子どもたちは眠れない 〔3〕
夕方、王宮に戻ると、ユズハを含めた四人がばたばたとあたしのところにやってきた。
今日ラウェルナさんを見に行くことはティルトにしか言ってないし、ティルトもしゃべるはずがないから、報告を求めにきたわけではない。
ので、どうして走って出迎えるのかがさっぱりわからない。
そういえば、空気がますますギスギスしているよーな………?
「クーン姉さま!」
「クーン姉上ッ」
双子が異口同音に名前を呼んで飛びついてくる。ちなみに、若干口調が堅苦しいほうがユレイアだ。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ?」
ティルトに目で問うと、弟は首を横にふった。
「今度はゼルさんとじゃないよ。イルニーフェさん」
…………嘘ぉ。
新たなる騒動ですか?
しかも、よりによってイルニーフェさん?
イルニーフェさんは、ちょっときつい感じのする女の人で、さっきちょっと話にでたアセルスさんの弟、リーデットさんのその………何というかパートナーである。
リーデットさんがマラード公国の公主だから、イルニーフェさんはその公妃ということになる。でも、あたしが見る限り、どっちかと言うと、うんと年の離れた友人同士みたいな感じで、全然夫婦らしくない夫婦だ。
あたしの口調が歯切れが悪いのもそのせいだ。
旦那さんだの奥さんだの夫婦だのという言葉があれほど似合わない人たちもいないだろう。
もちろん仲が悪いわけじゃなくて、雰囲気の問題なんだけれど。
それで、そのイルニーフェさん。実はゼルさんと同じ市政の人らしい。だけど、ややこしい政治的な判断とやらで、すったもんだのすえにセイルーン王家に養女に入り、マラード公国に降嫁という形をとっているから、アセリアたち双子にとっては義理の叔母さんにあたる。
たしかいま二十三、四じゃなかったかしら。あたしと十くらい歳が違うから。うん、そのぐらいだろう。
ユズハとはいつまで経っても子どものようなケンカをする人だ。
ちょっとおっかない感じはするけど、根は優しい人………だと思う。
ティルトの話から予想するだに、アメリアさん、もしかしなくても今度はイルニーフェさんと………。
「ニーフェさん、こっち来てるの?」
仮にも一国の公妃である。それなら先触れの使者とかがあってもよさそうなものなのだが。
ユズハが首をふった。
「違ウ。う゛ぃじょん」
「どうしましょうううぅぅ。母さま、今度はニーフェ姉さまと喧嘩なさったんですうぅぅ」
今度はアセリアが涙目で訴えてきた。ぎぅっと抱えられたユキハはかなり迷惑そうである。
………どうしてそんなに荒れてるの、アメリアさん。
いや、ゼルさんとケンカしてるからなんだろうけど…………。
イルニーフェさんのほうも、気が短いところがあるから、ケンカに至る可能性は充分あるにはあるんだけどさ………。
「つまり、ヴィジョンで連絡を取ってきたニーフェさんと、その応対に出たアメリアさんがケンカをしたの?」
あたしの言葉に、ユレイアがうなずいた。
「ヴィジョンルームからケンカ腰の声が聞こえてきて、憤然とした顔の母上が出てきたのを、衛兵の人が見ているんです」
「原因は?」
ティルトが首をふった。
「わかんない。ほら、イルニーフェさんもカッとなっちゃう人だから、すぐにヴィジョン切っちゃったらしくて」
あたしは頭を抱えたくなった。
なんだかなぁ………どんどこ事態がこじれていってる気がするぞ。
「せあ、泣かナイ」
ユズハの声に視線をやる。
あーあ。アセリア泣いちゃってる。
ユレイアが絶対泣かないのと違って、アセリアのほうはすぐ泣くからなぁ。
「ほらほら、泣かないの。ゼルさんとのケンカと、ニーフェさんとのケンカは関係ないんだから。ニーフェさん、すぐ怒っちゃったりする人だけど、ちゃんと謝ってくれる人でもあるんだから、明日あたりまた連絡があるわよ」
「クーン姉さまぁ……」
あたしは溜め息をついて、ティルトのほうをふり返った。
「ティル。あたし今日はここに泊まってくけど、あんたどうする?」
放って帰るのもかなり寝覚めが悪い。
ユズハがいてはくれるだろうが―――十四年間あたしは彼女とつきあってるが、そのあたしが見てもユズハの情緒面、いまだに難がある。ケア的には万全とは言い難い。
ティルトはしばらく迷っていたようだったが、結局は家に帰ると言った。
「そういえば、姉さんはその………会えた?」
ティルトはそっと耳打ちしてきた。もはやラウェルナさんの名前は王宮内では禁句となっている。
「………その話はまたあとでね。あんたも帰るんなら夕飯前にしといたほうがいいわよ」
ティルトの反論を封じると、あたしは双子の世話役の女官さんに今日は泊まることを伝えようと探し始めた。
次の日、本当にイルニーフェさんから連絡があった。
だけど謝りにきたんじゃなさそうだ。
なぜなら、アメリアさんとゼルガディスさんが二人とも執務にかかずらっている朝の時間帯にヴィジョンで連絡してきて、ユレイアとアセリアを指名してきたのだ。
もちろん、あたしはヴィジョンルームには入れないから、扉の外で衛兵さんと世間話をしながら二人が出てくるのを待っていた。
ユズハはどこいったのか、姿が見えない。アメリアさんのところかな、もしかして。
しばらくするとユレイアが出てきて、あたしの手を引っ張った。
「ニーフェ姉上が、ひさしぶりにお話したいそうです」
………おや?
