子どもたちは眠れない 〔4〕

〈Side:アセリア〉


 わたしはティルトを手を思いっきり振り払うと、ずんずん先へと歩いて行った。
 後ろから、ティルトがわたしを呼んでいる声がする。
 だけど無視。
 ティルトは間違いなく追ってきているのに、そのティルトの足音は全然聞こえてこない。
 ティルトの癖だ。ガウリイさんから剣を習っているティルトは、色んなことを他の大人の人たちよりもずっと上手にこなす。

 ざっ。

 ほっぺたを枝がかすめていった。少しひりひりする。
 ティルトたちが暮らしている家は、セイルーンの六紡星の少しだけ外にある。周りはみんな畑や丘や森で、そこで遊ぶのはすごく楽しい。
 いつもなら。
「アセリア」
「なんですっ」
 ふり返るとティルトがすごく困った顔でわたしを見てきていた。

 ―――わたし、すごくイヤな子。

 わたしが立ち止まったここは、切り開かれた森の中。
 たしか、新しい街道がセイルーンまで通るんだ。それがいつ通るのかはわからないけれど、それまでここはわたしたちの遊び場だ。次々に増えていく木の切り株に、開拓している人たちが時々忘れていく道具。王宮では考えられない無茶をしてもたいていは平気だった。
 ティルトはとても素早いし、クーン姉さまが危なくないようにしてくれる。
 いまは全然、楽しくないけど。
 わたしは木の切り株に腰かけた。
 ティルトが困ったように、隣りの切り株に座りこむ。

 わたしは何を怒っているんだろう?

「ティル」
 わたしは足下の枯れ葉をすくいあげるように蹴っ飛ばした。
「ティルならどうするんですか」
「どうするって?」
 ティルトがその真っ青な目を不思議そうにまばたかせた。
 ティルトの目はすごくキレイな青色をしている。わたしの目もユレイアの目も青いけれど、三人とも色が違う。ティルトの目の色は、お父さんのガウリイさんと同じ色をしている。
 母さまにティルトの目の色のことを言ったら、空の色ですね、と答えてくれた。
 たしかにうんと晴れた空の、いちばん高いところの色だと、わたしにも思えた。
 空が海を映すように、何でも映りこむその目のなかのわたしを見たくなくて、わたしはそっぽを向く。
「ティルがわたしなら、どうするんですか」
「オレ、アセリアじゃないよ」
「そんなことはわかってます!」
「わかってるんだったら、聞く必要ないと思うんだけど」

 ああ、またです。

 わたしはイライラとティルトをにらみつけた。
 ティルトは時々、こうやって会話が―――言いたいことが通じなくなるときがある。
 それは、ティルトがわたしたちと同じものを見ていても、私たちとは違うとらえかたをしているからだと母さまたちは言う。

 よく、わからない。

 いつもは全然気にならないけど、こういうときはすごくイライラする。
「アセリアは何を怒ってるんだ? どうして心配なんかしてるんだ?」

 ―――ひどい!

 あまりのことに、わたしはカッとなって立ち上がった。
「どうしてそんなひどいことが言えるんですっ。ティルは、ガウリイさんに近寄ってくる女の人がいて、そのせいでリナさんと喧嘩して、それなのに、実はその女の人は良い人なんだって言われたらどんな気持ちになるんですかっ。どうして心配できないの。どうして怒れないのっ!」
 ユレイアは一人でわかったような顔してクーン姉さまについていってしまった。

 わかってます。
 ほんとはわたしだってわかってるんです。
 納得しなきゃいけないんだって。おどされてるんなら悪い人じゃない。むしろかわいそうな人。おじいさまに告げ口して捕らえてもらうなんて、そんなことしちゃいけないことなんだって。
 わかってる。
 わたしだけわがまま言って、ティルトに当たり散らして、ひどく恥ずかしい。
 すごくイヤな子。

 わたしに思い切り怒鳴り散らされたティルトは、きょとんとして首を傾げた。
「だって、父さんと母さんじゃん。アセリアの方だって、ゼルさんとアメリアさんじゃん」
 言われたことが全然わからなかった。
 けれど、そんなことはおかまいなしに、ティルトは続ける。
「どっか行っちゃうわけないだろ。父さんと母さんで、ゼルさんとアメリアさんなのに。だから、わかんないんだよ。なぁ、どうしてゼルさんとアメリアさんはケンカしてるんだ?」
「どうしてって………」

