子どもたちは眠れない 〔7〕

〈Side:リア〉

 あたしは沈んでいこうとする夕日を眺めた。
 足下には三階建ての建物の屋根。
 六紡星を形作る大陸橋が邪魔だけど、それでもここからの眺めはけっこう絶景だ。

 ………いけない。あたしが眺めるのは夕日じゃないんだってば。

 あたしは首をふって真下の通りを見おろした。
 正面には、ラウェルナさんが泊まっている宿がある。二階建てだから、三階建ての建物の屋根から見ているあたしなんて、早々見つかるものじゃない。

 母さんの、旅の心得その二十三。
 ―――上空ってのはけっこう盲点なのよ。

 たしかにその通り。
 ティルトたちと別れてからすぐに、わたしはラウェルナさんの宿を見張るためにここに昇った。もちろん呪文で。
 ………長期戦になるような気がしたから、その前に市で食べ物を買いこんだりしたけどね。
 砂糖衣をかけた揚げパンの二つ目を口の中に放りこむ。
 陽が高いうちから見張り始めて、いまはもう夕日が沈もうとしている。あたりはぼんやり薄暗くなってきて、街灯のライティングの明かりがあっても見づらくてしかたがない。
 もしかしなくても、今日はハズレかなぁ。まあ、あたしも見張り始めた一日目から成果があがるとは思ってないけど。
 あたしがどうしてラウェルナさんの宿を見張っているのかというと、昨日、ラウェルナさんのところに押しかけてきた(ドアを開けるなり怒鳴るのは立派な押しかけだ)カエル男。あいつを待っているのである。
 御丁寧に仲間とおぼしきやつらがあたしとユレイアのあとをつけてきたことだし、ラウェルナさんの態度がぎこちないこともあるし、悪役決定だ。
 おそらく、あいつがラウェルナさんとの交渉役。ひいては彼女をおどしているクーデルアの人間だ。後をつけて、セイルーンでの本拠を見つけて、探りを入れる。
 もしそうじゃなくても、あの顔とあの態度では、絶対後ろ暗いことをやっているだろうから、間違えても問題ないだろう(偏見)。

 母さんの旅の心得その一のとおり、悪人に人権はないのである。

 それはともかく、今日はハズレだろう。もう少したって、完全に真っ暗になったら家に帰ることにしよう。
 あたしがそう思って、自分が食べたもののゴミを片づけはじめたときだった。

 ………?

「 !? 」
 あたしはゴミを真下の通りに放り出しそうになって、慌てて空中でキャッチした。
 眼下では、例のカエル男(呼び名決定)がラウェルナさんの宿に入っていくところだった。
 暗い上に遠くてよくわからないが、何やら上機嫌である。昨日の不機嫌具合が嘘のようだ。
 ハズレかと思ったが、どうやら一日目にして大当たりのようである。
 ………さて、と。
 あたしは夕日の残滓を浴びながら立ち上がった。



 しばらくして、あたりがまっくらになってからカエル男は宿から出てきた。
 あたしは静かにレビテーションの呪文を唱えて、屋根沿いに男の尾行を開始した。
 空はよく晴れていて、満月ではないものの月がでているから、落ちる影には気をつけないといけない。
 男は、尾行を警戒してはいるものの、上空にいるあたしに気づく様子はまったくない。
 尾行なんぞ警戒している時点で、もはや怪しさ大爆発。どうか疑ってくださいと全身で言っているようなものだ。
 ラウェルナさんの宿のある上流地区から離れて、カエル男はどんどんと下町の方へ―――つまり、治安があまりいいとは言えないところへと歩いていく。
 そうして、下町の方へ歩いていったかと思うと、カエル男は突然馬車を拾った。

 ―――マズイ!

