったので、あたしは無言で首を横にふった。
「何、ホントにアメリアが叩き出したの?」
目を丸くして母さんが逆に聞き返す。これにはティルトが答えた。
「とりあえず、セイルーンの高級宿屋に留め置いてるんだって」
本当なら寝ぼけた人のタワ言で済むような話のはずなのだが、事態はややこしかった。
非常にマズイことに、こともあろうに、その女の人が―――ラウェルナと言ったが―――ゼルさんの知っている人だったのである。
………言い方がかなり悪すぎるかも、我ながら。
訂正しよう、うん。
言い直すなら、ゼルさんはラウェルナのことを知らなかったけれど、向こうはゼルさんを知っていた。
これはあたしも母さんから聞いた話だから詳しくは知らないけれど、ゼルさんは昔、赤法師レゾという有名な人のところで働いていたらしい。そんでもって、さらに詳しくは聞いてないけれど、その赤法師レゾに違う体に変えられて、元に戻る方法を探しているときに母さんや父さん、アメリアさんと出逢ったらしい。
いまは元の姿に戻れて、黒い髪に蒼い目の、父さんに負けないくらいハンサムな人になってるけれど。
これがどういうことかというと、このラウェルナという女の人、母親を赤法師レゾの奇跡とやらで治してもらったらしいのだが、そのとき後ろに控えていた、まだ人間だった頃のゼルさんを見たことがあって覚えていたというわけである。
………大人未満のあたしが言うのもなんだけど、それって本当にどーでもいい縁だと思うな………。
しかもン十年も前の話である。ゼルさんが顔知らなくても当たり前だ。聞けばゼルさん、合成獣になる前の記憶は曖昧だって言うし。
このラウェルナもラウェルナである。よく考えなくても、ゼルさんは(事実はどうあれ)世間的にはセイルーンに婿入りした形である。いわば外戚。普通に考えて、セイルーン側のほうが力が強い。ゼルさんが妾なんかもてるはずがない。
おまけに、セイルーン側がそんな圧力をかけずとも、うちの両親を上回る仲のいいあの二人に浮気だの妾だのあるはずがない。聞けばアメリアさんとゼルさん、出逢ってから結婚まで実に十年はかかった大恋愛だっていうし。あの二人にそんなことあったら、多分この世の終わりだ………と、あたしは思う。
というわけで、本来なら寝言は寝て言えと、一笑に付されてラウェルナは放り出されるはずだったのだが………。
事態がややこしくなったのは、ひとえにこのラウェルナという爆弾で、アメリアさんと視察から帰ってきたゼルさんが大ゲンカをしてしまったせいである。
すぐに仲直りするだろうと娘二人を含む周囲の人間は思ったらしいのだが、滅多にケンカしないだけに、異様なほどこじれてしまったらしい。
これにゼルさんをいまだに良く思っていない一部の諸侯や大臣連中や、その他もろもろの人たちの思惑が絡まりあって、ラウェルナの立場は宙に浮いてそのまま宿に留め置かれ、事態は途方もなく大きな騒ぎになっているというわけだ。
………改めて言うのもなんだけど、アセリアとユレイアが半泣きだったのもわかるような気がする、これ………。
事態の早期解決を目指そうとするのも無理はない。時間が経てば経つほどややこしく、またゼルさんの立場が悪くなる。
「どうするんだ、リナ?」
ラァを膝の上に乗っけて、冷ました鳥肉をやりながら父さんが言った。
「ほっとく」
「母さん!?」
母さんはあたしに向かってぴこぴこスプーンをふった。
「いい? これは確かにあたしが出ていくとよけいにこじれるわ。ユレイアの判断は正しいわね。アメリアはともかく、ゼルをあたしはどうにもできないの。意固地になったゼルを納得させてなだめるなんて無茶よ。しかもこの分野の話で。かといって―――」
ちらっと視線を横にやる。
「ガウリイにゼルを何とかできると思う?」
『思わない』
あたしとティルトは即答した。
「お前らなぁ………」
父さんがジト目であたしたちを見る。
「でもかあさん、ほっとくと時間がかかりそうだぞ?」
五杯目のシチューを食べながら、ティルト。
お願いだから、口の中の食べ物がなくなってからしゃべってちょうだい。
「あんたたちにまかせるわ」
「………ちょっと待ってよ母さん。子どもだけでどうしろっていうのよ」
香茶を淹れるために立ち上がった母さんはちょっとだけ苦笑した。
「だって、ねえ。これはケンカの理由が見える大人じゃ下手に手を出せないわよ。これは。恐らく最初はアメリアが悪いしね。まあ一概にそうだとは言い切れないけど」
あたしは眉をひそめた。隣りのティルトも不思議そうな顔をしている。
