Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】〔9〕
オーブから流れだす旋律が止むのを待って、アセリアはかぶりをふった。
「どれだけ危険な技術になるかわからないって、言われたじゃないですか」
「だから別に公表するわけじゃない。研究としても完成させない。………ただ、もうしばらく続けてもいいんじゃないかと思うんだ」
「わたし、ユアの研究って何をやってるのかは聞いてても、どうやるのかがよくわかりません。ユアってばいつも混沌の言語を呟きながら楽器を弾いているか、机に向かっているかですもん。ですけど」
顔をしかめ、アセリアは懸念を口にする。
「いまユアが言っていることって、クーン姉さまとゼフィアさんを研究対象にしたいってことじゃないんですか?」
「………たぶん、その通りだ」
「そんなこと、母さまやリナさんたちが許してくれるはずが。そもそもクーン姉さま本人が、許してくれるのか―――」
「だって!」
声を荒げたユレイアの顔が泣きそうに歪んだ。
「クーン姉上のあんな顔、私はもう見たくない………!」
あんな透きとおるような笑いかたをする人ではないはずなのに。
硬質な冬の光そのもののような淡い微笑。たとえようもなく綺麗だったが、どうしようもなく胸が痛んだ。
「………セア。私がやろうとしていることは、混沌の言語が混沌の言語として形成される前の、よけいなものが多いけれど今よりも普通に使えていたときの状態に近づけることだ。そしてアストラルパターンも同じものに変換してしまうことだ。同じ情報になれば、それは混ぜあわせられる。音を組みあわせて歌を作るように」
一歩あやまてば傀儡や思考統制などに応用されかねない。だが、もしかすると精神世界面からの治療などといったものにも、応用できるかもしれない―――。
治療の呪文は多少のアレンジは効くとはいえ、その効果は画一的だ。投薬のように個人の容態に合わせて、きめ細かく微調整することができない。
しかし、ユレイアの持つ技術は呪文も人も同じ【振るえ】として分解し、一律化してしまうものだ。同じ種類の情報になってしまえば互いに組み合わせがきく。
個人の【振るえ】に、治療の呪文を組み合わせることができたら―――。
「こんな信じられないようなことが本当にあるんなら、その原因だってあるはずなんだ。もしかしたらその原因ぐらいなら、わかるかもしれないのに。やらないよりましだろう? 何もしないままで、悔やんだりはしたくない―――私の歌が、やっと何かの役に立つかもしれないのに」
「ユアの歌が役に立たなかったことなんてないですよ。怒りますよ?」
「うん、ごめん。でも、そうじゃなくて………」
ユレイアは少しうつむいた。もう自分の歌は、ティルトでさえきちんと聞いてはくれない。
穏やかな日常のなかにいながらも、以前とはそれぞれに立ち位置が違いつつあるのを肌で感じとっている。変わっていくのは当たり前のことで、仕方のないことなのかもしれないけれど、それでも皆に笑っていてほしかった。
そのために自分ができることがあるなら。何らかの光明が見出せるのなら、何だってする。やれることなら何でもする。
ぽつぽつとだが、迷いのない口調でそう告げたユレイアは、不意にオーブを両手に包みこんでくちづけるように近づけた。
そのままなかば目を伏せて、アセリアを呼ぶ。
「ねえ、アセリア」
「何ですか」
「………ゼフィアさんって、きっとクーン姉上の大切な人だな」
アセリアはユレイアを見た。瞼を伏せる双子の姉妹はどこか敬虔な表情をしている。
彼女が思いだしているのは、きっとあの光り溢れる夏の終わりの出来事。窓際で微睡む彼女と唇に指をあて微笑する彼を見て以来、その事実は秘密の宝物のように双子の胸の奥で輝きを放っている。
腰を下ろせと長椅子の隣りを叩いてユレイアに示し、アセリアは溜息のようにささやいた。
「ゼフィアさんも、きっとクーン姉さまのことが大切だと思いますよ?」
「うん。家族以外で、まったく見ず知らずのところから大切な人ができるって、どんな気分なんだろう。私にはまだ全然想像がつかない」
身を寄せ合って座りながら、双子はしばし沈黙した。
ゆるやかに季節はめぐり、想いはそれだけ成長して変化を遂げて。自分たちもいつかは大人になるのだけれど、それはまだ本当に遠くのことに思える。
「不思議ですね。父さまと母さまも、最初全然知らない人同士だったはずなのに」
「不思議だな。ガウリイさんとリナさんも、最初はそうだったはずなのに」
「わたしとユアにとっては、生まれたときから家族ですけどね」
「クーン姉上とティルにだってそうだろう? だから不思議なんだ。………だから、私は」
オーブを包みこむユレイアの両手に、アセリアの手が重なった。
父親譲りの氷蒼の瞳を細め、アセリアは拗ねたように唇を尖らせる。
「言ったら、聞かないんですもん。もうユアの好きにしてください。………わたしだって、クーン姉さまのあんな顔、二度と見たくありません」
「アセリア」
「だけど、ユアがつらい思いをするのは嫌ですよ。ちゃんと言ってくださいね」
「………うん」
「クーン姉さまには、一緒にお願いしにいってあげますから」
「うん。ありがとう」
そのまま二人は長椅子から行儀悪く足を投げだし、日が傾くまで同じ時間を共有した。
ユレイアからその提案を持ちかけられたとき、最初リアは当然のごとく拒絶した。
