Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】〔8〕

 あれから母親を質問攻めにした後、双子は何をするでもなく片方の部屋で黙りこんでいた。自室は別々にあるが、一人でいる気にはとてもなれなくて、まだ楽器類のあるユレイアの部屋のほうが気がまぎれるだろうと、ここにいる。
 あの後、姿を見せたリアはちょっと笑って、だいじょうぶよごめんねと謝りながら双子の頬にそれぞれくちづけして帰って行った。昔からリアはよく親愛のキスをくれる。その度に双子も笑ってお返しするのだが、今回はできなかった。
 くちづけのために身を寄せたリアから、花が香り、鈴が鳴り、それらがすべてたったひとりのための物だと知る。
 クッションを抱きかかえたまま長椅子にもたれているアセリアが、ぽつんと呟く。
「そんなことってあるんでしょうか」
 うっすらと目の縁を赤くして、アセリアはクッションに顔を埋めた。母親にさんざん問いただしたにもかかわらず、まだどうしても信じきれない。
 手持ちぶさたに据え置きの竪琴をいじっていたユレイアが顔をあげ、きゅっと唇をひき結ぶ。
「私だって信じられないけれど、実際そうだからクーン姉上もあんな顔するんだ」
 足下のペダルを踏みこんで弦を転調させると、ユレイアはそのまま無言で竪琴を弾きはじめた。
 泣かない代わりに、胸を痛ませるような切ない音が溢れだしてくる。
 アセリアは大きな溜め息をつくと頭をひとつふって、自身も横笛を手にとった。歌うことが多いユレイアは必然的に笛などの管楽器を扱えない。それを補うようにアセリアは管楽器ばかりを習いおぼえてきた。
 ―――ふわりと浮きあがるような高音。
 ユレイアの竪琴の音が一瞬止み、すぐに横笛の音に合わせて旋律を再開した。
 音は絡みあい窓からこぼれだし、風に散る。
 やがて歌声がそれに重なった。
 アセリアと合奏しているので、いつもの即興ではなく、きちんとした歌詞のついているよく知られた歌だった。どこか哀切な旋律がこの季節にふさわしいとして、吟遊詩人たちの冬の訪問歌としてよく唱われる歌。
 回廊を行き交う家臣や衛士たちの足が止まり、くだんの窓を見あげる。夏の(いさか)いがまるで嘘のようだと、みな目を細めて調べに聞き入った。―――最近この二人がよく合奏するようになった理由が、出奔後に歌で生計を立てるためだと知ったら、聞き入るどころではなかっただろうが。
 外の様子などまるで頓着することなく一曲奏し終え、アセリアは唇を離した。ユレイアはそのまましばらく適当な和音を流し弾いていたが、不意に大きく目をみはって立ちあがる。
「ユレイア?」
 怪訝な顔をするアセリアにかまわず、ユレイアは竪琴から離れて机の前に駆けよると、そこからひとつの記録用の宝珠(オーブ)を取りだした。その拍子に積みあげていた物の山が崩れ、羊皮紙や書物が盛大に床に散らばる。
「ちょ、ユア。机」
「いいから」
 呆れた顔のアセリアをいなし、ユレイアは記録球(メモリーオーブ)を手に長椅子までやってくる。中に入っているデータの内容がわかるようにと染料で印をつけられたそのオーブを見て、アセリアは驚いた。
「これ、こないだの」
 頷いて、ユレイアは強ばった顔つきのまま告げた。
「私の歌で、何とかすることはできないんだろうか」
 その言葉が示唆(しさ)することを正確に察し、アセリアは大きく目を見開いた。
 慌てて首を横にふる。
「ユア! こないだ母さまたちに約束したじゃないですか。音に(ほど)いた混沌の言語(カオスワーズ)を人には用いないって!」
「―――わかってる。わかってるけど、いま思いついたんだ。母さまが言うように、クーン姉上だけ見えないっていうのが認識の問題なら、それはアストラル的なものだ。そして、私なら」
 アセリアに口をはさむ隙を与えず、ユレイアは言葉を続けた。
「私なら、アストラルパターンを分解して、呪文のなかに組みこめる。私にしかできない」
 ユレイアは記録球に魔力を流して起動させた。
 途端に溢れだした複雑に絡みあう旋律を聴くのは、アセリアにとって二度目のことだった。
 一度目は、両親とリナがいた。
 そのときに、この旋律が何なのか知らされている。
 いつかの父とリアの手合わせ。幾重にも連なる鋼の音が空間を切り裂くようだった、一触即発のあの剣舞。母親の怒りに面食らった。記譜をすると言って駆け戻っていってしまったのは、いま目の前にいる双子の妹。
 記憶のなかでは、それはよく晴れた秋の昼下がりのことだった。



