Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】 前編 〔12〕

 夢のなかでまた剣を折られた。
 斬り飛ばされた切っ先が頬に鋭い痛みを(はし)らせたのを合図に目を覚ます。
 頬に手をやるが、当然ながらそこには何の傷もない。思わず溜息がもれた。全身が鉛を仕込んだように重く、頭が鈍く痛んだ。
 リアは緩慢な動作で手を伸ばし、すぐそばの窓を開いた。すでに日は高い。
 冬が近く、涼しさを通り越して肌寒い大気が窓から入りこんできたが、肺が洗われるようで心地よかった。腫れぼったい(まぶた)をひやりとした感触が撫でていく。
 鈍い頭痛はまだ頭の芯に残っていたが、無視してリアは起きあがった。欠伸を噛み殺しながら部屋を出る。
 髪に手をやると、すぐに()れて頭皮がひっぱられた。リアの髪は柔らかいせいもあって、まとめてから寝ないと、もつれて大変なことになる。
 いまも手櫛ではどうにもならない状態までからんだ髪を指で揉みほぐしていると、居間にいた母親が呆れた顔でブラシを持ってやってきた。
 目で座れと示された先には、茶を入れたカップが置いてあった。おそらくリナ自身が飲もうとしたのだろう。淹れられたばかりで、まろやかな湯気が立ちのぼっている。
 黙ってその命令に従うと、さっそく背後に母親が立つ。
「ったく………。どうやったらここまでからまるのよ? あたしでもここまで糸くずみたいにしたことないわよ」
 ぶつぶつ言いながらも、どういう風の吹きまわしか、リナは娘の髪を手ずから梳いてやっている。
「んー」
 まだ半分寝ているような状態の娘のほうは、めずらしいこともあるものだと思いながらも思考をそのまま遠くへ流し、目の前にあったカップを手にとって遠慮無く中味を飲んだ。
「苦ッ !?」
 おそろしく甘苦くて瞬時に目が覚めた。
 甘さと苦さは別々の味覚なのだということを、嫌というほど思い知らされてしまった。それほど両方の味をつきつめた代物だった。喉が焼けるほど甘いのに、顔が歪むほど苦い。
 涙目でリアは背後の母親をふり返った。
「母さん、何これ」
「スウェルチア」
「何で朝からそんなもん飲んでるのよ !?」
 千回振り煮出してもまだ苦いとかいう、苦さの代名詞のような胃腸の薬草だった。
 娘の髪に毛先から丁寧にブラシをあてている母親は涼しい声で答えた。
「あたしは飲んでないわよ。飲んでるのはあんた。一応、死ぬほどハチミツ入れてあげたわよ―――ほら、頭動かさない」
 リアは憮然として正面に向きなおった。
「何でこれ飲まされてるのあたし」
「寝不足だと胃が荒れるわよ。ブルーリーの実は多量に摂るとあんまり胃に優しくないしね」
 ばれている。
 リアは溜息をついて、もうひとくちだけ茶を啜った。やはり死ぬほど苦くて、死ぬほど甘い。
眠り(スリーピング)は自分にはかけらんないし、自己管理は自分で何とかしないとね」
 他人事のように言いながら、リナは娘の髪を梳いていく。癖と髪質がまったく一緒なので、どのあたりを梳けばもつれが解けるのかがわかっているらしく、その手つきには迷いがない。
「まったくかからないってわけでもないじゃない?」
 リアが反論すると、背中から自称天才魔道士の歯切れの良い答えが返ってきた。
「あー、あんたが前に開発したアレンジのやつ? でも、あれだって格段に威力が落ちてたでしょうが」
 リアが旅に出る前の話である。何だってそんなしょうもない呪文を開発したのか周囲からは不思議がられたが―――よほど不眠症なのかといらぬ心配もされたが、単なる研究の副産物である。自分にしかかけられない魔法や、他者にしかかけられない魔法の範囲定義やアレンジの研究をしていたのだ。
「あのアレンジバージョンの眠りだって、効果は弱くなったくせに「丸暗記で発動」から「イメージトレーニングが必要」にまで難易度があがってたじゃないの。眠りを自分にもかけられるってのは、あんたの呪文唱えるときのイメージがしっかりしているからよ」
 簡単な術ならともかく、高位の術には呪文詠唱と動作の他に、ある種のイメージトレーニングが必要となる。
 リナはことに精霊魔法のそれを苦手としており、崩霊裂(ラ・ティルト)をはじめとして幾つか使えない術が存在していた。復活もそのひとつである。