有無を言わさずヴィジョンルームに引きずりこまれると、そこには真剣な顔のアセリアとイルニーフェさんがいた。
どう見てもひさしぶりにお話したいって顔じゃない。
『おひさしぶり、クーン。リナは元気かしら?』
「父さんも母さんも、ついでに弟もかなりの勢いで元気です。
―――それで、どうしてアメリアさんとケンカしたんですか?」
イルニーフェさんの表情が苦虫を噛み潰したようになった。
『どうもこうも。ゼルガディスとケンカしたって言うから、さっさと仲直りしなさいって言ったら、図星つかれたアメリア王女が怒ったの。あとは売り言葉に買い言葉。おかげで用件言う間もなく話が終わっちゃったわ』
相変わらず身も蓋もない物言いをする人である。きっとこの調子でアメリアさんにも忠告したんだろう。
………たぶん、それは怒るな。うん。
「じゃあ、言いそびれた用件を言うためにアセリアたちを呼んだんですか? フィルおじさんは?」
『………苦手なのよ。昔、脅迫したことがあるから』
………どうやってあの老ドワーフみたいな人を脅迫したんだろう。
というか、セイルーンに養子に入る前にいったい何をやらかしたんだろう、この人………。
気にはなったが、話の主筋には関係がない。
『ゼルガディスもアメリア王女とケンカしている以上、理性吹っ飛んでるでしょうから、アセリアたちの方に言っておこうと思って。クリストファ殿下とはあまり親しくないし』
さて、ここからが本題である。
あたしはイルニーフェさんに尋ねた。
「どうしてここにあたしを呼んだんです?」
アセリアたちに用件を伝えたのなら、あたしを呼ぶ必要はない。
まさか本当にしばらく会ってないから話をしたいわけではないだろう。この人は無駄なことが大嫌いである。
イルニーフェは溜め息をついた。
『二人からケンカの事情を聞いてね。なーんかイヤな予感がしたものだから、あなたにも用件を伝えておこうと思って。あなたに話しておけば、リナにも伝わるでしょうし』
そういう理由ですか。なるほど。
『あのね、うちの国は沿岸諸国連合から強引に分離してセイルーン傘下に入ったおかげで、いまでも諸国と仲が悪いのよ』
それは知っている。アセリアとユレイアの世界情勢の授業の先生は何と実父のゼルさんとうちの母さんなのである。そのため、あたしとティルトも双子につきあわされることが多かった。
だけど、何で急にこの話をし始めるんだろう?