 よじれるような甲高い擦弦音(さつげんおん)と、やや低めの吹奏音。この二種の音が生みだす旋律を背景に、硬質な高音が流れるような速さで奏でられていく。他にも、何の楽器かはわからない幾つもの音が重なりあい和音を成していたが、全体を包括し音と音につながりを持たせているのは人の声とも思えぬほどに重ねられた複雑な歌だ。
 変な楽曲だった。主題はあるが、それは数秒にも満たない弾けるような短いものだ。それが変幻自在に組み合わされ、次の変化の予想がつかない。音楽の定法を無視した形で作曲されていた。息もつかせない勢いで流れ、歌の背後で、前面で、二つの旋律が対立するように絡みあっていく。鋭い音が脳髄に潜りこんでいくようだ。
 音楽を―――夜明けを思わせる曲とか、月光を思わせる曲などと、表現することがある。万人が聞いても「それらしい」と思えるような音や旋律というものは、たしかに存在する。そう言った曲はユレイアいわく、そのものの本質を現す音や音律が曲のなかに含まれている―――ということになる。
 そのような意味から、いま聞いているこの曲を一言で表現するとしたら―――剣と剣。
 無数の音の重複は、無数の意味の重複。
 音によって剣劇の一場面が鮮やかに再現されていく。
 輪唱曲のように途切れなく続いていたその曲は、最大の盛りあがりと思われる箇所にさしかかり―――いままで片鱗も存在しなかった第三の旋律が炸裂したことによって、いきなり終わりを告げた。最初から最後までめちゃくちゃな曲だった。
 瞑目して聞いていたリナが、思わず目を見開いて叫ぶ。
「って、何でここで終わるのよ !? だれが邪魔したの、この試合!」
「わたしです」
 ぶすっとした顔でアメリアが申告すると、リナが唖然として親友を見た。
「あんたが?」
「だって二人とも手合わせだってこと忘れて本気になってるんですもん。わたしはどちらの腹部にも風穴があくのは見たくありません」
「どうやって止めたのよ?」
風魔咆裂弾(ボム・ディ・ウィン)です」
「あー、なるほど………言われるとそんな感じだわ、いまの音」
 リナは肩をすくめ、すぐに表情を厳しいものに変えてゼルガディスを見た。
「ゼル。あたしは前情報なしでこれを聴いて、あんたとリアだと思ったわ。んでもって最後、あんたが仕掛けて、リアがそれをかわして反撃した―――で、間違いない?」
「―――ああ」
 ゼルガディスは短く肯定し、緊張した顔でオーブを持っているおのれの娘を見た。
「あのあと、これを作ったのか?」
「はい」
 小さく頷いたユレイアを、傍らに座るアセリアが興奮した口調で褒める
「すごい。本当にクーン姉上と父さまの手合わせみたいです。あのときの手合わせが音になるんだとしたら、本当にこんな感じだと思います」
「うん。そういうこともできるんじゃないかと、あのとき思いついたんだ」
 ―――降魔戦争よりも遙か以前、音律はいまよりも密接に魔法と関わりがあった。
 すべての事象には【音】がある。いまでこそ、その【音】は力ある言葉や混沌の言語のみに留まっているが、それ以前はもっと広い範囲の【音】が―――結界騒動のときの魔族の言を信じるなら、人間が音として捉えているだけで、もっと別の、波動に近い代物らしいのだが―――力ある言葉とされていた。
 その音―――魔族の言葉を借りるなら【振るえ】に働きかけ、望むとおりの結果を出させるのが魔法だ。ただの音の羅列にしか過ぎない呪文が魔法という現象を発生させるのは、対象の『振るえ』と呪文の持つ『振るえ』が、互いに干渉しあい、共鳴や共振を起こして(おそらくこの表現も例えとしては正しくはないのだろう)、本来の法則を曲げるためだという。
 いまはもう、混沌の言語としてしか認識できなくなってしまったそれらを、ユレイアは聞きとり、理解することができた。先祖返りとでもいうべき異能であり、他のだれにもそれを真似することはできない。
 過ぎた夏までは単なる趣味の研究でしかなく、呪文の詠唱を音として分解し、楽譜に書き起こしたりして遊ぶぐらいのもので何の役にも立たなかったし、立つとも思っていなかった。―――実際、原始的な法則だけあって無駄が多く、混沌の言語を分解して音に変換しなおすと長さが数十倍にもなってしまい、はなはだ非効率的なのである。過去に実験としてユレイアは、詠唱十秒にも満たないライティングを発動させるのに数分ほど歌い続ける羽目になってしまい、こりて二度とやらないつもりでいたのだ。
 それが、不本意すぎることに、よりにもよって魔族から手放しで才能を褒められてしまった。さらに皮肉なことに、その時に魔族から与えられた知識で視野も広がってしまい、より多くの可能性に気づいてしまった。
