子どもたちは眠れない 〔6〕
〈Side:アセリア〉
………わたしはどうやら迷子になったようです。
右を見ても左を見ても、ついでに上を見ても、さっきまで一緒にいたティルトとユレイアの姿が見えない。
あと、ユズハの姿も。別行動しているクーン姉さまはともかく。
今日は市の立つ日で、王宮にいるよりは市を歩きまわったほうが楽しいから、と言ってクーン姉さまとティルトが誘いに来てくれた。
イルニーフェ姉さまからの連絡は、さすがにまだ一日たっただけだから、来る様子もなくて、父さまと母さまのケンカも相変わらず。
………もっとも、ちょっと仲直りの傾向は出てたけど。
二人ともすっごく困った顔してますし。
昨日、あの後どうやらわたしは寝ちゃったらしくて、目を覚ますとリナさんのおうちのクーン姉さまのベッドの上だった。
聞けば、ティルトがおんぶしてくれたらしい。
………重くはなかったんでしょうか。
いや、実際重かったとか言われると腹立ちますけど、そこはそれとして。
そのとき、ユレイアとクーン姉さまはとっくに帰ってきていて、王宮に帰る途中でユレイアからラウェルナって人に会った感想を聞いた。
全然悪い人に見えなかったことも、イヤな顔の男の人がやってきたせいで帰ってきたことも聞いた。後をつけられたことも。
クーン姉さまがユレイアに歌わせようとしたというのには、ちょっとびっくりでした。
だって、ユレイアの歌を聴いて平気な顔をしているのは、ティルトとガウリイさんとユズハくらいで、あとはみんな"ぽかん"としたり"とろん"としたりする。
むずかしいことはわからないけれど、ユレイアの歌声は音楽的陶酔を最大限にひきだす歌声、らしい。
………言ってるわたしにもよくわかってない。
でも、ユレイアの歌を聴くと、すごくふわっとした良い気持ちになるから、そういうことなんだろう。
そのユレイアに歌わせようとした張本人のクーン姉さまは、イヤな顔の男の人のことを調べてみると言って、市に来るなりわたしたちとは別行動をとった。
わたしもユレイアもついていきたがったけれど、当然ながらダメだって言われた。
いまこうして迷子になったからには、ひとりでラウェルナって人を見に行くのもいいかなと思ったけれど、わたしはその人が止まっている宿の場所がわからない。
住所自体はわかる。だけど、わたしは住所だけわかっている場所にたどりつけたことが一度もない。今回だけ例外が起きるとは思えなかった。
ユレイアに言わせると、わたしは方向音痴らしい。
ユズハと二人で行動させると、どこに行くかわからないと言われる。
「………どうしましょう」
わたしは首を傾げたけれど、目の前を次々と通り過ぎていく人たちは、みんな知らない人たちで、ティルトたちと出会える可能性はかなり低そうだった。
とりあえず、一休みしていた造花売りの露店の脇から立ち上がって、わたしはほてほてとあてもなく歩き出した。
「………先に帰っちゃったほうがいいんでしょうか」
リナさんたちのところに帰れば、わたしとはぐれたって報告にきたティルトたちと間違いなく出会えるはずだし。
そう思うと気が楽になった。
出会えなくてもいいから、一人で市を見て回ろうという気になる。
屋台で焼き栗を買って、受け取りながらティルトたちのことをたずねると、答えが返ってきた。やっぱりというべきか、めちゃくちゃ可愛いユズハは目立つし、わたしと同じ顔のユレイアがいるから、わたしが何も言わなくてもティルトたちが立ち寄っていた場合、はぐれたのかと勝手に向こうから訊ねてくれる。
太ったおばさんは袖をまくった手で、市の奥の方を指さした。ここを通ってからまだそんなに時間はたってないと言う。
いまなら追いついて、再会できるかもしれない。
わたしは焼き栗の袋の口をねじってこぼれ出さないようにすると、首に巻いていた薄いショールで包みんだ。さっきまで焼かれていたから、とっても熱い。
そうして広場を横断するために走り出す。
市の立っているのはここの広場だけではなくて、ここから出ている通りとその先にあるもうひとつの広場もだから、いま捜し出せないと本当にもう出逢えない。
ぎゅうぎゅうの人混みを抜けて、ポケットみたいなぽっかりした場所に出て、両膝に手をついてホッと息をついたときだった。
行く手の人混みのなかを、ちらっとカスタードクリームみたいな色の帽子がのぞいた。
「ユズハ?」
尖った耳を隠すためにユズハは人前では帽子をかぶる。その帽子の色は髪と同じクリーム色だ。あれはたぶんユズハだ。膝に手をついていたせいで、わたしの視線はちょうどユズハと同じぐらいになっているし。