 レビテーションでは追いつけない。
 あたしはとっさに呪文を解除した。出窓のとっかかりをつかまえて落ちるのを防ぐと、レイ・ウイングを唱え直す。
 風の結界に包まれて音が遮断される寸前に、走り出す馬車の音が聞こえた。
 よし、間に合う!
 馬車の速度にあった速さが出るように(なおかつ見つからないように)レイ・ウイングの高度を調整するのに手間取ったけれど、馬車を見失うことはなかった。
 馬車は大陸橋に乗って、王宮のある中心地区を大きく迂回すると、ラウェルナさんの宿のある上流地区とは王宮をはさんで逆にある地区の建物の前で止まった。
 そこからさらにしばらく歩いて、三階建ての建物の中にカエル男は消えていく。

 ―――ここか。

 あたしは大きく息をはくと、月の位置を確認した。
 けっこう時間がたってしまっている。先に帰ってるだろうアセリアたちが心配してないといいんだけれど。
 問題の建物の屋根の上で、あたしは呪文を解いた。音さえ立てなければ、自分たちの頭の上にまさか敵がいるなんて思わないだろう。
 ………代わりにこっちもいまいち様子が把握できないけど。
 あたりを見回して場所にだいたいの見当をつける。王宮はこっちにあって、あたしの家はあっち方向だから………うん、だいたいわかった。

「………ッ !?」

 そのときあたしは足を踏み外すところだった。
 どうして !?
 あたしの目が吸い寄せられているのは、通りをはさんで向かいに建っている建物の三階の窓。明かりがついているのとは別の、その隣りにある暗い窓だ。上級地区の名に恥じず、両方ともガラスがはめこんである。
 暗いから、向かいの建物の様子が映っている。要するに、あたしの真下の部屋の中が。

 ―――なんで。
 なんでどうしてアセリアがここにいるのっっ !?

 あたしはレビテーションを唱えかけて、思い直してそれを中断した。
 しばらく窓に映るアセリアの様子を観察する。
 ベッドに身を起こした男の子と何やら話をしているようである。

 ………って、待て。

 あたしは眉をひそめた。
 なんで、カエル男の本拠―――アセリア風に言うなら悪の秘密基地に病人としか思えない男の子がいるんだろう?
 …………。

 ―――男の子を、
 ―――あなたぐらいの歳の、男の子を、

「病気で亡くしてしまった、の………?」
 フッと口をついて出た自分の言葉に、あたしは愕然と目を見開いた。

 ………そういうことですか。

 あたしはレビテーションを唱えてゆっくりと降下する。
「ラウェルナさんの嘘吐き。生きている人を死んだって言っちゃいけないんだからね」
 あたしの視線の先で、反射で見にくいだろうに、それでもあたしに気づいたアセリアが強く首を横にふるのが見えた。
 わかってる。
 いくらなんでも、あたしも手ぶらで一人で押しこんで二人を助け出せるほど強くない。
 あたしは再び屋根の上に降り立つと、呪文を解いてレイ・ウイングを唱えた。
 いまごろ家は、アセリアとはぐれたユレイアたちがあたしの帰りを待ってるだろう。
 ―――あたしと、あたしの持つ情報を。