 あのときも父親とリアの手合わせを見て、もしかすると生きている存在や、一過性の出来事といったものも音で表現することができるのではないかと思いついたのだ。
 以前もセイルーンの都市全体そのものを大まかとはいえ音に変換し、そのせいで夏の結界騒動を引き起こしたのだが、そのときは普遍性のあるもの―――つまり、風や土、樹木などといった地水火風の四大元素や、魔道的な概念しか音にできないと思っていた。
 「だれかが歩いている」などといった一時的な行動や、歩いているその人そのものは音にはできないと思っていたのだ。動きがあるし、生きているから。
 あの手合わせを見た際にそうではない可能性に思いいたり、ためしに作りあげてみたこの曲を聞いてもらいたくて、こうして場を設けてもらったのだが、聞き終えた父親は難しい顔で天井を睨んでいる。
 ユレイアは不安げな顔で両親とリナを見た。
「あれね、ほら。アストラルパターン。魔力波動」
「だな。似たようなもんだろう」
「でもリナ、それって―――」
「わかってる」
「まあ、ユレイアの性格じゃ思いつきもしないだろうがな。どうしたものか………」
「あの………っ。父上、リナさん?」
 たまらずユレイアが声をあげると、ゼルガディスが溜息混じりに口を開いた。
「ユレイア。アストラルパターンについて知っていることはあるか」
 突然問われ、ユレイアは目を白黒させたものの、必死に頭のなかの知識を掘りおこして答えた。
「えっと、精神世界面(アストラルサイド)での目印みたいなもので、探索をかけたり、逆にそのプロテクトをかけたりするのに必要です。指紋みたいなもので人や物によって、違います。そういう意味では『気配』や『振るえ』によく似ています」
「そうね。じゃあ、ユレイア。アセリアもだけど、あんたたち、傀儡という術があるのを知ってる?」
 双子は揃って首をふった。
 魔道はひととおり習ったが、そもそも魔道というのは基礎を学んだら、あとは自分で呪文を見つけだしていくものだった。
 治癒やライティングなどはだれでも学ぶことができるが、攻撃呪文を他者に教えることは魔道士協会でも厳しく禁じられている。
 氾濫している数多の呪文の中で、詠唱が明らかにされているものはごくわずか。あとは自分で理論や方式をもとに見つけだしていくしかない。「竜破斬」や「火炎球」といった構築の手がかりとなる「力ある言葉」が知られている有名どころの呪文ならまだいいが、そうでない場合は一からの構築となる。
 それはつまり、その本人が思いつかない効果の呪文は編みだしようがないということだった。どの呪文を自分のものとするかは、その者の想像力や精神性、倫理性によってだいぶ変わってくる。
 双子の場合は師事したのがリナ、ともに学んだのがリアとティルトだったこともあり、一般の魔道士よりも広範囲の術を習得していたが、リナがいま口にした術は初耳だった。
 その傀儡の術がどういったものなのか説明を受け、双子は蒼白になった。
 リナが困った顔で肩をすくめる。
「まあ、あんたたちの性格からすると、そんな呪文があるなんて思いもよらなかったでしょうしね。あたしもンな呪文があるなんてわざわざ言わなかったし」
 子どもたちが何かしらの呪文を完成させて披露するたびに、答え合わせのように、その呪文がどのように使われ、魔道士の間でどのような位置づけをされているかを教えたのはリナだが、逆にそれ以外の呪文の存在は教えなかった。
「アストラルパターンってのは、そう言った他者に干渉するような呪文にも利用されるんですよ」
 アメリアがリナの言葉を補い、ユレイアの手に持ったオーブに視線を落とした。
「あの生ゴミ魔族の言葉に同意するのは非常に不本意ですが、たしかにあなたの才能は特殊ですね」
 溜息混じりに呟き、その手がユレイアの頭を撫でる。
「まさかここまで発展性があるものだとは思いもしませんでした。いままでの魔道の常識が変わるかもしれません。魔道士協会に発表すれば、おそらく絶賛されるでしょう」
「―――母上?」
 より不安をあおるような言葉に、ユレイアは少し怯えた目をして己の母親を見あげた。
「事象を音に―――それはいい。ただ、生きている者を音に―――はまずい。アストラルパターンの解析と利用を容易にしてしまうおそれがある。アストラルパターンは汎用性が高い技術なうえに、研究対象が対象だ。倫理性すれすれの研究方法をとる魔道士も多い。いまのところ音を理解できるのがお前だけだからいいが、研究の末にだれにでも扱える平易な技術となる可能性も否定できないからな。さっきもアメリアが言ったように、アストラルパターンは探索だけに使われるものじゃない」
