Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】 前編 〔11〕

 これは夢だ―――。
 意識の片隅でわかっていながらも、痺れたような熱が頭の芯で(うず)き、それ以上の自覚を阻んだ。
 真実しか映しださないおとぎ話の鏡のようなその蒼穹の瞳に対して、自分は剣を向けている。
 自分にはないものをすべて持っている弟。溢れる陽光のような。
 胸が痛くなるほど愛おしい、たったひとりの。
 取り返しがつかないことだと。赦されることではないと。知っていながら、それでもたしかに今このときを望んで刃が交わされる。
 ぶつかりあう鋼のきらめきはオリハルコンにも似て、鈍い銀の火花を散らす。
 高らかに続く剣戟(けんげき)―――一合、二合、三合、飛び離れてはまた打ち合わされる互いの剣。
 天与の才。どこまでも伸びゆく若木のようなその剣技の冴えを、心から愛した。同時に、欲した。それもまた心から。
 決しておのれのものにはならないと知っていながら。
 憤怒と嫉妬で地団駄踏むほどに。なまじ半端に才があったからこそ。
 灼けつくようにリアは願う。
 このまま、粉々に叩きつぶしてくれればいい。
 中途半端な敵愾心など抱けぬほどに、完膚無きまでに砕けばいい。
 超えていくことを渇望して、決して超えていけぬことを知っているから。けれどそれでもまだ一縷(いちる)の望みにすがりついているから。
 剣を向けられた弟は何かを言いかけ、それから無言のままに―――動いた。
 その透徹とした蒼穹の瞳。
「あんたには一生かかってもわかるはずないッ !! 」
 八つ当たりにしかすぎない絶叫に煽られて、二筋の剣閃が奔った。一筋になるために惹かれあうような銀の光条が真っ向からぶつかりあう。
 (きし)むほどの剣撃が起きた。オリハルコンが一斉に()く。
 そして経過だけを曖昧な残像にしたまま―――剣先が、その左胸へと真っ直ぐに吸いこまれていった。
 呆然と見返す蒼穹の瞳に、おそろしく醜い顔をした女の姿が映っていた。
 誰だ、これは―――瞳ばかり、血のように赤くて。(わら)って―――手が生温くぬめる。刀身が肉を割る生々しく重いその感触。
 心臓を貫き真紅にまみれて背から突きだす銀の剣。
 ふるえる弟の唇から吐きだされた赤い飛沫が視界を汚し―――。
 リアは絶叫した。



 絶叫した。
 そう思ったが、実際には目を見開いて跳ね起きただけだった。ここはどこで自分はだれで何をして何が現実だ―――?
 荒い呼吸をくり返しながら、リアは落ち着きなく視線をはしらせ―――壁に立てかけてあった剣に目が留まると、毛布をはねのけて寝台から降りた。
 足がもつれ、剣の前に座りこむような形でたどりつくと、鞘と柄を封印してある革紐をもどかしくほどき、一息に剣を抜きはなつ。
 中途半端な重さと、途中で絶える抜剣(ばっけん)の手応え。無惨な斬り口を確認し、魂が抜けだすほどの息を吐くと、リアはその場にうずくまった。
「………夢、だ。ただの夢………」
 そう呟いた途端、感覚が現実に戻った。痛いほど冷えきった床に体のあちこちが抗議の悲鳴をあげはじめる。
 安堵のあまり力の入らない腕で剣を鞘におさめ、リアは寝台に戻ると毛布をたぐりよせた。胎児のように膝を抱えて丸くなる。まだ鳩尾(みぞおち)のあたりが冷たかった。
 最初のショックが過ぎ去ると、今度は体の芯からふるえが湧き起こってきた。
 何を今更―――。
 自分があのときやったことは、つまりはそういうことだ。
 夢は何ひとつ違えてはいない。勝てるはずがないとわかっていたとしても、あの結末は起こりうる未来として、間違いなく用意されていたもののうちのひとつだった。
 わかっていて、自分は剣を向けたはずなのに。
 それなのに、何を今更。賢しげに安堵などして、何と愚かな―――。
(愛しているわ)
 発作のように咳きあげてきたその想いが、(せき)を切って双眸から溢れだした。
 万が一、殺していたら、今頃―――。
(たったひとりのあたしの弟)
 何もかもが赦されない。
 おのれのしたことを棚上げして安堵している自分も。望まれることを願う自分の浅ましさも。愛しく思うことも。憎くてたまらないことも。ここに留まっていることも。何もかもすべてが。
 むしろ、声高に糾弾して何故となじって、怖れと敵意を向けてほしかった。家族をも巻きこんで、いままでの心地よい関係を破壊して、断罪すればいい。
 そうしてくれればと願う一方で、弟にそれができるはずがないこともまた、知っていた。
 どこまでも自分は狡い。
 もう、何を言ってやる資格もない。赦してほしい、愛していると、言えるはずもない。
 いまこうして泣けるような立場でもない。それを犯したのは自分なのだから。
 本当に自分はどうして。どうして、あそこで灼き切れてしまったのだろう。あのときの衝動を今更理解できるはずもない。屈託など、それこそ死ぬまで抱えていけばよかった。ただ愛していけばよかったはずなのに。
 いまとなってはたどりついた底辺で、祈りとも呼べない想いが這いあがることもできずにわだかまっているだけだ。
 願ってもいいか。望んでもいいか。
 壊したものを、いまさら護ると。
 砕いたものを、いまさら庇うと。
(未来を)(あんたを)(あんたたちを)
(未来から)(あたしから)(あたし自身から)
 護らせて―――。
 赫い双眸を輝かせておぞましく嗤うのは、自分自身。
 もう遅い、と闇が嗤った気がした。
 いつでも手遅れになってから、自分は真実に気づくのだ―――。