『それで、今回の用件はマラードと沿岸国のひとつとの睨みあいに、そっちが巻きこまれそうだ、という忠告よ』
ゆっくりと。
あたしのなかで、ひとつの国の名前が浮かび始める。
『変な動きをしているから気をつけろって言ってしまえばそれまでなんだけれど、どうもマラードとセイルーンの関係にヒビを入れたいらしいのよ。ついでに言うならそっちに取り入りたくもあるらしいわ。どういうふうに動いてくるかは謎なんだけれど。
こんなことを公妃のあたしが公的に言ったら大事になるから私的に伝えようとしたんだけど、肝心のアメリア王女は頭に血がのぼってるし』
「ニーフェさん」
あたしは彼女の言葉を遮った。
頭のなかで確信めいて繋がっていく事柄がある。
「その国の名前、クーデルアって言いませんか?」
イルニーフェさんの目が鋭くなった。
『どこからつかんだのかしら?』
「その妾に名乗りをあげてきたラウェルナって人は、クーデルアの出身です」
あたしの後ろで、アセリアとユレイアの息を呑む音がした。
九歳でもやっぱりこういうことには敏感だな。ちょっと可哀想な気もするけど。
黙っててゴメンね、二人とも。
イルニーフェさんが、やっぱりと言った顔をした。嫌な予感がしていたが当たってほしくなかったという顔だ。
ヴィジョンの向こうで頭を抱えている。
『ダメじゃないの………。もろ策略に引っかかってるし………』
それってアメリアさんとゼルさんのケンカのことを言ってるんだろうな。
イルニーフェさんの情報と照らし合わせると話は見えてくる。
しかし、思った以上に大事だ。この騒動。
「ニーフェさん。このラウェルナさんについて詳しく調べてもらえませんか。どうも会った感触では、すすんで妾になりにきたんじゃないようですから」
「クーン姉さま、ラウェルナって人に会ったんですかっ!?」
アセリアがヴィジョンとあたしの間に走りこんできた。
「どうしてわたしとユレイアに隠してたんですッ!」
ゼルさん譲りの薄い水色の目が怒ってキラキラ輝いている。
あたしは黙ってその目を受け止めた。
いまこの時にはぐらかすして答えていい話題かどうかの区別くらいは、あたしにだってつく。
「だって、アセリア。そのラウェルナって人のことキライでしょ?」
「当たり前ですっ。その人が来たせいで父さまと母さまは大ゲンカしてるんですからっ!」
「なら、あたしが会った感想で嫌な人だったって言っても、ますますキライになるだけじゃない。元からキライなんだから別に言う必要ないでしょ」
「―――じゃあ、もしクーン姉上はそのラウェルナって人のことを、良い人だと思ってたら?」
背後からユレイアの声がする。
はさまれてるなぁ。あたし。
イルニーフェさんは黙って事の成り行きを見守っている。
「それも言う必要ないじゃない。だってユレイアとアセリアにとっては、ゼルさんとアメリアさんをケンカさせた人なのよ。あたしが、実は良い人なのって言っても二人が困るだけじゃないの」
あたしは大きく息を吸って吐いた。
「まあ、でも………黙っててゴメンね。二人とも」
アセリアはまだ納得してない顔だったけれど、背後のユレイアの気配は穏やかになっていった。
イルニーフェさんが口を開く。
『何はともあれ、クーンがその人と会ったおかげで事の次第がはっきりしそうなんだから、あまりクーンを嫌いにならないであげなさい、二人とも』
「………はいぃぃぃ」
あ、まだ納得してないな、このぶーたれた答え方だと。
それにしてもイルニーフェさん、フォローも身も蓋もなさすぎ………。
『クーンの言った件、たしかに調べておくわ。結果が出たらまたこの二人宛にヴィジョンで知らせることにするから』
「なるべく早くお願いします。こっちはもぉ胃が痛くなるくらい空気が気まずくって………」
アメリアさんの義理の妹はあっさりと言った。
『アメリア王女が悪いわよ。リナあたりに泣きつけばよかったのに。ゼルガディスも悪いわね。へそ曲げなきゃいいのに』
………どうしてこう、母さんを含めた、ある程度年齢いってる人たちって、二人のケンカを見てきたように言うんだろう。
そんなにわかりやすい行動パターンしてるのかな、ゼルさんとアメリアさん。
それとも夫婦ゲンカっていうものがそういうものなのかな。
人生経験十四年のあたしにはよくわからないけれど。
『まあ、だいじょうぶよ。あれだけハタ迷惑な恋愛してたんだから、どうせ大したケンカじゃないわ。安心なさい』
そういえば、この人、アメリアさんがゼルさんとの結婚にこぎつけるまでの課程をリアルタイムで見ていた人だったっけ。
まあこの人がそう言うんならそうなんだろう。
しばらく幾つかの連絡事項をやり取りして、 ヴィジョンは切れた。
あたしは細く息を吐くと、アセリアとユレイアに向き直った。
「あたしんち、行こっか」
母さん。これはもはや、あたしたち子どもの領分じゃないぞぉ………。
「そりゃあ、そのラウェルナって人、おどされてるのね」
いともあっさり母さんは言った。
まだお昼前の朝のお茶の時間帯だから、あたしたち四人の前にはミルク入りの香茶と軽い焼き菓子がおいてある。
アメリアさんに似て、お茶に砂糖を大量投入しているのはユレイアのほうである。ゼルさんに似てストレートで飲んでいるのはアセリア。こういうのは遺伝って言わないんだろうけど、ホントおもしろい。