 言われたことを理解するのに、少し時間がかかった。
「………父上」
 ユレイアは大きく目を見開いて、父親を見た。濃紺のその双眸は深みを増して、激しい恐れを秘めている。
「私がやっていることは、危険なことなのですか。私以外のだれかがそれを知ると、悪いことに使うかもしれないと―――?」
 アセリアが愕然として、ユレイアの手のなかのオーブを見た。
「魔道っていうのば、ぶっちゃけてしまえばただの知識よ。知識に善悪はないわ。人が使って、はじめて力になって善悪を持つ。得た知識をどう使うかってのは、使う人にかかってくんのよ。知識を提供した人じゃなくってね」
 リナがなだめるようにユレイアの髪を撫でた。
「さっきのはほんと、あたしでもすごいと思ったわ。ちゃんとうちのリアとゼルだって、何も知らなかったあたしも聞いただけでわかったもの。あんたの面倒を見ていることを、あたしは誇りに思う。このリナ=インバースの弟子だって、正式にお披露目したいぐらいよ?」
 最後のあたりは冗談まじりに片目をつぶって言われたが、ユレイアの表情は晴れなかった。
「私………どうすればいいんですか」
 まさかこんなことを言われるとは思わなかった。ただ思いついただけだったのに。
 しかし大人たちが危惧することはユレイアにも充分にわかった。思いついた当人だからこそわかる。ユレイアは呪文のほうも音に分解してしまえる。性質の違う情報の一元化は、互いの組み合わせと応用を可能にしてしまう。アストラルパターンに近い性質を持つ情報だというなら、本当に人への干渉が容易になってしまう。
 例えば、眠りの呪文。ユレイアはあれも楽譜に起こしている。あの音律を、いまオーブのなかにあるリアの音律に絡めて本人に聞かせてしまうと、いったいどうなってしまうのだろう。組みあわせる呪文がスリーピングなんて平和的なものじゃなかったら。
 その想像にユレイアはぞっとした。今更ながらに自分が興味本位でやっていたことの危険性に気がついた。
 助けを求めるように周りの大人たちを見まわすと、アメリアが口を開いた。
「研究するのはあなたの自由です」
 情け容赦のない選択権が与えられ、ユレイアは泣きそうになって母親を見た。
「世に出すのも自由ですよ」
「ずるい………! 何で、やめろって言わないんですか………っ」
「決めるのはあなたです。わたしたちは可能な限りそれを助けるだけ」
 アメリアは微笑した。
「だいじょうぶですよ。世に出すときは一緒にわたしたちもその責を負います。わたしはあなたの母親ですし、あなたはセイルーン王女でもあるんですから、一人で責任をひっかぶれなんてムチャは言いません」
「まあ、弟子のすることは師匠の監督のうちよね」
 リナはおかしそうに笑い、泣きそうなユレイアの肩を叩いた。
「あのね、そんなに深刻に考えることないのよ。黙ってりゃわかんないし、思いついたことは別にあんたのせいじゃないんだからね? むしろその発想と溢れる才能を自慢に思ってりゃいいのよ」
「お前は自慢しすぎだがな」
「自慢しなくてどーすんのよ。このあたしが」
 父親は頭痛をこらえるような顔で沈黙してしまった。
 そのやりとりをぼんやりと聞き流しながら、ユレイアは思った。なんてひどい親たちだろう。
 愛されているのは充分わかるのだが、愛しかたに容赦がない。そんな愛されかただと知ってはいても、こんな子どもには重すぎる。
 まだ十二なんだから、責任をそちらで負ってほしいだなんて思うのは、やはり甘え根性だろうか。やめろと言われれば、すぐにでもやめるのに。
 仕方なく、オーブを抱きしめてユレイアはうなずいた。
「考えます。この研究をつづけるか、やめるか。私は、私の思いついた技術で人が傷つくのは見たくない」
 父親が微笑して、めずらしく頭を撫でてくれた。
 それをアセリアが見咎め、ずるいと唇をとがらせる。その様子にようやくユレイアは笑うことができた。
 遠い将来、彼女も力を手にする。自分とはまた違う力。玉座に付いてくる力を―――。
 互いがいる限り、自分たちが間違うことはないだろう。きっと片方が間違えば、片方が止めてくれる。
 とりあえず、もう魔道を研究するのはやめようと思った。自分には呪文を片手間に楽譜に記すくらいでちょうどいいのだ。最悪、歌さえあればいい。魔道はそこから派生した好奇心によるもので、どうしても失えないものではなかった。
 このオーブの内容も消してしまおう。
 そのときは、そう思ったのだ。