「どうしてアメリアさんが悪いってわかるんだ、かあさん」
「最初は、よ。いまはどっちも。
―――ほらね。そこらへんの道理がわかってない子どもの方がまだ何とかなるってば。というわけで、まかせたわ」
父さんを見たが、父さんは相変わらずラァに餌をやっている。
………何だってあたしとティルトが、ゼルさんとアメリアさんのケンカの仲裁に走り回らなくちゃいけないんだろう。
―――ま、いいか。
アセリアとユレイア困ってたし。………ユズハは相変わらず何考えてるか謎だけど。
香茶のポットを片手に母さんが言った。
「ヒントあげる。ケンカはどうにもなんないわよ。ケンカ自体はね」
……………母さん。そこまでわかってるんなら母さんが何とかしてよ。
人数分の香茶のカップを棚から出しながら、あたしはかなり本気でそう思った。
翌日、あたしは一人でセイルーンの街に出た。
ティルトのほうはと言えば、アセリアとユレイアの方につかせてある。
あの二人にしてみればゼルさんとアメリアさんのケンカはたまったものではないだろう。元の鞘におさまればどうにもなるだろうが、実際にケンカしている間は子どもにとってはひたすら居心地が悪いものだし。
ごく普通のブラウスとスカートで街を歩いていると、道行く人がふり返る。
市の立つ日だから、人通りが多い。
うーん。これはこれで困ったなぁ………。
父さん譲りの綺麗な顔立ちがちょっぴり恨めしくなるのはこんなときである。アメリアさんいわく、凄みのある美人なんだそうだ。あたしの顔。
―――本人よくわかってないけど。
案の定、ごろつき数人に路地に引きずりこまれそうになった。いくらセイルーンが治安が良いとはいっても、こういう奴らを完璧には撲滅できない。
「ケンカ売る相手はよく見なさいよねっ!」
呪文を唱えるのもめんどくさい。アメリアさんと、そのお師匠さまだというアセルスさん直伝の護身術でこてんぱんに叩きのめすと、ついでに懐を探る。
迷惑料、迷惑料♪
そうしていたとき、不意に視線を感じてあたしはふり返った。
「だれ?」
簡素な婦人服の女の人が、呆気にとられたように路地の入り口に立っている。その人が壁になっていて、通りの誰も、あたしとごろつきには気づいていないようだった。
磨いた銅貨みたいな髪に同じ色の目。
注がれる視線に居心地が悪くなる。
ようやっと女の人は口を開いた。
「あなたって強いのねぇ」
……………あのぅ?
あたしがぱしぱし目をしばたたいていると、決まり悪そうに女の人は弁解した。
「ごめんなさいね。あっと言う間に男の人たちをやっつけていくものだから、つい………」
はあ、そうですか………。
リアクションに困ってあたしが突っ立っていると、困ったように女の人は続けた。
「でも、お財布をとるのはいくらなんでも悪いことだと思うわ」
うあ、ばれてる。
「何か欲しい物があるんなら、私が買ってあげるから、一緒に市をまわらない?」
…………はい?
もはやどうしようもなく対応に困って、あたしは立ちつくした。
「ダメかしら?」
「あ、ええと………そういうわけにも………」
何せ、これからラウェルナとやらの顔を見に行く予定なのである。母さんの助言通り、ケンカ自体がどうにもならないなら、原因の方を何とかしようというわけである。
悠長に市などまわっている時間はない。
すると、何を勘違いしたのか女の人は手を打ち合わせた。
「そうね。ごめんなさい。名乗ってもいないのに不躾なことを言ってしまったわね。私はラウェルナっていうの」
………………………………嘘ぉ……………。
あたしはたちくらみを起こして、しゃがみこんでしまった。
あたしは困っていた。
これ以上もなく、果てしなく困っていた。
理由は簡単である。
このラウェルナさん、どう見ても悪い人には見えないからである。
いきなりさん付けしてるしね、あたしも………。
あたしと一緒に市をまわりながら、よく笑うしよくしゃべる。刺繍が好きらしく、染めた刺繍糸が山と積まれた露店の前に立ったまま、いつまでたっても動かない。
いまもあたしの目の前でお茶を飲みながら、にこにこ笑っている。
なんだか、ぽややんとした人だ。
かなり真剣に同名の別人だったのだろうかと思って、さり気なくどこに住んでいるのか訪ねたら、昨日ユレイアたちから聞いた宿屋の名前をあげる。
あたしが途方に暮れた理由をわかっていただけようか。
どこをどう見ても、天地がひっくり返っても、いきなり妾にしてくださいと押し掛けるような性格の人には見えないのである。
何を間違ってこの人、ゼルさんの妾にしてくれと言ってきたんだろう………?
