Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】 前編 〔10〕

 目に映るようになった空は、日を追うごとに高く遠く、薄くなる。
 見あげた空のまぶしさに目を細め、ゼフィアは庭に視線を投げた。視力が回復してから庭に手を入れるようになったので、一部分が掘り起こされて黒々としている。ちょっとした副収入をと思って冬越しできる香草と薬草の苗を植えた。薬師というのは食いはぐれのない職なので、どこに行ってもやっていけるのが助かる。
 ふわりと風が通り抜け、花の香りが窓から外へと漂いでた。
 窓辺に立つ彼の背中に、部屋の奥から声がかかる。
「―――アストラルパターンとらせるの承知したんですって?」
「しましたよ。いけませんか」
 ふり返ることなくゼフィアは答えた。
 ちりり、と鈴の音がして、背後の存在の有無を告げる。
 彼のもとに双子が押しかけてきたのが数日前のことだ。前にも二度ほど訪れてきたことがあるのだが、それはゼフィアの目が開く以前のことだった。きちんと顔を見たのはそのときが初めてで、あまりにそっくりだったので声がよく似ていることに納得した。
 双子は正式に身分をあかすと、黙っていた非礼を詫びてきた。それから子どもらしかぬきちんと筋道だった説明とともに選択を迫られた。ほとんど懇願だった。こんな個人的なことで王族二人から頭を下げられる日が来ようとは思いもしなかった。諸手をあげて降参するしかなかったというのが正直なところである。
「あたしもとられたわ」
 苦笑混じりに肩をすくめる気配。
「まあ、アストラルパターン解析されるの不快でしょうけど、ユレイアの気が済むまでつきあ ってあげて」
 最初から何の期待も抱いていないような、さらりとした声音だった。―――以前の彼のような。
「―――思わないんですか?」
「うん?」
「こんなわけのわからない状況が何とかなるのなら、アストラルパターンぐらい何でもありません」
 彼女は迷いを見せながらも会いに来る。彼はそのひとときだけ(まぶた)を閉ざすことを選んだ。
 あまりにも不自然なあり得ない状況の下に成り立っている今の関係。ただ、一度結んだ(えにし)の糸をほどきたくなくて。ただそれだけの理由でいまこうして、ここにいる。
「………うん、そうね。あたしもそう思うけど………」
 リアは細く息を吐きだした。
 そこに別の迷いと憂いを見いだして、彼はそれとは知られぬよう溜息をつく。
 出逢ったときからすでに、この相手は何か余人にはわからないものを抱えこんでいる。加速度的にその重さは増していっているようなのに、それをだれとも分かち合おうとはしていない。踏みこむなと常に無言で釘を刺されている。………それでも時々よりかかってきてくれるから、あてにされてはいるのだろう。
 背を向けたまま、ゼフィアは独り言のように呟いた。
「………彼女が私に話してくれた推論だと、クーン―――あなたが見えないのは私自身のせいだということになる」
「…………ッ」
 動揺をあらわすように、腕輪の鈴が鳴った。
 ふり向くことなく、ゼフィアはひっそりと微笑する。



 ―――あなたが見えないのは私自身のせいだということになる。
「…………ッ」
 やわらかに紡がれる言葉の内容に、思わずリアは身じろいだ。動揺をあらわすかのように、鈴の音が鼓膜をふるわせる。
 語る相手がこちらをふり向くことはない。絶対に。
 こちらの表情を見られることはない。だが同時に、相手の顔も見えない。
 苦笑混じりにゼフィアは告げる。
「それを考えなかったとは言わせません」
「ゼフィ―――」
「私自身でさえも、そう考えたんですから」
 穏やかな言葉は、リアの反論を封じた。
 無意識に拒絶しているのではないかと。されているのではないかと。
 以前リナたちが原因をそう推測したように、それは底の見えない亀裂のように二人のあいだに横たわっていた恐れだった。
 しかし、いまそれを語る声はあまりにも静かに凪いでいる。
「ただ、違うと言いました。ユズハが」
「ユズハが………!? 」
 予想もしなかった名前を出され、リアは愕然と問いなおした。ひとりで会いに来ていたというのか。ここに。彼女がためらい、近づけずにいたあいだ―――。
「どちらが正しいのかはわかりません。けれど、ユズハは違うと言いました。自分自身ですら信じきれずにいたものを、ユズハだけが肯定した。私はそれだけで充分です」
「…………ゼフィ」
 ―――ふるえた。鈴が鳴る。
 ふり返らない背が受け入れようと示しているものは、あまりにも大きなもののように思えた。
 いつのまにか握りしめていた拳をほどくと、また鈴が鳴った。歩くたびに鳴る。動くたびに鳴る。ここにいる、と。
 リアはゆっくりと部屋を横切ると、たどりついた相手の背に額を押しあて目を閉じた。布地の感触と伝わってくる熱。
 視覚以外で伝わってくる相手の存在に、涙が出そうだった。
「………あたしも、それだけで充分すぎる」
 彼以上に彼女はユズハを知っている。あの存在がそういうのなら、そうなのだ。ならば、なぜ―――という新たな疑問も生まれてくるが、いまだけはどうでもよかった。
「………そばに」
 その振動が直に伝わるほど近いささやきに、鼓動がはねる。かすかに鈴が鳴る。
「そばに、いてください」
 眩暈さえ覚えて、リアはさらにきつく目を閉じた。
「いる。いさせて―――」
 自分がいなくても笑っていてほしいと思う人たちがいる。一緒にいられれば何よりの幸福だが、自分がいると笑顔より、痛みをもたらしそうだった。
 それとはまた別に、自分と一緒に笑ってほしいと思う人がいる。一緒にいなくても笑っていてくれれば幸福だが、その笑顔が自分に向けられているだけで泣きたいくらいに嬉しかった。
 望まれれば、それで充分だった。自分はそれを全力でかなえるだろう。
(どうしよう)
(今更、こんなにもあたしは絶望的なのに)
 こんなにも温もりは近くにあるのに、あまりにも、こんなにも。自分自身すらも、遠い。
 それでも、いまこの時間を、空間を。
 幸せに近いものに感じる。


(どうか、あたしを、(ゆる)してください)


 誰とも知れぬ虚空に向かって、あてもなくそう呟いた。
 満たされすぎて、涙が溢れた。
 ―――だから、罰があたったのかもしれない。