 自身は使えない復活を、リナは子どもには習得させたがった。結果、崩霊裂と復活はアメリアに師事する形で姉弟とも習い覚えている。
「あんた精神系のイメージ得意だしね」
「んー、そう?」
 リアは口のなかの苦みに顔をしかめながら相槌をうった。
 先の二種の呪文の他にも、リアは雷花滅撃吼(ラザクロウヴァ)烈閃牙条(ディスラッシュ)など、リナの手持ちにない呪文を多く習得していた。黒魔法は最低限にとどめ、精神系の精霊魔法を重点的に覚えたため、母娘で使用呪文が重なっていないのだ。リアが覚えた呪文を報告するたびに、母親はどこか懐かしそうに目を細めて苦笑していたが、だれを思いだしていたのかまでは知らない。
「あんた、魔道の才能けっこうあんのよね。あたし似だわねー」
 最初は頭皮がひっぱられるほど櫛通りの悪かった髪は、いまでは綺麗に根元から毛先までブラシが通るようになっていた。
 梳き終わった髪を指でくるくる巻いて巻き毛にしてやりながら、リナは何気ない口調で後を続けた。
「あんたがこっちのほうに興味がないってのも残念な話よね。見切りつけてこっち来るなら、いまのうちよ?」
 ぞっと背筋が総毛立つ。
 目には見えない刃が、研ぎ澄まされて狙いを定めていた。
 空気を切り裂いて、放たれる。
「剣に関しては、どうせティルのほうが、あんたよりも才能あるんだし―――」
 放たれて突き刺さる。穿(うが)たれて息が止まる。
 背後の気配も、巻き毛を整えてくれる指の感触も遠ざかり、茶の後味ではない苦さが口のなかいっぱいに広がって―――。


 目を覚ました。


 見開いた視界いっぱいに自室の天井が映しだされている。
 口腔(こうこう)がからからに干上がっていた。
 どこまでが夢だ。これも夢か。
 起きあがって窓を開くと、外は明けようとする菫色の薄闇に染まっていた。昼ではなかったのか―――違う、それは夢だ。いや待て、いつの昼だ。
 いまは、いつの夜だ………?
 枕元の水差しをつかんで傾けたが、空だった。リアは舌打ちして浄結水(アクア・クリエイト)を唱え、アレンジさせて容器の内側に水を出現させた。あらためて水差しを傾ける。少々勢いがよすぎて、溢れた滴が顎から滴った。その冷たい感触の現実感に安堵する。
 水差しを戻してから口元を拭い、リアは視線をさまよわせた。こぼれる髪を無意識のうちにかきあげる。
 記憶はひどく混乱していたが、それでも昨日の夜の眠りにつくまでの経緯を、時間はかかったがきちんと思いだすことができた。
 安堵して息を吐き、リアは枕を起こすとそこに上半身を預けた。
「言われたか………夢だけど」
 もはや笑い飛ばせそうにもなかった。
 リアの魔力容量は母親とほぼ同等。そして、一度に使える最大魔力のほうも、似たようなものだった。下手をすると母親よりわずかに大きいかもしれない………確かめたことはないが。
 幼い頃、母親の詠唱をそらで覚え、それなりの魔力容量を必要とする術すらそのまま発動させてしまう娘を見て、母親はいっさいの呪文を娘の前で唱えることをやめてしまった。
 代わりに基礎をたたきこみ、思いつく限りの呪文を組み立てさせられた。
 母と子の魔道講義にはそのうち弟や双子も参加しはじめ、リアは自身も教わりながら、彼らの面倒も見た。
 そうしながら皆で魔道を修めたが―――結局だれも最後まで極めようとはしなかった。
 基礎ができて術のアレンジが可能というと、世間では相当のレベルだが、この一家に常識は通用しない。皆、適当に満足した時点でそれぞれ途中で習得を止めてしまった。
 双子はやる気はともかく、そろって魔力容量が足りなかったし、リアとティルトは魔力容量はともかく、こちらはそろって魔道より剣術のほうに興味を示してしまった。
 リナは怒りもしなかった。リアの才能がもったいないなどとは一言も言わなかった。
「―――あんたの好きにすれば?」
 けろりとした表情で、そう言っただけだった。
 しかし今となっては、リアよりティルトのほうに剣の冴えが見られることは一目瞭然だった。姉のほうにも才がないわけではないのだが、弟のほうが圧倒的すぎるのだ。
 果たしてこの事実に現在、母親が何を思っているのかはわからない。
「これは………あたしの、逃げかな」
 いまさら宗旨変えしたとて何になるというのだろう。何て浅ましくつまらない夢を見たことか。
