Ria and Yuzuha's story : Last wish 【All standard is you】 前編 〔15〕
久しぶりに王宮にやってきたリナから話を聞き、アメリアは口元に手をあてて叫んだ。
「きゃあ、同棲?」
「………あんたの脳みそを通ると一気に話の緊迫度も落ちるわね」
「冗談ですよ、冗談。もう戻ってきてるんでしょう?」
アメリアは、ぱたぱたと手をふった。
リナはまだ半眼で親友を睨んでいたが、やがてふっと息を吐く。
「数日したらユズハ連れて帰ってきたわよ。それからは普通に眠れているみたい」
言って、リナは思わしげな顔になって付け足した。
「ティルトともね、ユズハがいるといい緩衝材みたい。見た感じは普通なのよね」
アメリアの顔が曇った。
リアとティルトの姉弟仲がどうもあまりよろしくないらしいというのは、言われて初めて気がついたことだった。思えば、リアが夏に帰省して以来、姉弟揃って王宮にやってきたことはない。いつも入れ違うように双子に会いに来ていたことに、今更ながらに気づかされたのだった。
「うちのアセリアとユレイアが仲直りしたかと思ったら、今度はリナのとこですか………。クーンの様子が変なのはゼフィアさんの目の一件のせいかと思っていたんですけど」
「あと、あんたがいらんこと吹きこんだせいかとも思ったけどね」
リナに再度睨まれ、アメリアは視線をそらせた。
「てへ。あれは、いえ、その。ほら、もののはずみというか―――リナ痛いです痛いですっ」
「もののはずみで話すよーなことかっ」
こめかみをぐりぐりやられ、アメリアは悲鳴をあげてリナから逃げた。
「あんたのおかげで、レゾとルークのこと洗いざらいぶちまける羽目になったわよ」
「ですからそれは………え?」
痛む箇所を指でさすりながら、アメリアは怪訝な顔をした。
「それだけですか? そのあいだの最大級の別件がまるまる二つほど抜けてますよ」
時間の流れに勝手に区切りをつけるとしたなら、リナが話したそれはおそらく、最初と最後に位置するだろう物語だった。二つともに、アメリアが関わっていない物語。アメリアが関わった物語は話されていない。
リナは溜息とともに視線をそらせた。
「魔王をどうやって斃したのって聞いてきたんだもの」
その答えに、アメリアは眉をひそめた。
リナらしくもないやり方だ。
「………そもそも気になってたんですけど。何だって話さないんです? やたら聞かせることじゃないとはいえ、請われたら話すぐらいはしてもいいじゃないですか。わたしだって、アセリアとユレイアに聞かれれば話しますよ。まあ、わたしの場合は当事者じゃないから気が楽ということもあるでしょうし、話さないに越したことはないとも思いますけど………。でも、もうあの子たちは魔族にも遭ってしまった。知識と注意だけ押しつけて気をつけろっていうのは、あまりにも虫が良すぎます―――わたしたちの子なんです。因果の糸は、続いてしまっている」
たしなめるような年下の友人の言葉に、リナはわずかに目を伏せた。
「わかってる」
「だったら―――」
「あーもう、わかったわよ白状するわよ。怖いのよ」
アメリアは絶句してリナを見た。いまのは聞き間違いか。彼女は何と言った。
怖い―――?
リナは微かに笑った。
言葉を失っているアメリアにかまわず、リナは長椅子の背にもたれると、長く細く息を吐く。
「手のかからない子だったのよね」
唐突に口にされた内容を把握できず、アメリアは顔をしかめた。
リナはかまわず続ける。
「よくある何にでもイヤーッていう時期もなくて、こちらのいうことはよく聞くし、よく笑うし、よく泣くし。うちの母ちゃんなんか拍子抜けして、あんたの子とも思えないだなんて言ってくれるし。ただ夜泣きがひどくってね………一時期あたし寝不足で死ぬかと思ったわ。おさまったかと思えば、感情の起伏が激しくて。泣いたかと思えば笑うし、笑ってたかと思えば泣くし………」
「何の話ですか」
「リアの話よ」
苦笑して、リナは頬杖をついた。
「リアができたの完全に予想外だったって話、あたししたっけ?」
「いいえ」
「だったのよ。あんたに会いに来る直前のことだけど。あのときはさすがにまいったわ。ゼフィーリアからこっち来たってのに、ほとんどとんぼ返りだったし。姉ちゃんにはさんざんからかわれるし」
ひとしきりおかしそうに笑い、ふと、リナの表情が茫漠としたものに変わった。ひどく遠いどこかを見つめ、何かを探しあてようとするかのような、さまよう眼差しだった。
「馬鹿みたいな話だけどね。あの子を生んでから、初めてあたしは怖くなった」
「リナ?」
「あたしが危ない橋渡りながら天秤にかけてきたものが、どれだけ途方もないものだったかってことに気づいて、怖くなったのよ。………もちろん、気づいていないわけじゃなかったし、わかってたつもりだったんだけど、どうやら理解しきれてなかったみたいでね」
リナの眼差しに誘われるかのように、アメリアの脳裏に鮮やかに幾つもの光景が浮かびあがった。
あの、あまりにも圧倒的な光と熱。風の唸りで世界はうるさいはずなのに、感覚だけは冷え切って、神経は灼き切れそうだった、幾つもの夜。
たまらなく密度の濃かった時間。死と隣り合わせの髪一筋ほどの隙間を自分たちは怖れげもなく、けれど必死で駆け抜けた。
それはあまりにも愚かで、あまりにも愛おしい、決して手放すことなどできない記憶たち。
記憶の残滓を双眸に宿し、淡々とリナの言葉は紡がれる。