わたしの声に気づいたのか、そのカスタードクリーム色の帽子が揺れて、こっちを向いたような気がした。
「ユズ………!」
名前を呼ぼうとしたとき、後ろから大きな手がわたしの口をふさいだ。
「!?」
そのまま、近くの細い路地に引きずりこまれる。
暴れ出そうとしたとき、口元にイヤな匂いのする布をあてがわれた。
すぐに、ふわっと意識が遠くなる。この変な匂いさえなければ、ユレイアの歌を聴いたときに似ているかもしれない。一人だけだけれど、失神する人が出たことがあるんだ。ユレイアの歌って。
意識を失う寸前、ティルトのわたしを呼ぶ声が聞こえたような気がした。
〈Side:ティルト〉
アセリアの声が聞こえたような気がして、オレは後ろをふり返った。
見れば、ユレイアの袖をつかんでいるユズハも同じ方向をふり向いている。
「ユズハも聞こえたか?」
「ン。聞こえタ」
ユズハがうなずいた。
「ティル? ユズハ?」
不思議そうな顔でユレイアが、オレとユズハを見た。濃い青の目。
よく、アセリアとユレイアが似ていて、どっちがどっちかわからないという言葉を聞くけれど、オレにはさっぱりわからない。
こんなに違うのに。二人とも。
「ユレイアには聞こえなかったか? アセリアの声」
驚いたようにユレイアがまばたきして、背後の人混みをふりかえった。
さっきはぐれてから、ずっとオレたちはアセリアを探し回っている。
姉さんから、変なやつらに後をつけられた昨日の今日だから、二人の周りには充分注意してね。いざとなったらあんたとユズハが護るのよ、って言われたばかりなのに。
このままだと絶対怒られるし、護れなかったみたいですごくイヤな感じだ。
「アセリア?」
ユレイアにならってオレもアセリアの姿を捜すけれど、やっぱり気のせいだったのか見つからない。
「先に行ったのかと思ったけれど、まだこのあたりにいるのかもしれない」
ユレイアの言葉にオレも賛成した。
もう少しこのあたりを捜し回ろうということになる。ユズハはさっきからマイペースに小麦菓子をほおばっているけれど、こいつはこいつできちんと捜している………んだろう、たぶん。
ユズハはヒトじゃないから。
いつも違う何かを見てるやつだから、きっとオレたちの気づかない何かに気づくだろう。
そのユズハだった。
落ちていたアセリアのショールと焼き栗の袋を見つけたのは。
―――アセリアに何かあった。
オレのせいだな。
気をつけろって言われたのに、すぐにはぐれちゃったんだから。
でもオレにだって、どこからどこまでが自分のできることかぐらいはわかる。
―――いまできることは、真っ直ぐ家に、戻ること。
〈Side:アセリア〉
目が覚めてから、ずっとわたしはふくれっ面だった。
だれも会いに来てくれない。
こういうときは、やっぱり悪い人がでてきて自分の悪事を洗いざらいばらしてくれるのがお約束だと思うのに(お前は間違いなく母親似だと父さまに言われた)。
人をわざわざ誘拐したあげくにほったらかしとは、いったいどういうつもりだろう。
縛られていたわけではなく、古いソファに寝かされていただけだったので、目が覚めたあと部屋の中を一通り見て回ったけれど、窓もないし何もない。
おかげで、誘拐されてからどれくらい時間がたったかわからない。
たいしてお腹が減ってないから、まだそんなにたっていないとは思うんですけど………。
「でも、何で誘拐されたんでしょう?」
わたしは首を傾げてしまった。
考えられるのは三つ。
一つ目、単なる偶然で誘拐されてしまった。この場合だと、わたしがセイルーン王女だということを知らないということになる。
二つ目は、単なる人違い。………ありえないです。わたしとだれを間違うんでしょう。ユレイア? でもユレイアを知っているんなら、わたしのことも知っているはずだし。
三つ目。これがいちばんありそうです。セイルーン王女としての誘拐。
………あ、どれにしろ、父さまと母さま、ケンカどころじゃないです。
かなり呑気なことをわたしが考えていたときだった。
扉が開いた。
びっくりして顔をあげると、向こうもびっくりしていた。
「もう目が覚めているとは………」
ずっと昔から続くセイルーン王族の血筋には、薬物の耐性がある。ブルーリーの実が効きにくかったり、効き目の早い毒物の進行を遅らせたりする程度のものだけれど、たぶんそのせいで早く目が覚めてしまったんだろう。
ひょろっとした、あまり強くはなさそうな男の人に、わたしはたずねた。
「ここはどこですか?」
「セイルーンだ」
―――そんなことはわかってます!