あたしはちらりとわずかに視線を動かした。
オープンカフェの向かいの路地に、人目にはつかないが数人の人間が散らばっている。
当たり前といえば当たり前である。ラウェルナさんをほったらかしにしておくはずがない。
しかし、王宮は特にこれといった指示を出してはいないはずだから、諸侯や大臣たち子飼いの人たちだろう。
………なんせ王宮、指示出す人たちがケンカしてるし………。
「リアちゃんはここの人なの?」
なんか、こう………天使に粉砂糖をふりかけたような笑顔で、ラウェルナさんがあたしに尋ねた。
―――ちなみにあたしは本名を告げている。この人があたしと母さんを見比べて呼ぶ機会はおそらくやってこないだろうから。
あたしは首を傾げてみせた。
「小さい頃はエルメキアのほうにいたけど、いまはずっとここに住んでる。だから、半分くらいはここの人かも。ラウェルナさんこそ、いまは宿屋がおうちなら、本当はどこに住んでいるの?」
さらりと聞いたあたしに、何の疑いも持たずにラウェルナさんは微笑んだ。
「クーデルアに住んでいたの」
………確かセイルーンと国境を接している沿岸諸国連合のひとつだったっけ。
位置的にはセイルーン属国である、アセルスさんやその弟のリーデットさんたちのマラード公国のすぐ右隣あたりだ。
しかし、"住んでいた"と過去形なのはどういうことだろう。
「いまは違うの?」
無邪気を装ったあたしの問いに、ラウェルナさんはフッと顔を曇らせた。
「あなたぐらいの歳の男の子と住んでいたんだけれど、病気で亡くしてしまったの。思い出すと辛くなるし、そんなのってあまりいいことじゃないでしょ? 引き払ってここに来たの」
最後の方は冗談めかして笑って言ったけど、あたしは笑えなかった。
妾になりにきたと言うわけにもいかなくてついた嘘には、どうしても聞こえなかった。
なぜならあたしは、どうしてセイルーンに来たのかと訪ねたわけではなかったからである。
これは………何だか………。
「セイルーンは良いところでしょ? アメリア王女さまもその旦那さまもとってもとっても綺麗で優しいって評判なのよ。きっとどこの国にも負けないわ」
あたしはさらに猫をかぶった態度でカマをかけた。
ラウェルナさんの人柄を思うとちょっりし良心が痛むが、彼女が妾騒動を引き起こしたことは事実である。
案の定、ラウェルナさんのカップを持つ手が一瞬だけ制止した。
「ええ、とっても良いところね。話に聞いていた通りだわ。クーデルアとは大違い」
「クーデルアってどんなところ?」
「何もないところよ」
………おや?
故郷を語るにしては、その口調が堅すぎる。
あたしの顔を見て、ラウェルナさんはその表情を苦笑に近いものにすりかえた。
「住んでいた私が言う事じゃないかもしれないけれどね。何もなくて、寂しくて静かなところよ。お隣りのマラードのほうが活気があっていいわね。私は静かなほうが好きだけれど」
ますます違和感が強くなる。
それを隠して、あたしはしばらく他愛ない話を続けた。クーデルアの話を聞いた代わりに母さんの実家のゼフィーリアの話題なんかを持ち出して。
「静かなところが好きなら、セイルーンじゃなくてもっと違うところにしたほうがよかったんじゃないの?」
「ん………そうね。でも人が多い方が寂しくないでしょう? それに、刺繍やそのお道具はクーデルアとは比べ物にならないくらい良い物がたくさん揃っているし」
ラウェルナさんは溜め息をついて、テーブルの向こうに視線を投げた。
気づいている、この人は―――自分を監視してる者たちの存在に。
その唇から言葉が洩れる。
父さん譲りの五感の鋭さがなければ、危うく聞き逃すその呟き。
「本当に………刺繍糸だけね。来てよかったと思えるのは」
しばらく雑談してラウェルナさんと別れたあとで、あたしは頭をフル回転させ始めた。