「―――あの子はあたしが背後で気配としてしか理解していなかったものを、はっきりと形にして目の前に突きつけてきた」
「………リナ」
「抱いたら重かったわ。信じられないくらい重かった。あの子は世界そのものだったから」
「―――リナさん!」
思いだした記憶に引きずられるように、アメリアはいつしか昔のようにリナのことを呼んでいた。
泣きそうに顔を歪めているアメリアとは逆に、リナはにこりと笑ってみせる。それはいつも通りの鮮やかな笑みだった。
「あたしがあの子を抱けるに至ったってのは、あたしの力と選択はともかく、あたし自身じゃ本当にどうにもならない瞬間ってのも間違いなく含んでる。運が良かったのは間違いないわ。こうしてあんたと怖いだのなんだの話していられるのもね。つくづく綱渡りしてきたと思うわよ」
「結果がすべてです。あなたの呵責なんか知らないって、世界は言いますよ―――少なくとも、わたしはそう言います。感謝こそすれ責める筋合いもないですし、ましてそのことに対するあなたの鬱屈や後悔なんか知ったことじゃありません。馬鹿みたいです」
容赦のないアメリアの物言いに、リナはおかしそうに笑った。
何だか少々腹が立ってきたアメリアは、拗ねたように唇を尖らせる。
「でも、意外です」
「何が?」
「リナがそんなこと気にしてたなんて」
「………どういう意味?」
「そのままの意味ですよ。あなたが、あのときあの呪文を唱えたことが責められるようなことだったとして、そのあなたが、それから何度世界を救ったと思ってるんですか。チャラですよチャラ、そんなもの。むしろお釣りが―――」
「ああ、違う。そうじゃないのよ、アメリア」
「え?」
アメリアは驚いて口をつぐんだ。
リナは言葉を選んでいるのか、しばらくのあいだ無言だった。
「だからね、あたしのあの選択が悪いことだとか傲慢だとかそういう話じゃないの。何言われたって、あたしはきっとあの状況まで追いこまれりゃ何度でも同じ選択をするでしょうよ。そのことについてどうこう言われるのは、余計なお世話よほっといてって感じだし、今更蒸し返すなって話だし、あたしはこの件に関しては悪いけど死ぬまで聞く耳持たずにいるつもり。―――それはともかく、その選択を含めてね、闇を撒くもののときも、ルークのときも、必死こいてた間中ずっと、こんな途方もないものがあたしの背後にはあったんだっていう、その実感が一度に来たっていうか………」
言いながら、リナは自分の言いたいことがうまく伝わっていないと思ったのか、もどかしそうに顔をしかめた。
「だからさ、あたしが過去のどっかで死んでたら、リアはいなかったわけでしょう?」
「そんなの当たり前じゃないですか」
「その当たり前が怖かったのよ」
わかるような、わからないような。
ただどうしようもなく胸が締めつけられて、アメリアは小さく息をこぼした。
その様子にリナが困った顔で笑う。
「幸せすぎると人間怖くなるって言うしね。言ってしまえばそういうことなのかしらね? 柄でもないけど」
「本ッッ当に、柄でもないですね」
「あんたね………」
呆れた顔をする親友にはかまわず、アメリアは微笑した。
「だから話さないんですか? 世界はきっと、そんなこと知ったことじゃないって言うのに?」
「それでも、あんたが最初に言ったように虫がいい話なんだけど、知識と注意だけ押しつけて気をつけろ、で済ませてしまいたいのよ」
リナは苦笑混じりにそう言い、ふと視線を揺らがせた。
「全部話すと………続いてしまいそうな気がする」
何が、とはリナは言わなかった。
何を、ともアメリアは聞かなかった。
しばらく穏やかな沈黙が落ちる。
やがてリナはその真紅の瞳を伏せ、独り言のように呟いた。
「リアは餓えた目をするわ」
「………リナ?」
「いまの自分をそこに留めておけないような目をする。手に入らないものを絶えず欲しがっているような目よ。そのくせ、自分ではなく相手を満たそうとする。それも、怖いわ。その点に関して完全にあたしは理解不能なんだもの。あたしは自分を満足させるのが最優先の人種だから」
溜め息混じりにリナは続ける。
「―――話すと、あの馬鹿娘が何もかも背負ってしまいそうな気がする。そんなこと知らないって口では言いながらね」
アメリアは嘆息した。
「あの子を見ていると、時々いたたまれなくなるんですよ、わたし―――」
言いながら窓の外に目をやれば、空からこぼれ落ちる光はいま話している娘の髪の色によく似ていた。薄く淡い、硬質で華やかな金の色。
「笑えば笑うほど泣いてるようで、抱きしめたくなる。あんなに、あなたとガウリイさんそっくりなのに、魂が全然違う」
「なるほど、魂ね」
くすりと笑い、リナは肩をすくめた。
「あの子は昔のあたしと同じようでいて、まったく違う目をしてる―――色は、一緒なのにね」
アメリアはふ、と息を吐く。
「本当にリナらしくもないことばかり」
「ごめんね」
「今日の話は聞かなかったことにします」
リナは苦笑しただけで、肯定も否定もしなかった。
アメリアは立ちあがり、友人の顔を見ることなく窓に向かって呟いた。
「………わたしたちは弱くなったんですか?」
「さあ、どうかしら。少なくとも、あたしもあんたも賢しくなったのだけは確かでしょうよ」
「あたしもあなたも、想いと約束が手足にからまり身動きがとれなくなることを是としました。年をとるってのはそういうことなんじゃないですか?」
「そうかもね」
「………今日は本当に、らしくもないことばかり」
リナは再び苦笑した。