 明けてゆく空を見あげ、リアは溜息をついて目を閉じた。
 休息のために眠っているのか、疲労するために眠っているのか、もはや判然としない。眠ればきっとまた夢を見るだろうが、睡魔はそれでも訪れる。
 菫色の薄明のなか、心の闇と体の疲労に溺れるようにリアはまた眠りに引きこまれていった。
 そしてやはり、夢を。



 何の夢だったのか。
 自分が殺す夢だったのか、自分が殺される夢だったのか。どちらの夢を見て目を覚ましたのか、もはや憶えていなかった。
 悪夢を見て目覚めた自分を母親が気遣い、小さい頃のように頭を抱いて髪を撫でてくれる。
 きらめく強い夏の光のような、鮮やかな光輝をその身から発する母親。
 自身のしてきたことを語る口は重く、ほとんどの者は()されたことの真の意味と価値を知らない。娘の自分もその一端しか知らない。むしろ、人間(ひと)ではない存在のほうがその事実をよく知っているという、稀代の魔道士。
 娘に背丈も腕力も追い抜かれてしまって、とても華奢でちんまりしてるのになあ―――などと思いながら、されるがままになっていると、母は娘をいたわりながらこう口にする。
「―――どうせティルのほうが強いんだし。無理しないほうがいいわ」
 そして、夢は粉々に砕け散る。
 もはや溜め息を吐いただけでリアは起きあがり、緩慢な動作で髪をかきあげた。
 壁に寄せた寝台はすぐ横に窓がある。彼女が窓を開けると、庭の裏手で父親が鍛錬をしているのが見えた。リアの姿に気づいて手を止めると、笑って手をふる。
 リアも笑って手をふり返した。
 父親の手には見慣れた愛用の剣が握られている。ほっそりとしたその刀身に不可思議な紋様の描かれた魔剣―――斬妖剣(ブラスト・ソード)
 リアが生まれる以前からの父の愛用品であり、あまりに無造作に扱われているので、伝説級の剣だと到底思えないのだが、魔法剣に関する文献には光の剣と並んで名前の登場する剣だった。
 剣を鞘におさめたガウリイは窓のそばまでやってくると、そのまま手を伸ばしてわしわしと同じ色の髪を撫でた。
 くすぐったさに、リアは小さく笑う。
「お前さん、最近寝坊だなあ」
「母さんと同じで寝穢(いぎた)いだけよ」
 ごまかすつもりはなく、あくまでもじゃれあうつもりで軽く言い返しただけだった。
 昔から父親は聡すぎて、嘘をついてもすぐに見破られてしまう。それどころか、本人さえ気づいていない不調なども言い当ててしまうことが多く、父親の前では素をさらすのが子ども二人のあいだでは当たり前のこととなっていた。―――リアの場合は、隠し事を抱えている状態が『素』なので、そういう意味ではたえず騙していることになるのだが。
「少し痩せたぞ」
 そう言って、父親は目を細めてリアを見た。
 その真っ直ぐな金の髪が風に踊るさまに、奇妙に心奪われる。
「いくらおれやリナでも、夢のなかまでは助けにいってやれないからな。でも、目が覚めると必ずだれかが傍にいて、お前を支えるよ。おれやリナや、ティルやユズハがな」
 リアはただ笑ってそれを聞いていた。
「ごめんなさい。鍛錬の邪魔しちゃった。続けてよ」
「ちょうど終わるところだったんだ、気にするな。こいつは切れ味が鈍くならないから、手入れも必要なくて、終わるのは楽でいいんだ。少しつまらないけどな」
 苦笑して、父親は腰の剣を軽く叩いてみせた。
「その剣―――きれいだよね」
 刀身がぬめるように輝き、うっすらと淡い紫を帯びている。何度見ても妖しく美しい剣だった。
 母親いわく、自動辻斬り装置のようなモンだから。父親いわく、危ないから―――と、リアとティルトは小さい頃は柄にすら触らせてもらえなかったが、いまならわかる。たとえ自分の子どもとはいえ、父は己の剣をだれかに触らせるのには抵抗があったのだろう。剣士は自らの命を預ける得物を、簡単に他人に渡したりしないものだ。
「んー、そうか?」
 剣の綺麗さなどどうでもいいことらしく、のんびりと父親はそう答えたが、ふいに思いついたように言った。
「そうだ。いつか、おれが剣がふるえないぐらいにじーさんになったら、この剣はお前にやろうか?」
 心臓が大きく音をたてて跳ねた。
 寝台に座りこんでいる足の爪先から、冷気が痺れるように体を這いあがっていくのがわかる。
「あ………」
 思わず息を詰めた。うまく言葉が紡げない。
