子どもたちは眠れない 〔5〕

〈Side:ユレイア〉

 ―――クーン姉上の言ったとおりだった。


 私は、あったかいミルクのカップを抱えたまま目の前のラウェルナさんを見上げた。
「ユアちゃん、どうかした?」(私はラウェルナさんにユアと名のっている)
 その優しい顔を見ている自分が、ひどく後ろめたくて、私は首を横にふってラウェルナさんの視線をふりはらった。
 クーン姉上の言ったとおりに、ラウェルナさんは悪い人には見えなかった。
 近所で一緒に遊んでいる子だと言って、クーン姉上から私を紹介されたときも、手放しで歓迎してくれた。
 ミルクをひとくち飲んでから横のクーン姉上を見ると、ひどく困った表情をして、ね?と小さく肩をすくめた。
 クーン姉上が、私とアセリアに黙っていた理由が、なんとなくわかった。

 本当に、私たちに言ってもどうしようもないことなんだ、これは。
 ラウェルナさんが良い人なのは本当のことだし、彼女のせいで父上と母上がケンカしているのも本当のことなのだから。
 だから、私はどうすればいいのか、わからない。
 とりあえず、おじいさまに捕まえてもらうのはやめよう、と思った。
 もっと、何か別の方法でクーデルアの悪だくみを何とかしたい。
 そうして、父上と母上に仲直りしてほしい。
 でも、どうすればいいんだろう。
 子供って損だ。
 できることがものすごく限られている。
 早く、大きくなりたい。

 初対面の挨拶以外、黙りっぱなしの私を見て、ラウェルナさんは私のことを、ひどくおとなしい人見知りする子だと思ったらしく(たしかに人見知りするけれど、私はアセリアほどじゃない)、あれこれ気をつかってくれた。
 ひどく困ってしまう。
 本当に、優しい人だ。
「ユアは歌が上手なのよ」
 突然言われたことに、私は飲んでいたミルクでむせかえってしまった。
「まあ、だいじょうぶ?」
「………へ、へいき、です」
 クーン姉上はいきなり何を言い出すんだろう?
 たしかに私は歌うことが好きだし、その歌をみんなほめてくれるけれど、逆に"歌ってはいけない"とも言われているのに。
「クー………リア姉さん、急になに?」
 そう呼ぶように、とラウェルナさんに会う前に念を押されたが、どうしても違和感がある。
 私の横で、クーン姉上はそのキレイな顔を軽く傾けてみせた。
「ん、ちょっとね。ラウェルナさんも綺麗な声してるなーってぼんやり考えて、思いついたこと言っただけよ」
「私の声がきれい?」
 ラウェルナさんがきょとんと目を丸くした。
 次いで、笑い出す。
「リアちゃんにそう言ってもらえてうれしいわ」
「本当のことだもの。きっと歌とかよく唄うんでしょ?」
 クーン姉上の言葉に、ラウェルナさんは楽しそうにうなずいた。
「そうね。お天気がいい日に窓際に椅子を持ってきて刺繍とかをしていると、勝手に口が歌を唄っていることがあるわね」
 そう言ってくすくす笑う。
 私はカップの中のミルクに視線を落とした。

 ―――やめてほしい。

 そうやって、段々と"わかっていって"しまうと、本当にどうしていいのかわからなくなって、胸が苦しくなる。
 アセリアのように、そっぽを向いていた方が、よかったのかもしれない。
 何か行動しなければと思って、いつも私は空回りしてしまうんだ。
「よかったら、ユアちゃんの歌を聴きたいわ」
 話の流れからして当然とも言えるラウェルナさんの言葉に、私は慌ててしまった。
 歌ってもいいが、そのあとの責任がとれない。本当に。
 別に、歌うと周りの植物が成長したりとかするわけじゃないけれど、それでも騒ぎになってしまう。
 リナさんには、危険物取り扱い要注意、とまで言われたことがあるのだ。
 助けを求めてクーン姉上を見ると、
「あたしも聴きたいな」