そう言いそうになって、わたしは慌てて口を閉じた。
「どうしてわたしを誘拐したんですか」
「その必要があったからだ」
「…………」
何だか、ものすごくムダな会話をしている気分になってきました。
「私の後についてこい。病人の話し相手をしてもらう」
…………?
たぶん、わたしの顔ははてなマークでいっぱいになっていたんだろう。忌々しそうに男の人が言った。
「いいからこい。ただし病人に、誘拐されてここに来たことをしゃべったら殺すからそのつもりでいろ。………まったく、いつのまにこいつを見たんだか………」
最後のほうは独り言だった。
ついて歩く途中で窓の外を見ると、もうすっかり日は暮れて、真っ暗だった。
たどりついた扉の前で、男の人がわたしに念を押した。
「いいか。お前は中にいる病人の話し相手としてここ呼ばれたと言え。余計はことはいっさいしゃべるんじゃないぞ。私の仲間が見張っているからな」
わたしは黙ってうなずいた。
―――扉の向こうにいたのは、青白い顔をした男の子だった。
ベッドの上で身を起こした男の子はサラナと名乗った。何だか女の子みたいな名前だと思ったけれど、本人には言わないでおいた。
何でも、二年ほど前から難しい病気にかかっていて、一ヶ月ほど前に白魔術都市と名高いセイルーンに病気の治療にやってきたらしい。
年はクーン姉さまよりひとつ年下。だけど、病気のせいか、それよりもずっと年下に見える。
………誘拐されたわたしは、どうして誘拐されたその先で、病気のサラナさんの話し相手をしているんでしょう?
「アセリアは、ここの人?」
おっとりとサラナさんが訊ねてきた。
ベッドの横に置かれた椅子に座っているわたしは、黙ってそれにうなずく。
きっとこの部屋にはレグルス盤がしかけられている。下手な会話をしたら、間違いなくあのひょろっとした男の人のおどした通りになってしまう。
「生まれたときからずっとセイルーンです。サラナさんはどこの人ですか?」
わたしとしてはごく普通に会話を返したつもりだった。
だけど、結果としてわたしの呼吸は驚いて止まってしまった。
透き通るように白い頬をしたサラナさんが笑って、こう答えたからだ。
「アセリアはきっと知らないね。クーデルアっていう小さな国なんだ」
わたしの目はめいっぱい大きく見開かれていた。
………しかけられているのがレグルス盤だけだといいんですけど………。
見られていたら怪しさ大爆発だ。
わたしはぎゅっと手を握りしめる。
もしかして………もしかしなくても、わたしが誘拐されたのはラウェルナって人のことと繋がってる?
でも、あのひょろっとした男の人はわたしが王女だということを踏まえた上でしゃべっているとは思えなかった。
………でも、クーデルアの悪い人たちが、無関係な普通の子どもを誘拐するとも思えない。
それに、だとしたら、病気のサラナさんはどうしてこんなところにいるんでしょう。誘拐されてきたなんてことサラナさんに絶対しゃべるなっておどされた。なら、サラナさんは何も知らないんでしょうか?