 目が(くら)んだ。あまりにもまばゆく。
 伝説の剣。父親の剣。
 自分にとってある意味、侵しがたい「何か」そのものである、その剣―――。
「あたし、に?」
「ああ」
 屈託なく父親は頷き、首を傾げた。
「それともいらないか?」
「ううん。そんなこと、ない、けど………」
 強張った笑みを浮かべ、リアはむりやり舌を動かした。
「あたしより、ティルのほうがいいんじゃない?」
「そうか」
 あっさりとガウリイは頷いた。
 その目が直視できない。
 弟と同じ色の双眸。うつくしく透明な天上の青。手に届かない、至高の。
 無造作で穏やかな声がした。
「お前がそう言うんならそうするか。あいつのほうが(・・・・・・・)使いこなせるだろうしな」


 それは、どういう―――。


 奈落が足元でその大きな(あぎと)をひらいていた。
 ためらいなく、幽冥の闇の向こうに身を投げだした先で、やはり―――。
 リアは、目を覚ます。



 どこまでが夢でどこからか現実か、区別がつかなくなりつつあった。
 起きてもどこか不信感が残る。会話していても違和感が消えない。
 常にどこか精神の一部が乖離(かいり)していた。頭の上から吊られて動いているようだ。
「―――リア、あんたどうしたの。すごい顔してるわよ。ここ二、三日、ちゃんと寝てんの?」
 何て答えただろう。答えたのはたしかなのだが、答える自分がまるで他人事のようにしか思えない。
「無理して起きてこなくてもいいわよ。寝なおしたら?」
 母親の気遣わしげな顔すらも夢と同じで。既視感が強くなるばかりで、いっこうに覚めない。
「寝れないなら、ブルーリーの実とか使う? それともあたしが眠り(スリーピング)かけたげようか?」
 夢と同じことを言わないでほしかった。本当にわからなくなる。
 やっぱり、いま意識があるこの光景も夢だろうか。何を以て夢と現実の境界を分かつのだろう。違いは何だろう。
 幾つもの夢の入れ子。夢のなかに夢があり、またそのなかに夢がある。夢から覚めてもまた夢のなか。抜け出ても抜け出ても内側のままで。
 自分がどうしてここにいるのか。もう不審感を覚えることすら億劫だった。
 ふらりとさまよわせた視線が、不安げに見つめてくるティルトのものと交差した。
 顔を見た途端―――リアは強くかぶりをふって、発作的に湧き起こった衝動を追いやった。
「母さん。あたし、しばらくここ戻らないから。ここいると寝られない」
 夢の影響が強すぎる。弟の顔が直視できない。
 ならば、どこに行くのかと問われ、リアは投げやりに答えた。
「どこでもいい」
「よくないでしょーが」
 思いきり突っこまれ、リアはなかば朦朧とした思考で考えた。
「えっと、じゃあ、ゼフィのとこ。何か寝られるの処方してもらってくる。眠れなくて死にそう」
「待ちなさい、リア」
 呼びとめられて物憂げにふり返ると、母親はストールを手に娘の傍までやってきた。
 ふわりとストールがリアの頭にかぶせられる。
「…………えっと?」
 意味がわからず、リアは母親を見た。
「自分の面倒は自分で見るのが鉄則だけど、どうしても見られないときに誰かを頼るのは、当たり前のことなんだからね。あんた、小さいときけっこう体弱かったのよ?」
 リナの指がストールからこぼれた髪を巻き毛に整えていく。指が髪に触れるその感触。夢はこんなところまで現実に忠実だった。
「歳に見合わない魔力容量はあるわ、原因不明の高熱は出すわで、さんざん心配かけてんだから、いまさら遠慮しないでほしいわね。あんまりあたしとガウリイを馬鹿にするんじゃないの。甘えたいときには甘えなさい―――まあ、それはともかく」
 おのれより背の高い娘を見あげて、リナは苦笑した。
「家族以外に甘えられる相手を見つけたら、人生半分は賭けに買ったようなもんよ。いってらっしゃい、放蕩娘」
 これが夢だとしたら、あまりにも現実の痛みに近しい夢だった。
 これが現実だったなら、泣きたくなるほどにいつもどおりの、愛しい母親だった。
「―――姉さん」
 ふり返ると、弟が言った。
「いってらっしゃい」
 ああ、この弟は。本当にどこまでも―――。
 リアは返事をせず、ただストールの奥で小さく頷いてから、外に出た。



 姉が出ていった戸口を眺めたまま動かないティルトに、リナは溜息混じりに声をかけた。