 その日から、リアはくり返し夢を見る。
 殺し続ける夢から覚めない。
 見続ける夢に、殺した死体の数だけが増えていく。
 気が狂いそうになるころ、唐突に夢の内容が変わった。
 現実通りに剣を折られる夢だ。くり返し剣を向け、くり返しそれを斬り折られる。
 何の意思も意図もなく、透明に。ただ淡々と、幾度も剣を折られる。
 夢のなかで、剣とともに何度も叩きつぶされて砕かれていく目には見えないものが、もはや何なのかもわからなかった。



「………あれ?」
 私室でひとり、アストラルパターンを音に変換していたユレイアは首を傾げた。
 あたりは一面に音符や記号が書き散らかされた石盤や石墨、いくつもの記憶球(メモリーオーブ)が散らかり、おおよそ一国の王女の部屋とはいいがたい惨状を見せている。
 ユレイアはさきほど引っかかった箇所まで巻戻し、もう一度自身が吹きこんだ音を再生した。
 同時にアストラルパターンの該当する箇所を照らしあわせる。
「何だろう、この部分。この音、どっかで………」
 いま手にしているオーブはリアのものだ。アストラルパターンを解析し、同時に音に(ほど)く作業の途中だった。リアが終われば次はゼフィアのものにとりかかる予定だが、予想以上に作業が難解でなかなか先に進まない。
 いまもユレイアの勘にひっかかった何かが、作業を滞らせていた。
 リアのアストラルパターンのなかに、どこかで聞いたこと、感じたことのある一部分がある―――。
 首を傾げたが、それが何なのかはどうしても思いだせなかった。
 リアは、ユレイアが生まれたときから一緒にいる姉のような存在だ。その気配にもよく馴染んでいる。どこかで聞いたり、感じたりしたような気がするのも当たり前かもしれない。
 そう思いなおし、ユレイアは再び作業の続きに戻っていった。
 散らかった部屋のなかには、もうだいぶ以前から放りだされたままの羊皮紙や石盤もある。
 リアとゼフィアのアストラルパターンを研究する以前、ユレイアは呪文の音律分解をして遊んでいた。混沌の言語を音に分解しては、旋律を楽譜に書き起こしていたのだが、いまとなっては再開される気配もなく、その羊皮紙は他の紙類のなかに埋もれてしまっている。
 夏の結界騒ぎのときには、精霊魔法までを終えていたその分解は、放りだされる直前には黒魔法にとりかかっていた。
 竜破斬―――この世界の魔王の力を借りた最強の攻撃呪文。その詠唱において魔王を定義する混沌の言語(カオスワーズ)は、途中まで記譜されたまま、部屋の片隅に眠り続けている。
 そしていま、その冒頭とほとんど同じ旋律を、ユレイアの指が別の真新しい羊皮紙に記譜し終えたところだった。