全然わからない。頭のなかがごちゃごちゃです。
きっとクーン姉さまなら、ちょっと考えただけで、ぱっぱってわかるんだろうなあ………。
(あああああっ。もうっ。こんなんじゃダメですっ)
わたしは勢いよく首を横にふった。
サラナさんはそれでわたしがクーデルアの国を知らないんだと思ったらしく、気にする必要はないよってなぐさめてくれた。
わたしはサラナさんの顔を真っ直ぐに見つめる。
きっと、足りないのは情報だ。
わたしは嘘をつくのが下手だけれど、せいいっぱい普通に話しかけた。
「さっきの人は、サラナさんのお兄さんですか?」
サラナさんは少し首を傾げたあと、ああ、とうなずいた。
「違うよ。あの人は、母さんの友だちなんだ。母さんはセイルーンまで一緒にこれなかったから、代わりに僕の世話を引き受けてくれたんだ」
「お母さんと離れて、さみしくないですか?」
「さみしいよ」
サラナさんはベッドの横の窓に視線を投げた。
とっくに日は暮れて、通りをはさんだ向こうの建物の明かりが、ガラス窓に映るわたしの顔を透かしてぼんやりと見えた。
「だけど、母さんは僕の治療費を出すためにクーデルアで働いてくれてるから。だから、わがままいうよりは早く病気を治して帰りたいな」
「そうですか………」
ますますわたしはこんがらがってきた。
ええと………わたしは誘拐されてきたわけだから、ここの人たちが悪い人なのは間違いが無くて………でもサラナさんは全然違うことを話してて…………。
わたしが一人でぐるぐるしていると、ふいに窓の向こうの明かりがかげった。
最初は全然気にしてなかったけど、すぐにおかしいことに気がついた。
だって、ここは三階だ。変な行動はとれないから詳しくはわからないけど、少なくとも一階じゃないことはたしかだ。
夜飛ぶ鳥はフクロウぐらいしかいない。
だけど、ここはセイルーンのなか。フクロウなんていない。
そうこうしていると、フッと明かりが元通りに光った。
元通りに明かりが光るその寸前に、きらっと金色の筋が見える。
………えっ!?
かげりの正体がわかった瞬間、わたしは思いっきり首を横にふっていた。
まだ。まだダメです。
いま来たら、わたしは逃げられるかもしれないけど、サラナさんは連れていけない。
まだ何もわかっていないのに!
サラナさんはわたしが誘拐されたここに連れてこられたことを知らないから、もし、もしわたしが逃げたせいでサラナさんが怒られたり、ひどいことされたりしたら………。
いまは、まだダメです………!
わたしの想いが伝わったのか、明かりが二、三度点滅した。
それっきり、建物の明かりはかげらなくなる。
ホッすると同時に、わたしもがんばらなくちゃと思った。
わたしが、がんばらないと。
不思議そうな顔で、サラナさんがわたしをのぞきこんだ。
わたしはその折れそうに細い、青く血管が透けて見える腕をとった。
「早く元気になってくださいね。そうしたら、わたしがセイルーンを案内しますから」
そう言いながら、わたしはサラナさんの手のひらに指で文字を書く。
(よなかまで、おきていて)
わたしが行方不明だと王宮は大騒ぎになるから、何かが起きるならそれはおそらく今日中。
サラナさんがびっくりした表情で、わたしの顔を見つめたとき、部屋のドアが開いた。
「今日はそれくらいにしておきなさい。この子を親元に送っていく時間だ」
あのひょろっとした男の人がそう言って、わたしをサラナさんの部屋から連れ出した。
わたしが目を覚ましたソファのある部屋に連れてこられてから、わたしはキッと男の人をふりかえった。
「わたしをいつ家に帰してくれるんですか。言っておきますけど、うちにお金なんかありませんよっ」
男の人はわたしを見て思いっきり顔をしかめた。
「そんな仕立てのいい服をきておいてそんなことはなかろう」
……………わたしって、やっぱり頭が悪いんでしょうか?
わたしがぶすっとした顔でにらみつけていると、男の人はうるさそうに手をふった。
「全部終わったら帰してやる」
「それはいつですか。何が終わるんですかっ」
わたしは食い下がったけど、男の人は黙ってドアから出ていった。
カチリ、と鍵をかける音。
わたしはぷぅっと頬をふくらませながらソファに腰かけた。
でも、さっきの言葉からすると、わたしが王女だとは知らないようだったし、お金を取る目的の誘拐とは思えなかった。
………あれ?
まさかサラナさんの治療費が足りなくなってわたしを誘拐してお金をとろうとしてるとか?
でもそうしたら、普通どこのおうちかってたずねられるような気がします………。
それともわたしが王女だって知っててお金をとろうとしてるとか………でも、そんなことをしたらセイルーンで治療を受け続けるなんて絶対ムリです。
しかもこの場合あのラウェルナって人はどう関係してくるんでしょう。
ダメだ。全然わからない。
わたしはふうっと溜め息をつくと、ソファに寝転がった。
寝ておこう。
どうせ、夜中にはクーン姉さまが―――もしかしたら、リナさんとガウリイさんが―――助けに来てくれるはずですし…………。
………あとで聞けば、どうやらこの夜。眠れていたのはわたしだけだったらしい。
えっと……ごめんなさい。