二人が一緒に連れてきたユキハとクレハは、ラァと連れだってどこかに行ってしまった。
「おどされているって、どうしてそんなことがわかるんですか?」
ユレイアが上目づかいに母さんを見た。
母さんは軽く肩をすくめた。
「だって、普通に考えてあんたたちの父さん―――ゼルがアメリア以外の奥さん持つわけないでしょーが。それなのに正面から妾にしてくださいって言ってきたってことは、自分からわざと失敗しようとしてるってことになるわ。
それはつまり、クーデルアの言いなりになってるのは非常に不本意だということ」
あたしも母さんと同じ結論を出していた。
ラウェルナさんは騒動となったその行動自体も、あたしに接する態度もどこかおかしい。一貫性がなくて、不自然なのだ。
恐らくクーデルアとしては、マラード・セイルーン間に妨害工作をする傍ら、ラウェルナさんを使ってセイルーン側に取り入る魂胆だったんだろう。だけどラウェルナさんがクーデルアの意図を無視した、こちらがわの警戒心を呼び起こすような接触の仕方をしたせいでその計画は滞り、そのうえ、ゼルさんとアメリアさんが予想だにしなかった夫婦ゲンカをしたものだから、事態はただいま混乱中………、と。おそらくそんな感じだろう。
うーん………ややこしい………。
あれこれ考えこんでいるあたしをよそに、アセリアのカップにお代わりを注いでやりながら、母さんは言った。
「ま、さっさと解決したいんならフィルさんあたりに言えば? ラウェルナって人を捕まえて終わるでしょうよ」
何か、いつもの母さんに比べて言い方が冷たい。
それに、あたしとしてはあまりあの人を捕まえてほしくないな。
だって、こういう母さんの推測を聞かされた後では、もう良い人確定だ。実際、良い人っぽかったし。
「捕まえてっ………て、それで終わりなんですか? クーデルアは?」
「ほっとかれる」
「何だよ、かあさん。それ」
「だって、責任追及したら戦争になるじゃないの」
…………うあ。母さん容赦なさすぎ。
アセリアもユレイアもティルトも真っ青な顔して黙っちゃったじゃないのよ。まだ三人とも九歳なんだぞ。
「そんなのって正義じゃないですうううぅぅ」
「うん。そうね」
母さんは苦笑した。
「まあ、でも正義はともかく、アセリアとユレイアは二人が仲直りすればそれでいいんじゃなかったの?」
「それは、そうですけど………」
「イルニーフェが動いてるんなら、セイルーンは何もしなくても、そのうち何とかなるわよ。だから、当面の問題はあんたたちの両親のケンカ」
「母さん、ケンカはどうにもならないって言ってなかった?」
「言ったけど、ここまで話が大きいんじゃ、原因のほうはどうしようもないでしょーが」
だけど、あたしはいまは原因のほうを、どうにかしたくなってきていた。
あたしは黙って立ち上がった。
「リア、どこ行くの?」
「ラウェルナさんのところ。もう一度会ってくる。母さん、焼き菓子ちょっと包んで持ってってもいい?」
「私も一緒に行ってかまわないですか? クーン姉上」
名乗りを上げて椅子から降りたのは―――ユレイアだけだった。
アセリアのほうはと言えば、固い表情でそっぽを向いている。
「まあ、あたしはいいけれど………ユレイア、行ってどうするの?」
テーブルよりやっと目線が上になるくらいの背丈から、ユレイアは真っ直ぐあたしを見た。
その顔は片割れのアセリアそっくりだけど、目はアメリアさん譲りの濃い青の瞳だ。
「おじいさまに捕まえてもらってもいい人かどうか、確かめます」
「…………やれやれ」
母さんがくしゃくしゃとユレイアの頭を撫でた。
「いったいあんたはどっちに似たのかしらね」
「でも、すぐにばれないかな?」
ティルトの指摘にあたしは唸った。
たしかにセイルーンの双子の王女は有名だ。しかもラウェルナさんはアメリアさんに会ってるから、ユレイアの顔を見ただけでバレるような気がする。
「何言ってんのよ。セットでいるから目立つのよ。単体で行けばわかりゃしないわ」
大胆なことを母さんが口にした。
そうかなぁ………うーん………。まあ、クレハもどっか行っちゃってるし………。
母さんが、アセリアを見て苦笑した。
「今日はティルと遊んでなさい。アセリア」
「わたし、会いにいくなんていってません!」
「うん、そうだったわね。ティル―――」
母さんにうながされて、ティルトが戸惑ったように立ち上がった。アセリアの手を引っ張って外に誘い出す。
アセリアとユレイア、二人とも外見はそっくりだけど、内面は全然違うことを改めて思い知らされる。
いまの状況がもしうちの父さんと母さんだったとしたら(ありそうにないけど)、あたしだってイヤだ。全然納得できる状況じゃない。そう思ったから、二人にはラウェルナさんと会ったことを黙ってたんだけれどね。
しかし、その納得できなさを表現するベクトルが、こうもばっきり別れるとは………。
どっちかっていうと、アセリアのほうが素直な反応だろう。ユレイアは前向きというか建設的ではあるが、ちょっぴり屈折気味かもしんない。
ま、何にせよあたしは行動あるのみだ。
ユレイアには念のために帽子をかぶせ、あたしは再びラウェルナさんの宿を訪れた―――