 そんなこと、わからない。
 ラウェルナさんって人が原因なのはわかってます。
 わかってるけど、それが『どうして』なのかなんてわからない。

「アセリアは、どうして心配してるんだ? ゼルさんとアメリアさんのどっちかが、ケンカのせいでどっかに行っちゃうと思ってるのか? ずっと仲悪いまんまだと思ってるのか? アセリアは、本気でそう思うのか? ゼルさんとアメリアさんがそういうことするって、そう思うのか?」
「…………」

 きっと、いまこの場にクーン姉さまがいたら、相変わらずあんたの言語感覚は意味不明で直入すぎるのよ、とティルトの頭を叩いてる。たぶん。
 いつもそう。
 ティルトの言葉はひどくわかりづらいけれど、いつも真っ直ぐに正しいことを言う。

「アセリアは、そう思ってるのか?」
 同じ問いをくりかえされて、わたしはハッと我に返って叫び返した。
「思わない………思いませんッ、そんなこと思いたくなんかないッ」
「『思いたくなんかない』んじゃないんだよ。思わないんだよ。んなことあるわけないじゃん」
「…………ッ!」

 ―――んなことあるわけないじゃん。

「ティルのバカああああああああああああああああッッ !! 」
 わたしは思いっきり泣いていた。
 ティルトを馬鹿呼ばわりしたのは、えっと、勢いです。………たぶん。
 いきなり泣き出したわたしにティルトはびっくりしていた。
 いいです。このままびっくりさせておく。

 ティルトはずるい。
 いつだって、こうして簡単にたどりついてしまう。
 わたしもティルトもまだ全然子供。それなのに、ティルトはだれにもまねできないことをする。
 きっと、大人になってもティルトはこうなんだ。
 ずるいです。
 ………ずるいよぉ。

 頭の中がごちゃごちゃで泣いているわたしに、ティルトが言った。
「だから、ゼルさんとアメリアさんが悪いんだ」

 ―――え?

 驚いたわたしが泣いていた顔をあげると、ティルトは、だってそうだろう? と続けた。
「どっか行ったりするわけなんかないのに、ケンカなんかしている二人が悪いんだろ?」
「そ、そうなんですか………?」
 やっぱりティルトの頭のなかの展開にはついていけそうにない。
 へたりこむようにして、わたしはまた切り株に腰かけた。
「ラウェルナさんは、悪くないんですか?」
「悪いよ。でも悪くない」
「さっぱりわかりません」
「ああ、まただなオレ」
 真っ直ぐな栗色の髪をティルトが手でかきまわした。

 ティルトはいつもこうする。わたしたちに、自分の言葉が―――言いたいことが伝わらないとき、言葉を探して、いつも栗色の髪に手をやる。

「悪くない。ラウェルナさんが変なこと言ってきても、ゼルさんとアメリアさんがケンカなんかしなければよかったんだから。そうすればこんな大騒ぎになんかならなかった」
「じゃあ、何が悪いんです。それ以外に何か悪いことがあるっていうんですかッ」
「あるよ」
 ティルトはうなずいた。
「悪いヤツのおどしに負けたこと」
 わたしはひとつ、まばたきした。
「悪いヤツの言うことなんかを聞いていること。それが悪いことだよ。たとえそれがしかたなかったとしても」
「…………」

 ティルトはいつだって。
 つよい、ひかりだ。

 膝を抱えこんで、泣いたせいで重たいまぶたをぎゅっとそこに押しつけて、わたしはそれでもまだダダをこねた。
「でもやっぱり、ラウェルナって人はキライです」
「うん。それはしかたないかもしれない。でも、もう怒っても心配してもいないよな?」
「………はい」
 かさかさと、落ち葉が風に吹かれて移動していく。

 ………雪が降ったら。

 クーン姉さまの十五歳の誕生日が来たら、クーン姉さまは旅に出ちゃう。
 昨日みたいに、泣いてるわたしを慰めてくれなくなる。

「………父さまと母さま、早く仲直りしてほしいです」
「するよ。だから、それまでオレと姉さんとユズハとで待てばいいよ」
「………うん」

 泣いたら、ひどく眠かった。