 ―――全然助けにならなかった。

 それどころかあおっている。
「だって、私が歌うと………」
「いいから」
 そこで私は、クーン姉上の真紅の瞳が意味ありげにこっちに合図を送っていることに気が付いた。
 きっと何か考えているんだ。
 クーン姉上は、いつだって頼りになる。私たちを助けてくれる。
 開き直ることにした。歌うことは大好きだから、許可さえ出ればためらったりしない。
「じゃあ、ちょっとだけです………」
 何を歌おう。
 少しだけ迷ったあと、私は息を吸いこんだ。
 クーン姉上が耳を押さえるのが横目でちらっと見えた。

 ………やっぱり問題あるかもしれない。

 音を吐き出そうとした、その瞬間―――
 乱暴に部屋のドアが開いた。

「ラウェルナ殿 !! 」

 ものすごく怒った表情で、ドアを開けるなりそう怒鳴ったのは潰れたカエルのような中年の男の人だった。
 人を見かけで判断してはいけません、と母上からは言われているが、とてもイヤな感じのする人だ。
 ちなみに父上からは逆のような、実は同じような内容のことを言われている。
 ―――人はその目を見て判断しろ、と。
 外見を考慮せずに目を見ても、やっぱりイヤな感じを私は受けた。
 その人は、部屋の中の私とクーン姉上がいるのを見つけて、驚いた顔をして、次いで怖い顔でラウェルナさんを見た。
「この子どもたちは?」
「先日、市で知り合って仲良くなった子たちですの。お菓子を持って遊びに来てくれただけですわ」
 ラウェルナさんが強張った表情でそう答えた。
 私とクーン姉上を男の人の視線から隠すように椅子から立ち上がって、あいだの空間に立つ。
「ほほう、市でね」
「ええ。一緒に刺繍糸を選んでくれましたの。もう帰るところですから、お気遣いなく」

 ―――帰るように。

 そう言われているのが、私にもわかった。
 隣りでクーン姉上が立ち上がった。
 ラウェルナさんとドアから部屋の中に入ってきた男の人に向かって、にっこりと笑いかける。
 見慣れている私が見ても、クーン姉上の笑顔はいつも本当にとろけるような笑顔だ。
 ………たとえ心から笑ってなくても。
 男の人の顔が少しだけやわらいだ。
「ごめんなさい。お客さまがくる予定だなんて全然知らずに遊びにきて」
「あら、いいのよ。気にしないで」
 私も椅子から降りた。クーン姉上が私と手をつなぐ。
「ユアの歌はまた今度ね」
「楽しみにしてるわね」
 その声に見送られて、私はクーン姉上に手を引かれて、男の人の横を通り抜けてドアへと向かった。
 通り過ぎるとき、クーン姉上が男の人に会釈する。私もちいさく頭をさげた。
 階段を下りて宿を出て歩き始めても、クーン姉上はずっと私の手を引いたままだった。
「………クーン姉上?」
 見上げた横顔は、私のほうを見もせずにささやき返してきた。
「黙って。つけられてるわ」
 私は緊張して、ぎゅっとクーン姉上の手を強くにぎった。
「まくとまずいわね………普通のフリをして帰るわよ」
「………どこに?」
 まさか王宮には帰れない。
「どっか適当に」
 そう答えて、クーン姉上は通りを右に折れた。
「………やっぱり、悪い人がいるんですね」
「………そうね」
 露店に並べられている焼き菓子に目を奪われているフリをしながら、クーン姉上は相づちをうった。
 そう考えると、すとん、と気持ちが楽になった。
 父上と母上がケンカしているのはそいつが悪いからだ。
 だったら、ラウェルナさんが優しくて良い人であっても、胸が苦しくなることもない。
「………そういえば、どうしてさっき私に歌わせようとしたのか、訊いてもいいですか?」
「ん………ちょっとね。ユレイアの声って初めて聞いたときにはクラクラきちゃうからね。聴かせてそのあとでラウェルナさんの本音を聞こうかなって思ったの」

 ………私の歌声は自白剤なんだろうか。

 基本的にクーン姉上のことは大好きなんだけれど。
 こういうときは、少ーしばかり怖くなったりも、する。