〈Side:ユレイア〉

 クーン姉上が帰ってきたのは、夜もだいぶ遅くなってからだった。
「アセリアいたわよッ」
「上出来!」
 駆けこんでくるなりそう叫んだクーン姉上に、リナさんがそう声をかけた。
 クーン姉上はこっちのことを何も知らないはずなのに、来るなり私たちがいちばん知りたかった情報をくれるなんて、やっぱりすごい。
 それを少しも疑ってないリナさんも、すごいと思った。
「で、あっちにいた以上はこっちにはアセリアいないのよね?」
 そう言いながら、テーブルの上に置かれたアセリアのショールと空の紙袋を見て、クーン姉上はひとつうなずいた。
 ちなみに、焼き栗を食べたのはユズハ。
 冷めるとおいしくないし、もったいないから食べちゃいなさい、というリナさんのセリフに、何のためらいもなくペロッと食べてしまったその呑気さというか、動じなさには、怒るのを通り越して、もはやあきれるしかない。
 そうしていると、ティルトの姿を見つけたクーン姉上がその頭を思いっきりはたいた。
「あんたねぇ、姫君守らないでどうするの !?」
「ごめん」
「―――で、リア。場所はどこなの?」
 リナさんの問いにクーン姉上は、手早く場所を説明して、そこに病人と思われる男の子がいたことも説明して、ついでに自分の推測も話した。
 リナさんがうなずいた。
「おそらくあんたの推測通りね。その子の病気の治療費を盾に―――もしかしたらその子自身も盾にしてラウェルナって人をおどしてるんだと思うわ。わかったことだし、さっさと行ってらっしゃい」
「了解っ」
 返事してクーン姉上は奥の部屋に駆けこんだけど、私はそれを気にしているどころではなかった。
「リナさんはいかないんですか !?」
 てっきりリナさんとガウリイさんが、アセリアを助けに動いてくれるんだと思ったのに。私とアセリアとユズハを、リナさんの家に泊まっていることにしてごまかしてくれたのも、リナさんなのに。
 リナさんは困ったように頬をかいた。
「あたしたちは顔と名前が売れすぎてるからね。アメリアと仲のいいあたしたちが動いたってだけで話が大きくなるわ。クーデルアの動きにセイルーンが気づいて、拠点を叩きつぶした―――なんて騒ぎになるよりは、なるべく小さく話をおさめたほうがあとあと楽でしょ?」
「そんな………」
 サイドスリットが入ったワンピースの下から、細身のズボンをのぞかせたクーン姉上が剣帯と、普段使っている木の剣ではない本物の剣を手に、奥から出てきて言った。
「あら? ユレイアはあたしとティルトと、ついでに自分の実力が信用できないの? あと、おまけのユズハも」
「おまけ違ウ」
「はいはい。
 ―――で、どうなの?」
 笑みを含んだ真紅の瞳がとてもキレイで、私はしばらくぼんやりしていたんだと思う。
「ユレイア?」
 慌てて私は首を横にふった。そのあとで、はたと気がつく。

 ………私が行ってもいいんだろうか。

 最初からついていくつもりだったとはいえ、当然のように頭数に入れられているなんて思いもしなかった。
 思わず上目づかいにリナさんの様子をうかがってしまう。
「あの………私が行ってもいいんですか?」
「あんた行きたくないの?」
「いいえっ」
 慌てて首を横にふると、ガウリイさんがぽんぽんと私の頭をなでてくれた。
 リナさんが苦笑する。
「なら行ってらっしゃい。あんたとアセリアくらいなら―――まだ半人前だけど―――そこのティルが護れるわ」
 ティルトがまじめな表情で私に手を差し出した。
「護るよ。ユレイアとアセリアは、オレが護るから」

「………約束だからな」

 私がそう言うと、ティルトはうなずいた。
 クーン姉上がこともなげに言った。
「いざとなればユレイアは歌えばいいわ。だいじょうぶ。歌う準備をする時間ぐらいはティルが作ってくれるわよ」
「ああ。それもそうね」
 リナさんが相づちをうった。

 …………私の歌って…………?

 悩みだした私をよそに、クーン姉上はワンピースの上から剣帯をまきつけて剣をはく。
「あんた、そっちで行くの?」
「そうだけど? もうすぐ旅に出ることだし、いまから木剣使うよりはこっちに馴れといたほうがいいかと思って」
「………まあ、いいけど。なるべく殺しちゃダメよ? あんたは顔見られてるうえに、その顔が強烈だからね。娘が殺人罪でセイルーンにとっ捕まるのは勘弁してほしいわ」
 ………ものすごく物騒な話をしている。
 一応、私とティルトは九歳だから、教育に配慮してもらえると嬉しいんだけれどな………。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、リナさんは続けた。
「命に対して責任を負うことがない時間ってのはけっこう貴重なもんなのよ。あんたはまだふらふら自由に遊んでなさい。手が汚れていることを自覚するのはもう少し後でいいわ。どうせそのうちイヤでも真っ赤になるんだから」
 クーン姉上は驚いたような顔でしばらくリナさんとガウリイさんの顔を見つめていたけれど、不意にクスっと笑ってうなずいた。
「―――了解」
 その手が外への扉を開く。
「母さん、もうひとつの方は頼んでもいい?」
「ま、しょうがないわね。こればっかりは人手が足りないし。あたしとガウリイが行くわ」
 クーン姉上は、満足そうにうなずいて、私たちをふり返った。
「じゃあ、行こうか。ティルト、ユレイア、ユズハ。
 ―――アセリアと、もう一人を助けにね」