冗談ではないと思った。何せ、とられるモノがモノなので、解析されることでどこまでバレてしまうのかがわからない。
それでも最後、首を縦にふったのは―――たぶん、断片とはいえ母親の昔語りを聞いてしまったからだろう。あまりにも鮮やかに閃いて痛みさえ覚える、魔を滅する者の物語。
ユレイアは黒魔法は得意ではない。有名どころの呪文は知っていても、魔力容量的に竜破斬など使えない。アストラルパターンを解析し分解していくなかで、彼女がどこまでの情報を読みとることができるのかは、まったく未知の領域だ。
それでも、もし。この妹同然の少女が気づいたら。
考え、リアは瞑目する。
気づいたら………そのときは、委ねようと思った。
(どうしてあたしは母さんの娘なのかしら)
この女が自分を生んだこと。この女のところに生まれたこと。
そんなどうしようもない、問うても詮無いことの答えが、知りたかった。
万が一のときも斃すことができるから、自分が「そう」なのか。
これ以上は斃されることのないように、自分が「そう」なのか。
気の迷いにも似た、誰にも知られることなく仕掛けられた賭けだった。もしここからすべてが光の下にさらされていくなら、それを受け入れようと。
魔王をどうやって斃したのか語り、続けて母はだれにも禁呪は教えないと、きっぱりと告げた。あんたの魔力容量ならあたしと同じように扱えるかもしんないけど、それでもこの術はあたしが墓のなかまで持って行く、と。
その意志に潜む途方もない勁さと優しさに、たぶん自分は安堵し、絶望したのだ。波濤のように押し寄せる悔恨にも似ていた。―――もし万が一、何かあったとしたら、あたしを滅ぼすのはこの人だ。この人しかいない。
凡人には到底背負えない重さを二人で分かち前に進み続ける両親に、さらなる重荷を与えるのは自分だ。
だからこそ、二つのことを同時に思った。
絶対に、言えない。
いつか、言うだろう。
自覚がある、という時点で、ある意味ではすでに目覚めているようなものなのだから。単にそれを受け入れていないだけで。
以前に比べて、自分がときどき誰なのかわからなくなる。相克が長すぎて、自分が「どちら」だったのかわからなくなる時がある。当たり前に泣いたり笑ったりしているのに、自分がリアだと思えないときがあるのだ。もうひとりの自分が泣いたり笑ったりするはずがないと知っているのに。
そんなときふと横を見るとユズハがいて、その目を見ていると自分がリアだと実感する。
ふうっと吐息のようにリアは笑う。
欲が生まれてしまった。もう何も望めないと思っていたはずなのに。いつのまにか彼の存在は自分のなかであまりにも大きなものになってしまった。
幸せになりたい。などと、もうひとりの自分が願うはずもない。
だから自分はまだ、リアだ。
リア=ガブリエフ。または、リア・クーン=インバース。あなたたちの娘。
正しくなくても、自分は前に歩き続ける。あきらめるにはまだ早い。
―――これが、ひとつ目の賭だ。
「………さてどうしましょうか」
眼下に六紡星の王都を臨み、ゼロスはたいして困った様子でもなくひとりごちた。
秘密裏に徹するというのもこれでなかなか骨が折れる。ただでさえリナたちの周辺には勘が鋭い者が多い。伴侶しかり、魔族まがいの合成獣しかり。リナ本人も頭が切れる。―――その周囲を欺き通しているリアの努力にはまったく頭が下がる思いだ。気づかれていたら、彼女にもこちらにも、また違った選択肢が生まれていたはずだ。彼でさえ、結界内部で彼女が派手に相克を起こすのを偶然まのあたりにしなければ、おそらく気づかなかっただろう。
それに倣うわけではないが、今回は特に慎重を期せとの下命だから、ある程度進展するまではなるべく不審を買うのは遠慮したい。
「ユレイアさんが気づくか、気づかないかですねぇ………」
どちらかからの遺伝なのか、先祖返りなのかはわからないが、たいした耳聡さだ。魔力を読むのに長けている。記録球の内容をすりかえたところで気づくだろうし、破壊すると逆に薮をつついて蛇を出しかねない。
「ゼフィアさんに続いて暗示をかけてもいいんですが………」
呟き、しばし思案するように首を傾げる。
最も有効だと思われるが、彼よりも結界の威力の強いセイルーン中心部にいるので効果が今ひとつなうえに、あの合成獣が頻繁に顔を出すので面倒くさい。あの合成獣に気づかれるのがいちばん困るのである。思考手順は自分たちに近いが、判断基準や価値観がリナたちのせいでかなりいびつに形成されているため、動きが読めない。
人に対する暗示というのも、精神世界面からの攻撃というほどではないが、それでも自分たち魔族の行動倫理ぎりぎりの行為でもあるため、非常に力加減が難しいのも事実だ。
殺すのがいちばん楽で手っ取り早いのだが、そうなるとおそらくリアにこちらの仕業と気づかれる。それだけは非常にいただけない。
気づかれるのはまずい。主からの使命を果たせなかったことになる。
だが、それでも興味がある。あのとき赤毛の剣士のもとに彼女らを誘ったときのように。それ以上に強い興味が。
―――今度はどうするのだろう。
かつての仲間ではなく、より近しい、自らの血を分けた子が―――あのときと同じように目覚めたら。
そして、あのときとは違う要素として、今度は―――。
ゼロスは嗤う。
こんなおもしろそうなことはない。計画の立案を任されていなければ、もう絶対に中立の立場をとり静観している。
「前倒しで、様子見………あたりが妥当ですかね」
小さく肩をすくめ、獣神官はふわりと闇に溶けた。