「―――あんたたち、夏から変よね」
 びくりとしてティルトが母親をふり返った。その青い瞳に怯えたような光がある。
 以前は反りが合わずとも仲が悪いわけではなかったはずなのだが、どうも三年ぶりに顔を合わせて以来、うまくいっている様子がない。
「まだお腹痛いの?」
「痛くねぇよ」
 ティルトは少し怒ったような口調でそう言い返した。
「考えたけど、まだ足りない。でも疲れてきた。それだけ」
 リナは目を細めると、なだめるように息子の頭を撫でた。同じ色だが手触りはまったく違う。するりと手から逃げる、真っ直ぐな髪だ。
「あんた、リアのこと好き?」
「………うん」
「リアもあんたのこと好きよ。あんなんでもね」
「ユズハにもそう言われた」
 リナは軽く目をみはった。ユズハがティルトにそんなことを言うとは、ただごとではない。ユズハは基本的に自分がからまない他人の好悪にはかなり無頓着だ。
「―――あんたたち何があったの」
 遅まきながらそう訪ねたリナに、ティルトは少し迷った末に、短く答えた。
「絶ッッ対、………言わねぇ」
「あっそう」
 思いきり鼻白んだリナは手を離し、あっさりと身をひいた。その反応に逆に言ったティルトのほうが、戸惑いがちに瞳を揺らす。
「言わないなら手出ししないし助けようもないわよ。自分でなんとかしなさい」
 リナは深々と溜息をついた。
「だけどお願いだから、これだけは憶えといてティル。あたしやガウリイは、いつでもあんたを助けられる位置にいるし、助ける気があるの。忘れずに思いだして、そして望んでちょうだい」
「………姉さんにも言えよ、それ」
 ティルトがうつむいたまま、ぼそぼそとそう口にした。
「まったくだわね。言いそびれたわ」
「あのさ、母さん」
「ん?」
「わからないことって、母さんにも怖いことなのか―――?」
 微妙な言いまわしの問いだった。
 リナは無言でティルトを見直したが、相手は唇をひき結んだまま母親の答えを待っているだけだった。
 仕方なく、リナは溜息混じりに答えた。
「そりゃ怖いときだってあるわよ。でも、わかってしまうことも怖いときだってあんのよ」
「何だそれ」
「わかんないことは、とにかくぶち当たってみりゃわかるときもあるけど、わかってしまうことってのは回避できないもんでしょ。わかりたくないことをわかってしまうのはそりゃ怖いでしょうよ」
 ゼルガディスを(たと)えにするのはもうしわけないが、元の体に戻る方法がわからないことより、戻る方法がないとわかってしまうことのほうが怖かったはずだ。彼にとってそれはあきらめると道義だったし、先に進む道を見失うことだった。幸いにも、方法がないわけではなかったし、いまとなってはすべて仮定の話だが。
「わかりたくないこと………」
 ティルトは独り言のようにくり返して、顔をしかめた。
「………何かオレ、ますますわかんなくなってきたかも」
 途方に暮れた顔でティルトはそう呟き、黙りこんでしまった。
 その様子を見ながら、リナは少しだけ顔をしかめた。
(ガウリイに水を向けてもらうよう頼むかなぁ………)
 どうやら父親には比較的口を割りやすいようなのだ。あののほほんとした雰囲気が幸いしているのだろう。別の意味で相談事には不適当なくらげだが。
 リアに至っては、そうやったところで父親だろうが誰だろうが(がん)として口を割らないだろうが、ティルトならまだ何とかなるかも知れない。
 リアもリアで、夏からずっと情緒不安定だ。起伏が激しいのはいつものことだし、ゼフィアの目の一件もあったので、それも当然かと思っていたのだが、先日の魔王の話をねだったときの様子といい、まだ何かありそうだった。あの娘はだれに似たのか真面目すぎて、いつも何かしら責任を負っているような顔をしている。親の因果まで背負わなくていいと思うから話していないのだが、どうも向こうはそう思っていないようだ。
 それにここ最近の不調。もともと気分が体調に出やすい娘ではあるのだが、あまりにうなされるようなら、無理強いはしたくないがそれこそ首根っこ押さえてでも白状させたほうがいいかもしれない。
 どうにも釈然としない感覚を覚えて、リナは顔をしかめた。
 歯車がうまく噛んでいないような。知らず目隠しされているような。曖昧な違和感。
 何かが、おかしい。